65 / 172
第七章 かけがえのないもの
65話 未生の鼓動、再び
しおりを挟む
翌日、僕達は子ども達をその場に残して旅立つことになる。昨晩にあんな話をしてしまったせいか、パウルは子ども達のことが余計に気がかりなようで、彼らが見えなくなるまで何度もその姿を振り向いていた。
しかし今は、彼も人の心配をしていられる立場にない。その心に迷いを差し挟んでしまったような気がして、僕は意識的に彼を急かした。
やがて子ども達を振り切って進む。ナルシャ山の南を半円を描くように開かれた大街道が次第に見えてくる。始めに目に映った限り、踏みならされた道にトレンティア人、ズミ人に関わらずその往来は無い。道に対して横腹から入る形になり、一旦道端に立ち止まって、ぐるぐると周りを見回した。
その頃、妙に体が疲れている気がする……そんな倦怠感を僅かに自覚した。ずっと警戒の姿勢を貼り続けているせいだろうか。
しかし当然ここは最も警戒を高めなければいけない場所だ、多少の疲れは気にしていられない……、そう切り替えて僕は周囲の観察に集中する。
道の両脇には浅い森がただ広がっていて、北を向けば山があり、西を向けば遠くに宿場町らしい建物群が目に映った。
「トレンティア兵がひっきりなしに往来している……なんてことは少なくともなさそうだな。いくら俺相手でも一人を殺すのにそう手間はかけないだろうが、今頃どこを探しているのやら……」
パウルは独り言のように呟いた。オーデルを攻めた部隊がトレンティア軍の全てだったとしたら、あの敗戦の打撃で動けないようなこともあるだろう。
しかしアザル達の村を襲った部隊が少なくとも別であることを思えば、そこからパウルへの刺客が既に放たれている可能性は十分に高そうだ。
「とにかく道の上は危険だ、人がいないなら今の内に南へ横切ってしまおう」
そう言って僕達は道端から足を踏み出した。その足の重たさに、また違和感を覚える。まるでその場でだけ空気が質量を持ってのしかかってくるような、そんな感じだ。
「うっ……」
思わず僕は息を詰まらせるようにして呻いた。その自分の苦しげな声に誘われるように、ドクドクと鼓動が高鳴り、ぐっと胸を締め付けられるような感覚に襲われる。突然の体の変調に僕は混乱さえした。
「待て、ヨハン。……何かおかしいぞ」
パウルの戸惑ったような声が聞こえた。ハッとして振り向くと、彼の顔も青ざめて、少し上体を前屈みにして苦しそうに息をしている。どうやらおかしいのは僕だけではないらしい。
何だ、体に何が起こっている? そう戸惑って僕は昨日からのことを思い出した。何かおかしなものを食べたか? いや、それにしては胃腸という感じではない。毒でも使った敵襲にあったのか? そんな予兆も気配も何も感じなかったのに?
まさか惨殺された村人の家で勝手に寝泊まりしたせいで、幽霊の類に取り憑かれたのか、なんて思いすらよぎっていく。そんな、馬鹿馬鹿しい……。
やがてパウルはハッと何かを思い出したように顔を上げ……、その視線はずっと黙ってついてきていたフェリアに向いた。
「フェリア、お前は体の調子どうだ」
僕も釣られるようにその人形の方を振り向く。まさか人形が人間と同じように体調を崩したりするものか、と疑ったのも一瞬で、どうやらパウルには心当たりがあるらしいことにすぐに気付いた。
フェリアはきりと表情を引き締めて元気よく頷いた。
「おかしいわ。いつもの半分も力が出ない感じがする」
そしてその表情とは裏腹にやはり不調を訴える。ああ、と感嘆のような声をあげてパウルは自分の頭を押さえた。
その仕草だけで、どうやら彼は何かの事情を理解したらしいことは分かった。僕は眉を寄せてパウルを睨み、その説明を催促した。
「……前にも同じことがあっただろう、パーティルで……。フェリアにまで同時に影響が出てるなら間違いない、血門に何かが干渉してきている……」
苦々しい声ながらに彼は端的に言った。僕は顔をしかめたまま、しかしその説明の全てを理解できたわけではない。
血門、という言葉は僕もさすがに聞き慣れつつあった。トレンティア人の一部が有する、特別な魔術の資格のようなものであったはずだ。
そしてパウルと出会った当初から聞かされていた、僕の体の中にある魔術、その正体が……今の話と合わせると、どうやら血門と呼ばれるものだということか。
なぜそんなものが僕の体の中にあるのか、そんな恨み言を今言っても仕方がない。
そのままパーティルでのことを必死に思い出すが、結局その体調不良は一時的に終わり、すぐに始まった任務に向けて忘れ去っていた。結局あれは何だったのか。
「つまり何なんだ、敵からの攻撃か……?」
思わず問い詰めた声は余計に苦しげになる。パウルは頭を押さえたまま、じっとりと額に汗を浮かべている。
「分からん……、パーティルでは結局それらしい敵には会わなかったが……、いやともかく敵だったとしたらマズい。同時に発症してるってことは範囲での作用だ。まだ近くに来たって段階だろうが、今見つけられたらやばい、とにかく身を隠さないと……」
要領の得ない独り言を呟きながら、パウルは荒く息をついた。身を隠すなんてどこに、なんて口にするのも億劫なほど……、体の重さはその瞬間にもどんどんと強くなっていく。身を隠すどころか、今すぐにこの場にでもへたりこみたくなる、それほどに強い倦怠感だった。
敵なのか、そうじゃないのか、結局何なのか、疑問は尽きないが、今はのんびりパウルを問いただしている余裕すらない。
「いや、とりあえず休める場所……。こんな体じゃ逃げることもできん……」
パウルはぐったりとして言った、僕も同感だった。道端に蹲りたくなるほどの体をなんとか必死に奮い起こし、もう一度周囲を見回した。
当然先ほどと同じ景色……、北には山があり、南には浅い森が広がっていて、東西に道が伸びている……そのうちの西側の方面には宿場町らしい建物群はちらりと見える。
「あそこまで歩くのか……」
僕が西の方角を指さしたのを見て、パウルはげんなりとした顔で言った。
目に届いている範囲だ。健康体ならなんということはないその距離も、今の僕達にはとてつもなく遠く感じる……。
しかし当然、こんな道端で倒れるわけにもいかない。僕達はなんとかその重い体を引きずって宿場まで歩くしかなかった。幸い荷物のほとんどはフェリアが担いでくれている。
そのフェリアも、人形ながらに同じ血門というものを体に宿しているのだろうか? その影響で力の半分も出ないらしいが、もともとが怪力だからだろう、生身の人間からすると平然として見える。
しかし荷物を持って歩くだけならともかく、そこへ敵襲などこられては確かにまずい。そう慌てたところでどうしようもないのだが……僕達はとにかく必死にその宿場町まで、這うようにして歩いた。
敵襲がどこからかくるのだろうかと、怯えながら行くその道中は実際以上に長く感じる。何とか何事もないままその宿場に辿り着いた時、僕達の息はすっかりあがっていた。
そしてその宿場町はというと、多くの人で賑わっているらしく、喧騒と言ってもいいようなどよめきに包まれている様子だ。
苦しげな顔で辿り着いた僕達を見る目はどことなく不穏で、まるで彼らも同じように怯えているみたいに、滞在している旅人や商人らの表情は皆ひりついている。
少なくともその喧騒の中に金髪の者は見えない。これだけ人が集まっているのなら当然安心はできないが、今はとにもかくにも、と僕達は表通りに面した休憩所の椅子の倒れるように座り込んだ。
「なんだあんたら、顔色が悪いぞ。もしかして襲われたのか」
「うわっ、何だその目の色は。トレンティア人か?」
宿場町へ入った僕達へ、往来の人の関心は高かった。それにいちいち構っている余裕すら僕達にはなかったが……、当然のようにその態度はあまり友好的ではない。
幸い、女を含む三人だけで入った僕達をトレンティアの軍人だと早計に決めつける者はいなかったようで、一方的に殴られるようなことはない。トレンティア人ではない、と適当な説明でいちいちあしらった。
そんな旅人たちの様子を見て、重たい頭に次第に疑問が浮かんでくる。
街道を行き来する者のために設けられた宿場町だが、宿屋や雑魚寝部屋が連なっている以外に大して目立つものもない。大街道に面しているとはいえ、平時からこんなにも賑わうものだろうかと。
いや、どうにも集まった人々の雰囲気を見ていると、平時という感じではない。彼らは緩くも道端に集まって、めいめいに何かを言い合ったり、悩ましげに首を傾げたりしている。
その口に出ている言葉を端々拾うと、いつ、どこで、何人ぐらいだ……なんて何かの相談をしている者が多い。何か、あったのだろうか。
「あんたらも襲撃にあって逃げてきたのか?」
見知らぬ商人が尋ねてくる。そういえば入ったばかりの時も同じ質問をされた。その時は適当にあしらったが、今はなんとか休憩所の椅子に体を預けている。状況が気になって、僕はその商人に視線を返した。
「オーデルから山を超えてきて疲れているだけだ。襲撃って、何かあったのか? トレンティア兵か?」
「いや、詳しいことはよく分からんのだが、この近くの街道を通っていた商隊が襲われたらしい。それなりに規模の大きい隊だし護衛もつけてたって話なんだが、何やらほとんど殺されちまったとかで混乱しててな。いくらトレンティア兵でも行きずりの商隊を皆殺しにするなんて、そんな盗賊まがいのことをするなんて聞いたことがねえが……、それだけの商隊がやられてるってことはやっぱり軍隊なのかねえ……」
商人は暗い語り口で言った。聞いたところでどうしようもないことではあるが、当然僕達の胸騒ぎは大きくなる。
商隊が襲撃された、それはトレンティア軍によるものである可能性が高い……。やはりこの街道はまだトレンティア兵の影がちらついているのだろうか。
であれば当然パウルの身の危険はおおいに高く、本当ならこんな所で足止めを食らっている場合ではない。しかしどうにも動かない体はどうしようもない……。焦るばかりで状況は何も変わらなかった。
横でパウルも話を聞いていたのだろう、フードの内側でついている荒い息は次第に強張っていっているようだった。
すぐにでも身を隠さなければいけない。体はだるいが、命の危険の前には言っていられない。僕は全身の力を奮い起こすようにして背筋を伸ばし、パウルへ小声を向けた。
「……どこへ隠れる? これだけの騒ぎだ、人混みに紛れていた方がマシか? それとも宿をとって部屋に篭った方がいいのか……」
当然返ってくるパウルの声も、焦りの滲んだ苦い声だ。
「危険で言えば大差ないだろ……、前と同じだったらこの不調も半日も経てば治るはずだ、それまで凌ぐことさえできれば……。どうせ危険なら部屋の中に落ち着きたいもんだがな……」
そうだな、なんて僕は相槌を打った。
……半日、それは短いようで今の僕達には手痛い時間だ。逃亡の道中、本当なら人目につくことさえ極力避けたいというのに、よりによってこんな人混みの場所に滞在しなければいけないのだから……。
しかし何度問答を繰り返しても、どうしようもできないことはできない。危険は高いが、今のところ目の前に敵が現れて襲いかかってきているということはないのだ、必要以上に焦っても憔悴するばかりだ……。
やがて僕は体を引きずるようにして起き上がり、言われた通りに宿部屋をとる作業にとりかかった。こんな状況だと言うのに、体はひたすらに休養を求めている。
宿屋の主は目の色も顔色も青い僕を怪訝な目で見てきたが、説明はなあなあにして早く部屋に入れてくれと急かした。
個室をとるのは値が張るが、青い目を持つせいで目立つ僕達はなるべく人目から離れたいし、今は体も休めたい。
まだ襲撃とやらの話題で盛り上がっている旅人たちの喧騒を尻目に、僕達はとにもかくにも宿部屋に転がり込むことができた。狭いながらもベッドが二つある部屋に入り、僕達は身を投げるようにその寝具の上に倒れ込む。
ずっと高めたままの緊張感の中、僕もパウルも多くは喋らない。今はただ、この重たい体で張れるだけの精一杯の警戒を張りながら、どうか敵襲がないようにと念じながら時を待つほか、なす術はなかった。
フェリアはいつも通り部屋の隅に置物みたいに座らせて、その荷物から取り出した携帯食で食事をとるのも大義だ。
「くそ、一番危険な場所でなんだってこんな目に……」
パウルは返す返すも、という様子でそう苦く悪態をついている。聞いても無駄なのだろうが、僕はベッドの上で倒れたまま声をかけた。
「結局これは何なんだ……」
それに答えるパウルの声も気だるげなまま、どこか投げやりにさえ聞こえる。
「俺やお前が体の中に持っている血門というものは……、ひらたく言えば心臓に刻み込まれている。そこを通して体中を巡る血液と魔力に作用する……その魔術が影響を受けているんだ。何がどうしてそうなるのかって言うと……、ああ、人体魔術の講義をいちからしてやろうか?」
「いや、結構だ……」
僕は暗い声で答えた。
「とにかく、外気を通して血門を揺り動かすなんて、相当の魔力の塊か、人体魔術の技術を応用した魔法具か……、そんなものがあり得るとすれば心当たりはそういくつもない……。気にはなるが、気にしたところで今分かることは何も無い」
パウルはそう続けた。どうせ僕が詳しく聞きただしたところで分かることではないのだろう。諦めて、僕はため息ひとつだけをついて黙り込んだ。
僕達の間に降りた沈黙の他、狭い部屋の中には物音もない。時々壁の向こうから人が動いている音が聞こえるだけだ。仮に今敵が襲ってきたとして、このだるい体では敏感に察知することもできなさそうだ。
そんな中で緊張を張り続けているのも当然消耗する。その体の重たさに引きずり込まれるように、ベッドの上で意識が遠のいていくのにそう時間はかからなかった。
頼むから何も来ないでくれ……。そう祈りにも似た言葉を胸の内に浮かべて、やがて僕は気絶した。
しかし今は、彼も人の心配をしていられる立場にない。その心に迷いを差し挟んでしまったような気がして、僕は意識的に彼を急かした。
やがて子ども達を振り切って進む。ナルシャ山の南を半円を描くように開かれた大街道が次第に見えてくる。始めに目に映った限り、踏みならされた道にトレンティア人、ズミ人に関わらずその往来は無い。道に対して横腹から入る形になり、一旦道端に立ち止まって、ぐるぐると周りを見回した。
その頃、妙に体が疲れている気がする……そんな倦怠感を僅かに自覚した。ずっと警戒の姿勢を貼り続けているせいだろうか。
しかし当然ここは最も警戒を高めなければいけない場所だ、多少の疲れは気にしていられない……、そう切り替えて僕は周囲の観察に集中する。
道の両脇には浅い森がただ広がっていて、北を向けば山があり、西を向けば遠くに宿場町らしい建物群が目に映った。
「トレンティア兵がひっきりなしに往来している……なんてことは少なくともなさそうだな。いくら俺相手でも一人を殺すのにそう手間はかけないだろうが、今頃どこを探しているのやら……」
パウルは独り言のように呟いた。オーデルを攻めた部隊がトレンティア軍の全てだったとしたら、あの敗戦の打撃で動けないようなこともあるだろう。
しかしアザル達の村を襲った部隊が少なくとも別であることを思えば、そこからパウルへの刺客が既に放たれている可能性は十分に高そうだ。
「とにかく道の上は危険だ、人がいないなら今の内に南へ横切ってしまおう」
そう言って僕達は道端から足を踏み出した。その足の重たさに、また違和感を覚える。まるでその場でだけ空気が質量を持ってのしかかってくるような、そんな感じだ。
「うっ……」
思わず僕は息を詰まらせるようにして呻いた。その自分の苦しげな声に誘われるように、ドクドクと鼓動が高鳴り、ぐっと胸を締め付けられるような感覚に襲われる。突然の体の変調に僕は混乱さえした。
「待て、ヨハン。……何かおかしいぞ」
パウルの戸惑ったような声が聞こえた。ハッとして振り向くと、彼の顔も青ざめて、少し上体を前屈みにして苦しそうに息をしている。どうやらおかしいのは僕だけではないらしい。
何だ、体に何が起こっている? そう戸惑って僕は昨日からのことを思い出した。何かおかしなものを食べたか? いや、それにしては胃腸という感じではない。毒でも使った敵襲にあったのか? そんな予兆も気配も何も感じなかったのに?
まさか惨殺された村人の家で勝手に寝泊まりしたせいで、幽霊の類に取り憑かれたのか、なんて思いすらよぎっていく。そんな、馬鹿馬鹿しい……。
やがてパウルはハッと何かを思い出したように顔を上げ……、その視線はずっと黙ってついてきていたフェリアに向いた。
「フェリア、お前は体の調子どうだ」
僕も釣られるようにその人形の方を振り向く。まさか人形が人間と同じように体調を崩したりするものか、と疑ったのも一瞬で、どうやらパウルには心当たりがあるらしいことにすぐに気付いた。
フェリアはきりと表情を引き締めて元気よく頷いた。
「おかしいわ。いつもの半分も力が出ない感じがする」
そしてその表情とは裏腹にやはり不調を訴える。ああ、と感嘆のような声をあげてパウルは自分の頭を押さえた。
その仕草だけで、どうやら彼は何かの事情を理解したらしいことは分かった。僕は眉を寄せてパウルを睨み、その説明を催促した。
「……前にも同じことがあっただろう、パーティルで……。フェリアにまで同時に影響が出てるなら間違いない、血門に何かが干渉してきている……」
苦々しい声ながらに彼は端的に言った。僕は顔をしかめたまま、しかしその説明の全てを理解できたわけではない。
血門、という言葉は僕もさすがに聞き慣れつつあった。トレンティア人の一部が有する、特別な魔術の資格のようなものであったはずだ。
そしてパウルと出会った当初から聞かされていた、僕の体の中にある魔術、その正体が……今の話と合わせると、どうやら血門と呼ばれるものだということか。
なぜそんなものが僕の体の中にあるのか、そんな恨み言を今言っても仕方がない。
そのままパーティルでのことを必死に思い出すが、結局その体調不良は一時的に終わり、すぐに始まった任務に向けて忘れ去っていた。結局あれは何だったのか。
「つまり何なんだ、敵からの攻撃か……?」
思わず問い詰めた声は余計に苦しげになる。パウルは頭を押さえたまま、じっとりと額に汗を浮かべている。
「分からん……、パーティルでは結局それらしい敵には会わなかったが……、いやともかく敵だったとしたらマズい。同時に発症してるってことは範囲での作用だ。まだ近くに来たって段階だろうが、今見つけられたらやばい、とにかく身を隠さないと……」
要領の得ない独り言を呟きながら、パウルは荒く息をついた。身を隠すなんてどこに、なんて口にするのも億劫なほど……、体の重さはその瞬間にもどんどんと強くなっていく。身を隠すどころか、今すぐにこの場にでもへたりこみたくなる、それほどに強い倦怠感だった。
敵なのか、そうじゃないのか、結局何なのか、疑問は尽きないが、今はのんびりパウルを問いただしている余裕すらない。
「いや、とりあえず休める場所……。こんな体じゃ逃げることもできん……」
パウルはぐったりとして言った、僕も同感だった。道端に蹲りたくなるほどの体をなんとか必死に奮い起こし、もう一度周囲を見回した。
当然先ほどと同じ景色……、北には山があり、南には浅い森が広がっていて、東西に道が伸びている……そのうちの西側の方面には宿場町らしい建物群はちらりと見える。
「あそこまで歩くのか……」
僕が西の方角を指さしたのを見て、パウルはげんなりとした顔で言った。
目に届いている範囲だ。健康体ならなんということはないその距離も、今の僕達にはとてつもなく遠く感じる……。
しかし当然、こんな道端で倒れるわけにもいかない。僕達はなんとかその重い体を引きずって宿場まで歩くしかなかった。幸い荷物のほとんどはフェリアが担いでくれている。
そのフェリアも、人形ながらに同じ血門というものを体に宿しているのだろうか? その影響で力の半分も出ないらしいが、もともとが怪力だからだろう、生身の人間からすると平然として見える。
しかし荷物を持って歩くだけならともかく、そこへ敵襲などこられては確かにまずい。そう慌てたところでどうしようもないのだが……僕達はとにかく必死にその宿場町まで、這うようにして歩いた。
敵襲がどこからかくるのだろうかと、怯えながら行くその道中は実際以上に長く感じる。何とか何事もないままその宿場に辿り着いた時、僕達の息はすっかりあがっていた。
そしてその宿場町はというと、多くの人で賑わっているらしく、喧騒と言ってもいいようなどよめきに包まれている様子だ。
苦しげな顔で辿り着いた僕達を見る目はどことなく不穏で、まるで彼らも同じように怯えているみたいに、滞在している旅人や商人らの表情は皆ひりついている。
少なくともその喧騒の中に金髪の者は見えない。これだけ人が集まっているのなら当然安心はできないが、今はとにもかくにも、と僕達は表通りに面した休憩所の椅子の倒れるように座り込んだ。
「なんだあんたら、顔色が悪いぞ。もしかして襲われたのか」
「うわっ、何だその目の色は。トレンティア人か?」
宿場町へ入った僕達へ、往来の人の関心は高かった。それにいちいち構っている余裕すら僕達にはなかったが……、当然のようにその態度はあまり友好的ではない。
幸い、女を含む三人だけで入った僕達をトレンティアの軍人だと早計に決めつける者はいなかったようで、一方的に殴られるようなことはない。トレンティア人ではない、と適当な説明でいちいちあしらった。
そんな旅人たちの様子を見て、重たい頭に次第に疑問が浮かんでくる。
街道を行き来する者のために設けられた宿場町だが、宿屋や雑魚寝部屋が連なっている以外に大して目立つものもない。大街道に面しているとはいえ、平時からこんなにも賑わうものだろうかと。
いや、どうにも集まった人々の雰囲気を見ていると、平時という感じではない。彼らは緩くも道端に集まって、めいめいに何かを言い合ったり、悩ましげに首を傾げたりしている。
その口に出ている言葉を端々拾うと、いつ、どこで、何人ぐらいだ……なんて何かの相談をしている者が多い。何か、あったのだろうか。
「あんたらも襲撃にあって逃げてきたのか?」
見知らぬ商人が尋ねてくる。そういえば入ったばかりの時も同じ質問をされた。その時は適当にあしらったが、今はなんとか休憩所の椅子に体を預けている。状況が気になって、僕はその商人に視線を返した。
「オーデルから山を超えてきて疲れているだけだ。襲撃って、何かあったのか? トレンティア兵か?」
「いや、詳しいことはよく分からんのだが、この近くの街道を通っていた商隊が襲われたらしい。それなりに規模の大きい隊だし護衛もつけてたって話なんだが、何やらほとんど殺されちまったとかで混乱しててな。いくらトレンティア兵でも行きずりの商隊を皆殺しにするなんて、そんな盗賊まがいのことをするなんて聞いたことがねえが……、それだけの商隊がやられてるってことはやっぱり軍隊なのかねえ……」
商人は暗い語り口で言った。聞いたところでどうしようもないことではあるが、当然僕達の胸騒ぎは大きくなる。
商隊が襲撃された、それはトレンティア軍によるものである可能性が高い……。やはりこの街道はまだトレンティア兵の影がちらついているのだろうか。
であれば当然パウルの身の危険はおおいに高く、本当ならこんな所で足止めを食らっている場合ではない。しかしどうにも動かない体はどうしようもない……。焦るばかりで状況は何も変わらなかった。
横でパウルも話を聞いていたのだろう、フードの内側でついている荒い息は次第に強張っていっているようだった。
すぐにでも身を隠さなければいけない。体はだるいが、命の危険の前には言っていられない。僕は全身の力を奮い起こすようにして背筋を伸ばし、パウルへ小声を向けた。
「……どこへ隠れる? これだけの騒ぎだ、人混みに紛れていた方がマシか? それとも宿をとって部屋に篭った方がいいのか……」
当然返ってくるパウルの声も、焦りの滲んだ苦い声だ。
「危険で言えば大差ないだろ……、前と同じだったらこの不調も半日も経てば治るはずだ、それまで凌ぐことさえできれば……。どうせ危険なら部屋の中に落ち着きたいもんだがな……」
そうだな、なんて僕は相槌を打った。
……半日、それは短いようで今の僕達には手痛い時間だ。逃亡の道中、本当なら人目につくことさえ極力避けたいというのに、よりによってこんな人混みの場所に滞在しなければいけないのだから……。
しかし何度問答を繰り返しても、どうしようもできないことはできない。危険は高いが、今のところ目の前に敵が現れて襲いかかってきているということはないのだ、必要以上に焦っても憔悴するばかりだ……。
やがて僕は体を引きずるようにして起き上がり、言われた通りに宿部屋をとる作業にとりかかった。こんな状況だと言うのに、体はひたすらに休養を求めている。
宿屋の主は目の色も顔色も青い僕を怪訝な目で見てきたが、説明はなあなあにして早く部屋に入れてくれと急かした。
個室をとるのは値が張るが、青い目を持つせいで目立つ僕達はなるべく人目から離れたいし、今は体も休めたい。
まだ襲撃とやらの話題で盛り上がっている旅人たちの喧騒を尻目に、僕達はとにもかくにも宿部屋に転がり込むことができた。狭いながらもベッドが二つある部屋に入り、僕達は身を投げるようにその寝具の上に倒れ込む。
ずっと高めたままの緊張感の中、僕もパウルも多くは喋らない。今はただ、この重たい体で張れるだけの精一杯の警戒を張りながら、どうか敵襲がないようにと念じながら時を待つほか、なす術はなかった。
フェリアはいつも通り部屋の隅に置物みたいに座らせて、その荷物から取り出した携帯食で食事をとるのも大義だ。
「くそ、一番危険な場所でなんだってこんな目に……」
パウルは返す返すも、という様子でそう苦く悪態をついている。聞いても無駄なのだろうが、僕はベッドの上で倒れたまま声をかけた。
「結局これは何なんだ……」
それに答えるパウルの声も気だるげなまま、どこか投げやりにさえ聞こえる。
「俺やお前が体の中に持っている血門というものは……、ひらたく言えば心臓に刻み込まれている。そこを通して体中を巡る血液と魔力に作用する……その魔術が影響を受けているんだ。何がどうしてそうなるのかって言うと……、ああ、人体魔術の講義をいちからしてやろうか?」
「いや、結構だ……」
僕は暗い声で答えた。
「とにかく、外気を通して血門を揺り動かすなんて、相当の魔力の塊か、人体魔術の技術を応用した魔法具か……、そんなものがあり得るとすれば心当たりはそういくつもない……。気にはなるが、気にしたところで今分かることは何も無い」
パウルはそう続けた。どうせ僕が詳しく聞きただしたところで分かることではないのだろう。諦めて、僕はため息ひとつだけをついて黙り込んだ。
僕達の間に降りた沈黙の他、狭い部屋の中には物音もない。時々壁の向こうから人が動いている音が聞こえるだけだ。仮に今敵が襲ってきたとして、このだるい体では敏感に察知することもできなさそうだ。
そんな中で緊張を張り続けているのも当然消耗する。その体の重たさに引きずり込まれるように、ベッドの上で意識が遠のいていくのにそう時間はかからなかった。
頼むから何も来ないでくれ……。そう祈りにも似た言葉を胸の内に浮かべて、やがて僕は気絶した。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
最弱パーティのナイト・ガイ
フランジュ
ファンタジー
"ファンタジー × バトル × サスペンス"
数百年前、六大英雄と呼ばれる強者達の戦いによって魔王は倒された。
だが魔王の置き土産とも言うべき魔物達は今もなお生き続ける。
ガイ・ガラードと妹のメイアは行方不明になっている兄を探すため旅に出た。
そんな中、ガイはある青年と出会う。
青年の名はクロード。
それは六大英雄の一人と同じ名前だった。
魔王が倒されたはずの世界は、なぜか平和ではない。
このクロードの出会いによって"世界の真実"と"六大英雄"の秘密が明かされていく。
ある章のラストから急激に展開が一変する考察型ファンタジー。
時き継幻想フララジカ
日奈 うさぎ
ファンタジー
少年はひたすら逃げた。突如変わり果てた街で、死を振り撒く異形から。そして逃げた先に待っていたのは絶望では無く、一振りの希望――魔剣――だった。 逃げた先で出会った大男からその希望を託された時、特別ではなかった少年の運命は世界の命運を懸ける程に大きくなっていく。
なれば〝ヒト〟よ知れ、少年の掴む世界の運命を。
銘無き少年は今より、現想神話を紡ぐ英雄とならん。
時き継幻想(ときつげんそう)フララジカ―――世界は緩やかに混ざり合う。
【概要】
主人公・藤咲勇が少女・田中茶奈と出会い、更に多くの人々とも心を交わして成長し、世界を救うまでに至る現代ファンタジー群像劇です。
現代を舞台にしながらも出てくる新しい現象や文化を彼等の目を通してご覧ください。
まずはお嫁さんからお願いします。
桜庭かなめ
恋愛
高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。
4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。
総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。
いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。
デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!
※特別編6が完結しました!(2025.11.25)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、感想をお待ちしております。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
アガルタ・クライシス ―接点―
来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。
九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。
同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。
不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。
古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~
ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。
玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。
「きゅう、痩せたか?それに元気もない」
ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。
だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。
「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」
この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる