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第59話 崩れる心 ― ローゼ視点
誤解の仮眠室 ― ローゼ視点
蝋燭の炎が揺らめく執務室。
わたしは隣の回廊に立ち、固唾を呑んで扉の方を見つめていた。
本来なら、こんな夜更けに第一王子の執務室に足を運ぶべきではなかった。
けれど、侍女から「殿下は聖女様と密かに会っておられる」と告げられたとき、もう心は静かにしていられなかった。
(殿下はわたしに隠し事をしている……その答えが、今この扉の向こうにあるのなら)
やがて扉が開いた。
そこから飛び出すように現れたのは――聖女エリシア。
その頬には、涙の跡が光っていた。
驚いたように視線が交わり、わたしは思わず身を隠す。
エリシアは泣きながら、廊下をふらつくように進み、執務室の隣の扉を開けて中へ消えていった。
(今のは……? どうして泣いていたの……?)
混乱の中で足が動かず、ただ壁際で様子をうかがっていると、すぐに殿下が執務室から現れた。
「エリシア!」
殿下の声には焦りが混じっていた。
彼はエリシアを追って隣の扉へと駆け込み、そのまま中に入っていった。
わたしの胸が大きく脈打つ。
(あの部屋は……仮眠室……殿下が長時間の政務の折に使われる場所……そこに二人で?)
信じられない思いに駆られ、けれど、確かめずにはいられなかった。
気づけば、わたしも扉の前に立っていた。
◇
仮眠室の中。
小さな灯りの下で、エリシアがベッドの縁に腰を下ろし、顔を伏せていた。
殿下はその傍らに立ち、困惑と心配の入り混じった表情で彼女を見つめている。
「……泣くことはない、エリシア」
「殿下……私は……妹のようだと言われて……っ」
しゃくりあげる声。
涙に濡れた瞳が殿下を映す。
「私は……殿下の隣を夢見てきたのに……」
殿下は言葉を失い、ただ苦しげに彼女の肩に手を置いた。
「エリシア、すまない……だが、私はお前に誤解をさせた。だからこそ、もう間違ってほしくない」
その姿は、まるで恋人を慰めるかのように見えた。
――わたしの目には。
思わず扉を開け放つ。
軋む音に二人が振り返り、空気が凍りついた。
「……殿下……?」
わたしの声は震えていた。
そこにあった光景――殿下とエリシアが、狭い仮眠室の中で二人きり。
涙で顔を濡らす彼女の肩に、殿下の手が触れている。
誰が見ても、それは密会だった。
殿下が慌てて手を離す。
「ローゼ、違う! これは……!」
「ち、違う……? どう見ても……!」
言葉が詰まり、胸が痛みで締めつけられる。
エリシアがわたしを見つめ、かすかに笑んだ。
「ローゼ様……殿下は、私に優しくしてくださっただけですわ」
その言葉が、さらに深く心を抉った。
(やっぱり……殿下は……)
涙が溢れそうになるのを必死で堪え、わたしは一歩後ずさった。
「……もう結構です。殿下」
そう告げる声は、かすれていた。
殿下が必死に手を伸ばす。
「待て、ローゼ! 誤解だ、話を――」
だが、わたしは振り返らずに廊下へ走り出た。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。
◇
廊下を駆け抜けながら、噂の声が耳の奥でこだまする。
「第一王子殿下は聖女さまと……」
「かわいそうなのはローゼ嬢だわ」
あの言葉が現実になったかのように思えた。
涙が頬を伝い、靴音が響く。
心は叫んでいた。
(信じたかったのに……どうして……!)
部屋に戻ると、わたしは鍵をかけ、背を扉に預けて崩れ落ちた。
涙が止まらない。嗚咽が漏れ、息が詰まる。
侍女が心配そうに声をかけてきたが、わたしは「放っておいて」と震える声で答えた。
誰にも会いたくなかった。誰の顔も見たくなかった。
(殿下……どうして……どうしてわたしじゃないの……?)
答えのない問いが胸を刺し続ける。
その瞬間だった。
わたしの視界に、見慣れたあの淡く光る文字が浮かび上がった。
――【スキル:引きこもりVER2】発動。
何が起きたのか、最初は理解できなかった。またあのスキルが発動したの?
けれど、体の奥から重く甘い眠気のような力が湧き、わたしを包み込んでいく。
誰とも会いたくない。
世界を遮断したい。
痛みから逃れたい。
そんな心の叫びに応じるかのように、扉の外の音が遠ざかり、部屋そのものが分厚い殻に覆われていく感覚がした。
気づけば、外からの声はもう聞こえなくなっていた。
扉を叩く音も、心配する声も。
まるで世界から切り離されたかのように、静寂が広がっていた。
わたしはベッドに身を投げ出し、枕を抱きしめる。
涙で濡れた顔を隠しながら、ただ震えていた。
(誰も……入ってこないで……お願い……)
それが、わたしの唯一の望みだった。
こうしてわたしは、自分の部屋に閉じこもり、世界から姿を消した。
【スキル:引きこもりVER2】マイルームに守られながら。
だが、この選択がどんな未来を呼ぶのか――その時のわたしには知る由もなかった。
蝋燭の炎が揺らめく執務室。
わたしは隣の回廊に立ち、固唾を呑んで扉の方を見つめていた。
本来なら、こんな夜更けに第一王子の執務室に足を運ぶべきではなかった。
けれど、侍女から「殿下は聖女様と密かに会っておられる」と告げられたとき、もう心は静かにしていられなかった。
(殿下はわたしに隠し事をしている……その答えが、今この扉の向こうにあるのなら)
やがて扉が開いた。
そこから飛び出すように現れたのは――聖女エリシア。
その頬には、涙の跡が光っていた。
驚いたように視線が交わり、わたしは思わず身を隠す。
エリシアは泣きながら、廊下をふらつくように進み、執務室の隣の扉を開けて中へ消えていった。
(今のは……? どうして泣いていたの……?)
混乱の中で足が動かず、ただ壁際で様子をうかがっていると、すぐに殿下が執務室から現れた。
「エリシア!」
殿下の声には焦りが混じっていた。
彼はエリシアを追って隣の扉へと駆け込み、そのまま中に入っていった。
わたしの胸が大きく脈打つ。
(あの部屋は……仮眠室……殿下が長時間の政務の折に使われる場所……そこに二人で?)
信じられない思いに駆られ、けれど、確かめずにはいられなかった。
気づけば、わたしも扉の前に立っていた。
◇
仮眠室の中。
小さな灯りの下で、エリシアがベッドの縁に腰を下ろし、顔を伏せていた。
殿下はその傍らに立ち、困惑と心配の入り混じった表情で彼女を見つめている。
「……泣くことはない、エリシア」
「殿下……私は……妹のようだと言われて……っ」
しゃくりあげる声。
涙に濡れた瞳が殿下を映す。
「私は……殿下の隣を夢見てきたのに……」
殿下は言葉を失い、ただ苦しげに彼女の肩に手を置いた。
「エリシア、すまない……だが、私はお前に誤解をさせた。だからこそ、もう間違ってほしくない」
その姿は、まるで恋人を慰めるかのように見えた。
――わたしの目には。
思わず扉を開け放つ。
軋む音に二人が振り返り、空気が凍りついた。
「……殿下……?」
わたしの声は震えていた。
そこにあった光景――殿下とエリシアが、狭い仮眠室の中で二人きり。
涙で顔を濡らす彼女の肩に、殿下の手が触れている。
誰が見ても、それは密会だった。
殿下が慌てて手を離す。
「ローゼ、違う! これは……!」
「ち、違う……? どう見ても……!」
言葉が詰まり、胸が痛みで締めつけられる。
エリシアがわたしを見つめ、かすかに笑んだ。
「ローゼ様……殿下は、私に優しくしてくださっただけですわ」
その言葉が、さらに深く心を抉った。
(やっぱり……殿下は……)
涙が溢れそうになるのを必死で堪え、わたしは一歩後ずさった。
「……もう結構です。殿下」
そう告げる声は、かすれていた。
殿下が必死に手を伸ばす。
「待て、ローゼ! 誤解だ、話を――」
だが、わたしは振り返らずに廊下へ走り出た。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。
◇
廊下を駆け抜けながら、噂の声が耳の奥でこだまする。
「第一王子殿下は聖女さまと……」
「かわいそうなのはローゼ嬢だわ」
あの言葉が現実になったかのように思えた。
涙が頬を伝い、靴音が響く。
心は叫んでいた。
(信じたかったのに……どうして……!)
部屋に戻ると、わたしは鍵をかけ、背を扉に預けて崩れ落ちた。
涙が止まらない。嗚咽が漏れ、息が詰まる。
侍女が心配そうに声をかけてきたが、わたしは「放っておいて」と震える声で答えた。
誰にも会いたくなかった。誰の顔も見たくなかった。
(殿下……どうして……どうしてわたしじゃないの……?)
答えのない問いが胸を刺し続ける。
その瞬間だった。
わたしの視界に、見慣れたあの淡く光る文字が浮かび上がった。
――【スキル:引きこもりVER2】発動。
何が起きたのか、最初は理解できなかった。またあのスキルが発動したの?
けれど、体の奥から重く甘い眠気のような力が湧き、わたしを包み込んでいく。
誰とも会いたくない。
世界を遮断したい。
痛みから逃れたい。
そんな心の叫びに応じるかのように、扉の外の音が遠ざかり、部屋そのものが分厚い殻に覆われていく感覚がした。
気づけば、外からの声はもう聞こえなくなっていた。
扉を叩く音も、心配する声も。
まるで世界から切り離されたかのように、静寂が広がっていた。
わたしはベッドに身を投げ出し、枕を抱きしめる。
涙で濡れた顔を隠しながら、ただ震えていた。
(誰も……入ってこないで……お願い……)
それが、わたしの唯一の望みだった。
こうしてわたしは、自分の部屋に閉じこもり、世界から姿を消した。
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