サーシェ

天山敬法

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第九章 戦場の女達

104話 まぼろしの花嫁

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 降り注ぐ夏の日差しから逃れるように、手ぬぐいを頭に被ってその道を行く。
 シュナートからクスダン、そしてラズミルへ……、護衛として雇った男の腕に縋り付いてやっと訪れた町は、奇妙な活気に満ちていた。
 報酬として支払うのは体ではなく今回は銀貨だ。建前上、今は娼婦として来ているわけではない。
 男は銀貨を受け取ると、気前よく笑顔を浮かべて立ち去っていった。
 しかししばらくその街を歩いて、すぐにそのむさくるしさに愕然としてしまった。女一人で歩いているだけでいやに目立つ……こんなことなら護衛の男を手放すのはもう少し後にすればよかった。
 廃墟になっていたはずのラズミル、その大通りにはまるで市場のごとく露店が並び、その奥には仮設住居らしい小屋が連なっている。
 道の中は半裸になった男達が汗を輝かせながら建設や運搬の仕事に励んでいて、遠くには剣で打ち合っているような者の姿も見える。どうやらラズミルを占領したズミ軍は、ここに本格的な基地を構えるつもりなのだろう。
 そんな汗臭い喧騒の中、クスダンから行き来している商人らしい者の姿も時々は見受けられるし、中には貴族か何かだろうか、妙に派手な衣装で着飾った者が忙しなく行き交っている姿さえある。
 ともかく一人で歩いていては目立つ。私はすぐに目当ての人物達を探しにかかった。
 市場の前を歩き回る人影の中に、早速金色の髪を見つけて胸中で感嘆を漏らす。どうやら探す手間が省けたようで良かった、なんて。
 しかし彼に近付いて不思議に思った。後ろ姿では顔は分からないが、記憶している姿よりどうも髪が短い。
 どうやら目当ての男ではないらしい。確かに彼はトレンティアの王子だと言うから、こんな所で一人でぶらぶらしているのは変であろう。
 ともかくトレンティア人には違いない。情報を掴むため、私は意を決して彼に話しかけた。
「あのー……」
 金髪の男はすぐにこちらを振り向いて目を丸くした。髪は目当ての人物と比べると短いが、兵士というには無精に伸びている。表情は随分と気が抜けているようだった。
「人を探してここまで来たんです。トレンティア人の人なんですけど、もし知ってるようなら……」
 単刀直入に話を始めたが、何やら男は目を瞬かせて私を食い入るように見つめている。……そんなに美人かしら。
「えっ……、あの、間違いじゃなければ……ティファか?」
 そして唐突に、あまりにも呆気なく身元が割られてしまった。私も驚いて男の顔を見つめ返すが、記憶の中に残っている顔ではなかった。
「ええ、ほんとにティファ? 何でパーティルの娼婦がこんなところにいるんだ? ああ、俺はグリスって言うんだけど……まあ憶えてないよな」
 男は自虐っぽく笑う。パーティルで、と言われればそういえば、あの町ではトレンティア兵から客を多くとっていた気がする。その中の一人だったのだろう。……どうしてパーティルの兵士がこんなところにいるのだ、とはこちらが聞きたいぐらいだ。
「ええと……ごめんなさい。今は娼婦をしてるわけではなくて、そう、パーティルでお世話になった人がここにいるって聞いて訪ねてきたのよ。パウルさんって人を知ってる?」
 その名前を出すと、さすがにグリスも知っていたのだろう、ぎょっとして体を引いた。
「いやそりゃ知ってるけど、娼婦なんかが殿下に何の用だ? 言伝なら俺が預かっておくから」
「とっても大事な話なのよ、本人と直接話したいわ。ティファが会いに来たって言ったらきっと通してくれるから」
「はあ……。まあとにかく今日は無理だ、殿下の予定は一日塞がってる。明日以降伝えるから待っとけ」
 グリスはそうあしらうように言った。
 パウル・イグノールとパウル・レーンが同一人物であれば当然、私がロードの使者であることを知っているはずだ。この局面でクラネルト家からの接触となれば当然重大事である。
 口ぶりからしてイグノールに仕えている者のようだが、その事情までをこのトレンティア人は知らないのだろう。
 なんと押したものか、どこまで情報を開くべきか、と判断に迷ってる間に、グリスはそそくさと立ち去ろうとしてしまう。
「ちょっと待ってよ。そんなこと言って会わせないつもりでしょ? ねえお願いグリスさん」
 そう彼に縋り付くように身を寄せると、彼もたじろぎ始める。色香に惑って葛藤している……というよりは、どうも本当に困ってそうだ。
「今日は無理だって。なにせ結婚式だから!」
「へ?」
 出てきた言葉があまりに突拍子もなくて、思わず私は眉をひそめた。
「殿下の大事な……部下の、結婚式なの。それで殿下も参列されるし、どうせ今日は一日中食事会だろうし。部隊あげて大騒ぎになるだろうからあんたも時間あるなら一緒に祝っていきなよ」
「部隊あげて大騒ぎの結婚式……」
 私はぼんやりとそれを繰り返した。どこの誰が結婚するのかは知らないが、そうだと言うならそうなのだろう。
 当然その話は、ひとときでも私に任務を忘れさせるほど魅力的な話だった。……そういうことなら、仕方がない。


 その日、私ことグロリア・エレアノールがまず格闘すべきは自身の洋服とであった。
 なにせズミでトレンティアの服は手に入らない。現地で手に入るもので間に合わせるしかないものの、着慣れない形の下着を、無理やりトレンティア風のドレスに合わせて着る作業は一人ではできなかった。
 トレンティアのドレスと言っても、当然本国で着るのような本格的なものではなく、私の知識を詳細に伝えてズミの針子達に仕立てさせたものだ。紐や留め具などの細かいところがローカライズされていて勝手が狂う。
 生地も当然ズミのものを使っているから、どちらかというとズミの伝統衣装をトレンティア風にアレンジしたような見た目になっているが、それはそれで趣深くて気に入った。
 しかし姿見も無いのだから、ドレスの形が崩れていないかを確かめるだけにも人手が要た。
 ただでさえ少ない女手は花嫁の飾り付けに集中しており、私の身の世話をするメイドももともといない……、頼れるのは義理の息子だけであった。
「ジャックここ、後ろ結んで。解けないようにしっかりお願いね」
 仮説住居の一戸を借り切って、私は息子と二人でそこに詰めている。
 当然軍人として剣ばかりを振ってきた彼に、婦人の着付けを手伝った経験などはないだろう。言われるがままにしどろもどろと私の服に触る彼の手は震えていた。
「エ、エレアノール様、さすがに、このようなことは……、なんとかメイドを一人雇って……」
 フォス・カディアルの騎士が嘘のように情けない声を上げている。そんな及び腰の男に私はぴしりと喝を入れてやる。
「いないものはしょうがないでしょ、あなた一応私の息子なんだから……恥ずかしがってないで頼むわよ!」
 母子といえども男女である。本来なら血の繋がった親子であってさえ、成人した男が母の衣服の世話など普通はしない。それが血の繋がりもない、元婚約者でもある歳上の息子になど、私だって不本意だ。
「ほんとなら化粧もちゃんとしたいんだけど、手に入る化粧品も限られててね。兄様の部下がなんとか見繕ってくれたけど、ズミのものは使い慣れなくてちょっと不安なのよ。変じゃない?」
 そう言って今度は顔を検めさせる。ジャックは茹で上がったように顔を赤くしてそれを見つめた。そんなに赤面されるとこちらまで恥ずかしくなってくるではないか。
「……お、お美しく……いらっしゃいます……」
 蚊の鳴くような声でそんな言葉を零した。……だめだこりゃ、当てにならん。
「はいじゃあ次は髪。さすがにちゃんと編み込むのは無理だからズミ風ってことで概ね流すわ。これ塗って」
 そう言って私が髪油の壺を手渡すと、彼は更に驚いて身を引いてしまった。
「か、髪油を塗るぐらいご自身でできるでしょう!? いくら義理の息子と言えど、御髪に手を触れさせるなど」
「自分でできるならするけど、これが魔法の髪油らしくて、魔力の感触確かめながら塗らないといけないのよ」
「魔法の髪油!? なんですかそれ」
 ジャックはそう素っ頓狂な声を上げている。私だって最初聞いた時はなんだそれと思ったものだが……。それはズミ独自の魔道を用いた薬学の応用で作られているという、トレンティアでは聞いたこともない代物だ。
「リョドルが作ったんですって。トレンティアの魔法学でいえば水魔法に近い術式が油自体に練り込まれてて、手で魔力を調整してなじませて塗るといいらしいの。魔力のムラがでないように、薄く幕を張るようなイメージでお願い。自分の手じゃ頭の後ろが見えないものだから」
「あ、あの薬師はそんなものまで作るのですか……」
 ジャックは諦めたように壺を受け取り、椅子に座った私の背後に立った。縛っていた髪を解いて全部を下ろし、やがて油に濡らした手がその髪の中へと入り込んでくる。
 途端に背中の上をすうと抜けていくように通るのは、確かに清涼な水魔法の流れ、そして油に練り込まれた花の香り。
 ジャックは手で油を塗り込みながら、木櫛を時々は通してその髪を整えていく。当然手つきは熟れていないが、彼なりに一生懸命のようだ。
「……すごいですね、この油。本当に……塗ったところから髪がまるでズミ人みたいに……」
 ジャックは感嘆した様子で言う。どうやら塗るほどに目に見えて艷やかになっていく髪を見て、なにか冒険心に似た興奮を覚えているようだ。
「お美しいです、グロリア様。本当に……」
 思わず、というように彼は呟く。こら、その名前で呼ぶな、なんて小言を言おうとも思ったが……まあ、無理をしてもらっているのだ、それぐらいのうっかりは許そう。
 髪を梳いてもらっている間に、ドンドンと扉を叩く音が鳴った。
「エレアノール様? そろそろ手借りたいんだけどどうだい」
 扉の向こうからかかったのはリョドルの声だ。それを聞いてジャックの手元が急ぎだす。
「ごめんなさい、もうすぐ済むわ」
 そう声を返す。ジャックを急かして髪に油を塗り終えて、散らばらないようにだけ毛先で纏めて、花飾りを挿せば間に合わせながらも完成だ。
 急いで私は小屋を出る。そこで待っていたリョドルも、着飾った私を見て目を丸くしたようだ。
「おお……、エレアノール様もお美しい。さすがトレンティア王家の貴婦人でいらっしゃる」
 そんな社交辞令を言いながら微笑むリョドルもまた、晴れ渡った真夏の陽に照らされてその美貌を輝かせている。
 ……さすがに男が化粧をしているということはないだろうが、いつも以上に白い肌が眩しい気がするのは、普段はだらりと垂らしている長い前髪を、神官の礼装をするにあたって帽子の中に纏め上げているからだろう。
 リョドルに連れられて、私は神殿の近くに構えた小屋へと急ぐ。
 私の着付けを終えたジャックはそのまま、そそくさと本来のあるじの元へと急いでいった。彼の礼装を用意する余裕はなく、せめてと普段と違うのは軍から脱走する際に持ち逃げしてきた軍装のマントを羽織っているだけだ。
 私の次なる任務は花嫁の飾りの手伝いだ。なにせ女手が足りない。
 小屋の手前でリョドルとは別れる。彼は神官という立場ながらに、参列者の衣装や飾りつけの段取りまで幅広く監督しているらしい。
 小屋の中へ入ると、部屋の中央に、それはきらびやかな衣装に身を包んだ少女が、複数の女性に囲まれて人形のように弄り倒されている。
 ズミの伝統衣装は男女共に、肩から足先まで体の形を出さないゆるやかなシルエットをしているものが多い。婚礼衣装でもその形は変わらないようだが、濃い色の生地にこまごまと刺繍がされたそれを何枚も重ね、その胸の上にある宝石を散りばめた銅の首飾りがきらきらと光を反射している。
 まだ頭の仕上げはこれかららしく、私には例の魔法の髪油を塗る役目がある。
 なにせこの髪油は魔道士でないと最大限の効能を発揮しない。魔道士の中でも女となると私しか担い手はいないのだ。
「エレナさんは着替え終わったんですか? すっごい綺麗です」
 ジュリはそのなりのまま頬を紅潮させて私に視線をやってきた。
 未だに彼女は私のことを、その場で適当に名乗った偽名で呼ぶ。なんだかそれも今は二人だけの親しみのように感じて楽しかった。
「ありがとう。でも今日の主役はあなただもの、私よりもとびきり綺麗になってもらわなくちゃ」
 そう笑ってやるとジュリは恥ずかしそうにはにかんだ。それを見ながら私は髪油の壺に手を伸ばす。
 私とて祖国では最高位の身分の女だったのだ、髪の世話は人にさせるものであって、自分でやった経験はほとんど無い。
 だけどジャック同様慣れないなりに全力の集中をかけ、その油を美しいズミの乙女の髪に馴染ませていく。……本当にズミ人の黒髪は艷やかで美しい。
 元から美しいのに、確かにその油を絡めて魔力を馴染ませると更にその髪は潤いを帯び、まるで絹の生地のように光を反射して艶めき出す。
 こんな油があったらトレンティア貴族の女達も大騒ぎをして色めくぞ、なんて思いながら、そのしっとりとした髪の流れに指を遊ばせた。
 油を通し終えると、メイドの女性達が一斉に髪結いに取り掛かる。彼女達もまた、文字通り魔法がかかった花嫁の髪の美しさに感嘆の声を漏らしていた。
「その髪油、こんな見違えるものなの? 私もほしいものね、どこで手に入るの?」
 メイドの一人がそう興奮した様子で私に聞いてきた。
「作ったのはリョドルという薬師だそうだけど、売ってくれるかどうかは分からないわねえ。そもそも魔法の油だから、魔法使いじゃないと使えないんですって」
「へえ、そんなものがあるのねえ。私も魔法習おうかしら」
 そんな世間話を楽しみながら、女達で花嫁を飾っていく。
 髪は長い三つ編みに結われる、それはいつも通りらしい。ただその結った三つ編みの先にも宝石を嵌めた髪飾りを留め、頭の上に冠のような輪っかと金の刺繍がされた白い布を被せて、顔の横には、耳たぶがとれるのではないかというほど重たそうな耳飾りを通す。
 ジュリは既に緊張と興奮の混ざった顔でいる。……聞けば齢は今年十五を迎えるところだという。その歳若さで、想い合った恋人と結ばれることになる彼女に、羨ましい、なんて言葉を思うことはあまりにいたずらなことだろう。
 彼女はほかでもなくトレンティア国家によって、故郷の町も、家も、家族も全て奪われて放浪せざるを得なかった身の上なのだから。
 そしてその焼けた故郷に凱旋し、その戦いでの英雄と婚儀を挙げることになる彼女の心中がどんな感情で満ちているかなど……、敵国の姫として生まれた女には推し量ることも憚られる。
 飾り付けを終えるとメイドの一人が小屋の扉を開いた。
 本来ならば親類がとるべきらしい先導は、軍隊長であるモルズが務めるらしい。小屋の外に待機していた彼は、普段の兵装とは違って立派な礼装を身に纏っていて、右腕の袖が靡いていなければ誰だか分からないような風体だ。
「とっても綺麗よ、ジュリ。おめでとう、心から祝福を」
 着付けを手伝った役得だ、私は式が始まる前に先取って祝辞を言ってやった。ジュリは緊張した表情を浮かべていたが、私の言葉を受け取って、ふっと儚げに微笑んだ。
 華やかに飾られ、見違えるように美しくなった花嫁は、いよいよ挙式へと臨む。
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