サーシェ

天山敬法

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第十章 分かたれる道

116話 再び、パーティルへ

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 ラズミルからパーティルまでの道順は……最短を考えるなら東へ出て大街道を通り……となるだろう。
 しかし東に出れば目前にトレンティア軍が詰めている砦がある。必然僕達は南からジンク地方を通って迂回するルートを取ることになった。
 ラズミルから南へ下ると途端に森が深くなり、その向こうには低い山が連なっていて道もでこぼこしている。
 森の中に点々とある村落の規模もそう大きくはない。かつては王都に近く、盛んな交易によって栄えたらしい町も、クスダンと同様の事情を被って荒廃しているらしかった。
 ラズミルに軍が入ったものの、一度それが通過したクスダンと雰囲気は異なる。まだ東側にトレンティア軍が控えているのを見て、ラズミルへ出入りする商人などの数は少なく、活気といえばクスダンと比べ物にはならない。
 そんな陰気な町にいちいち留まることはなく、僕達は森の中を進んでいくこととなった。
 これは任務行動だ、動きは早ければ早いほど良い……妻を連れているからといって野宿を避ける判断はとらなかった。兵士として連れているのだから。彼女とて僕とパウルと行動していた時期に野宿には多少慣れているだろう。
 しかしお互い顔なじみの四人の面々では今ひとつ緊張感は締まらない。
 僕とティガルは歳の近い幼馴染みだし、グリスは僕達より一回り歳上ではあるが、ティガルとの腐れ縁が長く既に親交が深い。
「パーティルかあ。近くまでは寄ったけど中には入らなかったんだよな。あの時はトレンティア軍の監視が厳しくて。グリス、お前はパーティルにいる時期も長かったんだっけ」
 ティガルは何気ない世間話のような調子でグリスに尋ねた。対してグリスの顔は青ざめていた。
「ええ……、俺が詰めてたのは三、四ヶ月ってところだけど……。はああ……、よりによって行き先がパーティルって……。うう、胃が痛い……」
 グリスにとってはトレンティアの正規軍人として詰めていた最後の町だ。そこで彼が経験したことを思えば、さすがの彼もそれを思い出して陽気ではいられないだろう。
「それだけ滞在していれば町の地理にも僕達より詳しいだろう。頼りにしている」
 僕は無表情でそう言ってやった。任務のために同行している兵士に、今更優しい言葉をかけてやる気にはならなかった。
 当然グリスだってそれぐらいのことは分かっているだろう。僕の言葉を受けて苦しそうに眉を寄せたが、その青い目を伏せてため息を噛み殺したようだ。
「はい」
 そう短く返事をした。そんな僕達のやりとりを眺めて、ティガルもつまらなさそうに息を吐く。
「それにしても、あのヨハンがいつの間にか“英雄”ねえ……。その魔法の剣が凄まじいことは俺も分かってるけど、いざこうして上官扱いとなるとどうしても変な感じがするな」
 その目にはあからさまに面白くない感情を含んでいるようだった。僕も釣られるようにしてむっとして、自分よりもまだ少しだけ背の高いティガルを睨む。
「僕だって望んでこうなったわけじゃない」
「なあその剣、お前にしか使えないって本当か? 剣が使い手を選ぶなんてそんな話があるのかよ、ちょっと俺にも試させてくれよ」
 そんなことを言って僕の腰の左側に提がっている魔剣を覗き込むように、背中を屈めて寄ってきた。
 さすがに鞘を庇うようにして僕は身を引いた。口ではだめだ、としか言いようがないが、ティガルは依然面白くなさそうである。
 見かねたように横からグリスが割り込んできた。
「ちょっ、ティガル! さすがに失礼だぞ。よりによって魔剣を貸せなんてとんでもないことを言うな!」
「はあ? なんだよグリスお前まで……、捕虜から解放されたからって急に生意気になったんじゃないか? もとは脱走兵のくせに」
「俺の身柄については既にイグノール殿下とモルズ殿との間で話がついてるはずだ、今更つべこべ言うな」
 今度はティガルとグリスが言い合いを始めた。腐れ縁が続く間に彼らにも友情らしいものがあるのだろうと見込んでいたのは見当違いだったのか、それともグリスの立場が変わったせいでそれも変わってしまったのだろうか。
 二人の顔や声の色から、どうにもじゃれ合っているだけとは言い難い様子を感じて、僕は煩わしく思いながらも仲裁に入った。
「くだらないことで喧嘩をするな」
 しかしやはり、言葉で言って聞かせるのは僕の不得意な領域だ。それだけの一言で彼らがしゅんと収まる様子はなかった。
「お言葉ですけどヨハン様、くだらない話じゃないですよ! 仮にも同盟軍の兵士に対する侮辱は本来なら聞き捨てられません。でもまあ俺のことはいいですよ、いくら幼馴染みだからって上官であるヨハン様に対してまでお前呼ばわり……、いえまあ、それもズミ軍の風習だと言うなら俺は口出ししませんよ? でも魔剣をちょっと貸してみろは不敬もいいところです! トレンティアで言ったらその場で打ち首にされてもおかしくない発言ですよ!? あなたも上官として少しは叱ってやるべきです!」
 思った以上にグリスの怒りの程は大きいらしい。
 いつもの陽気で腑抜けた様子の彼からは思いも寄らないほどの強い声に、僕は戸惑いすら覚えてしまう……、それはティガルも、横で黙って見ているだけだったジュリも同じなようだった。皆で目を丸くして、怒るトレンティア人を見つめる。
 くだるかくだらないかはともかく、こんな所で本気の仲違いなどを始めては任務に差し障る。僕は指揮官として彼を宥めなければいけなかった。
「落ち着けって。ここはトレンティアじゃないし、ティガルはズミ人だ。トレンティアの事情なんかで怒ったって仕方ないだろう」
 仕方なく、僕は苦手な言葉を使ってひとつひとつ彼らに言って聞かせていく。
「上官って言ったって僕も望んでそうなったわけじゃないし、どうせこの規模の遠征なんだ、上だの下だの気にするようなことじゃない。幼馴染みも何も関係なく、僕とティガルは故郷のために戦う同志だ、それ以上のものは求めてない」
 そう言ったのは、上だの下だのを気にするのが僕自身にとって面倒だったからでもある。
 グリスも僕に言われては強く出れないのだろう、ぐっと悔しそうに歯を噛んだが、すぐに何かは言ってこなかった。
 僕はティガルの方にも振り向いた。
「ティガルも……別に僕のことは上官扱いしなくていいから、グリスとは……、一応別の軍の兵士なんだから……揉め事を起こすな。イグノール部隊と同盟を組んでいるのはモルズ隊長の決定だ、ここで僕達が乱すわけにはいかないだろ」
 こちらもむっと不機嫌そうに顔をしかめるが、すぐに反論はしてこない。僕は左手で魔剣の柄を撫でた。
「魔剣については……、これも僕が望んで使い手になったわけじゃないし、この剣はもともと僕のものじゃない。……元の持ち主がすごく大事にしていたものだから……、ごめん」
 パウルから剣を受け取った時のことを思い出して言った。
 正直トレンティア貴族の伝統とか王家に伝わる家宝とか、そういうことは僕にも未だによく分かっていないが……、この剣を振って戦った時のあの感触と、ラズミルへ凱旋した時にクラウスからかけられた言葉の重み、僕に背負えるものとしてはそれだけでも手一杯だった。
 当然ティガルがそれを理解することもないのだろうが、フンと不機嫌そうに鼻息を吐くだけで拘ってはこなかった。それを見てグリスは諦めたようにため息をつく。
「はあ……、ズミ人ってのはそういうものなんですかねえ。兵士の上下関係も曖昧なままなんて、トレンティア軍じゃ考えられませんよ。まあ、ヨハン様がそう仰るのなら、俺も何も言いませんけど……」
 ティガルはまだ苦い顔をしてグリスを睨んだ。
「それを言うなら、なんでズミ軍の兵士でもないお前が“ヨハン様”呼びなんだよ。確かにヨンはもともと魔術師の部下だったけど、今はモルズさんの部下だろ」
 ……ティガルの言う事ももっともだ。言われてみればグリスなどに様呼びされる謂れはない。僕も便乗するようにグリスを見つめると、グリスは小さく戸惑いの声を上げた。
「えっ、それはだって、ヨハン様はイグノール殿下の……」
 息子じゃないですか、と言いたかったのだろうが、その事実はまだ機密情報なはずだ。ティガルにだって知らされてはないだろう。僕達は揃ってグリスを怪訝な視線で刺した。
「殿下の部下……じゃない、のか。ええっと、もしかして様って呼ばない方がいい……?」
 そしてうわ言のようにそう言った。僕自身王族扱いされるのは慣れていないし正直落ち着かない。この機にやめてもらえるならそれに越したことはない。
「そうだな、様付けも気持ち悪い敬語もこの際やめろ」
 そう言ってやると、グリスはぐっと苦しそうにたじろいだ。
「わ、わかりま……いや、わかっ……うっ……、む、無理です! ほらっ、やっぱりトレンティア人としては魔剣士様に下手な態度はとれないっていうか……」
 苦し紛れのように付けたその理由が、どれほど真実に近いのかは僕にも判然としない。結局僕は面倒くさくなってため息まじりに言う、
「まあ、好きにしろよ……」
 グリスはティガルに怒ることより僕への対応の仕方について悩み始めたらしい。ひとまずティガルとグリスの喧嘩を収めることはできたようだ。
 初日からこんな言い合いを起こすようで大丈夫だろうか、と先行きへの不安は募るが……。
 ティガルからすれば……いや彼だけでなく多くの部隊員にとっては、僕のような若輩の混血児が、ぽっと出てきた魔法の剣をたまたま手にしたというだけで英雄扱いをされているのだ、面白くないのも当然だろう。この際は変な指名を行ったモルズの判断が悪い。
 英雄なんて誉れが嫌ということは僕だってないが、そのせいで余計な疑惑ややっかみを受けるぐらいならそれも煩わしい。
 ……ただ、これは純粋な力に過ぎない。敵を倒せればそれだけでいい、で済ますことはできないものだろうか。

 ともかく任務は進めなければいけない。森が深くなっていくと日が沈むのも早く感じる……夕方に野宿の地を決めて荷物を下ろしてから、僕は配下達の腕を測ってみることにした。
「グリス。お前とは初めて会った時から捕虜だったし、戦っているところを見たことがない。今回は戦闘も想定される任務だ、あらかじめどれぐらい戦えるのか知っておきたいんだが……」
 そう切り出すと、グリスは腰に挿していた剣を持ったり離したりしながらこちらを向いた。
「ああ、ええ、そういえばそうですね。剣と魔法どっちですか?」
 その声はやや緊張しているようだが、きっぱりと言ってみせた。オーデルにいた時のように戦闘は嫌だと泣き言を言うつもりはさすがにないらしい。
 しかし剣と魔法どっち、と聞かれるのはズミの兵士にはない風習だ、いまいちどう測ったものなのか分かりづらい。
「とりあえず剣で……」
「剣……ですか。魔法より苦手です」
 バツが悪そうな顔でそう言った。
「なら、魔法は?」
「剣よりは得意です」
 寸劇みたいなやりとりをして、僕は呆れてため息をついた。土台、実力なんて言葉で聞いてわかるものではない。
 僕は魔剣を抜いた。今は旅の途中だ、丁寧に訓練用の武器を用意はしていないから、試すにしても真剣を扱うしかない。
 武器を抜いた僕を見てグリスは更に緊張を高めたようだ。
「ま、魔剣相手なんて無理ですよ」
「魔力は入れないから」
 緊張感の抜ける会話をしてから、ゆったりと僕達は試合の構えに入った。
 片手でも扱えるほどのやや小ぶりの剣をグリスは両手で握って構え、腰を少しだけ屈めて体勢を取る。構え自体にブレている様子はない。荷物を整理していたティガルもジュリも興味深そうな顔でこちらを見始めた。
 とりあえず僕の方から、素早く片足を踏み込んで真正面から振り下ろす、挨拶を交わすようにグリスもその剣でそれを受け止める。
 それはそこで刃同士を食い止めるようなものでなく、振り切る勢いの力の入れ方だ。そこで跳ね返ってきた力の強さも弱くはない。基礎的な筋力はある。
 僕の剣を弾くように振り切ったグリス、僕もそのままに任せて剣をいなす。今度はグリスの攻勢を見るつもりでゆらりと隙を作ってやった。
 それを見て攻撃に出てくるまでの判断に、一秒。グリスは表情に戸惑った色さえ浮かべて迷っていた。実戦だったなら、こちらが魔剣でなくても既に彼は死んでいる。
 やっと振り切ったところから切り返すように、横からの剣を振り切ってくる。判断に時間がかかりすぎだ、僕が防御の構えをとるのも容易かった。
 体の横で魔剣の切っ先を地面に向ける角度で構えてそれを受け止める。かかってくる力自体はしっかりしているのだが……、武器の重みの差もあり押されることはない。交差していた両腕をぐるりと回すようにそれを押し返すと、グリスはそれを感じ取って自ら剣を引かせた。
 剣が空を回るその遠心力に任せるようにして、僕は刺突の構えへと移る。そのまま真っ直ぐ剣を進めると、防御も回避の姿勢もとれずグリスはその場で硬直してしまった。
 彼の喉元の前でびたりと切っ先を止めて、僕は半ば呆れた目で彼を見つめた。
「……真面目にやってるか?」
 そう聞くと、グリスは慌てて身を引いた。
「し、真剣での手合わせなんて、緊張して」
 そんな間の抜けた答えを聞いて、僕はため息をつきながら剣を下ろした。
「曲がりなりにもトレンティアの正規軍人だったんだろ? えっと……いま歳いくつだ。兵士になったのはいつ?」
「今二十七です。兵士になったのはちょうど二十の頃で……」
 きりとした表情で答える彼に、僕は余計に呆れた表情を浮かべる。小耳に入れた情報では、クスダンで交戦したクラウスの弟……カルロスは確か二十六だと言っていた。
 当然年齢だけで戦士の格を図るようなことは僕自身嫌うことではあるが、ここまで差があると思わず比べてしまう。
「じゃあ、魔法は」
 僕がそう話を変えると、グリスは剣を鞘に収めた。剣よりは得意だと言うから、そこに力もこもるのだろうか……ぐっと表情を引き締め、誰もいない方向に両手を突き出してそこにぱっとソル・サークルを浮かべる。
 術式は炎らしい、魔道文字は三つ、加熱、強化、液化……、定番だ。そこに瞬時に走った魔力の回路は思いのほか素早く、太かった。
 当然そこから放たれた火の玉は迷いなく空を駆け、彼の前方にあった茂みの枝を焼いて爆発した。液化の術を入れているから延焼はしない。
「術は精確だし、魔力も太いな」
 率直に言うと、グリスは得意げに頬を紅潮させた。十一も歳上の男なのに、まるで子どもを見ているようだ。
 当然魔法だって、いくら練習で正確に撃てたとしても戦闘のさなかでその集中をぶれさせずに使うとなるとまた別の能力も必要になってくる、それだけで測れるものではないが……、少なくとも初心者というわけではないらしい。当たり前だが。
 となると、ズミの戦士として剣を扱い慣れている僕とティガルを前に出して、グリスは魔法での援護を行うというような前後衛の分け方がいいのだろうな、とひとまずの見当をつける。
 横で見ていたティガルもいつの間にか楽しそうな笑みを浮かべている。
「魔法は俺じゃ分からんが、剣はもうちょっとどうにかなるだろ。俺とも手合わせしてくれよ」
 そう言ってティガルも剣を抜く。グリスはぱちりと目を瞬かせて彼を見つめ返したが、すぐににっと力強い笑みを浮かべて再び剣を抜いた。
 今度は僕が見る側になる。荷物を整え終えて所在なさそうにしているジュリの隣にしゃがみこんでそれを見守った。
 ティガルとは僕も少し前に手合わせをしたが、その後オーデルでもラズミルでも訓練を積んでいるのだろう、その太刀筋に迷いはなく、グリスのものよりやや大振りな剣をしっかりと振り込む。
 グリスがそれを受け止めるが、やはり両者の間に明らかな筋力差があるわけでは、ないようだ。
 押し合い、刀身同士を擦るようにいなし、グリスはすぐに足を踏み込んで攻勢に出る。ティガルも素早く切り替えしてそこにぶつけるように剣を振る。
 その攻防は傍目にも軽やかで、どうにも……僕が相手取った時よりもグリスの太刀筋は素早い。いちいち判断に迷うような素振りもなかった。
 どうやら緊張したのは僕を相手にしたから、ということらしい。王族だと思って躊躇が出たのか、はたまた魔剣を見ただけで気圧されてしまったのかは知らないが……僕はまた呆れてため息をついた。始めからティガルと手合わせをさせればよかった。
 次第に打ち合いが加熱してきたらしい。ティガルが暑いと言って服を脱ぎ始めた。裸で真剣を振り回すのは危ないが……まあ、今は回復魔術での治療師がいるからいいだろう。
 裸で訓練をする習慣のないグリスは少し躊躇ったようだが、ティガルに乗せられて結局一緒に裸になる。
 その衣服を剥いてみれば、なるほど二十七歳相応に、しっかり筋肉がついた肉体が現れる。腕相撲をすれば僕でも勝てなさそうだ。
 裸になって改めて二人は打ち合いを始めた。先ほどは険悪に睨み合っていたものの、やはりお互い気兼ねなく武器を振るえる仲ではあるのだろう、そこに交わされてる応酬ははしゃいでいるように楽しそうだった。
「男の人ってそういうもんですかね」
 そんなことを呟いたジュリに僕はちらりとだけ視線をやって、特に返事はせずにやがて立ち上がった。手には弓を持って。
 打ち合いに熱中する男二人に水を差すのも気が引ける。僕はこっそりと夕食の調達に出かけた。

 日が暮れる頃、すっかり汗まみれになった二人のうち、ティガルは気持ちよさそうに空を仰いでいた。グリスはがくりと項垂れている。
「す、すみません、ヨハン様。狩りまでさせてしまって……、捌くのはやりますから」
「いやまあ、狩りは僕も好きだから……」
 仕留めた鹿を捌こうと短剣を持っていたが、グリスにずいと詰め寄られてそれを渡す。
 ティガルもそれに加わるようで、まだ汗に濡れた体に服を着ないまま、二人で鹿を切り分け始めた。
「子どもの頃からお前は弓も上手かったよな。俺ももう負けないと思うけど」
 ティガルはそうのんびりとぼやきながらも対抗心も燃やしてくる。はあ、と僕は気の抜けた相槌を打つだけだ。
 火は見計らってジュリが起こしてくれていた。やがて切り分けた肉をめいめいに焼きながら食事を始める。
 ……狩った獣を食べながら過ごす野宿の夜なんていつぶりだろうか。その頃になってやっとティガルとグリスは再び服を着ていた。
 抱く感慨はティガル達も同じなようだった。ぼんやりと揺れる焚き火を眺めながらゆるく話す。
「こういうのも久しぶりだな。オーデルに着く前はずっとこんな感じだったけど……なあグリス」
「ああ、そうだな……、思えば遠くに来たもんだ。トレンティアの軍人としてズミに来た時は、まさかこんなことになるとは……。今なら殿下の言ってたこともちょっと分かる気がするよ」
 肉を噛みながらゆったりと話すグリスに、僕も声を向ける。
「パウルの言ってたことって」
「外国でも過ごしてるうちに慣れるって……。うまいもの食って泣いて笑ってりゃいいこともあるって」
「何かいいことでもあったのか」
「いやあ、特に何かってわけじゃないですけど……、なんていうかこう、こんな風に仲間と一緒に飯食べてると、馴染んでいくっていうんですかね、そういう感じがします」
 そうしみじみに言う彼に共感できる境遇の者はいない。そういうもんか、なんてティガルも頷くだけだ。
「トレンティアに帰りたいなんて泣き言はもう言わないんだな」
 ティガルに嫌味っぽく言われて、グリスはむずむずと眉を寄せる。
「家族のことは気になるけど……、でも俺は殿下のお側にいたいからな。もし戦争が終わったら……殿下はやっぱりベルタスに帰るのかな?」
 そんなことを僕に聞いてくる。知るか、と吐き捨てるように答えた。
「そもそも戦争に勝つってどういうことなんだろう。やっぱり殿下はギルバート陛下の首をお望みなのかな……ってなると殿下が陛下になるのか? いやあ末端の下っ端兵士だった俺が、国王の側近になるなんてそんな未来あるのかなあ」
 まだ見ぬ遠い未来を見て、グリスはふわふわと視線を泳がせる。当然この戦争がどこまでどう転ぶかは誰にも分からない。
 黒い森を超えてあの聖樹の聳える王都へ、そしてあの堅牢な王城の奥に鎮座する国王の首を刎ねるなんて、そんなことが本当にできるのだろうか。できるとしてもいつの話になるのだろうか……。
「勝って帰れるならそれが一番だよな。……まあ、いつのことになるのか分からんが、そうだよな。勝ってもお前はトレンティアに帰るんだよな、家族もいるもんな……」
 ティガルもどこか遠くを見て言う。本当にそんな未来が実現したとすれば、きっとティガルもグリスとの別れを惜しむのだろう。
「ティガルは……戦争の後のこととか考えないのか? ギルバート陛下を殺すまではいかなくても、ズミの国内情勢が落ち着けばひとまず停戦、なんて未来はもしかしたら近いかもしれないし」
 グリスに聞かれて、ティガルは肉を噛みながらうーんと唸る。
「モルズさんの軍がそのまま国軍になるなら、俺も流れで国軍兵だろうな。兵士で食っていけるならわざわざ故郷に帰ろうとは思わないし……、いや、しかし、仕事はなんであれ嫁さんがほしいねえ……」
「そうか、今十九だっけ? いい人いないのか」
「兵隊であっちこっち出張ってる男のもとへ来てくれる嫁さんなんてなかなかいないもんだよ。戦争の状況が変わって町に落ち着ける身分になればなあ……。ほんとヨンは良かったよな、若くして衛生兵にいる女の子と……なんて、運が良い、羨ましい」
 そう返す返すもという調子で睨んでくる。隣に座っていたジュリと揃って、僕はむずかゆい表情を浮かべた。
「最初は俺も気になってたんだよ、ジュリは未婚だって言うし衛生兵として従軍するって聞いたから。だけどもう気付いた時にはお前と恋人になってて手も足も出なかったよ。良かったなあお前、軍に合流する前から捕まえとけて。もしそうじゃなかったら倍率百倍だぜ」
「倍率って……」
 ジュリは恥ずかしそうに目を逸らしながら呆れている。
 ……考えてみれば、オーデルで軍に合流してからラズミルで結婚の取り決めをするまでの間、ティガルと同じような身分の男達が、未婚の若い娘が衛生兵にいるなんて聞いてこぞって彼女を狙っていたことだろう。そんなことに思いも及ばなかった、今更ぞっとする。
「僕が離れてる間、男に言い寄られたりしなかった?」
 今更ながらにジュリに聞くと、ジュリはまた答えにくそうに目を泳がせた。
「……アルド先生が追い払ってくれてました」
 今更ながらに父にどっと感謝の念が湧いてくる。……恥ずかしさを耐えてでも、他の男を近付けるななんて言っておいて本当に良かった。
 そんなやりとりをする僕達に対する二人の視線はどんよりとしていた。
「グリスお前もさ、この国の暮らしも悪くないと思ってるんなら、こっちで嫁さんもらったりとか考えてもいいんじゃないか」
 ティガルは軽い声で言った。グリスは目を丸くして、「ええ?」なんて驚いている。
「いや俺はベルタスに妻子が……。いや、まあ確かに二度と会えるかどうかも怪しいけどさ」
 そう自分で言いながら、やがて考え込み始めてしまった。
「……二度と会えないかもしれないのか。妻がまだ再婚できる年齢のうちに、いっそ離縁状を出した方が誠実ってやつなのかな……」
「ああ、そうだな、それがいい。それでズミで嫁さんもらってずっとこっちで暮らせよ」
 ティガルは無責任にからからと笑って言った。グリスは呆れたように眉を寄せてため息を零した。
「いや、仮にベルタスの妻と離縁したところで……、ティガルにさえ当てがないのに三十手前のトレンティア人の兵士の元に来てくれる女がいると思うか?」
 途端にティガルはすんと表情を落としてしまった。それもそうか、なんて言って。やはり戦争中となると、結婚が難しい境遇の者は多いのだろう。
 運良く同じ軍の衛生兵と結ばれた僕には既に他人事だが……もしジュリがいなかったとすれば、僕も数年後にはティガルと同じようになっていたのだろうか。……いや、いないならいないで構わない、と言い捨てていただろうな。
 そんな雑談をしながら食事を終え、すっかり暗くなった空の下でやがて僕達は寝支度を整え始める。
 薄い毛布をジュリの隣に敷いていると、何やらグリスがこわごわとした視線を向けてくる。
「ヨハン様、俺達もしかして、ちょーっと離れた場所で寝た方がいいですか」
「は?」
 僕は短く聞き返した。ティガルも目を丸くしてこちらを見つめている。
「ほら、新婚さんですし。いろいろ、あるでしょう、そういうの」
 両手を振りながらそう遠回しな言葉を言うのを聞いて、やっと僕は彼が勘繰っていることに思い至った。思い至って、思わず声を荒げた。
「ふざけるな、こんな所であるわけないだろ!」
 会話の流れを察して、ジュリも顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 僕に怒鳴られてグリスは慌てて頭を下げながら寝支度へ戻る。……まったく、気を遣ってるつもりなのだろうか、無礼者め。
 フンと息をついて僕は彼らから視線を逸らし、さっさと地面に敷いた毛布の上に転がる。夏なのでかぶる布の数は少ない。
 隣でジュリも身を隠すように上着で体をくるんで縮こまった。こんなでこぼことした硬い地面の上でなんて、たとえ二人きりだったとしてもやりたくない。
 しかしせめてと、暗がりの中で彼女の髪をそっと撫でて弄んでから僕は眠りにかかった。
 任務の地に近付くまで……気心知れた者だけでの行軍は緊張感のないものだ。
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