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第39話 リリスとダンガー子爵の共演
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◆紅茶と策謀、そして“亡霊”の帰還◆
――リリス=ヴァレンタインの視点
午後の陽光が、ティーサロンのステンドグラスを優しく透かしていた。
窓際の丸テーブルには、熱い紅茶と焼きたてのマドレーヌ。
けれど、私はまったく手をつけていなかった。
「……どうすれば、カールはわたしを見直してくれると思う?」
思いつめた声で、目の前にいる友人――クラリッサ嬢に問いかける。
彼女は侯爵家の令嬢で、昔からの社交仲間。私の“恋愛作戦”にも何度か付き合ってくれていた。
「うーん……今さら“昔の婚約者”って立場だけで近づいても、警戒されるだけよ」
「そもそもリリス、あなた……あの時、カールを婚約破棄したじゃない」
「それは……そうだけど」
手元のティーカップをぎゅっと握る。
カール=キリト。私が過去に見限った男――だったはず。
でも、今では違う。
彼は戻ってきた。王都に。
“黒衣の剣聖”という名で、貴族や騎士たちの間でも話題になっている。
どこか哀愁を帯びた瞳で、人を惹きつけるようになった彼の噂を聞くたび、胸がざわついた。
(わたし……本当に間違ってたかもしれない)
昔は、彼の平民的な振る舞いや、地味な服装が恥ずかしかった。
でも、今思い返せば、それは彼なりの誠実さだったのだ。
「今のカールなら……王族にだって引けを取らない。むしろ、並び立つにふさわしいのは――わたしよ」
「……はぁ」クラリッサがため息をつく。
「それ、王家に片足突っ込んでる男に言うセリフじゃないと思うけど」
「でも、今の彼ならきっと……まだ、わたしのこと、少しは……」
「少しは?」
「……恋しく思ってくれてる、かも、しれないじゃない」
クラリッサが紅茶を口にしながら苦笑する。
「じゃあ、素直に謝ってみたら? 昔のことを全部認めて、正直に“やり直したい”って」
「……それができたら、苦労しないのよ」
悔しさと不安が入り混じったような気持ちを抱えながら、私は紅茶をすする。
でも、どうしても素直になれない。あのときのプライドが、どうしても邪魔をする。
(でも……今さら「好きでした」なんて、言えない)
「わたし、どうしたらいいの……」
そう呟いた瞬間だった。
――コツ、コツ、と高級ブーツの音が近づいてきた。
「あら、お客様? すみません、今は貸し切りで――」
店の奥から出てきた給仕がそう声をかけたときだった。
「問題ない。私が話したいのは、リリス嬢だけだ」
その声に、私は心臓が止まるかと思った。
(まさか……そんな、嘘でしょ……!?)
その男は、サロンの入り口に立っていた。
黒いマント、引き締まった頬。かつての栄華は見る影もない。
けれど――その鋭い瞳と、どこか狂気を帯びた笑みだけは、忘れるはずがなかった。
「……アベル……様……?」
私は、震える声で名前を呼んだ。
クラリッサが驚いて席を立つ。
「な、なに!? ちょっとリリス、この人――」
「……あなたは下がってて」
気づけば私は、自分でも驚くほど落ち着いた声を出していた。
彼に弱みを見せるわけにはいかない。
アベル=ダンガー――かつての婚約者。
そして、王都に破滅をもたらした男。
「久しぶりだね、リリス」
「随分と、美しくなったじゃないか……あの頃よりも」
「……今さら、何の用?」
アベルはゆっくりと席に歩み寄り、空いていた椅子に腰を下ろした。
紅茶には手をつけない。ただ、私を見つめる。
「カールと、また繋がろうとしているらしいな」
――その言葉に、全身が凍りついた。
(……どうして、それを……)
「まさか、まだ未練があるとは思っていなかったよ。あんなふうに彼を捨てたくせに」
「それは……っ」
言葉が喉に詰まる。
「だが、嬉しいよ、リリス」
「君がまだ“そういうクズ”だったことに、安堵している」
「……なにが言いたいの?」
アベルは、ゆっくりと立ち上がる。そして囁くように言った。
「俺と、話をしよう。君が本当に望んでいる“結末”が、どんなものか――教えてあげる」
その瞳には、どこか哀しみと、狂気と、そして執着が混ざっていた。
逃げられない。
そんな直感が、心を貫いた。
◆囁く声、過去に縋る影◆
――リリス=ヴァレンタインの視点
ティーサロンを出てすぐ、私はアベルと一緒に、王都の西にある古い路地裏に向かっていた。
彼が「人目を避けた方がいい」と言ったからだ。けれど、内心ではわかっていた。
(この男と二人きりになるのは、危険だと……)
でも、わたしは……怖いもの見たさのような気持ちを、完全には拭えなかった。
アベル=ダンガー――かつての婚約者。王都の貴族社会を揺るがした“失墜の貴公子”。
数年前の彼は、気高くて、知的で、そして社交界でも誰よりも洗練された男性だった。
わたしがカールと別れて、アベルと婚約したのは、正直言って「カールに平民の血が流れている」と知ったこともあるが、アベルが社交界では人気がある人物だったから。それでいて誰とも婚約していないまさに、話題の人物だったからだ。
カールと結婚すれば、ヴァレンタイン家に平民の血が入り、ほかの貴族の笑いものにされる。
一方、アベルならわたしが話の中心に押し上げてくれる人気者だ。
けれど――今の彼は罪に問われ、すべてを失った。
「ここでいいだろう。……誰にも邪魔されない」
古い廃屋の二階。埃っぽい空気と、薄暗い灯り。
椅子をすすめられたけれど、わたしは立ったまま、アベルを睨んだ。
「本題に入って。あなたがわたしに何をさせたいのか、それだけ聞きたい」
アベルは笑わなかった。むしろ、思ったよりも真剣な表情で、わたしを見ていた。
「――君には、カール=キリトの“心”をつかみ取ってほしい」
その一言に、空気が凍った。
「……は?」
「君ならできるだろう? だって、あいつはまだ、君に未練がある」
「そんな……」
私は絶句した。心のどこかで、それを願っていたくせに、他人の口からそれを言われると、どうしようもなく胸がざわついた。
「ふざけないで。わたしは……そんな道具みたいな扱い、されるつもりないわ」
「いや、違う。君は“鍵”なんだ、リリス」
「カール=キリトという男を完全に崩すには、君が必要なんだよ」
アベルはゆっくりと歩み寄ってくる。まるで、傷に手を伸ばす蛇のように。
「君が彼に甘い笑みを見せ、希望をちらつかせて……そして、突き放す」
「そうすれば、あいつはきっと、自分でも気づかない“空虚”に飲まれていく」
「……最低」
そう言い捨てようとしたけれど、なぜか声が震えていた。
頭の中では、もう何度も考えたことがあった。
カールに優しく微笑んで、すべてを水に流すような顔をして、彼を再び掌の中に戻す――そんな幻想を。
でも、それは愛じゃなかった。
きっと、ただの“執着”だ。
奪われたことが悔しかっただけ。自分の手から離れた男が、別の未来を歩いていることが、許せなかった。
「……でも、なかなかカールに会えないで、やや苦戦中なのかな」
「君は、魅力的だよ。それをさらに上げる方法を教えてあげよう」
アベルの声は、妙に優しかった。
「この香水を使えば、どんな男でもいちころだよ。ノルド魔法国からの特別性だからね」
「……香水って? ま、まさか」
「そう、媚薬だよ。これをカールに嗅がせるんだ。そうすれば、カールは君の虜になるだろう」
アベルの目は、どこか哀しげだった。
何かを失ったような人間にしかできない目をしていた。
「……もし、カールが私を受け入れてくれたら、あなたはどうするの?」
「そこは気にしなくても大丈夫。それよりもリリス、君自身のことを心配したまえ。カールは、銀髪の女性と一緒だったようだね」
「……っ……!」
アベルの言葉は鋭く、胸を抉ってくる。
(カールがわたし以外の女と……確かセリアと言ったわ。それも元王族……)
アベルは微笑んだ。
「さあ、リリス。もう一度、舞台に上がる時だ。君がこの物語の“主役”になる番だよ」
その言葉に、わたしは――自分の本音を感じて震えた。
愛されたい、憎まれたい、それとも、ただ“忘れられたくない”だけなのか。いえ、そんな気持ちよりも、ただあの女にカールが夢中なのが、許せなかった。
「……考えさせて、わたし、今……本当に自分が何をしたいのか、わからないの」
アベルは、わたしの返答を咎めることはなかった。
ただ、ゆっくりと身を翻し、背を向けた。
「いいだろう。だが、きっと、選ぶさ。君らしいやり方で。あ、そうだね、彼と会うときには、この香水をつけていくのをお勧めするよ。君の願いが叶う香水さ」
リリスが紫色の香水が入った小瓶を受けると、アベルの姿は、闇の中に溶けていった。
廃屋の窓から見えた空には、月が浮かんでいた。
美しく、冷たい――まるで誰かの視線のように。
――リリス=ヴァレンタインの視点
午後の陽光が、ティーサロンのステンドグラスを優しく透かしていた。
窓際の丸テーブルには、熱い紅茶と焼きたてのマドレーヌ。
けれど、私はまったく手をつけていなかった。
「……どうすれば、カールはわたしを見直してくれると思う?」
思いつめた声で、目の前にいる友人――クラリッサ嬢に問いかける。
彼女は侯爵家の令嬢で、昔からの社交仲間。私の“恋愛作戦”にも何度か付き合ってくれていた。
「うーん……今さら“昔の婚約者”って立場だけで近づいても、警戒されるだけよ」
「そもそもリリス、あなた……あの時、カールを婚約破棄したじゃない」
「それは……そうだけど」
手元のティーカップをぎゅっと握る。
カール=キリト。私が過去に見限った男――だったはず。
でも、今では違う。
彼は戻ってきた。王都に。
“黒衣の剣聖”という名で、貴族や騎士たちの間でも話題になっている。
どこか哀愁を帯びた瞳で、人を惹きつけるようになった彼の噂を聞くたび、胸がざわついた。
(わたし……本当に間違ってたかもしれない)
昔は、彼の平民的な振る舞いや、地味な服装が恥ずかしかった。
でも、今思い返せば、それは彼なりの誠実さだったのだ。
「今のカールなら……王族にだって引けを取らない。むしろ、並び立つにふさわしいのは――わたしよ」
「……はぁ」クラリッサがため息をつく。
「それ、王家に片足突っ込んでる男に言うセリフじゃないと思うけど」
「でも、今の彼ならきっと……まだ、わたしのこと、少しは……」
「少しは?」
「……恋しく思ってくれてる、かも、しれないじゃない」
クラリッサが紅茶を口にしながら苦笑する。
「じゃあ、素直に謝ってみたら? 昔のことを全部認めて、正直に“やり直したい”って」
「……それができたら、苦労しないのよ」
悔しさと不安が入り混じったような気持ちを抱えながら、私は紅茶をすする。
でも、どうしても素直になれない。あのときのプライドが、どうしても邪魔をする。
(でも……今さら「好きでした」なんて、言えない)
「わたし、どうしたらいいの……」
そう呟いた瞬間だった。
――コツ、コツ、と高級ブーツの音が近づいてきた。
「あら、お客様? すみません、今は貸し切りで――」
店の奥から出てきた給仕がそう声をかけたときだった。
「問題ない。私が話したいのは、リリス嬢だけだ」
その声に、私は心臓が止まるかと思った。
(まさか……そんな、嘘でしょ……!?)
その男は、サロンの入り口に立っていた。
黒いマント、引き締まった頬。かつての栄華は見る影もない。
けれど――その鋭い瞳と、どこか狂気を帯びた笑みだけは、忘れるはずがなかった。
「……アベル……様……?」
私は、震える声で名前を呼んだ。
クラリッサが驚いて席を立つ。
「な、なに!? ちょっとリリス、この人――」
「……あなたは下がってて」
気づけば私は、自分でも驚くほど落ち着いた声を出していた。
彼に弱みを見せるわけにはいかない。
アベル=ダンガー――かつての婚約者。
そして、王都に破滅をもたらした男。
「久しぶりだね、リリス」
「随分と、美しくなったじゃないか……あの頃よりも」
「……今さら、何の用?」
アベルはゆっくりと席に歩み寄り、空いていた椅子に腰を下ろした。
紅茶には手をつけない。ただ、私を見つめる。
「カールと、また繋がろうとしているらしいな」
――その言葉に、全身が凍りついた。
(……どうして、それを……)
「まさか、まだ未練があるとは思っていなかったよ。あんなふうに彼を捨てたくせに」
「それは……っ」
言葉が喉に詰まる。
「だが、嬉しいよ、リリス」
「君がまだ“そういうクズ”だったことに、安堵している」
「……なにが言いたいの?」
アベルは、ゆっくりと立ち上がる。そして囁くように言った。
「俺と、話をしよう。君が本当に望んでいる“結末”が、どんなものか――教えてあげる」
その瞳には、どこか哀しみと、狂気と、そして執着が混ざっていた。
逃げられない。
そんな直感が、心を貫いた。
◆囁く声、過去に縋る影◆
――リリス=ヴァレンタインの視点
ティーサロンを出てすぐ、私はアベルと一緒に、王都の西にある古い路地裏に向かっていた。
彼が「人目を避けた方がいい」と言ったからだ。けれど、内心ではわかっていた。
(この男と二人きりになるのは、危険だと……)
でも、わたしは……怖いもの見たさのような気持ちを、完全には拭えなかった。
アベル=ダンガー――かつての婚約者。王都の貴族社会を揺るがした“失墜の貴公子”。
数年前の彼は、気高くて、知的で、そして社交界でも誰よりも洗練された男性だった。
わたしがカールと別れて、アベルと婚約したのは、正直言って「カールに平民の血が流れている」と知ったこともあるが、アベルが社交界では人気がある人物だったから。それでいて誰とも婚約していないまさに、話題の人物だったからだ。
カールと結婚すれば、ヴァレンタイン家に平民の血が入り、ほかの貴族の笑いものにされる。
一方、アベルならわたしが話の中心に押し上げてくれる人気者だ。
けれど――今の彼は罪に問われ、すべてを失った。
「ここでいいだろう。……誰にも邪魔されない」
古い廃屋の二階。埃っぽい空気と、薄暗い灯り。
椅子をすすめられたけれど、わたしは立ったまま、アベルを睨んだ。
「本題に入って。あなたがわたしに何をさせたいのか、それだけ聞きたい」
アベルは笑わなかった。むしろ、思ったよりも真剣な表情で、わたしを見ていた。
「――君には、カール=キリトの“心”をつかみ取ってほしい」
その一言に、空気が凍った。
「……は?」
「君ならできるだろう? だって、あいつはまだ、君に未練がある」
「そんな……」
私は絶句した。心のどこかで、それを願っていたくせに、他人の口からそれを言われると、どうしようもなく胸がざわついた。
「ふざけないで。わたしは……そんな道具みたいな扱い、されるつもりないわ」
「いや、違う。君は“鍵”なんだ、リリス」
「カール=キリトという男を完全に崩すには、君が必要なんだよ」
アベルはゆっくりと歩み寄ってくる。まるで、傷に手を伸ばす蛇のように。
「君が彼に甘い笑みを見せ、希望をちらつかせて……そして、突き放す」
「そうすれば、あいつはきっと、自分でも気づかない“空虚”に飲まれていく」
「……最低」
そう言い捨てようとしたけれど、なぜか声が震えていた。
頭の中では、もう何度も考えたことがあった。
カールに優しく微笑んで、すべてを水に流すような顔をして、彼を再び掌の中に戻す――そんな幻想を。
でも、それは愛じゃなかった。
きっと、ただの“執着”だ。
奪われたことが悔しかっただけ。自分の手から離れた男が、別の未来を歩いていることが、許せなかった。
「……でも、なかなかカールに会えないで、やや苦戦中なのかな」
「君は、魅力的だよ。それをさらに上げる方法を教えてあげよう」
アベルの声は、妙に優しかった。
「この香水を使えば、どんな男でもいちころだよ。ノルド魔法国からの特別性だからね」
「……香水って? ま、まさか」
「そう、媚薬だよ。これをカールに嗅がせるんだ。そうすれば、カールは君の虜になるだろう」
アベルの目は、どこか哀しげだった。
何かを失ったような人間にしかできない目をしていた。
「……もし、カールが私を受け入れてくれたら、あなたはどうするの?」
「そこは気にしなくても大丈夫。それよりもリリス、君自身のことを心配したまえ。カールは、銀髪の女性と一緒だったようだね」
「……っ……!」
アベルの言葉は鋭く、胸を抉ってくる。
(カールがわたし以外の女と……確かセリアと言ったわ。それも元王族……)
アベルは微笑んだ。
「さあ、リリス。もう一度、舞台に上がる時だ。君がこの物語の“主役”になる番だよ」
その言葉に、わたしは――自分の本音を感じて震えた。
愛されたい、憎まれたい、それとも、ただ“忘れられたくない”だけなのか。いえ、そんな気持ちよりも、ただあの女にカールが夢中なのが、許せなかった。
「……考えさせて、わたし、今……本当に自分が何をしたいのか、わからないの」
アベルは、わたしの返答を咎めることはなかった。
ただ、ゆっくりと身を翻し、背を向けた。
「いいだろう。だが、きっと、選ぶさ。君らしいやり方で。あ、そうだね、彼と会うときには、この香水をつけていくのをお勧めするよ。君の願いが叶う香水さ」
リリスが紫色の香水が入った小瓶を受けると、アベルの姿は、闇の中に溶けていった。
廃屋の窓から見えた空には、月が浮かんでいた。
美しく、冷たい――まるで誰かの視線のように。
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