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第四章 魔導国首都ヘレネス

4-5 女神との遭遇

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 魔術大学構内にある大学図書館を訪れたロウたちは、ヤームルの案内の下入館手続きを行っていた。

(やはり武装解除があるのですね。構内で持ち歩けたので、ここでも無いものかと思っていましたが)
(また暇で仕方がない待ち時間か)

(そう言うなって。今日はじっくり見るわけじゃないし、軽く見て回ったら帰ってくるからさ)

 留守番と知るや急激に不機嫌となる曲刀たち。

 それを如何にも適当な言葉でなだめたロウは、彼らを職員に預け先に入っていた少女たちの後を追う。

「ほほぉ~。本棚が綺麗に並んでいますね」

 閲覧えつらん室へと足を踏み入れた少年は、二階部分まで吹き抜け構造となった大広間に出迎えられた。

 壁側だけでなく部屋の中心にも整然と立ち並ぶ書架群。そこには一つ一つの棚に数字が彫られており、入り口側にある受付カウンターの案内図と照らし合わせることで、簡単に探し求める本のある棚を見つけることが出来るようになっている。

 神の眷属けんぞくグラウクス任せのボルドー大図書館と比べ、対照的な整然さであった。

「ボルドーとは構造が随分異なるな。奥へ奥へと棚が並んでいるのか」
「むしろボルドー大図書館は特別な例といいますか。円形ホール状の閲覧室よりは、長方形の部屋をとることの方が多いようですね」
「ほう、そういうものなのか。しからばエスリウよ、例の大英雄の本を探しに行くぞ」
「うふふ、そう焦らなくても本は逃げませんよ」

 広々とした閲覧室を眺め興味深げに頷いていたセルケトは、探し求める本を読んだことがあるというエスリウを伴って、書架の間をずんずんと進んでいく。

「流石ま……セルケト、即行動か。ヤームルさん、何かお薦めの本ってあります?」
「そうですね。この国の成り立ちについて書かれた本でも──」

 つい魔物と口走りそうになったロウが、誤魔化しついでにヤームルへ話を振ると同時。

 閲覧室の扉が勢いよく開け放たれ、ミディアムな金髪を真ん中で分けた、爽やかな美少年が現れる。

「──こんにちは、ヤームル! もう戻ってきてたんだな!」

「げっ……」
「何だか爽やかな人がきましたね。呼んでますけど、ヤームルさんのお友達ですか?」

 金髪少年の存在を確認すると分かりやすいほどの渋面じゅうめんとなるヤームル。ロウが問うも、即座に否定の言葉が返ってしまった。

「まさか。やたらと絡まれますけど、単に同じ実践魔術研究を行っていて、年も近いってだけですよ」
「ああ、いたいた。久しぶりだなヤームル……ん? その子は?」
「お久しぶりです、アンテロさん。この方は私の友人で、こちらへ戻る道中の護衛も務めて頂いた、ロウさんです」
「初めまして。ロウといいます」

「ふーん? 僕はアンテロ・サドラーズウェルズだ。名前で分かるかもしれないけど、魔導国の名家であるサドラーズウェルズ家の三男だよ」

 褐色少年を品定めする様に眺めた金髪少年は、右手で前髪をかき上げながら誇らしげに語る。

 その態度を見て面倒なのが来たと肩をすくめるヤームルと、魔導国の事情にうといが故に首を傾げるロウ。

「アンテロさんの家って貴族なんですか? 名家って言ってましたけど」
「古くは魔導国の建立時に大きな役割を担った力ある家の一つですから、貴族に近いものかもしれません」

 すすっとヤームルに近づきロウが問えば、こそこそっと彼女からの返答が戻ってくる。

(この国の建立に関わる様な名家出身か。変な因縁付けられても困るし、ここはヤームルと別行動をすべきだな)

 ヤームルから情報を得て素早く彼女を見捨てる決断を下した少年。

 肌が触れ合うほどの距離で密談する自分たちに怪訝そうな目を向けていたアンテロへ、彼は非情とも言える提案を持ちかけた。

「久しぶりに会われて積る話もあるでしょうし、どうぞこちらにお構いなくお話を続けてください。俺は本でも読んでおくので」
「お! 君は話が分かる奴だな。じゃあヤームル、図書館で話すのもなんだし、場所を移そうか」

「は? ちょっと、ロウさん!?」
「まあまあ。同じ分野の研究を行う者同士、水入らずで楽しんできてください。こっちは昼食の時間になるまでここに居ますので」
「……ロウさんって時々、びっくりするくらい薄情になりますよね」

 灰色のジト目で非難するような視線を向けるヤームルをまるっと無視して送り出し、ロウは改めて館内を見回し観察する。

「ボルドーの異世界チックな図書館もいいけど……こういう普通の図書館もいいもんだなあ」

 本棚が連なり一定の間隔で長椅子と机も配置されているこの図書館は、彼が中島太郎なかじまたろうとして生前に見てきた公立図書館とよく似た雰囲気を持っていた。

 図書館独特のやや埃っぽい空気を吸い、異世界においても人の考えは似通ってくるものなのだろうか──そうぼんやり考えつつ、少年は本棚の間を進んでいく。

「──ん?」

 郷愁きょうしゅうにかられながら歩くことしばし。

 ロウはホール状の空間の中心にある、女性をかたどった石像を前にして立ち止まる。

「本を読む綺麗な女性の像。だけど、これは……セサリア修道院の祭壇にあった像と同じ、特別な力を持つものか」

 ボルドーの近くにあった修道院の聖堂、その祭壇にまつられていた医術神ナーサティヤの像を思い出しながら、ロウはそこはかとなく神聖さが感じられる像を鑑賞する。

「図書館に、しかも館内にわざわざ置いてあるなら、この図書館の重要人物なのか? それとも──」

 ──あのナーサティヤ神のように、この施設に関連する神を模ったものなのか。

 ロウがそう考えた矢先。少年の眼前に銀色の魔力が溢れだす!

「うおッ!?」

[──これはこれは、己が友よ、小さき友よ、久方ぶりではございませんか。最近めっきり不通となって、もう大図書館へは現れぬものかと、己はよよと泣き伏していたよ]

 銀色の魔力が一点に集まるのと同時に顕れるは、宙を漂う青白黒の奇怪な生物。

 翼のような腕部に脚部、そしてひょろりと長い胴部に尾っぽ。頭部に埋まる大粒の宝石にも見える一つ目を輝かせているのは、何を隠そう神の眷属グラウクスである。

 神出鬼没な己の友人に驚きながら、ロウはボルドーで別れを告げなかったことを詫びつつ挨拶を捻り出す。

「こんにちは、グラウクス。そういえばボルドーを出る時に挨拶していませんでしたね……すみません。でも、いきなり現れて、心臓が飛び出すかと思いましたよ」

[己もこの図書館でロウと会うことになろうとは、つゆほども考えてはいなかったとも。己の主神から下知げちが下った故に、普段は訪れぬこの場へ来てみたというわけさ。いやはや、予想だにしない出会いというのは、中々どうして嬉しいものだね]

「下知ですか。ということは──」
〈──汝がロウなる魔神か〉

 ロウがグラウクスに彼の主神について訊ねようとした時、ホールの中心にあった物言わぬ石像がにわかに色付き、生身と化して肉声を発する。

 動き出した女性は、彼女以外の全てが色褪いろあせてしまうほどに至上の美貌。

 輝くような銀の長髪には光を呑むような黒のメッシュが入り、人ならぬ美しさを放つ彫りの深い顔には、グラウクス同様の瑠璃色るりいろの瞳が煌めく。

 厚手の白布を巻きつけ肌を隠しているものの、すぼまった腹部や肉感的な大腿部は破廉恥はれんちなまでにあらわである。

 その様に思わずスケベ心を刺激されたロウは、話しかけられたことや石像が動き出したという事実も忘れてぴたりと硬直。穴が開くほど見入ってしまう。

〈……。こうも熱心に見られるとは。グラウクスよ、この者はロウという名ではないのか?〉

[己が主神よ、知恵の女神ミネルヴァよ。ここにある小さき友は、疑いようもなくロウなる者。彼は少々風変わりな者故に、しばしの猶予を頂きたい]

 あまりにも強烈に凝視ぎょうしされ、居心地悪そうに身動ぎした女神は自身の眷属に問いかける。

 主神の意を受けた眷属はロウの元へふわりと移動し、少年の顔の前で翼のような腕部をひらひら動かして呼びかけた。

[ロウよ、己が友よ。神なる美貌に心奪われるのは無理からぬことだけれど、出来れば己が主神の問いに応じてもらえると、己としても助かるのだが]

「──はッ!? これは失敬。まさかグラウクスの主神が直々にお出向きになるとは欠片も思っていなかったもので、ついつい呆けてしまいました」
〈呆けたという割には、随分と熱烈な視線を向けていたように思うが〉

「はて、何のことやらさっぱり」

 瑠璃色の瞳を細め訝しむ女神に対し、そらとぼける褐色の魔神。

 両者の間をふよふよと揺蕩たゆたい、防音の魔法を構築する青き神の眷属。

 知恵の女神と幼き魔神の奇妙な会談は、こうして幕を開けることとなったのだった。
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