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第111話 ダリルと姫 神の声を聞いた
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午後の陽射しが尖塔の影を長く落とす頃、ダリルは王都の旧聖堂街に足を踏み入れていた。
すでに聖教国を追放され、神殿に籍を持たぬ身となった今、堂々とここに立つことは禁じられている。それでも彼がこの地を訪れたのには理由があった。
「……拙者の古い“恩人”が、この街に留まっているはず」
かつて修道士として神学と諜報技術の両方を学んだ学び舎。表向きは慈善施設だったが、裏では王家や教会の情報を密かに集める役目も果たしていた。その中でも、彼が特に敬意を抱いていた人物――“語り部のクラウス”の名を思い出す。
――あの方なら、王宮の裏事情にも詳しいはず。
石畳の奥、廃墟同然の旧学院に足を踏み入れると、微かな線香の香りが鼻をついた。埃に覆われた廊下の奥から、読経のような低い声が聞こえてくる。
「……まさか、ダリル坊主か? まだ首がついていたとはな」
陰気な笑いと共に、痩せた白髪の男が姿を現した。クラウス――ダリルが神官見習いだった頃、密かに情報分析と暗号解読を教えてくれた人物だ。
「はい。恩師殿の御助言を、もう一度拝聴したく……」
「よかろう。誰かを探しているのか? それとも“誰かに見られている”のか?」
「両方であります」
皮肉めいたやりとりの後、クラウスはダリルを古びた書庫に案内した。そこは未整理の報告書や告解の写本が雑然と積まれ、どこか禍々しささえ漂う空間だった。
「最近、“王女ルシア殿”が妙に動いておるという噂がある。“誰か”と接触を図っておるらしいが、相手がわからん。おそらくは……紅の仮面の関係者か、あるいは――」
「神殿派の残党、でしょうか」
「あるいは反王政派かもしれん。いずれにせよ、書簡がいくつか回っておる。私が手を回して入手したものが、これだ」
クラウスは机の引き出しから、古びた封蝋がされた手紙を差し出した。
「封を開ける前に一つ忠告しておこう。中身は“人を疑わせるための書き方”がされている。つまり、真実とは限らん」
「それでも、読む価値はあるでしょう」
蝋封を慎重に剥がし、羊皮紙の中身を広げる。そこには、優雅な筆致で以下のように記されていた。
『貴女の“声”に呼応する者がいる。夜半、月影の小聖堂にて待つ。
祈りを装い、警護は減らせ。貴女の使命が変わらぬなら、我らは力を貸す。』
「“声”……“使命”……。どこか聖女めいた言い回しですな」
「ルシア王女は“神の声を聞いた”と一時期騒がれたことがあった。宮廷内でも、一部の神官と親しくしていたようだ」
「では、これは王女殿が自ら出した文ではなく、“彼女宛てに届いたもの”か……?」
「その可能性が高い」
ダリルは手紙を羊皮紙の内ポケットに丁寧に収めた。もう一つの確信を得るために、次に向かうべき場所があった。
日も沈み、王都の夜が始まる頃、ダリルは南側の庶民街にある“緋色の灯”と呼ばれる古い宿屋を訪れた。
ここには、かつて神殿を追放された隠れ神官たちが時折集まり、情報を交換していた。今では廃れていたが、まだ誰かが残っているかもしれない。
「……ダリル様ではありませんか」
小声で呼び止められたのは、かつて神殿で記録係をしていた女性だった。今は給仕として宿に身を置いている。
「ルシア王女の件で聞きたい。最近、彼女がどこかに極秘で出かけたという話を――」
「あ……それなら、三日前に目撃が。仮面をつけた兵士が、深夜に馬車で何者かを護送していました。目的地は“小聖堂”。でも不思議なのです。王女付きの侍女が一人、あのとき姿を消していて……それが戻っていないとか」
「消えた侍女……それも“口封じ”でしょうか」
「それは……でも、王女様は、悪いお方ではありません。民のために、よく涙を流されていたと聞きます……」
その言葉が、ダリルの胸に突き刺さる。
――聖女クラリスもそうだった。優しさゆえに、世界の矛盾に踏み込んだ。
ならば、ルシア王女も――何か大きな真実を知ってしまったのかもしれない。
宿を出ると、夜空に三日月がかかっていた。ダリルは静かに息を吐くと、懐から手紙を取り出し、仲間に報せるべく歩き出した。
「……拙者も、妙な報せを受けました」
彼の声は静かだったが、その瞳の奥には、かつてないほどの警戒と覚悟が宿っていた。
すでに聖教国を追放され、神殿に籍を持たぬ身となった今、堂々とここに立つことは禁じられている。それでも彼がこの地を訪れたのには理由があった。
「……拙者の古い“恩人”が、この街に留まっているはず」
かつて修道士として神学と諜報技術の両方を学んだ学び舎。表向きは慈善施設だったが、裏では王家や教会の情報を密かに集める役目も果たしていた。その中でも、彼が特に敬意を抱いていた人物――“語り部のクラウス”の名を思い出す。
――あの方なら、王宮の裏事情にも詳しいはず。
石畳の奥、廃墟同然の旧学院に足を踏み入れると、微かな線香の香りが鼻をついた。埃に覆われた廊下の奥から、読経のような低い声が聞こえてくる。
「……まさか、ダリル坊主か? まだ首がついていたとはな」
陰気な笑いと共に、痩せた白髪の男が姿を現した。クラウス――ダリルが神官見習いだった頃、密かに情報分析と暗号解読を教えてくれた人物だ。
「はい。恩師殿の御助言を、もう一度拝聴したく……」
「よかろう。誰かを探しているのか? それとも“誰かに見られている”のか?」
「両方であります」
皮肉めいたやりとりの後、クラウスはダリルを古びた書庫に案内した。そこは未整理の報告書や告解の写本が雑然と積まれ、どこか禍々しささえ漂う空間だった。
「最近、“王女ルシア殿”が妙に動いておるという噂がある。“誰か”と接触を図っておるらしいが、相手がわからん。おそらくは……紅の仮面の関係者か、あるいは――」
「神殿派の残党、でしょうか」
「あるいは反王政派かもしれん。いずれにせよ、書簡がいくつか回っておる。私が手を回して入手したものが、これだ」
クラウスは机の引き出しから、古びた封蝋がされた手紙を差し出した。
「封を開ける前に一つ忠告しておこう。中身は“人を疑わせるための書き方”がされている。つまり、真実とは限らん」
「それでも、読む価値はあるでしょう」
蝋封を慎重に剥がし、羊皮紙の中身を広げる。そこには、優雅な筆致で以下のように記されていた。
『貴女の“声”に呼応する者がいる。夜半、月影の小聖堂にて待つ。
祈りを装い、警護は減らせ。貴女の使命が変わらぬなら、我らは力を貸す。』
「“声”……“使命”……。どこか聖女めいた言い回しですな」
「ルシア王女は“神の声を聞いた”と一時期騒がれたことがあった。宮廷内でも、一部の神官と親しくしていたようだ」
「では、これは王女殿が自ら出した文ではなく、“彼女宛てに届いたもの”か……?」
「その可能性が高い」
ダリルは手紙を羊皮紙の内ポケットに丁寧に収めた。もう一つの確信を得るために、次に向かうべき場所があった。
日も沈み、王都の夜が始まる頃、ダリルは南側の庶民街にある“緋色の灯”と呼ばれる古い宿屋を訪れた。
ここには、かつて神殿を追放された隠れ神官たちが時折集まり、情報を交換していた。今では廃れていたが、まだ誰かが残っているかもしれない。
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