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第七章 かけがえのないもの
68話 禁忌の邂逅
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その時、呆気なくも僕は生死の際に立っていた。
この時勢だ、いつどこの戦場で命を落とすかは分からない……じっくりとこの世に別れを言う暇もなく絶命してしまう命だって、いくらでもあるだろう。
……僕が手にかけてきた多くの敵はきっとそうだ。その戦いの果てに命尽きるならそれも因果と言えただろうか。
しかし現実はもっと不条理で、僕の死に場所は戦場ですらないらしい。僅かな間の気絶の後、薄く開けた目にはガロンの顔面が大きく映っていた。
「十五歳ぐらいか? まあ少し歳いってはいるが可能性はありそうだな。にしても青い目とは奇遇だな、ウィル。初めて見た時も思ったが、並んでいると兄弟みたいだぜ」
体に目立った外傷はないらしく、全身に鈍い痛みが残っているだけだ。しかし腕は背中の後ろで固く縛られて動かない。ガロンの疲れたような声と露悪的な笑みを見ても僕は何を言う気にもならなかった。
気絶している間に移動させられたのだろうか、先程まで見ていた村の廃墟とは違う景色があった。間に合わせで作ったような木造の小屋は見えるが、村のような集落ではないらしい……、景色のほとんどは木々の茂みで覆われている。そしてその中には他にも多くの人影があった。
人形らしい姿は十ほど、その中に混じって目立つのは、傭兵風の軽い武装をした男が数人……恐らくガロンの仲間か部下というところだろうか。
そして人形とは違う、まだその目に生気を宿した子どもの姿も複数、僕の他にも十人ほどが集められているようだった。その中に見知った子どもの姿、アザルやイーダのものも見つける。
彼らは自分達ここに集められた理由を当然知らないのだろう、見知らぬ男達に囲まれて不安に満ちた顔をしている。
しかし拘束されているのは僕だけだ、他の子ども達は不安そうに身を縮めているばかりで、自分たちから逃げ出そうというつもりも、その力もないのだろう。
そしてその他には……、パウルやフェリアの姿はどうやら、ない。
僕は地面の上に無造作に投げられていた状態から、なんとか上半身だけを起こして座り込んだ。その僕を、ほとんど同じ高さからウィルがじっと見下ろしてくる。
彼の関心は同じ目の色をしている僕だけにあるようだった。その顔は冷え切ったような無表情……。
「なあヨン、魔術師の野郎はお前を見捨てて尻尾巻いて逃げやがったぜ、あの女人形と一緒にな。薄情な仲間だなあ」
ガロンはしゃがんで僕の顔を覗き込んでいたが、やがて立ち上がりながら嫌味っぽく笑って言ってきた。
僕はぴくりとも表情を動かさず、そちらに視線を向けてやる気にもならない。……彼が僕を生け捕りにした理由は明白だ、これから僕は魔道人形の材料にされてしまうのだろう。
当然達観して諦めたいわけでもないが、今この状況を見て冷静に頭を回したところで、打開できる可能性はすぐには見つからない。
それよりも、パウルとフェリアだけでも逃げ出せたというのならその救援があることに希望をかけた方がまだいいだろう。
「だんまりかよ。可愛くない奴だな……ほんとにお前人間か? 最初からお前も人形だった、なんてオチねえだろうなあ」
ガロンはつまらなさそうにそんなことを言った。僕は眉を寄せてちらりとだけ、立って高みから僕を見下ろしているその男に視線をやった。そこへウィルが小さく口を開く。
「実際魔術をかけてみたら分かるよ。もっとも、人形だったならそんな拘束すぐ解けるだろうから、無いと思うけど」
「ああ、そうだな。しかしそいつの戦闘能力はパーティルで見たが……、力こそ人間のものだが反射や攻撃の精度は人形より優秀だ。それを殺しちまうのは少し惜しい気はするな。なんとかその感覚だけ残して人間としての意思だけを奪うとか、そういう都合の良いことはできんもんかな」
ガロンは僕を不躾に見て言う。
「そんなことは……僕の知識じゃできないな、ごめんなさい」
ウィルは少しだけ表情を翳らせた。ガロンはフン、と小さく鼻息を吐いた。
僕は思わず目を細めてウィルの幼い顔を見つめる。……魔道人形が魔法を使うとは思っていなかった。先ほどの戦闘でそれを目の当たりにしたが、その口ぶりを聞くに……まさか魔道人形を作り出しているのもウィルなのだろうか。人形が人形を生み出しているなんて、そんなおぞましいことがあるだろうか。
僕の視線を受けて、ウィルはどこか意を決したように眉間に皺を寄せた。
「ヨン、って言うの? ねえ教えてほしいんだ、あのパウルという男は何? どうしてフェリアは僕じゃなくてあいつの言う事を聞くの? 僕が作るものより高等な人形を作れるなんて言ったのは本当?」
まるで意思を持っているかのように疑問を抱き、それをぶつけてくる。それを僕は無表情のまま聞いていたが、存外にぎょっと驚きを露わにしたのはガロンだった。
「ウィル!? 何お前勝手に喋って……!」
しかしなおもウィルは黙らなかった。悲痛な表情さえ浮かべてガロンを振り向く。
「ごめん、お父さん。でもどうしても気になるんだ。フェリアが僕の言う事を聞いてくれないなんて、コードの深部まであの男に掌握されてるとしか思えない。そんなことをできる奴がいるなら……、僕はその技術が欲しい……」
その言葉の数々にガロンは愕然としているようだった。
……ウィルがフェリアと同等の人形だとしたら、彼もフェリア同様に、命令がなければ発言することさえ稀なのだろう、それが自分からこうも喋り、挙げ句に技術が欲しいなどと望むのを聞けばガロン驚くのも当然かもしれない。僕にさえ、目の前の子どもが魔道人形だという実感が薄れていくような気がした。
そのウィルが知りたがるのも無理はないだろうか……確かにパウルは今やフェリアの命令コードを深部まで掌握していることに違いはない。
しかしそうでなくても、フェリアにとってパウルの存在は特別なはずだ。それは恐らく制作者ミョーネによって仕組まれた意図なのだろう……彼女にとって夫であったパウルに、フェリアは人形ながら自らの意思で会いに来たのだから。
それを親切に教えてやる義理は当然ないが、しかし今、僕は彼らに生死を握られている状態だ。
パウルのことだ、生き延びたのならどれだけ無茶をしても僕を助けに来るだろうが……であれば僕は、それまで生きたまま時間を稼がねばならない。……得意ではないが、交渉をするのが得策だろう。
そう判断して僕はやっと口を開いた。
「……奴はトレンティアで人形を扱う魔道を専門的に学んでいる。その気になればお前が作るものよりよっぽど性能の良い人形を作ることもできるだろうな」
そう言うと、ウィルはぐっと眉に寄せた皺を深めた。その怒りとも悔しさともつかない表情は、ああ、本当に精巧な人形だ。
しかし所詮は人形だ、単純な戦闘力だけならともかく、魔道人形の精製技術などという分野になれば人間に追いつかないのも当然だろう。
「あいつの技術を欲するなら僕に手出しはしない方がいいぞ。逆上させれば交渉の余地さえなくなる」
僕は薄く笑いさえ浮かべてそう交渉を切り出してやった。命乞いは得意ではないが、しかし実際それは事実でもあった。見かけによらず情け深く仲間思いであるパウルが、よりによって僕を殺されて、冷静でいられるとは思えない。
ウィルの瞳に戸惑いのような色が浮かぶ。まるで自分で考える力を……いや実際思考回路にも似たものが仕込まれているのだろうか、その人間を模した感情は見るからに分かりやすい。
しかしその交渉を阻むかのように、突然ガロンの足が僕の頬を打った。その痛みとともに泥と血の味がじわりと口の中に広がる。
「生意気言ってんじゃねえぞ、クソガキが。これ以上コケにされてたまるかよ。ウィル、今すぐだ、こいつを人形にしろ。まずはこいつからだ」
ガロンの怒りの滲んだ声が頭の上から降ってくる。僕はぐっと細めた目でウィルを見たが、彼の目はやはり戸惑っていた。
「あいつの腕が欲しけりゃ、力ずくで殴り倒して言う事聞かせれば済む話なんだよ、心配すんな。ウィル、早くやれ。父親の言うことが聞けねえなんて言わねえだろ?」
ガロンは乱暴な声でそう凄んだ。途端にウィルはびくりと身を竦めて、戸惑っていた目は人形らしく光を失い、その表情は次第に凍りついていく。
やがてその小さな両手が、こちらへ伸びてきた。
人形にする魔術というのが一体どういうものなのか、それは大掛かりなものなのだろうか、時間がかかるようなものなのか……全く想像もつかない。どのみちのんびりとしている余裕はもうないだろう。
やがてウィルが僕の胸ぐらを掴んだかと思うと、その体の大きさからは信じられないような怪力で地面の上に押し倒される。
地面の上に横たわった僕の上にその軽い体をのしかからせて、細い腕で僕の服を掴みかかってくる。うっと呻く間もなく、激しい力でその布が引きちぎられた。
そうして服を破かれて露わになった胸の素肌を、人形らしい光のない目で見下ろしてくる。……ああ、もう終わるのか、そんな呆気ない言葉が胸の中をよぎっていった。
パウルは……まだ助けに来ない。今頃僕を探し回っているのだろうか、それともこの人形に立ち向かうための準備をしているのだろうか、分からない。
だけど確実に彼は僕を助けに来る、その確信だけはあった。見捨てられたなどとは欠片も思わない。……ただ、間に合わなかっただけだ。
「成功するといいな。パーティルで共同戦線を張ったよしみだ、もし無事に人形になれたなら、他の奴よりは大事に扱ってやってもいいぜ。なにせウィルと並べりゃいい見栄えだ」
ガロンの暗い笑みが耳を通り過ぎていく。やがてウィルの両手は僕の胸、その素肌の上をひたりと触る。その手の平からじわりと、魔力が肌の中に染み込んでいくように流されるのを感じた。思わず背筋を凍らせた悪寒に、しかし僕はもう成す術を持たない。
僕の胸の上にふわりと魔法陣が浮かんだ。……いつか見たことのある光景だ、そんな意識が遠のいていく……次の瞬間、ばちりとそこに電撃が弾けた。
“不適合反応”、あるいは魔力の衝突。その電撃の痛みに胸を焼かれて思わず僕は咳き込んだ。しかし衝撃は一瞬にして去り、深い痛みは残らない。
ふっと体の上に乗った重みが軽くなったかと思えば、ウィルは僕の体の上から立ち退いていた。
何かと思えば、彼の目は大きく見開かれ、その顔色は青ざめてさえいて、信じられないものを見るような目で僕を見下ろしていた。その体もまるで後退るように引いている。
「……何?」
ぽつりと呟いたのはウィルだった。見やるとその傍らに立っているガロンも怪訝な表情を浮かべている。
ウィルはやがてゆっくりと、自分の両手の平を見つめた。その手は小さく震えていた。
「嘘だ……、この反応……、血門……? 嘘だろ……、君、は……」
ウィルの言葉は途切れ途切れで、何を言っているのかは分からない。ただ分かったのはどうやら、僕の体の中にある“血門”に反応を示したらしい。
「ウィル! おい、どうしたっていうんだ、しっかりしやがれ!」
ガロンが焦ったように荒っぽい怒号を上げた。その声色に、周りにいたガロンの仲間や子ども達まで、びくりとしてこちらの方を振り向いた。
状況ははっきりと分からない。ウィルは何に戸惑っている? 他でもない術者である彼が揺らめいている、であれば少しでも生き延びる時間を稼ぐために、更に揺さぶりをかけたいところだった。
……しかし、分からない。一体彼は何にそんなに怯えているのか? 彼が感じ取った血門というのは……、血門とは一体何なのだ? その答えを僕は始めから持ち合わせていないのだ。
「お父さん、お母さん、どこ? 僕は……僕は何? 君は誰? ヨン? ヨン? ヨハンなのか? 僕は誰? お父さんは誰? どこ? 僕は、あ、あ……」
ウィルの混乱は一層深まり、その口からは支離滅裂な言葉が漏れ始める。僕の名前を呼んだその声には思わずぞくりと悪寒を感じた。素人目にさえはっきりと分かる……、この人形は何かのはずみで不具合を起こしている。
なぜ? 僕の中の“血門”に触れたから? それは一体何なのか……、だけど記憶の限りでは、その血門はフェリアも同じようなものを持っていると言っていたはずだ。であれば、同じ作者から生み出されたウィルも無関係ではないということか? そんな推測はよぎったが、だからと言って当然何かが分かるということはない。
「ちくしょう、おかしくなってんじゃねえ! ヨンてめえ……ウィルに何しやがった!?」
ガロンが激昂し、僕の破れて腕に絡みついているだけの服を掴み上げて引っ張ってきた。ぐっと眉を寄せてそれを睨んだところで、一体何がどうなっているのかなんて僕にも分からない。
「くそっ、やっぱりお前らに関わるとロクなことにならねえ! 惜しいが殺すしかないか……」
ガロンは苦い声で言って、僕を地面へまた叩きつけた。その痛みに身を捩っている僕を見下ろして、ガロンはやがて腰に挿した剣に手をかける。
「俺の可愛いウィルを引っ掻き回しやがって、こいつは俺のものだ、誰にも渡さねえ!」
そう憤ってすらりと剣を抜いた。まずい、殺される、そんな焦りが一瞬にして胸を燻った。
縛られているのは腕だけだ、なんとか足だけで姿勢を立て直そうと藻掻くが、今にも僕を殺そうと武器を振り上げる男の動きに間に合いそうにはない……。
「お父さん!」
そこで突然ウィルが叫び声を上げた。ぎょっとしたのは当然僕もガロンも同じだった。また何か錯乱を起こしているのかと疑うのも一瞬で、次の瞬間には、僕達を一挙に衝撃が襲った。
それは先程ウィルが起こした炎の雨とよく似ていた。天から飛来した、しかしそれは雨というほどの広範囲のものではない、僕とガロンとウィル、その三者が留まっていたこの一点を目指して放たれた流星のようだった。
高圧の魔力を持った炎の玉は真っ白に輝いてそこに至ったが、どうやらその空に向かってウィルは防御の魔法陣を張った、そこにぶつかって激しく魔力の衝突を起こした。
突然の攻撃の到来に、ガロンだけではなく周囲の者達も一斉に色めく。その魔力の気配を目で追った先、木々の茂みの奥からそれは猛進してきていた。
「神聖なるトレント……」
その呟きにも似た祈りが確かに耳に届く。ああ、と僕は思わず歓声を上げたくさえなる。絶体絶命に現れた救済、その聞き慣れた声を耳が拾うこの喜びと安堵は何にも喩え難い。
パウルはここまで必死に走ってきたのだろうか、いつもは被っているフードは既にめくれ落ちて、額を伝う汗をそのままにし……手にはぎらりと光る魔剣を握っていた。
「どうして……何で……! お父さん、逃げて! 巻き込んでしまう!」
ウィルは叫びながら大きく防御の陣を再び張って、流星のごとき圧力を持って放たれた衝撃波をまた受け止めた。
そこに迸った魔力の圧力は尋常なものではない。それに圧されるようにして、ガロンは体をじりと退かせ始めた。
「くそが! ウィル、合流地点は予定通りだ、後で会うぞ!」
しかし退散を素早く決断はしたらしい。そこにいた部下や人形達すら放りだして、ガロンは一目散に駆け出した。当然縛られて倒れたままの僕は、それを追うこともできない。
「待ちやがれガロン! てめえは俺がブッころ……」
パウルの怒りに満ちた怒鳴り声が聞こえるが、それを目前にしてまたウィルが魔法を撃つ仕草をした。
「神聖なるトレント、僕を守って!」
そう叫んだのには思わずぎょっとした。それは“血門術”と呼ばれる特別な魔術を使う時の呪文であるはずだった。
神聖なるトレントの名を冠したその魔術同士がまたぶつかる。血門と呼ばれる体内の魔術を通し、術者の血液をマナとして消費するその術は、そうではない通常の魔法よりも何倍もの量の魔力を迸らせる。
その衝突に起こった摩擦は激しく、近くにいるだけで肌がびりびりとする。同時に体の中を波動のように突き抜けていく魔力のうねりで気分が悪くなる思いがした。
「ふざけるな、ふざけるな! 何なんだ、お前達は何なんだ! 僕にトレントの血を向けるな! 僕は……、お父さんは!? 僕のお父さんはどこ!」
ウィルは激しく魔術を巻き起こしながらも錯乱していた。対してパウルは、激しく憎悪のような感情を浮かべている。
「人形にお父さんなんかいねえよ! 目ぇ覚ませクソガキが!」
そう激昂して、ずいとウィルへと距離を詰めた。その手に魔力を込めて狙っているのは、彼の額だ。そこに触れさえすれば人形の起動を停止できる……しかしウィルはそう簡単にはそれを許さなかった。
腕を交差させて自分の額を庇ってパウルの攻勢を跳ね除け、その腕を体の両側に振り下ろすようにしてまたそこに魔力を迸らせる。
「お父、さん……。お父さん……? ねえ、あなたが僕のお父さん……?」
次第にウィルの言葉は震え、そんなことを言ったのは、パウルに向かってだろうか。
パウルは正面からの魔力の塊を魔剣で薙ぎ払って退け、しかしその次の攻撃をできずに固まっていた。愕然として目を見開いているその顔は、目の前の人形の錯乱ぶりに戸惑っているような、そんな風に見える。
「……いい加減にしろ。何度も言わせるな、お前にお父さんなんかいない。お前は人形なんだ」
そしてどこか神妙にさえなってそうウィルに言い聞かせた。混乱しきっている魔道人形に真っ当な話が通じるとは思えない……なのにそんな言葉をかけるパウルの真意は、僕にも分からなかった。ウィルはやがて頭を両手で抱えて苦しみ始める。
「嘘だ……、いるんだ、僕の父さん、どこかに……、ううん、違う。僕の父さんはガロンさんだ、ガロンさんが僕のお父さんになってくれたから……。ねえ、お父さん……、そうだ、お父さんに会いに行かなきゃ……」
そうぶつぶつと呟いたかと思うと、ふっとパウルにまで背中を向け、その小さい歩幅で走り出した。しかしパウルとて当然、それをのうのうと許すことはない。
「待てこら!」
パウルはそう叫びながら魔剣を振った。その刃が届くほどウィルとの距離は近くないが、その剣筋が通った後に魔力が迸り、そこから溢れ出したような爆炎がウィルを襲う。
錯乱したまま逃げの姿勢をとっていたウィルは不意打ちのようにそれを受けたらしく、その小さな体は押しのけられるように地面に打ち付けられた。
しかし魔道人形である……その体の頑丈さも並ではない。苦しげな表情を浮かべながらもすぐに立ち上がった。
そして炎に焼けた肌が、じわりと魔力に侵食されるように光り、その表面が目に見えて再生していくのが見えた。……傷がその場で再生した?
そんな化け物じみたことがあるだろうか。僕は吐き気すら覚えて、愕然とその景色を目の当たりにしていた。
それはパウルも同じだったのだろうか、魔剣を振り切った姿勢のまま青ざめていた。
「どうして……、どうしてトレントが僕を傷つけるの? トレントは僕だ、僕がトレントの子どもだ、お前達は……、ああ……、うわあああ!」
呟くように言ったかと思えば大きく叫び、またも混乱する。そこに激しく魔力は迸るが、もはや彼にまともな攻撃性能は無いように見えた。
しかし魔法で傷付けてもなお彼の肉体はたちまちに再生する……その人間離れした有り様を前にして、これを倒すなどという未来は到底見えなかった。
立ち尽くしてしまったパウルを前にして、ウィルは震え、やがてまた走り出す。今、彼の目的は目の前の敵を倒すことではなく、逃げ去ったガロンを追うことのようだ。そしてそれをパウルはまたも追撃する……ことはなかった。
ぐっと頭を片手で押さえ、その足元が僅かにふらつく。目眩でも起こしているように見える仕草だった。
「パウル!」
僕はわけもわからず、ただその名前を呼んだ。パウルの顔色は蒼白だ、血門術に血を使ったせいもあるだろうか。
そして当然ウィルはそれに構いもせず、小さいながらも獣のように力強い足取りで宙を駆けるようにして走り去っていく。その脚力も人形らしく強い。
パウルはハッとして僕の方を振り向き、悪い顔色のままでこちらに一目散に駆けてきた。彼もまた、逃げ去るウィルをこれ以上追うことはないようだ……。
「ヨハン! 無事……か。よかった……、間に合って……良かった……」
それは心からの安堵の声のようだった。ああ、もう少しで死んでいたところだったが、なんて憎まれ口を今は言わないでおいてやる。
パウルは僕の元に屈み込んで、切なく、思い詰めたような顔で僕を見つめる。すぐに後ろ手に縛られていた拘束をその魔剣で斬って解いてくれた。上半身の服は前面を縦に切り裂かれてしまった、とにかく残った布を寄せて適当に肌を隠す。
ガロンもウィルも逃げ去って行った……、後に残されたのは、置いていかれた部下や人形、そして人形にされるために連れてこられた子どもたちだ。
ガロンの部下達も、ウィルとパウルの激しい魔術のぶつけあいに近付くこともできなかったようで、そのうち我に返ったものから次第に逃げ出していくところだった。
パウルはぎろりとそちらを振り向き、逃げ遅れた一人を乱暴に掴み上げた。唖然としていた彼は受け身をとることさえもできず捕まえられ、首に魔剣の刀身を突きつけられて顔を青くした。
「……大人しく白状すりゃあ命は助けてやる。ガロンとの……予定での次の合流地点はどこだ?」
そう激しい剣幕で凄まれ、ガロンの部下は震え上がって叫んだ。
「ヒッ! オ、オーデルだ! あの町でまた子どもを攫おうって話してた! お、俺はもうやめる、抜けるから許してくれ!」
そう必死な顔で懇願してくるのを見ながら、パウルはなおもその首元を締め上げるように詰め寄る。
「知ってることを全て話せ。ガロンは……、あのウィルという人形は何者だ。味方はどれほどいる? お前らの目的は」
男はわなわなと震えながら、パウルのぎらつく瞳を見つめていた。
「ガ、ガロンさんはもともと盗賊団の頭だったんだ、俺は新参だから昔のことはよく知らねえ……。あの人形は王都の近くで拾った、ってガロンさんは言ってたけど……。味方というか、ガロンさんに金を払って人形を融通してもらう部下が……でも全員で何人なのかは分からん。だけど多くても二十人もいないと思う。お、俺達はただ、楽に金が稼げるぞと誘われただけで……、すまねえ、もうしない! だから……!」
慌てふためいた様子で語るその男を、パウルは握った拳で強く殴り飛ばした。男はまた小さく叫びながらも、パウルに手を解かれて這いつくばるように逃げ出した。
その命までとる気はないらしく、パウルは舌打ちをしながらもそれを見送った。
しかし残された人形達は逃げるということもしせず、かと言って命令を受けたわけでもないからか、ただその場でぼうっとした状態で取り残されていた。
そして人形になる運命を免れた子ども達も、激しい戦闘を目の当たりにして放心したように、人形と同じようにその場に留まっている。僕達はまず彼らをどうにかしなければいけなかった。
しかしそれよりも僕はパウルが気がかりだった。その顔は蒼白で、時間にしてみれば短かった戦闘の間でも相当な血液を使ったのかもしれない。
「パウル、血の使いすぎか? 無理はするな、というかフェリアはどこへ……」
まだ混乱が引かないせいでしどろもどろになって、僕はパウルに言った。自分とて地面の上を散々転がされたのだから汚れは酷いが……。
「あのウィルとかいう人形の前に出すと不具合を起こす。当てにできんから置いてきた。……どうやら不具合を起こすのはお互いのようだが……」
パウルはだるそうに言いながら、しかしなおも立って、取り残された人形の一人の元へとおもむろに歩いた。
彼は目の前にパウルが立っても敵とは認識しないらしく、死人のような目でただぼうっとそれを見上げる。
その額の魔術を解除するつもりなのだろう――幼い少年の人形の頭に右手を伸ばしたパウルの、その手つきはいやに慎重だった。
まるで子どもを愛おしむように、その頭を撫でるような手つきでそっと魔法陣をなぞる。額に黒の線で書かれた魔法陣の上にかぶさるようにして、金色の光で縁取られた魔法陣がふわりと浮かんだ。
やがてその魔法陣の中に浮かんだ魔道文字がくるくると動いたかと思うと、その光は消え、同時に魔道人形のうつろな瞳が瞼の奥に隠れた。
糸が切れたように彼は失神したようだ。そのまま倒れ込む体をパウルは抱きとめて、地面の上に横たえる。
そんな丁寧な仕草で一体一体を眠りにつかせる様子には、何か思い詰めたようなものが感じられた。僕はハラハラとしながらもそれを黙って見ていた。
やがてパウルは近くの茂みの中へ分け入って行ったかと思うと、その奥で眠らせていたのだろう、フェリアを伴って戻ってきた。フェリアは眠たそうな顔で目を瞬かせながら、目の前に広がる景色をぼんやりと眺めたようだ。
「放っておいて腐るままにしておくのもあんまりだ、埋めてやろう。フェリア穴掘れ」
そうパウルに言いつけられて、フェリアは手斧をシャベル代わりにしていそいそと穴を掘り始めた。そんな景色を眺めて、生きている子ども達は不安ながらに不思議そうな表情を浮かべた。
「……そいつら、死んだのか?」
こわごわと尋ねてきたのは、中でも僕達と面識のあった少年、アザルだ。穴を掘るフェリアから視線を逸らさないまま、パウルは小さく頷いた。
「ああ、もともと死んでいたのさ。良かったな、お前らはこうならなくて」
それは端的な事実だが、アザルがその言葉の意味を正確に理解することはないだろう。むずかゆそうな顔のまま俯いてしまった。
「……ついてこれば、俺達も生きていけるって……、そう言われてきたんだ。ウソ、だったのか……? あのおじさん達は……、お兄さん達と敵同士……?」
混乱しながら問うてくる顔は今にも泣きそうだった。そんな彼へかけてやれる言葉は、やはり多くはないだろう。パウルは無表情のままだ。
「幸い……と言っていいのかね、ここまで来ればオーデルは近い。そこまで行けばお前らも生き延びられる可能性が出てくるだろう、野垂れ死ぬのが嫌ならオーデルへ向かえ」
僕は思わずハッとしてパウルを振り向いた。気絶している間に連れてこられたものだから今いる場所の正確な位置は分からなかったが……あの廃墟の村からオーデルへ近付く道の途中、ということだろうか。
木々は茂っているが、山のような斜面や凸凹が目立ってはいないから、山を迂回する街道寄りの道程かもしれない。
しかしオーデルと言えば僕達が逃げてきた元の場所であり、そして奇遇だろうか、ガロン達が次の狩り場として標的を定めていた場所ではないか。
「確かに一番近い町だとしても、これからガロン達が襲撃するかもしれないところへ行かせるのはどうなんだ」
僕はそう苦々しく口を挟んだ。パウルはフードを被り直してため息をつく。
「当然俺も向かう、ガロン達がまだ企みごとを起こすというのなら俺が止める。これ以上奴らを野放しにしてたまるか……」
「オーデルへ……戻るのか」
そう呟くように言った声は思わず苦くなった。
確かにガロンのことを追うとは決めたが、オーデルはよりによって僕達が逃げてきた町である。結局元いた場所に戻るという話は拍子抜けにさえ思えた。パウルもむすっと口を尖らせる。
「しょうがないだろ、敵がそこへ行くって言ってんだから、放ってはおけん。今のところ俺につきまとってくるような刺客は確認できていないし、まあオーデルに戻ってみれば大騒動、なんてことになっていれば考えるが……、とにかく俺はあいつらを追う」
その声には、燻るような焦りが見て取れた。
「お前も見ただろう、あのウィルという人形……、どうやらフェリアより後に作られたものらしいな、性能はフェリアを大きく上回る……魔法を使う魔道人形なんぞトレンティアでも前代未聞だ。あんなもん絶対に野放しにはできん。絶対に……」
その重々しい告白に、僕は返す言葉にも迷う。僕を魔道人形にしようとしてのしかかって迫ってきた……あの幼い顔立ちは、思い出すだけで気分が悪くなるほどの悪寒を覚える。
「ガロンの元で人形を作っているのはウィルだ……。僕に魔術をかけようとしてきた……」
悪寒を抱えたままの声でそう言うと、パウルの顔もぐっと苦渋に深まっていく。
「人形が人体魔術を使うっていうのか……。なんてことを……、いくらなんでも……踏み入っちゃいけない領域ってのがあるぞ、ミョーネ……」
独り言のように呟いた。その声を届けるべき相手は、もうこの世にはいない……。
パウルはやがて歩き出す。まだ背後には戸惑ったまま立ち尽くす十人程度の子ども達がいたが、それに構うことはないらしい。
僕が少し気にかけるようにそちらに視線をやっていると、パウルは細くため息をつきながら気だるげに言う。
「距離が近い、オーデルに行くだけならガキどもだけでもそう問題はないだろう。ガロンは止めるが、あんな大勢の孤児の面倒は見きれん、あとは本人達にどうにかさせろ」
そしてまだ歩き出せないでいる子ども達を置いて、僕達はオーデルへと向かった。この戦乱の時代を、親も、帰る場所もない状態で生き延びてしまったことは果たして彼らにとって幸福なことだっただろうか。
そんな栓のない疑問は浮かんだとしてもそのまま遊ばせておく。まともに人の幸福などを考えるのは、僕のガラではないから……。
この時勢だ、いつどこの戦場で命を落とすかは分からない……じっくりとこの世に別れを言う暇もなく絶命してしまう命だって、いくらでもあるだろう。
……僕が手にかけてきた多くの敵はきっとそうだ。その戦いの果てに命尽きるならそれも因果と言えただろうか。
しかし現実はもっと不条理で、僕の死に場所は戦場ですらないらしい。僅かな間の気絶の後、薄く開けた目にはガロンの顔面が大きく映っていた。
「十五歳ぐらいか? まあ少し歳いってはいるが可能性はありそうだな。にしても青い目とは奇遇だな、ウィル。初めて見た時も思ったが、並んでいると兄弟みたいだぜ」
体に目立った外傷はないらしく、全身に鈍い痛みが残っているだけだ。しかし腕は背中の後ろで固く縛られて動かない。ガロンの疲れたような声と露悪的な笑みを見ても僕は何を言う気にもならなかった。
気絶している間に移動させられたのだろうか、先程まで見ていた村の廃墟とは違う景色があった。間に合わせで作ったような木造の小屋は見えるが、村のような集落ではないらしい……、景色のほとんどは木々の茂みで覆われている。そしてその中には他にも多くの人影があった。
人形らしい姿は十ほど、その中に混じって目立つのは、傭兵風の軽い武装をした男が数人……恐らくガロンの仲間か部下というところだろうか。
そして人形とは違う、まだその目に生気を宿した子どもの姿も複数、僕の他にも十人ほどが集められているようだった。その中に見知った子どもの姿、アザルやイーダのものも見つける。
彼らは自分達ここに集められた理由を当然知らないのだろう、見知らぬ男達に囲まれて不安に満ちた顔をしている。
しかし拘束されているのは僕だけだ、他の子ども達は不安そうに身を縮めているばかりで、自分たちから逃げ出そうというつもりも、その力もないのだろう。
そしてその他には……、パウルやフェリアの姿はどうやら、ない。
僕は地面の上に無造作に投げられていた状態から、なんとか上半身だけを起こして座り込んだ。その僕を、ほとんど同じ高さからウィルがじっと見下ろしてくる。
彼の関心は同じ目の色をしている僕だけにあるようだった。その顔は冷え切ったような無表情……。
「なあヨン、魔術師の野郎はお前を見捨てて尻尾巻いて逃げやがったぜ、あの女人形と一緒にな。薄情な仲間だなあ」
ガロンはしゃがんで僕の顔を覗き込んでいたが、やがて立ち上がりながら嫌味っぽく笑って言ってきた。
僕はぴくりとも表情を動かさず、そちらに視線を向けてやる気にもならない。……彼が僕を生け捕りにした理由は明白だ、これから僕は魔道人形の材料にされてしまうのだろう。
当然達観して諦めたいわけでもないが、今この状況を見て冷静に頭を回したところで、打開できる可能性はすぐには見つからない。
それよりも、パウルとフェリアだけでも逃げ出せたというのならその救援があることに希望をかけた方がまだいいだろう。
「だんまりかよ。可愛くない奴だな……ほんとにお前人間か? 最初からお前も人形だった、なんてオチねえだろうなあ」
ガロンはつまらなさそうにそんなことを言った。僕は眉を寄せてちらりとだけ、立って高みから僕を見下ろしているその男に視線をやった。そこへウィルが小さく口を開く。
「実際魔術をかけてみたら分かるよ。もっとも、人形だったならそんな拘束すぐ解けるだろうから、無いと思うけど」
「ああ、そうだな。しかしそいつの戦闘能力はパーティルで見たが……、力こそ人間のものだが反射や攻撃の精度は人形より優秀だ。それを殺しちまうのは少し惜しい気はするな。なんとかその感覚だけ残して人間としての意思だけを奪うとか、そういう都合の良いことはできんもんかな」
ガロンは僕を不躾に見て言う。
「そんなことは……僕の知識じゃできないな、ごめんなさい」
ウィルは少しだけ表情を翳らせた。ガロンはフン、と小さく鼻息を吐いた。
僕は思わず目を細めてウィルの幼い顔を見つめる。……魔道人形が魔法を使うとは思っていなかった。先ほどの戦闘でそれを目の当たりにしたが、その口ぶりを聞くに……まさか魔道人形を作り出しているのもウィルなのだろうか。人形が人形を生み出しているなんて、そんなおぞましいことがあるだろうか。
僕の視線を受けて、ウィルはどこか意を決したように眉間に皺を寄せた。
「ヨン、って言うの? ねえ教えてほしいんだ、あのパウルという男は何? どうしてフェリアは僕じゃなくてあいつの言う事を聞くの? 僕が作るものより高等な人形を作れるなんて言ったのは本当?」
まるで意思を持っているかのように疑問を抱き、それをぶつけてくる。それを僕は無表情のまま聞いていたが、存外にぎょっと驚きを露わにしたのはガロンだった。
「ウィル!? 何お前勝手に喋って……!」
しかしなおもウィルは黙らなかった。悲痛な表情さえ浮かべてガロンを振り向く。
「ごめん、お父さん。でもどうしても気になるんだ。フェリアが僕の言う事を聞いてくれないなんて、コードの深部まであの男に掌握されてるとしか思えない。そんなことをできる奴がいるなら……、僕はその技術が欲しい……」
その言葉の数々にガロンは愕然としているようだった。
……ウィルがフェリアと同等の人形だとしたら、彼もフェリア同様に、命令がなければ発言することさえ稀なのだろう、それが自分からこうも喋り、挙げ句に技術が欲しいなどと望むのを聞けばガロン驚くのも当然かもしれない。僕にさえ、目の前の子どもが魔道人形だという実感が薄れていくような気がした。
そのウィルが知りたがるのも無理はないだろうか……確かにパウルは今やフェリアの命令コードを深部まで掌握していることに違いはない。
しかしそうでなくても、フェリアにとってパウルの存在は特別なはずだ。それは恐らく制作者ミョーネによって仕組まれた意図なのだろう……彼女にとって夫であったパウルに、フェリアは人形ながら自らの意思で会いに来たのだから。
それを親切に教えてやる義理は当然ないが、しかし今、僕は彼らに生死を握られている状態だ。
パウルのことだ、生き延びたのならどれだけ無茶をしても僕を助けに来るだろうが……であれば僕は、それまで生きたまま時間を稼がねばならない。……得意ではないが、交渉をするのが得策だろう。
そう判断して僕はやっと口を開いた。
「……奴はトレンティアで人形を扱う魔道を専門的に学んでいる。その気になればお前が作るものよりよっぽど性能の良い人形を作ることもできるだろうな」
そう言うと、ウィルはぐっと眉に寄せた皺を深めた。その怒りとも悔しさともつかない表情は、ああ、本当に精巧な人形だ。
しかし所詮は人形だ、単純な戦闘力だけならともかく、魔道人形の精製技術などという分野になれば人間に追いつかないのも当然だろう。
「あいつの技術を欲するなら僕に手出しはしない方がいいぞ。逆上させれば交渉の余地さえなくなる」
僕は薄く笑いさえ浮かべてそう交渉を切り出してやった。命乞いは得意ではないが、しかし実際それは事実でもあった。見かけによらず情け深く仲間思いであるパウルが、よりによって僕を殺されて、冷静でいられるとは思えない。
ウィルの瞳に戸惑いのような色が浮かぶ。まるで自分で考える力を……いや実際思考回路にも似たものが仕込まれているのだろうか、その人間を模した感情は見るからに分かりやすい。
しかしその交渉を阻むかのように、突然ガロンの足が僕の頬を打った。その痛みとともに泥と血の味がじわりと口の中に広がる。
「生意気言ってんじゃねえぞ、クソガキが。これ以上コケにされてたまるかよ。ウィル、今すぐだ、こいつを人形にしろ。まずはこいつからだ」
ガロンの怒りの滲んだ声が頭の上から降ってくる。僕はぐっと細めた目でウィルを見たが、彼の目はやはり戸惑っていた。
「あいつの腕が欲しけりゃ、力ずくで殴り倒して言う事聞かせれば済む話なんだよ、心配すんな。ウィル、早くやれ。父親の言うことが聞けねえなんて言わねえだろ?」
ガロンは乱暴な声でそう凄んだ。途端にウィルはびくりと身を竦めて、戸惑っていた目は人形らしく光を失い、その表情は次第に凍りついていく。
やがてその小さな両手が、こちらへ伸びてきた。
人形にする魔術というのが一体どういうものなのか、それは大掛かりなものなのだろうか、時間がかかるようなものなのか……全く想像もつかない。どのみちのんびりとしている余裕はもうないだろう。
やがてウィルが僕の胸ぐらを掴んだかと思うと、その体の大きさからは信じられないような怪力で地面の上に押し倒される。
地面の上に横たわった僕の上にその軽い体をのしかからせて、細い腕で僕の服を掴みかかってくる。うっと呻く間もなく、激しい力でその布が引きちぎられた。
そうして服を破かれて露わになった胸の素肌を、人形らしい光のない目で見下ろしてくる。……ああ、もう終わるのか、そんな呆気ない言葉が胸の中をよぎっていった。
パウルは……まだ助けに来ない。今頃僕を探し回っているのだろうか、それともこの人形に立ち向かうための準備をしているのだろうか、分からない。
だけど確実に彼は僕を助けに来る、その確信だけはあった。見捨てられたなどとは欠片も思わない。……ただ、間に合わなかっただけだ。
「成功するといいな。パーティルで共同戦線を張ったよしみだ、もし無事に人形になれたなら、他の奴よりは大事に扱ってやってもいいぜ。なにせウィルと並べりゃいい見栄えだ」
ガロンの暗い笑みが耳を通り過ぎていく。やがてウィルの両手は僕の胸、その素肌の上をひたりと触る。その手の平からじわりと、魔力が肌の中に染み込んでいくように流されるのを感じた。思わず背筋を凍らせた悪寒に、しかし僕はもう成す術を持たない。
僕の胸の上にふわりと魔法陣が浮かんだ。……いつか見たことのある光景だ、そんな意識が遠のいていく……次の瞬間、ばちりとそこに電撃が弾けた。
“不適合反応”、あるいは魔力の衝突。その電撃の痛みに胸を焼かれて思わず僕は咳き込んだ。しかし衝撃は一瞬にして去り、深い痛みは残らない。
ふっと体の上に乗った重みが軽くなったかと思えば、ウィルは僕の体の上から立ち退いていた。
何かと思えば、彼の目は大きく見開かれ、その顔色は青ざめてさえいて、信じられないものを見るような目で僕を見下ろしていた。その体もまるで後退るように引いている。
「……何?」
ぽつりと呟いたのはウィルだった。見やるとその傍らに立っているガロンも怪訝な表情を浮かべている。
ウィルはやがてゆっくりと、自分の両手の平を見つめた。その手は小さく震えていた。
「嘘だ……、この反応……、血門……? 嘘だろ……、君、は……」
ウィルの言葉は途切れ途切れで、何を言っているのかは分からない。ただ分かったのはどうやら、僕の体の中にある“血門”に反応を示したらしい。
「ウィル! おい、どうしたっていうんだ、しっかりしやがれ!」
ガロンが焦ったように荒っぽい怒号を上げた。その声色に、周りにいたガロンの仲間や子ども達まで、びくりとしてこちらの方を振り向いた。
状況ははっきりと分からない。ウィルは何に戸惑っている? 他でもない術者である彼が揺らめいている、であれば少しでも生き延びる時間を稼ぐために、更に揺さぶりをかけたいところだった。
……しかし、分からない。一体彼は何にそんなに怯えているのか? 彼が感じ取った血門というのは……、血門とは一体何なのだ? その答えを僕は始めから持ち合わせていないのだ。
「お父さん、お母さん、どこ? 僕は……僕は何? 君は誰? ヨン? ヨン? ヨハンなのか? 僕は誰? お父さんは誰? どこ? 僕は、あ、あ……」
ウィルの混乱は一層深まり、その口からは支離滅裂な言葉が漏れ始める。僕の名前を呼んだその声には思わずぞくりと悪寒を感じた。素人目にさえはっきりと分かる……、この人形は何かのはずみで不具合を起こしている。
なぜ? 僕の中の“血門”に触れたから? それは一体何なのか……、だけど記憶の限りでは、その血門はフェリアも同じようなものを持っていると言っていたはずだ。であれば、同じ作者から生み出されたウィルも無関係ではないということか? そんな推測はよぎったが、だからと言って当然何かが分かるということはない。
「ちくしょう、おかしくなってんじゃねえ! ヨンてめえ……ウィルに何しやがった!?」
ガロンが激昂し、僕の破れて腕に絡みついているだけの服を掴み上げて引っ張ってきた。ぐっと眉を寄せてそれを睨んだところで、一体何がどうなっているのかなんて僕にも分からない。
「くそっ、やっぱりお前らに関わるとロクなことにならねえ! 惜しいが殺すしかないか……」
ガロンは苦い声で言って、僕を地面へまた叩きつけた。その痛みに身を捩っている僕を見下ろして、ガロンはやがて腰に挿した剣に手をかける。
「俺の可愛いウィルを引っ掻き回しやがって、こいつは俺のものだ、誰にも渡さねえ!」
そう憤ってすらりと剣を抜いた。まずい、殺される、そんな焦りが一瞬にして胸を燻った。
縛られているのは腕だけだ、なんとか足だけで姿勢を立て直そうと藻掻くが、今にも僕を殺そうと武器を振り上げる男の動きに間に合いそうにはない……。
「お父さん!」
そこで突然ウィルが叫び声を上げた。ぎょっとしたのは当然僕もガロンも同じだった。また何か錯乱を起こしているのかと疑うのも一瞬で、次の瞬間には、僕達を一挙に衝撃が襲った。
それは先程ウィルが起こした炎の雨とよく似ていた。天から飛来した、しかしそれは雨というほどの広範囲のものではない、僕とガロンとウィル、その三者が留まっていたこの一点を目指して放たれた流星のようだった。
高圧の魔力を持った炎の玉は真っ白に輝いてそこに至ったが、どうやらその空に向かってウィルは防御の魔法陣を張った、そこにぶつかって激しく魔力の衝突を起こした。
突然の攻撃の到来に、ガロンだけではなく周囲の者達も一斉に色めく。その魔力の気配を目で追った先、木々の茂みの奥からそれは猛進してきていた。
「神聖なるトレント……」
その呟きにも似た祈りが確かに耳に届く。ああ、と僕は思わず歓声を上げたくさえなる。絶体絶命に現れた救済、その聞き慣れた声を耳が拾うこの喜びと安堵は何にも喩え難い。
パウルはここまで必死に走ってきたのだろうか、いつもは被っているフードは既にめくれ落ちて、額を伝う汗をそのままにし……手にはぎらりと光る魔剣を握っていた。
「どうして……何で……! お父さん、逃げて! 巻き込んでしまう!」
ウィルは叫びながら大きく防御の陣を再び張って、流星のごとき圧力を持って放たれた衝撃波をまた受け止めた。
そこに迸った魔力の圧力は尋常なものではない。それに圧されるようにして、ガロンは体をじりと退かせ始めた。
「くそが! ウィル、合流地点は予定通りだ、後で会うぞ!」
しかし退散を素早く決断はしたらしい。そこにいた部下や人形達すら放りだして、ガロンは一目散に駆け出した。当然縛られて倒れたままの僕は、それを追うこともできない。
「待ちやがれガロン! てめえは俺がブッころ……」
パウルの怒りに満ちた怒鳴り声が聞こえるが、それを目前にしてまたウィルが魔法を撃つ仕草をした。
「神聖なるトレント、僕を守って!」
そう叫んだのには思わずぎょっとした。それは“血門術”と呼ばれる特別な魔術を使う時の呪文であるはずだった。
神聖なるトレントの名を冠したその魔術同士がまたぶつかる。血門と呼ばれる体内の魔術を通し、術者の血液をマナとして消費するその術は、そうではない通常の魔法よりも何倍もの量の魔力を迸らせる。
その衝突に起こった摩擦は激しく、近くにいるだけで肌がびりびりとする。同時に体の中を波動のように突き抜けていく魔力のうねりで気分が悪くなる思いがした。
「ふざけるな、ふざけるな! 何なんだ、お前達は何なんだ! 僕にトレントの血を向けるな! 僕は……、お父さんは!? 僕のお父さんはどこ!」
ウィルは激しく魔術を巻き起こしながらも錯乱していた。対してパウルは、激しく憎悪のような感情を浮かべている。
「人形にお父さんなんかいねえよ! 目ぇ覚ませクソガキが!」
そう激昂して、ずいとウィルへと距離を詰めた。その手に魔力を込めて狙っているのは、彼の額だ。そこに触れさえすれば人形の起動を停止できる……しかしウィルはそう簡単にはそれを許さなかった。
腕を交差させて自分の額を庇ってパウルの攻勢を跳ね除け、その腕を体の両側に振り下ろすようにしてまたそこに魔力を迸らせる。
「お父、さん……。お父さん……? ねえ、あなたが僕のお父さん……?」
次第にウィルの言葉は震え、そんなことを言ったのは、パウルに向かってだろうか。
パウルは正面からの魔力の塊を魔剣で薙ぎ払って退け、しかしその次の攻撃をできずに固まっていた。愕然として目を見開いているその顔は、目の前の人形の錯乱ぶりに戸惑っているような、そんな風に見える。
「……いい加減にしろ。何度も言わせるな、お前にお父さんなんかいない。お前は人形なんだ」
そしてどこか神妙にさえなってそうウィルに言い聞かせた。混乱しきっている魔道人形に真っ当な話が通じるとは思えない……なのにそんな言葉をかけるパウルの真意は、僕にも分からなかった。ウィルはやがて頭を両手で抱えて苦しみ始める。
「嘘だ……、いるんだ、僕の父さん、どこかに……、ううん、違う。僕の父さんはガロンさんだ、ガロンさんが僕のお父さんになってくれたから……。ねえ、お父さん……、そうだ、お父さんに会いに行かなきゃ……」
そうぶつぶつと呟いたかと思うと、ふっとパウルにまで背中を向け、その小さい歩幅で走り出した。しかしパウルとて当然、それをのうのうと許すことはない。
「待てこら!」
パウルはそう叫びながら魔剣を振った。その刃が届くほどウィルとの距離は近くないが、その剣筋が通った後に魔力が迸り、そこから溢れ出したような爆炎がウィルを襲う。
錯乱したまま逃げの姿勢をとっていたウィルは不意打ちのようにそれを受けたらしく、その小さな体は押しのけられるように地面に打ち付けられた。
しかし魔道人形である……その体の頑丈さも並ではない。苦しげな表情を浮かべながらもすぐに立ち上がった。
そして炎に焼けた肌が、じわりと魔力に侵食されるように光り、その表面が目に見えて再生していくのが見えた。……傷がその場で再生した?
そんな化け物じみたことがあるだろうか。僕は吐き気すら覚えて、愕然とその景色を目の当たりにしていた。
それはパウルも同じだったのだろうか、魔剣を振り切った姿勢のまま青ざめていた。
「どうして……、どうしてトレントが僕を傷つけるの? トレントは僕だ、僕がトレントの子どもだ、お前達は……、ああ……、うわあああ!」
呟くように言ったかと思えば大きく叫び、またも混乱する。そこに激しく魔力は迸るが、もはや彼にまともな攻撃性能は無いように見えた。
しかし魔法で傷付けてもなお彼の肉体はたちまちに再生する……その人間離れした有り様を前にして、これを倒すなどという未来は到底見えなかった。
立ち尽くしてしまったパウルを前にして、ウィルは震え、やがてまた走り出す。今、彼の目的は目の前の敵を倒すことではなく、逃げ去ったガロンを追うことのようだ。そしてそれをパウルはまたも追撃する……ことはなかった。
ぐっと頭を片手で押さえ、その足元が僅かにふらつく。目眩でも起こしているように見える仕草だった。
「パウル!」
僕はわけもわからず、ただその名前を呼んだ。パウルの顔色は蒼白だ、血門術に血を使ったせいもあるだろうか。
そして当然ウィルはそれに構いもせず、小さいながらも獣のように力強い足取りで宙を駆けるようにして走り去っていく。その脚力も人形らしく強い。
パウルはハッとして僕の方を振り向き、悪い顔色のままでこちらに一目散に駆けてきた。彼もまた、逃げ去るウィルをこれ以上追うことはないようだ……。
「ヨハン! 無事……か。よかった……、間に合って……良かった……」
それは心からの安堵の声のようだった。ああ、もう少しで死んでいたところだったが、なんて憎まれ口を今は言わないでおいてやる。
パウルは僕の元に屈み込んで、切なく、思い詰めたような顔で僕を見つめる。すぐに後ろ手に縛られていた拘束をその魔剣で斬って解いてくれた。上半身の服は前面を縦に切り裂かれてしまった、とにかく残った布を寄せて適当に肌を隠す。
ガロンもウィルも逃げ去って行った……、後に残されたのは、置いていかれた部下や人形、そして人形にされるために連れてこられた子どもたちだ。
ガロンの部下達も、ウィルとパウルの激しい魔術のぶつけあいに近付くこともできなかったようで、そのうち我に返ったものから次第に逃げ出していくところだった。
パウルはぎろりとそちらを振り向き、逃げ遅れた一人を乱暴に掴み上げた。唖然としていた彼は受け身をとることさえもできず捕まえられ、首に魔剣の刀身を突きつけられて顔を青くした。
「……大人しく白状すりゃあ命は助けてやる。ガロンとの……予定での次の合流地点はどこだ?」
そう激しい剣幕で凄まれ、ガロンの部下は震え上がって叫んだ。
「ヒッ! オ、オーデルだ! あの町でまた子どもを攫おうって話してた! お、俺はもうやめる、抜けるから許してくれ!」
そう必死な顔で懇願してくるのを見ながら、パウルはなおもその首元を締め上げるように詰め寄る。
「知ってることを全て話せ。ガロンは……、あのウィルという人形は何者だ。味方はどれほどいる? お前らの目的は」
男はわなわなと震えながら、パウルのぎらつく瞳を見つめていた。
「ガ、ガロンさんはもともと盗賊団の頭だったんだ、俺は新参だから昔のことはよく知らねえ……。あの人形は王都の近くで拾った、ってガロンさんは言ってたけど……。味方というか、ガロンさんに金を払って人形を融通してもらう部下が……でも全員で何人なのかは分からん。だけど多くても二十人もいないと思う。お、俺達はただ、楽に金が稼げるぞと誘われただけで……、すまねえ、もうしない! だから……!」
慌てふためいた様子で語るその男を、パウルは握った拳で強く殴り飛ばした。男はまた小さく叫びながらも、パウルに手を解かれて這いつくばるように逃げ出した。
その命までとる気はないらしく、パウルは舌打ちをしながらもそれを見送った。
しかし残された人形達は逃げるということもしせず、かと言って命令を受けたわけでもないからか、ただその場でぼうっとした状態で取り残されていた。
そして人形になる運命を免れた子ども達も、激しい戦闘を目の当たりにして放心したように、人形と同じようにその場に留まっている。僕達はまず彼らをどうにかしなければいけなかった。
しかしそれよりも僕はパウルが気がかりだった。その顔は蒼白で、時間にしてみれば短かった戦闘の間でも相当な血液を使ったのかもしれない。
「パウル、血の使いすぎか? 無理はするな、というかフェリアはどこへ……」
まだ混乱が引かないせいでしどろもどろになって、僕はパウルに言った。自分とて地面の上を散々転がされたのだから汚れは酷いが……。
「あのウィルとかいう人形の前に出すと不具合を起こす。当てにできんから置いてきた。……どうやら不具合を起こすのはお互いのようだが……」
パウルはだるそうに言いながら、しかしなおも立って、取り残された人形の一人の元へとおもむろに歩いた。
彼は目の前にパウルが立っても敵とは認識しないらしく、死人のような目でただぼうっとそれを見上げる。
その額の魔術を解除するつもりなのだろう――幼い少年の人形の頭に右手を伸ばしたパウルの、その手つきはいやに慎重だった。
まるで子どもを愛おしむように、その頭を撫でるような手つきでそっと魔法陣をなぞる。額に黒の線で書かれた魔法陣の上にかぶさるようにして、金色の光で縁取られた魔法陣がふわりと浮かんだ。
やがてその魔法陣の中に浮かんだ魔道文字がくるくると動いたかと思うと、その光は消え、同時に魔道人形のうつろな瞳が瞼の奥に隠れた。
糸が切れたように彼は失神したようだ。そのまま倒れ込む体をパウルは抱きとめて、地面の上に横たえる。
そんな丁寧な仕草で一体一体を眠りにつかせる様子には、何か思い詰めたようなものが感じられた。僕はハラハラとしながらもそれを黙って見ていた。
やがてパウルは近くの茂みの中へ分け入って行ったかと思うと、その奥で眠らせていたのだろう、フェリアを伴って戻ってきた。フェリアは眠たそうな顔で目を瞬かせながら、目の前に広がる景色をぼんやりと眺めたようだ。
「放っておいて腐るままにしておくのもあんまりだ、埋めてやろう。フェリア穴掘れ」
そうパウルに言いつけられて、フェリアは手斧をシャベル代わりにしていそいそと穴を掘り始めた。そんな景色を眺めて、生きている子ども達は不安ながらに不思議そうな表情を浮かべた。
「……そいつら、死んだのか?」
こわごわと尋ねてきたのは、中でも僕達と面識のあった少年、アザルだ。穴を掘るフェリアから視線を逸らさないまま、パウルは小さく頷いた。
「ああ、もともと死んでいたのさ。良かったな、お前らはこうならなくて」
それは端的な事実だが、アザルがその言葉の意味を正確に理解することはないだろう。むずかゆそうな顔のまま俯いてしまった。
「……ついてこれば、俺達も生きていけるって……、そう言われてきたんだ。ウソ、だったのか……? あのおじさん達は……、お兄さん達と敵同士……?」
混乱しながら問うてくる顔は今にも泣きそうだった。そんな彼へかけてやれる言葉は、やはり多くはないだろう。パウルは無表情のままだ。
「幸い……と言っていいのかね、ここまで来ればオーデルは近い。そこまで行けばお前らも生き延びられる可能性が出てくるだろう、野垂れ死ぬのが嫌ならオーデルへ向かえ」
僕は思わずハッとしてパウルを振り向いた。気絶している間に連れてこられたものだから今いる場所の正確な位置は分からなかったが……あの廃墟の村からオーデルへ近付く道の途中、ということだろうか。
木々は茂っているが、山のような斜面や凸凹が目立ってはいないから、山を迂回する街道寄りの道程かもしれない。
しかしオーデルと言えば僕達が逃げてきた元の場所であり、そして奇遇だろうか、ガロン達が次の狩り場として標的を定めていた場所ではないか。
「確かに一番近い町だとしても、これからガロン達が襲撃するかもしれないところへ行かせるのはどうなんだ」
僕はそう苦々しく口を挟んだ。パウルはフードを被り直してため息をつく。
「当然俺も向かう、ガロン達がまだ企みごとを起こすというのなら俺が止める。これ以上奴らを野放しにしてたまるか……」
「オーデルへ……戻るのか」
そう呟くように言った声は思わず苦くなった。
確かにガロンのことを追うとは決めたが、オーデルはよりによって僕達が逃げてきた町である。結局元いた場所に戻るという話は拍子抜けにさえ思えた。パウルもむすっと口を尖らせる。
「しょうがないだろ、敵がそこへ行くって言ってんだから、放ってはおけん。今のところ俺につきまとってくるような刺客は確認できていないし、まあオーデルに戻ってみれば大騒動、なんてことになっていれば考えるが……、とにかく俺はあいつらを追う」
その声には、燻るような焦りが見て取れた。
「お前も見ただろう、あのウィルという人形……、どうやらフェリアより後に作られたものらしいな、性能はフェリアを大きく上回る……魔法を使う魔道人形なんぞトレンティアでも前代未聞だ。あんなもん絶対に野放しにはできん。絶対に……」
その重々しい告白に、僕は返す言葉にも迷う。僕を魔道人形にしようとしてのしかかって迫ってきた……あの幼い顔立ちは、思い出すだけで気分が悪くなるほどの悪寒を覚える。
「ガロンの元で人形を作っているのはウィルだ……。僕に魔術をかけようとしてきた……」
悪寒を抱えたままの声でそう言うと、パウルの顔もぐっと苦渋に深まっていく。
「人形が人体魔術を使うっていうのか……。なんてことを……、いくらなんでも……踏み入っちゃいけない領域ってのがあるぞ、ミョーネ……」
独り言のように呟いた。その声を届けるべき相手は、もうこの世にはいない……。
パウルはやがて歩き出す。まだ背後には戸惑ったまま立ち尽くす十人程度の子ども達がいたが、それに構うことはないらしい。
僕が少し気にかけるようにそちらに視線をやっていると、パウルは細くため息をつきながら気だるげに言う。
「距離が近い、オーデルに行くだけならガキどもだけでもそう問題はないだろう。ガロンは止めるが、あんな大勢の孤児の面倒は見きれん、あとは本人達にどうにかさせろ」
そしてまだ歩き出せないでいる子ども達を置いて、僕達はオーデルへと向かった。この戦乱の時代を、親も、帰る場所もない状態で生き延びてしまったことは果たして彼らにとって幸福なことだっただろうか。
そんな栓のない疑問は浮かんだとしてもそのまま遊ばせておく。まともに人の幸福などを考えるのは、僕のガラではないから……。
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