婚約者を姉に奪われ、婚約破棄されたエリーゼは、王子殿下に国外追放されて捨てられた先は、なんと魔獣がいる森。そこから大逆転するしかない?怒りの

山田 バルス

文字の大きさ
99 / 179

第99話 クラリスのウエディングドレス

しおりを挟む
夕暮れのマケドニアの教会は、静謐な空気に包まれていた。窓から射し込む金色の光が、祭壇を照らし、石造りの壁に長い影を落としている。

 その片隅、木製の椅子に座ったダリルは、礼拝堂の奥にある文書の束に目を通していた。聖職者としての務めを果たす準備――明日、アリスターとエリーゼの婚礼を司ること。それは彼にとって、救いにも似た意味を持っていた。

 そんな静けさを破るように、重い扉がきぃと音を立てて開いた。

 「……いるか、ダリル」

 声の主はマスキュラー。黒髪を後ろで束ねた屈強な剣士が、戸口に立っていた。珍しく、表情は真剣そのものだ。

 「おお、マスキュラー殿。こんな時間に、どうなされた」

 「ちょっと、相談があってな。明日のことなんだが……」

 マスキュラーは無骨な手で後頭部をかきながら、椅子のひとつに腰を下ろした。

 「エリーゼのドレスのことだ。まだ準備できてねぇって話でな。正直、今から新しく用意するのは厳しいだろう。どうにかならねぇかと思って……」

 「ふむ。……それならば、心当たりがある」

 ダリルはそう言うと、立ち上がって礼拝堂の奥へ歩き出す。古びた扉を開け、階段を下りた先にある収納室。その中には、古の品々が静かに眠っていた。

 「この教会には、代々の聖女が使っていた儀式用の衣装が保管されている。だが――」

 彼はひときわ大きな木箱の前で立ち止まり、蓋を開いた。

 中には、まるで時を止めたかのように美しい純白のドレスがあった。繊細な刺繍に、銀糸の縁取り。布地には星を象った文様が浮かび、見る者に清らかな印象を与える。

 「これは、かつて聖女クラリスが“役目の後”に着るために用意したものだ」

 「聖女……クラリス?」

 マスキュラーは聞き覚えのある名に、眉をひそめた。

 「彼女はこの教会が最後に任命した“本物”の聖女だった。魔族との戦いが激化する以前、癒しと祈りの象徴として、人々に希望を与えていた。しかし彼女は“自らの意志”でその役目を退いた。そして……人として生きようとした」

 「その時の……婚約者のためのドレスか」

 「いや。正確には、彼女は誰とも婚約していなかった」

 ダリルの声に、一瞬の沈黙が走る。

 「……じゃあ、相手は?」

 「数名、候補がいた。その中には、拙者もいたのだ」

 マスキュラーは驚きに目を見開いた。

 「おまえが……?」

 「拙者は、彼女の“癒し”の時間を支えていた。あくまで、神官として。だが……聖女アイリスは、時折拙者にだけ、弱いところを見せてくれた」

 ダリルの眼鏡の奥の瞳が、過去を見つめていた。

 「ある日、彼女は言った。『もし、世界が平和になったら……そのときは、あなたと旅がしたい』と。それは、拙者にとって――唯一の希望だった」

 「……」

 「だが、彼女は魔族に“取り込まれた”とされ、火刑に処された」

 その言葉には、重い苦味があった。悔い、怒り、悲しみ。それらすべてを噛み締めた者の声音だった。

 「このドレスは、彼女が最後に遺したものだ。未使用のまま、ずっとここに」

 マスキュラーは、神妙な面持ちでドレスに目を落とした。

 「それを……エリーゼに?」

 「ああ。彼女ならば、きっと似合う。聖女が“人として”生きようと願ったその証を、今度こそ結ばれる者たちに託したい」

 ドレスの布地が、微かに揺れた。まるで、その願いを祝福するかのように。

 「……ありがとな、ダリル」

 「礼には及ばぬ。だが……ひとつだけ、頼みがある」

 「ん?」

 「このことは、エリーゼ殿には伝えぬでくれ。彼女は、自分の幸せのためにこのドレスを着るのだ。その背後に、悲しみの影があることは、今は知らなくてよい」

 マスキュラーは一つ頷き、静かに答えた。

 「ああ。わかってる。あいつは今、ようやく手に入れたんだ。自分の幸せを、信じていいっていう時間を」

 二人はしばし、沈黙の中でそのドレスを見つめた。祈りの名残と、祝福の前触れが重なり合うように。

 やがて、階段の上から少女たちの声が聞こえてきた。

 「ねぇ、ドレスってどんなの着るんだろうね?」

 「きっとすっごく可愛いよ! エリーゼさんなら絶対似合うし!」

 「アリスター様の反応が楽しみ~!」

 数人の村娘たちが、明日の式の噂話で盛り上がっているのだろう。無邪気な声が、礼拝堂に響く。

 「……さて。着せるなら、手入れが必要だな。クラリスの想いごと、しっかりと渡してやらねぇとな」

 マスキュラーがそう言って、ドレスに手を伸ばした。

 その手つきは、まるで何かを護るように、慎重で、優しかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ
ファンタジー
追放悪役令嬢の薬学スローライフ ~断罪されたら、そこは未知の薬草宝庫(ランクS)でした。知識チートでポーション作ってたら、王都のパンデミックを救う羽目に~ -第二部(11章~20章)追加しました- 【あらすじ】 「貴様を追放する! 魔物の巣窟『霧深き森』で、朽ち果てるがいい!」 王太子の婚約者ソフィアは、卒業パーティーで断罪された。 しかし、その顔に絶望はなかった。なぜなら、その「断罪劇」こそが、彼女の完璧な計画だったからだ。 彼女の魂は、前世で薬学研究に没頭し過労死した、日本の研究者。 王妃の座も権力闘争も、彼女には退屈な枷でしかない。 彼女が求めたのはただ一つ——誰にも邪魔されず、未知の植物を研究できる「アトリエ」だった。 追放先『霧深き森』は「死の土地」。 だが、チート能力【植物図鑑インターフェイス】を持つソフィアにとって、そこは未知の薬草が群生する、最高の「研究フィールド(ランクS)」だった! 石造りの廃屋を「アトリエ」に改造し、ガラクタから蒸留器を自作。村人を救い、薬師様と慕われ、理想のスローライフ(研究生活)が始まる。 だが、その平穏は長く続かない。 王都では、王宮薬師長の陰謀により、聖女の奇跡すら効かないパンデミック『紫死病』が発生していた。 ソフィアが開発した『特製回復ポーション』の噂が王都に届くとき、彼女の「研究成果」を巡る、新たな戦いが幕を開ける——。 【主な登場人物】 ソフィア・フォン・クライネルト 本作の主人公。元・侯爵令嬢。魂は日本の薬学研究者。 合理的かつ冷徹な思考で、スローライフ(研究)を妨げる障害を「薬学」で排除する。未知の薬草の解析が至上の喜び。 ギルバート・ヴァイス 王宮魔術師団・研究室所属の魔術師。 ソフィアの「科学(薬学)」に魅了され、助手(兼・共同研究者)としてアトリエに入り浸る知的な理解者。 アルベルト王太子 ソフィアの元婚約者。愚かな「正義」でソフィアを追放した張本人。王都の危機に際し、薬を強奪しに来るが……。 リリア 無力な「聖女」。アルベルトに庇護されるが、本物の災厄の前では無力な「駒」。 ロイド・バルトロメウス 『天秤と剣(スケイル&ソード)商会』の会頭。ソフィアに命を救われ、彼女の「薬学」の価値を見抜くビジネスパートナー。 【読みどころ】 「悪役令嬢追放」から始まる、痛快な「ざまぁ」展開! そして、知識チートを駆使した本格的な「薬学(ものづくり)」と、理想の「アトリエ」開拓。 科学と魔法が融合し、パンデミックというシリアスな災厄に立ち向かう、読み応え抜群の薬学ファンタジーをお楽しみください。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結 新作 【あやかしたちのとまり木の日常】 連載開始しました。

離婚したので冒険者に復帰しようと思います。

黒蜜きな粉
ファンタジー
元冒険者のアラサー女のライラが、離婚をして冒険者に復帰する話。 ライラはかつてはそれなりに高い評価を受けていた冒険者。 というのも、この世界ではレアな能力である精霊術を扱える精霊術師なのだ。 そんなものだから復職なんて余裕だと自信満々に思っていたら、休職期間が長すぎて冒険者登録試験を受けなおし。 周囲から過去の人、BBA扱いの前途多難なライラの新生活が始まる。 2022/10/31 第15回ファンタジー小説大賞、奨励賞をいただきました。 応援ありがとうございました!

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

この野菜は悪役令嬢がつくりました!

真鳥カノ
ファンタジー
幼い頃から聖女候補として育った公爵令嬢レティシアは、婚約者である王子から突然、婚約破棄を宣言される。 花や植物に『恵み』を与えるはずの聖女なのに、何故か花を枯らしてしまったレティシアは「偽聖女」とまで呼ばれ、どん底に落ちる。 だけどレティシアの力には秘密があって……? せっかくだからのんびり花や野菜でも育てようとするレティシアは、どこでもやらかす……! レティシアの力を巡って動き出す陰謀……? 色々起こっているけれど、私は今日も野菜を作ったり食べたり忙しい! 毎日2〜3回更新予定 だいたい6時30分、昼12時頃、18時頃のどこかで更新します!

『「毒草師」と追放された私、実は本当の「浄化の聖女」でした。瘴気の森を開拓して、モフモフのコハクと魔王様と幸せになります。』

とびぃ
ファンタジー
【全体的に修正しました】 アステル王国の伯爵令嬢にして王宮園芸師のエリアーナは、「植物の声を聴く」特別な力で、聖女レティシアの「浄化」の儀式を影から支える重要な役割を担っていた。しかし、その力と才能を妬んだ偽りの聖女レティシアと、彼女に盲信する愚かな王太子殿下によって、エリアーナは「聖女を不快にさせた罪」という理不尽極まりない罪状と「毒草師」の汚名を着せられ、生きては戻れぬ死の地──瘴気の森へと追放されてしまう。 聖域の発見と運命の出会い 絶望の淵で、エリアーナは自らの「植物の力を引き出す」力が、瘴気を無効化する「聖なる盾」となることに気づく。森の中で清浄な小川を見つけ、そこで自らの力と知識を惜しみなく使い、泥だらけの作業着のまま、生きるための小さな「聖域」を作り上げていく。そして、運命はエリアーナに最愛の家族を与える。瘴気の澱みで力尽きていた伝説の聖獣カーバンクルを、彼女の浄化の力と薬草師の知識で救出。エリアーナは、そのモフモフな聖獣にコハクと名付け、最強の相棒を得る。 魔王の渇望、そして求婚へ 最高のざまぁと、深い愛と、モフモフな癒やしが詰まった、大逆転ロマンスファンタジー、堂々開幕!

処理中です...