サーシェ

天山敬法

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第八章 帰るべき場所

78話 想いの道中

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 オーデルの防衛のために集結したレジスタンスは……それぞれ出自も異なる者の、言ってしまえば寄せ集めだった。
 パーティルでしばらく活動をしていた、元国軍兵のモルズが近辺の同志を束ね、オーデルへと上がってきた部隊が主だ。しかしオーデルで戦準備を構えていた町のレジスタンスの規模も、整えてみると大きかった。
 そのうちから志のある者達を更に引き入れて、実際にはモルズ隊とルヴァーク隊の合同のようなたいをなし、モルズの部隊は大所帯となって行軍を始めることとなる。
 その流れの中に、僕も一兵として混ざっていた。
 大勢の隊列でラズミル目指す、その行軍が実際始まると……しかし僕は不服であった。僕は部隊のずっと後方の位置につかされていたからだ。周囲は戦闘員でない者の姿の方が目立つ。
 曰く、ジュリから回復魔術の指南を授けられた僕は衛生兵の筆頭らしい。あいつの回復魔術の腕は確かだ、なんて噂話と共にその評価が上がった……のは喜ぶべきことかもしれない。
 しかしこの僕が後方部隊だと……、なんて恨みっぽい言葉が思わず零れる。
 衛生兵という肩書の者の中には、元はルヴァークの元で働いていたオーデルの町の女までいる。モルズに伴うと決めたルヴァークに付き従って戦場にまで行くというのだから、その覚悟は固いことだろう。他の者と談笑している話を盗み聞くに、どうやら夫も兵士として参加しているような者らしい。
「あんたが……衛生兵? 回復魔法を使うって? 見かけによらないもんだね」
 女は不躾に僕を見て、そんなことを言ってくる。僕だってそんなつもりじゃなかった、なんて愚痴はこの際飲み込んでおく。
 そしてなぜか僕の隣には当たり前のような顔をしてパウルがいた。
「僕を衛生兵に回せなんて言ったのはお前か?」
 恨みっぽく言うと、パウルはフードの内側でため息をついた。
「そこまでは言ってない……。俺はお前の魔法の腕を正当に評価しただけだ、まさか衛生兵に回されるとは俺も思ってなかった。だがまあ、任じられたからには真面目にやれよ? 確かにお前の魔法の腕はいいが、まだ魔力の配分には慣れてないだろう。一度の治療に魔力を使いすぎないように気を付けろ、最低動けばいいぐらいに思え」
 パウルは細かく小言を言ってくる。彼に対してはまだ言葉にもしがたいわだかまりを感じていたが、実際任務に当たる時になってまで、喋りたくないなんて言ってはいられない。
 仕方なく言葉を交わしていると、まるで何事もなかったかのように以前に戻ったような、奇妙な感覚だ。
「衛生兵が不服か? ったく、好き好んで前線に出たいなんてほんとにお前って奴は……いや、まあいいが。ズミの部隊じゃ魔道士が貴重なことぐらい分かるだろ、悔しかったらお前も早く戦闘魔術を覚えることだな」
 パウルはそんなことを言って僕を挑発する。相手にするのも馬鹿らしくて、僕はフンと息を吐いてそっぽを向いた。
 確かに僕は、その身軽さと感覚の鋭さを活かした短剣や弓での戦いに今まで専念してきたが、残念ながら体格はまだ成長途中である。近接戦となると戦いづらい相手が多いのも確かだ。
 それよりも他に使い手のいない回復魔法の担当を任されるのは……、まあ、一見は合理的な配置である。
 しかしパウルに回復魔法の適性がもしあったとするなら彼も衛生兵に回っていただろうか? と考えるならそれは否であろう。彼はもっと貴重な戦闘魔術の技術と知識を豊富に持っているからだ。
 僕にもそれがあったなら前線で戦うこともできるだろう。事実、パウルだって体は細い方だが、その圧倒的な魔法技術によって無二の戦力として数えられている。
 同じ遺伝子を持っているとすれば、僕も大人になりきったところで筋骨隆々という体格を得るのは難しいかもしれない。
 確かエレアノールがそんなことを言っていた。筋肉がつかない家系だと。戦士としての一流を目指すのなら、今からでも戦闘魔術を学ぶべきか……。
 そんな思いはよぎるが、しかし今はそんなことよりも、とパウルを睨んだ。
「……その戦闘魔術を扱える魔術師殿が、どうして衛生兵の列にいるんだ」
 そんな皮肉を言うと、パウルは不機嫌そうに顔をしかめて、しかしすぐに返事はしなかった。
「いや、偵察兵の報告を信用するなら、まだ敵とかちあう可能性は低いだろ。そうせかせかするなって……」
 やがて誤魔化すようにそう言うので、僕は苛立ったようにため息をついてやる。
「出発早々気を抜くなよ。敵だって動いてるんだからどうなるかなんて分からない」
 本当ならそんな小言は、わざわざ言って聞かせるようなことではないはずだ。パウルはバツが悪そうに視線を逸らして、やがて諦めたようにため息をついた。
「分かったよ、それじゃ俺は持ち場に行くんで……。くれぐれも無茶するなよ、ヨハン」
「衛生兵に無茶も何もあるか。それはお前こそ」
 無茶をするなよ、と皆までは言わない。だけど伝わってしまったのだろうか、パウルはふっと口元で笑みをこぼして、しかし何も言わずに足を速めて前へと向かっていった。
 ただの“仲間”であった時の感覚が抜けないのはお互い様だろうか。今更親子らしいやりとりをするのはどうしたって難しい……。というか真っ当な親子関係すら知らない僕が、今更現れた生みの親にどんな顔をすればいいのかなんて分かるわけがない。
 小さくなっていくその背中を眺めていると、それを見ていた傍らの衛生兵の女が、はあ、なんて感嘆するような声を上げた。
「あの人もあんな顔するもんなんだね。仲が良いのかい?」
 そして僕にそんな言葉を向けてきた。思わず振り向いた顔は変にしかめっ面になる。
「オーデルに来る前からの腐れ縁だ。……あなたこそ彼と顔見知りなのか」
「顔見知りっていうか、ほらルヴァークさんのところで魔法を教えるとか言ってるトレンティア人だろ? あたしも知り合いと一緒に話を聞きに行ったからね。無愛想だし口は悪いし、味方とは言ってもトレンティア人だしね、恐ろしい男だと思ったもんだけど」
 女は軽い調子で喋る。そういえばルヴァークの調べでは、魔法を習いたいなんて言った者の中には女が多いという話だった。彼女もその中の一人だったらしい。
「だけど物好きな女もいてね、あのミステリアスな感じがいいとか、よくよく顔を見ると男前だとか、変な人気もあったよ。確かに笑った顔は悪くないね。根は明るい人なのかねえ」
 聞いてもいない話を女はぺらぺらと喋り続けた。あいつが女にどう人気かなんて、とてつもなく関心がない。聞きたくもない話だ。
「ズミ人に囲まれてちゃああの人も居心地悪いだろうし、せめて混血のあんたが仲良くしてやりなよ」
 一体何を気遣っているのやら、女は僕にそんな指図をしてきた。返事をするのも億劫だが、放っておいても喋り続けそうな気配を感じ取って、僕は仕方なく声をあげた。
「……無駄話はいい。いつ戦闘が起こってもおかしくはないんだ、気を引き締めろ」
 そうぴしりと言うと、女はやや不服そうにしながらもさすがに黙り込んだ。
 兵士として行軍しているのに、緊張感のない女の相手をしなくてはいけないなんて、やっぱり僕も不服だ……。まだパウルと喋っていた方がマシだったかもしれない。
 だけど女が言った言葉は少しだけ引っかかった。ズミ人に囲まれてちゃあ居心地が悪いだろう、という言葉が。
 なんとなくそれは、パウルと離れて暮らしたこの数日間の僕の身にもつまされた。同胞であるはずのズミ人の男に囲まれ、宿舎で無駄に殴られていた日々が脳裏をよぎる。
 目が青いだけでそんな目に遭うのだ、アルドの家という居場所を失って、純血のトレンティア人であるパウルはこの数日間一体どれほど不便な日々を過ごしていたのだろうか。しかしそんな考えは当然すぐに頭の奥底へ沈めて、僕はきりと目を開いて前を見る。
 大勢の兵士らを引き連れた行軍は着々とズミの山深い道を進んでいた。パウルの言う通り、この周辺は僕達が頻繁に偵察を行った地帯だが、敵の姿を確認した報告はない。まだ戦闘が起こる可能性は低い。
 僕は足を動かしながらなんとなく、右手を胸元まで上げてその手の平を空中に向けた。……いつかエレアノールから聞いたソル・サークルの練習を、今までも思い出した時々にはやっていたのだが、やはりそうすぐには身につかない。
 だけど何度かやるうちに、空中を描く魔力の回路は格段にその正確さを増している。始めはわけがわからなかったのに、分からないままに繰り返すだけでも何故か技術というのは上達するものだ。
 しかしいざ戦闘になった時に魔力を使い切っている……なんてことにはならないように、まるで針に糸を通すがごとく慎重に力を絞って、ただ回路を作るということだけを練習する。時々何かのまぐれのように結んだ魔力が、きらりと一瞬だけ空中に光を上げた。
 ……列に連なって歩いているだけだからまだいいが、あまり集中すると足をつんのめらせそうだ。ある程度にしておこう。

 黙々と行軍を進めるうちに日は西に傾いていく。その日のうちに敵とぶつかることはなく、やがて一行は野営を決めたらしい。
 野営地の設置となると主に後方部隊の仕事になる。荷馬車から荷物を下ろし、焚き火や幕舎の設営に取り掛かるのを衛生兵である僕も流れで手伝う。人数が人数なだけに、その設置は大掛かりながらに素早かった。
 手を持て余した者達が近くの森へ入って狩りをするらしい。気分としてはそちらに加わりたかったが、我儘を言うほどのことでもない。僕はせっせと幕舎の骨を組む仕事に勤しみながら、狩人達が出かけていく様を尻目に見守った。
 やがて太陽が森の向こうに隠れ始めた頃、早めに焚いた火を囲んで兵士らは談笑を始める。当然のようにそこには酒が入っていて騒がしいが、屋外なだけまだ騒音が空に散っていくので、例の宿舎よりはマシである。
「行軍中だ、深酒は控えろよ」
 隊長であるモルズは野営地を巡回しながら兵士らの状況を確認し、そんな小言を言っていた。
 行軍の空気に興奮しているのか、男達は酒の量が少なくてもいつも以上に騒がしい。そして狭い宿舎の中とは違って僕をいじめることにも関心が向かないらしく、僕は仕事を終えると隠れるように離れた場所で一人の時間を過ごせた。
 わざわざそんな僕を訪ねてくるのは友好的な者だけだ。そういえばしばらくゆっくり話す機会もなかった、ティガルが僕の様子を見に来た。
「よ。調子はどうだ」
「問題はない。衛生兵に配属されたのは意外だけど」
「それは俺も意外だ。回復魔術が使えるなんて見かけによらないものだな。多才なことで羨ましいよ」
「魔法の適性なんて分からないものだ。君だってやってみたら意外と魔道士に向いてるかもしれないぞ」
「ええ……? いや俺はやっぱ魔道士っていうより武器を振る戦士として強くなりたいねえ……」
 そんな世間話を交わす。そんなの僕だって、選べるのならそうなりたいよ、なんて恨み言は飲み込んだ。
 あくまで目的は戦争に勝つことだ、変な拘りを通すよりも、自分の適性を最大限活かせる戦い方を学ぶ判断が賢明なはずである。
「やっぱほら、トレンティア人の血が入ってるからってのはあるんじゃないか? お前がそれを不服に思ってるのは重々分かるが、せっかく役に立つ力なんだ、そこは冷静にな、受け入れていったらいいんじゃないのか」
 他人事だと思っているのだろう、ティガルは軽い調子で言ってきた。僕は小さな舌打ちだけを返した。
「ほら、向こうで魔術師が何かまた仕込んでるぞ。お前も見に行ったほうがいいんじゃないのか」
 ティガルはそんな言葉を言い残して、他の者にも用事があったらしくすぐに場所を移っていった。
 言われた方向を見ると、多くの兵士がそれぞれの時間を過ごす姿の向こうに、確かにぽつりと浮いているみたいに動く怪しいフードの男の姿がある。
 何か仕込んでいる、と言っていたが、何をやっているのだろう。数秒だけ考えてから、僕はゆっくりと腰を上げてそちらに少しだけ近付いた。
 少し距離を詰めると、他の兵士からは離れて一人、木の枝で地面を引っ掻いているらしいことが分かった。数十人が入れるだろう、大きな魔法陣を走り回るようにしてせっせと書いている。
 捕虜であるグリスはついてきていないらしく、今は部隊でたった一人のトレンティア人、たった一人の魔道士だ。誰も伴っていないその行動はぽつりと孤立しているようだ。
 そして他の兵士が酒を飲んで騒いでいる間も、自身の任務に励む様子は柄にもなく勤勉に見える。
 地面に書いている魔法陣をぼんやりと見下ろすと、ところどころに見覚えのある魔道文字が書かれているのが分かった。その魔力の通り道の順路を追って並べられた魔道文字がぽつりぽつりと、僕の頭の中でも繋がり出す。
 やがて気が付いた、この魔法陣は僕の記憶にも新しい……、もしかして回復魔術の陣ではないか、と。
 気になりだすと確かめたくもなって、僕はおずおずと彼の元へ更に近付いた。フードを被ったまま、パウルがびくりとしてこちらを振り向く。
「……ああ、お前か」
 そしてほっと息をついてからそう言った。近付いた瞬間の怯えたような仕草を見て、何かやましいことでもしているのかと勘繰って、僕は呆れた顔を浮かべた。
「何やってるんだ?」
「見ての通り魔法陣の仕込み……。いやまあ、練習だけど」
「練習? これ、回復魔術の陣じゃないのか」
「ああ、さすがに分かるか。いやほら、俺は回復魔術はとんと門外漢なもんで、今まであまり親しんでなかったからな……。練習しとこうと思って」
 パウルは少し歩く足を緩めたようだが魔法陣を書き続けた。
「なんでこんなでかいものを」
 僕が呆れたように言うと、パウルは小さくため息をついた。
「うるせえな、別にいいだろ、練習なんだから」
 そんな投げやりな回答をするのに、僕もため息をついてやった。回復魔術の適性がないくせにその陣を書く練習をする意図なんて、さすがの僕だって考えれば察しはつく。
「どうせ僕に何かをさせるつもりだろう」
 そう恨みっぽく言うと、パウルは頭を片手で押さえて立ち止まった。
「いや、まあ……、まだ思い付き段階だ、実用にはほど遠いが。お前ほどの瞬間魔力があれば回復魔術も今までとは違う運用もできないのかなあって。素人だからそのへんはよく分からないんだが……たとえばこのでかい陣の上で戦うとしよう、お前はここに魔力を流し続ける、そうすればこの上で傷付いてもすぐにその場で痛み止めや止血程度の作用が及んで、戦士達は格段に高い耐久力を得られる……とかさ」
 そう言われて、僕は眉を寄せて足元の巨大な魔法陣を見下ろした。
「そりゃまあ、傷つく前から防御陣を張れればそっちのほうがいいのかもしれんが、この部隊じゃ防御陣なんで使えるの俺しかいないだろ。それに防御の陣も物理障壁を使ったとすれば味方の攻撃も妨げちまう。ズミの戦士は弓使いが多いから、トレンティア軍よりもその障害はマイナスになるのかなって」
 枝を持ったまま、パウルはぐるぐると片手を空中に動かしてその素振りをする。……物理障壁の魔法陣、確かにあれが戦闘に与える影響は大きかろう。
「うーん、だけど特に痛み止めの効果は兵士に必要以上に無茶をさせる結果も招きかねないし、それに人数が増えるほどやっぱりその治癒が追いつくかという不安が……だいたい術者自身が無防備になるから……」
 パウルはやがてぶつぶつと独り言を呟きながら考え込み始めた。僕はただ呆れた顔のままそれを見ているだけだ。
「やっぱ現実的じゃないかなあ」
 そうのんきな声で言って僕の顔を振り向いてきた。知るかバカ、なんて言い捨てたくなったが、きっと彼は彼で真剣なのである。
「まあ……、何もしないよりはマシなんじゃないか?」
 僕は適当にそんなことを言った。生憎、魔法を組み込んだ戦術に頭を捻るほどは僕も魔法の知識に詳しくもないし、戦術を立てるような経験も浅い。
 当てにもできないいい加減な回答を聞いて、パウルは脱力したように肩を落とした。
「まあしかしものは試しだ。とりあえず陣が書けるかどうかは自分で試しておきたいんだ。隠術も何もしていないが、見た感じどうだ? 使えそうか?」
 おおかた文字を書き終えたのか、パウルがそう訪ねてくる。見た感じだけで分かることなんて無いと思うが……、僕は仕方なくその陣をじっと見つめた。そこに実際魔力を流してみるとどうか、という想像は少しだけついた。
「……さすがに大きいな。馬鹿みたいに魔力を流せばいいって話なら簡単だけど、それじゃ無駄が多いだろう、癒やす対象を局地的に選ぶようなことは……どうだろう、やってみないと分からないけど、少なくとも集中は全部持っていかれそうだ。その間は自分の護身もできなくなるんじゃないか」
「……ふむ。まあ、さすがに画期的ってわけにはいかないよな」
「分かっているだろうけど、あまり僕を魔道士としては当てにするなよ、僕だって素人には違いないんだから」
 ため息とともに言ってやる。パウルはバツが悪そうに視線を逸らした。
 せっかく魔法の適性が高いのだから魔道士としての修練を積むべきだ、という言い分は僕にも分かるが、いくらなんでも経験が足りないうちは限定的にしか使えない。
 だというのにその魔法を使う前提で戦術の研究をし始めるなんて、よほど僕の腕に期待を寄せていると見える。
 その期待は……魔術師として冷静な判断なのか、それとも身内びいきの過剰な思い込みなのか……僕自身には判断がつかない。期待されればされるほど、自分の魔法の才能というのはそこまでのものなのか、と疑わしくさえなる。
「……やっぱり、トレンティアの血なのか」
 僕はティガルに言われたことが気になって、ぽつりと言った。ん、と曖昧な相槌を打ってパウルがこちらを向いた。
「その……僕に魔法の才能があるとかいう話は。僕がトレンティア人の血を引いてるから……なのかって」
 それはまさに目の前の男に向かって、お前の血を、と聞いているのだ。喋り出してからなんとなく気まずくなって、僕は次第に声を細めた。案の定パウルは変に顔をしかめたようだ。
「いや、トレンティア人かどうかは関係ないと思うぞ。トレンティア人の中でもお前程の才能は滅多にいないし、純血のズミ人だって……たとえばジュリなんかも十分に適性はある。しいて言うなら、代々血門を継ぐ家系はその血の影響で魔法適性が高くなる傾向がある、なんて俗説はあるが、当然例外だって多いし、誰かがはっきり統計を取ったわけでもない俗説だ。まあしかしお前の場合は……もしかすると……いや」
 そう淡々と語ったかと思えば、言葉を濁してそれを切った。何か触れたくない話題が出かけたのだろう、その仕草だけでも嫌な胸騒ぎがする。
「僕の場合は何だよ」
 苛ついてそう急かした。あまりいい予感はしなかったが、そこまで言いかけられると気にもなる。いい加減に自分のことを秘密にされたままなのは気持ちが悪い。
 パウルは目を逸らして、躊躇いがちに続けた。
「お前の場合は母親の腹にいた時から魔力漬けだったからな。そのせいかもしれん」
 僕は思わず眉をひそめた。やはり気分の悪そうな話だ。
「それはどういう……」
「……ミョーネには子どもができなかったんだ。もともとの体質らしくてな。だからそれを魔法で“治療”したんだよ」
 パウルは諦めたようにため息をついてから、軽い声色になって言った。
「治療……? 子どもができない体を?」
 話を聞くほどに胸騒ぎはするが、それでも聞かずにいられなかった。こわごわと、念を押すように僕は聞き返す。パウルは静かに頷いた。
「治療と言っても回復魔術じゃない……もともとの体質を変える……人体魔術の分野だがな。お前だから言うが、よそで言いふらすなよ。俺達は子どもが欲しくて、夫婦揃って……そのために必死に人体魔術を研究したよ。当然それはミョーネも望んだうえでだが……、そりゃあいろんな術を試したものだ。その甲斐あってお前は生まれたわけだが……、あいつの体はその経緯ですっかり魔術だらけになっちゃって」
 言葉の最後には悲しげに微笑んでさえいた。僕はどんな顔をすればいいのかも分からず、その言葉を聞いていた。
「人体魔術は神から授かった人間の肉体を作り変える禁術……、それは神の御言を託されたトレントの血族のみが扱うことを許される。私達は決してその禁忌の門を広く開いてはならない、決してその魔術が罪のために使われないよう正しき門番であれ……。とまあ、俺達の家系に生まれた魔道士はそう叩き込まれて育つわけだが。ただ結ばれた女との間に子どもがほしい、それだけの願いが罪だと思うか? 俺は今でも思ってないよ」
 なぜか聞いているだけで鼓動が早くなるような話だった。神から何を授かったとか、誰が御言を託されたなんてのはトレンティアの神話だろう、僕に馴染みはない。だけどその神話の中で育った彼らにとって、それはきっと大きな問題なのだろうという想像はついた。
 そんな話が自分の出生にまつわっていたなんて、今更聞いたところでどうしようもないのだが、それでも変な胸騒ぎはする。
「まあ、話は脱線したが……。その理由が何であれ、お前には確かに魔法の才能があるし、そうでなくてもトレントの血門はそれだけで強力な武器だ。慣れないうちは気持ち悪いだろうが、使えるものは何でも使えよ。禁忌だろうが何だろうが……、先に神に背いて戦争ふっかけてきたのは奴らの方なんだからな」
 パウルは軽い口調で言った。禁忌だとか神様だとか、考えてみればトレンティアの宗教のことなんか僕の知ったことではない。
 本当なら、トレントと名付いた家名を負って生まれたからには知らないでは済まないはずのだろう……が、勝手に捨てたのは親の方である、僕の知ったことじゃない。
 魔法の才能とやらも、トレントの血門とやらも……、僕にしてみれば純粋な力でしかない。いつか、出会ったばかりの頃のパウルに言われた言葉をもう一度思い出した。使えるものは何でも使え、そう言われたままにその言葉を握りしめた。
 既に日は沈んでいた。暗くなっていく空の下、僕はそれ以上何を言う気にもならず、黙って踵を返した。パウルもそれに追って声をかけてくることはない。

 寝る場所は厳格に決まっているわけでもないらしいが、特に他に親しい者もいないので、後方部隊の隊員が纏まっている幕舎に適当にもぐりこむ。既に寝息を立てている隊員もいた。
 その幕舎の隅っこで膝を抱えるようにして身を縮めて、僕はまた手の上で小さな魔法陣を作って弄んだ。こうして周りから魔法魔法と言われるうちに、僕も魔道士になっていくのだろうか、なんて、どこか他人事のように思う。
 それはそれで、やっぱりトレンティア人の血なのかとか、……やっぱりパウル・イグノールの息子なのかとか、そんなことを言われる未来が見えて癪だった。
 なるほど、トレンティアの貴族が血門などという実際的に強力な魔術によって血統を誇示するのは合理的な仕組みなのかもしれない……なんてことにも思いが及ぶ。
 だけどやっぱり、この力は純粋な力なのだ。割り切れない思いをそれでも飲み込んで、僕はぐっと手で拳を作った。
 そんな悶々とする思考の遠くで、だけど奇妙な何かが引っかかっている。パウルから聞いた僕の出生の話だ。
 僕にとっては顔も知らない母親……ミョーネという女のこと……。子どもができない体だった彼女を、パウルは人体魔術で“治療”したと言う。
 それが一体どんな施術だったのかは想像もつかないが、そもそも過剰な魔力はそれだけで悪心を引き起こすものだ。体が魔術だらけになったというのは、恐らくそう楽しい経験ではなかっただろう。
 そうまでして産んだ僕のことを、母はどう思っていたのだろうか。考えるほどにやっぱり胸の奥が疼く。
 だけど行軍の途中で緊張しているせいだろう、今日は勝手に出てくる涙もない。やがて僕は魔法陣を弄ぶのをやめて毛布にくるまった。
 寝る前は少し魔力を出しておいたほうが無駄がない。あまり戦中の野営にはよくない気もするが、程よく疲れてよく眠れるような感じもする。
 ソル・サークルの練習ばかりしたせいか、目を瞑っても体の中を魔力が巡る感覚が残っている。その流れはじわりと熱を持っていて、意識するほどに体が温まっていくような気がした。
 おかしいな、魔力が巡る感覚なんてどちらかといえば悪寒に近い、気味の悪いものなのだが、加減の問題なのだろうか、今は少しだけ心地いい。
 その流れに身を委ねるようにして、僕はすうと静かに眠りへと落ちていった。
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