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第39話 情報屋“ヴェルト” 奴は、損得勘定で動かない
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「加えて、情報屋“ヴェルト”が現地で合流する手筈になっている。道案内と支援のために配置した」
その名が告げられた瞬間、エリーゼは微かに目を見開いた。
「“仮面の案内人”……なかなか渋い選択ね」
笑みを浮かべながら、しかしその声はどこか硬さを帯びていた。彼女の脳裏に、数年前の記憶が鮮明に甦っていた。
まだ王国の第一王子との婚約が成立していた頃、彼女は未来の王妃候補として様々な教育を受けていた。剣の修練の傍ら、政務、外交、暗号解読、礼儀作法、さらには諜報術――王妃とはただ王の隣に立つ飾りではなく、国の安定を支える柱でもあると教えられていた。
だからこそ、王城の書庫や密室で開かれる秘密裏の講義に呼ばれることも少なくなかった。
彼と出会ったのは、そんな日の一つだった。
(あのときの仮面の男……まさか、また会うことになるなんて)
エリーゼは視線を落とす。彼は確かに、当時から只者ではなかった。
黒衣に銀の仮面をつけ、無表情のようでいて、何かを探っているような目。
そして一切の所属を明かさず、しかし王族すら黙って耳を傾けるほどの情報を持っていた。
「気をつけなさい。彼は便利だが、信用しすぎると足をすくわれる」
エルシアの忠告に、エリーゼはふっと息を吐いた。
「大丈夫。あの人の嘘と本音くらい、見抜ける自信あるから」
その言葉は、自分に言い聞かせるようでもあった。
“ヴェルト”――どこの国にも属さず、ただ情報を売り、生き延びることを選んだ男。
彼は冷静で合理的だったが、同時に奇妙な情を感じさせる一面もあった。
(あのとき、わたしが父の密書を見破れずにいたら、たぶん、わたしはあのまま……)
それは思い出すのも癪な過去だった。
王妃候補のひとりが、エリーゼの婚約を引きずり下ろそうと裏工作をしていたとき。エリーゼがその陰謀に巻き込まれかけた際、“仮面の案内人”は奇妙なタイミングで接触してきた。
「その書類、印影が二重になっている。“彼”の書斎で本物を確かめてみるといい」
冷淡にそう言い放った男の言葉は真実だった。彼のおかげで、王家の内部腐敗の一端を掴むことができたのだ。
だが、見返りは何も求めなかった。
(いや、違う。求めなかった“ように見せかけていた”)
ヴェルトの目的は、その後もずっと霧の中だった。金のためでも、権力のためでもない。ならば――何のために、あんな危険な綱渡りをしているのか。
「奴は、損得勘定で動かない」
エリーゼは小さく呟くように言った。
マスキュラ―が不思議そうに彼女を見た。
「どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。利益のためなら、もっと安全で儲かる依頼だけ受けてるはず。でもあの人は……ときどき、“本当に不利な場所”に姿を見せる。誰にも気づかれないように、まるで――」
「何かの“意志”に従ってるみたい、ってこと?」
そう口を挟んだのは、珍しく神妙な顔のアリスターだった。
金色の前髪を指でかき上げながら、鏡のように整った顔に思案の色を浮かべていた。
「案外、ボクたちよりもずっと“何か大きなもの”を見ているのかもしれないな、あの人は」
「拙者……ちょっと怖くなってきたでござる」
ダリルが自分のローブの袖を握りしめた。彼の目に、仮面の案内人の姿は影そのものだったのだろう。
「けどさ。そんなヤツが、今回は味方ってわけだ」
マスキュラ―が豪快に笑って肩を叩いた。
「いいじゃねぇか。敵に回すと厄介な奴ほど、味方なら頼もしい。そういうもんだろ?」
「そうだね。少なくとも、ダンジョンで道に迷うことはない。――信用はできなくても、利用することはできる」
エリーゼの声には、かすかに冷たさが混じっていた。それは少女のものではなく、幾多の戦場をくぐり抜けた剣士の声だった。
(わたしは知っている。あの人がただの案内人じゃないってことを)
ヴェルトは仮面を被っている。それは彼の素顔を隠すためではない。おそらく彼は、自分自身の正体――そして目的――すら隠す必要があるほど、危うい立場にいるのだ。
ギルドマスター・エルシアもまた、そのことを知っているのだろう。彼女の瞳は、何かを測りかねているような、遠くを見据える目。
「エルシア、ありがとう」
エリーゼが言った。その言葉には、ギルドマスターとしての采配だけでなく、あの男を“ここで繋いでくれた”ことへの感謝も含まれていた。
「礼を言われる筋合いはないわ。勝手に選んだのはあたしよ」
エルシアは、そう言って背もたれに身を預けた。
光が窓の外に差し込んでいた。空は高く、雲は流れていく。
その中に、仮面の男の影があるように、エリーゼには思えた。
その名が告げられた瞬間、エリーゼは微かに目を見開いた。
「“仮面の案内人”……なかなか渋い選択ね」
笑みを浮かべながら、しかしその声はどこか硬さを帯びていた。彼女の脳裏に、数年前の記憶が鮮明に甦っていた。
まだ王国の第一王子との婚約が成立していた頃、彼女は未来の王妃候補として様々な教育を受けていた。剣の修練の傍ら、政務、外交、暗号解読、礼儀作法、さらには諜報術――王妃とはただ王の隣に立つ飾りではなく、国の安定を支える柱でもあると教えられていた。
だからこそ、王城の書庫や密室で開かれる秘密裏の講義に呼ばれることも少なくなかった。
彼と出会ったのは、そんな日の一つだった。
(あのときの仮面の男……まさか、また会うことになるなんて)
エリーゼは視線を落とす。彼は確かに、当時から只者ではなかった。
黒衣に銀の仮面をつけ、無表情のようでいて、何かを探っているような目。
そして一切の所属を明かさず、しかし王族すら黙って耳を傾けるほどの情報を持っていた。
「気をつけなさい。彼は便利だが、信用しすぎると足をすくわれる」
エルシアの忠告に、エリーゼはふっと息を吐いた。
「大丈夫。あの人の嘘と本音くらい、見抜ける自信あるから」
その言葉は、自分に言い聞かせるようでもあった。
“ヴェルト”――どこの国にも属さず、ただ情報を売り、生き延びることを選んだ男。
彼は冷静で合理的だったが、同時に奇妙な情を感じさせる一面もあった。
(あのとき、わたしが父の密書を見破れずにいたら、たぶん、わたしはあのまま……)
それは思い出すのも癪な過去だった。
王妃候補のひとりが、エリーゼの婚約を引きずり下ろそうと裏工作をしていたとき。エリーゼがその陰謀に巻き込まれかけた際、“仮面の案内人”は奇妙なタイミングで接触してきた。
「その書類、印影が二重になっている。“彼”の書斎で本物を確かめてみるといい」
冷淡にそう言い放った男の言葉は真実だった。彼のおかげで、王家の内部腐敗の一端を掴むことができたのだ。
だが、見返りは何も求めなかった。
(いや、違う。求めなかった“ように見せかけていた”)
ヴェルトの目的は、その後もずっと霧の中だった。金のためでも、権力のためでもない。ならば――何のために、あんな危険な綱渡りをしているのか。
「奴は、損得勘定で動かない」
エリーゼは小さく呟くように言った。
マスキュラ―が不思議そうに彼女を見た。
「どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。利益のためなら、もっと安全で儲かる依頼だけ受けてるはず。でもあの人は……ときどき、“本当に不利な場所”に姿を見せる。誰にも気づかれないように、まるで――」
「何かの“意志”に従ってるみたい、ってこと?」
そう口を挟んだのは、珍しく神妙な顔のアリスターだった。
金色の前髪を指でかき上げながら、鏡のように整った顔に思案の色を浮かべていた。
「案外、ボクたちよりもずっと“何か大きなもの”を見ているのかもしれないな、あの人は」
「拙者……ちょっと怖くなってきたでござる」
ダリルが自分のローブの袖を握りしめた。彼の目に、仮面の案内人の姿は影そのものだったのだろう。
「けどさ。そんなヤツが、今回は味方ってわけだ」
マスキュラ―が豪快に笑って肩を叩いた。
「いいじゃねぇか。敵に回すと厄介な奴ほど、味方なら頼もしい。そういうもんだろ?」
「そうだね。少なくとも、ダンジョンで道に迷うことはない。――信用はできなくても、利用することはできる」
エリーゼの声には、かすかに冷たさが混じっていた。それは少女のものではなく、幾多の戦場をくぐり抜けた剣士の声だった。
(わたしは知っている。あの人がただの案内人じゃないってことを)
ヴェルトは仮面を被っている。それは彼の素顔を隠すためではない。おそらく彼は、自分自身の正体――そして目的――すら隠す必要があるほど、危うい立場にいるのだ。
ギルドマスター・エルシアもまた、そのことを知っているのだろう。彼女の瞳は、何かを測りかねているような、遠くを見据える目。
「エルシア、ありがとう」
エリーゼが言った。その言葉には、ギルドマスターとしての采配だけでなく、あの男を“ここで繋いでくれた”ことへの感謝も含まれていた。
「礼を言われる筋合いはないわ。勝手に選んだのはあたしよ」
エルシアは、そう言って背もたれに身を預けた。
光が窓の外に差し込んでいた。空は高く、雲は流れていく。
その中に、仮面の男の影があるように、エリーゼには思えた。
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