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第八章 帝都壊乱
8-2 帝都周辺事情
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どこまでも晴れ渡る上空、高高度領域を旅した褐色少年。
一時間ほど空中散歩を楽しんだところで、少年はランベルト帝国の首都へと辿り着いた。
幾重にも張り巡らされた堅固な城壁群に、そこに立ち見張りにつく屈強な衛兵たち。
地方都市ほどの敷地面積はあろうかという、贅を尽くされた超巨大宮殿。
悲鳴や罵声が空まで届く競技場に、緑あふれ人々がゆっくりと寛ぐ公園。網の目のように広がり大小様々な船が行き交う運河。
用途不明の尖塔、鮮やかな色をした湖、城と見紛う特大店舗等々……。
それはロウが見てきた大都市すら比較にならない、桁の違う至高の大都市。三千メートルほどの高度から見下ろす少年は、その光彩陸離たる街並みに嘆声を漏らす。
「いや~……絶景だ。帝国、凄いな。語彙がどっか行っちゃうわ」
(公国や魔導国の都市よりもさらに巨大なようです。この国の国力を象徴しているようでもありますね)
(近隣国に見せつける意味合いもあるんだろうが、それにしたって大したもんだ)
栄華を極めた至大都市を曲刀たちと一緒に褒めちぎったところで、少年は地上へ向けて移動開始。都市上空から周辺の草原へ移動して、動物の気配ばかりの大地へ降り立った。
「ん~。気持ちがいい場所だなあ。秋風ってなんでこうも気分がよくなるのか。あてもなくふらつきたくなる」
(堪能するのもほどほどにしとけよ? 結構距離があるところに降りたんだから、召喚も含めると時間が無くなるぞ)
「へいへーい。あーでも、しばらく君らとぷらぷらするのもいいかな。宿取るまであいつらは異空間にいてもらおう。いざこざが起きたら大変だし」
(なるほど。となれば、私は人型状態となりますか)
ロウの言葉をデートチャンスと捉えたギルタブは、言うが早いか即座に人化。墨色の長髪が麗しい美少女となり、素早く少年の手を取り指を絡める。
「ぉおう? ギルタブさん、ちょっと積極的過ぎやしませんか?」
「ふふ。時間は有限ですからね。さあロウ、行きましょうか」
(ククク。どうぞ二人で楽しんでくれ)
銀刀の発する生温かい念話に背を押され、少年たちは草原を歩く。丈の低い草の上を歩く少年は硬くぎこちないが、少女の足は踊るように軽やかだ。
「身も心も委ねられる相手と共に、穏やかな空気と涼しく風を肌で感じる。街ではなく自然を歩くというのも、中々どうして悪くないのです」
「さいですか。びっくりするほど上機嫌っすなあ。なんだか、ギルタブの意外な一面を見た気がする」
「その調子でどんどん私を知っていってくださいね、ロウ」
握る手の指を深く絡め、艶やかに微笑む黒髪の少女。その圧倒的攻勢を前に、褐色少年はもう一杯一杯である。
「さようでございますか。精進していきたいと思います、ハイ」
「ふふふ。余裕のないロウも可愛らしいですね。普段の凛々しい貴方も素敵ですが、動じる姿も好きですよ」
「ひ~。悶え死んじゃうから、これ以上は勘弁してくれ……」
女性経験の無さを突かれ醜態を晒すロウへ、機を逃さぬとばかりに畳みかけるギルタブ。その様、ただのいちゃいちゃラブラブである。
「──ん? あの大きい鳥、まつ毛長くてなんだか可愛いな。足が細くて長いけど、陸生なのかな?」
猛烈な攻めにあえいでいたロウだったが、視線をそらした先に自身と同じ背丈ほどの野鳥を見つけると、これ幸いと話題を逸らす。
「まあっ。いけませんね、ロウ。女性と二人きりだというのに、鳥に対して欲情するなんて」
「欲情してねえよ! お前マジで俺のことなんだと思ってるんだよ」
「ロウは見境というものがありませんからね。鳥を見てまつげに注目するだなんて、機能や生態よりも容姿に注目している証左でしょうに」
「うッ。言われてみれば……? いやいや、それでも欲情まではしないって。ただちょっと色っぽいなあとか、脚がしなやかだなあとか思っただけで」
(……それが危ないって話じゃないか?)
話題が変わったことで常の空気を取り戻した少年たちは、そのまま帝国周辺の生物相を見て回りながら、都市へ続く道を目指したのだった。
◇◆◇◆
草原から街道へ出たロウは、一変した景色に驚嘆する。
「おほぉ~」
馬車同士が容易に行違えるほど広々とした石畳の路面に、等間隔で置かれた魔道具灯。
収穫を迎え黄金色に染まるブドウ畑や、丘の上で佇む赤茶けた風車。それらの合間にぽつりと点在する家屋たち。
人の暮らしと自然とが混ざりあう、どこまでも長閑な情景。それを堪能し尽くした少年は、すっかり感じ入ったと声を上げた。
「丘、風車、ブドウ畑! こりゃあ堪りませんな! 畑の中突っ切りたくなるわー」
「行ってみますか? まだまだ人の少ない時間帯ですし、寄り道も悪くないと思いますよ」
「そう? じゃあちょっと行ってみようか。泥棒と勘違いされたら不味いし、抜き足差し足で」
(お前さん、本当好き放題だよな)
興味のままに動く少年は早速進路変更。ちらほらといた街道上を行き交う人々の目から逃れ、丈の低い木々が連なる畑への小道に入っていく。
「おほー。色々な香りも凄いけど、虫が多いなー」
「果実独特の爽やかな芳香と、虫に食われて腐れた酸い臭い。独特なのです」
「そういうにおいだったのか。ギルタブって意外なところで物知りだよな」
腰を屈めて進む少女へ、ずんずん歩く少年は感心して零す。
(俺にはその辺りの知識がないんだよな。羨ましいもんだぜ)
「持ってる知識がそれぞれ違うんだっけ。サルガスはどんな知識があるんだ?」
(どんなと言われても答えに窮するが。鍛冶回りや神話関連にはそれなりに理解があるぞ)
「私も神話に関しては幾つか知識がありますが、鍛冶となるとさっぱりなのです」
「うーん。生活回りと仕事回りの知識ってことか?」
雑談しつつも歩を進め、ロウたちは畑の中を移動する。
時に落ちた果実にたかる虫を観察し、時に畑を荒らす獣たちとすれ違い。少年は周囲を一望できる丘へと上り詰めた。
「ほぉぉ~。草原歩いてた時は分からなかったけど、ブドウ畑は本当に広いな。ずーっと続いてるじゃないか」
(上空から見た時は気が付かなかったのか?)
「そりゃあまあ、帝都の威容に飲み込まれちゃってたし。アレを前にしちゃあ周囲の畑なんか目に入らないって……ん」
銀刀からの突っ込みを躱し、今度は羽の止まっている風車へ目を向けるロウ。彼の興味はとても移ろいやすい。
「誰か居るようですね」
「うん。収穫について話してるみたいだ」
魔眼での観察から強化した聴覚での盗聴に移行した少年は、村人たちの井戸端会議を盗み聞く。
「……今日は晴れたが、やはり不作は間違いない。収穫前に陽射しを受けねばこうも甘さが劣るのかと、私は目が開かれた思いだよ」
「そりゃよかったなあフレデリック。収穫が壊滅してるこっちにゃあ悟る余裕なんざねえぜ」
「私にだってないさマルク。ワインをため込んでいなければ畑を売り払わねばならないほどにね」
「そっちもか。雨に混じってた変な灰の影響で、売りに出せそうな奴も少ないときたもんだ。たまらねえぜ……」
「「……」」
風車を支える台座に腰かけ、世知辛いと嘆く男たち。その声を聞いたロウたちは思わず顔を見合わせる。
「これは……ロウとレヴィアタンの戦いの余波が、この帝国にまで及んでいたということでしょうか。なんともまあ、世界中に問題をばら撒いたものです。神獣が言っていた『世に害をばら撒く』というのも、あながち的外れでもなかったのです」
「ぐうッ。でもあれだよ、余波って言っても俺は肉弾戦ばっかりだったし、レヴィアタンさんが水の竜巻で巻き上げたのが主だったし……」
(お前さんが上手く立ち回れば防げた事態だったろうし、やはり責任はあると思うぞ。甘んじて受け入れるんだな)
「ぐぎぎー。一理ある。詫び代わりに害獣や害虫追っ払っとくか」
かつての火山平原での出来事を曲刀たちから口々に諫められ、少年は風車から逃げるように離れて畑に戻る。
捕食動物もかくやという動きで畑の中心に移動した彼は、探知範囲を広げて周囲を探っていく。
発見した害虫たちは、腐った果実ごと堆いゴミ捨て場へ放り投げ。
果実に群がる害獣たちは、空間魔法でもって草原へと強制退去。
魔神の力を思うがままにふるい、彼は畑の敵たちを排除していった。
そうして好き勝手に動いていたロウだったが──異分子をあらかた取り除き終えたところで、新たな気配を感じ取る。
「ん。薄い黄色に薄い緑色の魔力……亜人か」
力ない魔力を感知した少年は、以前聞いた「帝国は人間族至上主義が蔓延っている」という話を思い出しつつ忍び足。無音の歩みで気配の下へと近づいていく。
「……クソッ。このままじゃ俺たちも餓死しちまう。もう我慢できねえよ」
「落ち着いてよカデル。自棄になるのは早いって。今日は嘘みたいに晴れたじゃない? これだけ晴れてくれたら収穫だって──」
「──長雨に加えて、雨に混じる奇妙な灰。品質と収穫量が落ちるのは間違いない。そうなれば真っ先に俺たちへしわ寄せがくるだろう」
「そんな、インジフまで。絶対駄目よ。私たちがこれまで積み上げてきたもの、台無しにするつもりなの? それに逃げた子たちがどうなったか、忘れたわけじゃないでしょう? ……」
「「……」」
ブドウの入った籠の傍で口論となっている集団を見て、またも顔を見合わせるロウとギルタブ。汚れた衣服から彼らの生活水準が窺えるため、その表情はどちらも苦い。
「この世の頂点と戦うってことがどういうことなのか、今更ながら身に染みてきた」
「こうまで影響が波及するとは、私も考えが及びませんでした。流石にワイン畑の下働きにまで面倒を見ろなどとは言いませんよ」
「とはいえ、見ちゃったしなあ。ましてや俺も原因の一端だし。影響を与えてる灰くらいはどうにかしておこう」
(人の生活に気を揉む魔神か。お前さんの妹が見たら笑い飛ばしそうだな)
「フォカロルは無頓着というか、割と竜っぽい感じの気質だもんなー」
会話しつつも魔力を練り上げたロウは、薄っすらと権能を解放。漆黒の魔力を音波のように飛ばし、果実に影響を及ぼす灰を浄化していく。
魔神としての力を遺憾なく発揮し、瞬きするほどの時間で広大なブドウ畑に魔力を浸透させたロウだったが──。
「っ!? な、なに!?」
「ん? リクサ、どうかしたか?」
「貴方、感じないの? 今この一帯に、物凄く不気味な魔力が発せられてるじゃない!」
「魔力だと? 俺は感じないが……カデルはどうだ?」
「俺も感じねえな。まあリクサはエルフだし、俺らより鋭いんだろうよ」
「……んん? バレたか?」
──畑で働く農奴に敏感な者がいたことで、警戒されてしまうこととなった。
魔神の魔力に感づいたのは森人族の女性。身を震わせながらも周囲を見回す彼女を見て、ロウはその場を離脱しつつも首を捻る。
「権能を使ったとはいえ、まさか一般人に俺の魔力を感じ取られるとはなあ。ちょっとびっくりしたというか、自信なくしちゃう」
「エルフの民は魔力感覚に優れるといいますからね。レヴィアタンの魔力を祓う作業、中断したのですか?」
「いや、終わったよ。大陸中央から距離があるからか、思いのほか残留してる魔力も大したことなかったな……」
少年が思い返すのは、今から遡ること数週間前のことだ。
大陸中央で放たれた海魔竜の激烈な水魔法は、火山噴出物を巻き上げ高度60,000メートル──星を覆う大気の中間圏にまで到達した。
噴出物と共に氷結した海魔竜の水魔法は気流に乗り、数日から数週間かけて世界各地へ運ばれた。この時海魔竜の魔力を浴び続けたことで、噴出物は周囲に影響を与えるような性質を帯びるようになる。
魔力を浴びた期間が短いためロウであれば容易に祓える程度の影響だが、古き竜の魔力だけに自然界へ与える影響は大きい。
「ん~。帝国での用事済ませたら、ちょっと世界旅行で魔力祓って回ろうかな。なんだかこれ、放置してたら世界中で飢饉が起こるかもしれんし」
「それは些か大げさ……とも言えませんか。事実こうして作物に影響が出ていますからね。しかし、一時的なものとも思えるのです」
(実は旅行の口実が欲しいだけなんじゃないか? ククク)
「ギクッ。よし、もう十分見て回ったし、帝都に乗り込むかな!」
「……図星だったのですか」(流石ロウだ。こちらの期待を裏切らない)
罪悪感の内にあった本音部分をあっさり看破された少年は、呆れる相棒を伴い城壁そびえる帝都へと向かったのだった。
一時間ほど空中散歩を楽しんだところで、少年はランベルト帝国の首都へと辿り着いた。
幾重にも張り巡らされた堅固な城壁群に、そこに立ち見張りにつく屈強な衛兵たち。
地方都市ほどの敷地面積はあろうかという、贅を尽くされた超巨大宮殿。
悲鳴や罵声が空まで届く競技場に、緑あふれ人々がゆっくりと寛ぐ公園。網の目のように広がり大小様々な船が行き交う運河。
用途不明の尖塔、鮮やかな色をした湖、城と見紛う特大店舗等々……。
それはロウが見てきた大都市すら比較にならない、桁の違う至高の大都市。三千メートルほどの高度から見下ろす少年は、その光彩陸離たる街並みに嘆声を漏らす。
「いや~……絶景だ。帝国、凄いな。語彙がどっか行っちゃうわ」
(公国や魔導国の都市よりもさらに巨大なようです。この国の国力を象徴しているようでもありますね)
(近隣国に見せつける意味合いもあるんだろうが、それにしたって大したもんだ)
栄華を極めた至大都市を曲刀たちと一緒に褒めちぎったところで、少年は地上へ向けて移動開始。都市上空から周辺の草原へ移動して、動物の気配ばかりの大地へ降り立った。
「ん~。気持ちがいい場所だなあ。秋風ってなんでこうも気分がよくなるのか。あてもなくふらつきたくなる」
(堪能するのもほどほどにしとけよ? 結構距離があるところに降りたんだから、召喚も含めると時間が無くなるぞ)
「へいへーい。あーでも、しばらく君らとぷらぷらするのもいいかな。宿取るまであいつらは異空間にいてもらおう。いざこざが起きたら大変だし」
(なるほど。となれば、私は人型状態となりますか)
ロウの言葉をデートチャンスと捉えたギルタブは、言うが早いか即座に人化。墨色の長髪が麗しい美少女となり、素早く少年の手を取り指を絡める。
「ぉおう? ギルタブさん、ちょっと積極的過ぎやしませんか?」
「ふふ。時間は有限ですからね。さあロウ、行きましょうか」
(ククク。どうぞ二人で楽しんでくれ)
銀刀の発する生温かい念話に背を押され、少年たちは草原を歩く。丈の低い草の上を歩く少年は硬くぎこちないが、少女の足は踊るように軽やかだ。
「身も心も委ねられる相手と共に、穏やかな空気と涼しく風を肌で感じる。街ではなく自然を歩くというのも、中々どうして悪くないのです」
「さいですか。びっくりするほど上機嫌っすなあ。なんだか、ギルタブの意外な一面を見た気がする」
「その調子でどんどん私を知っていってくださいね、ロウ」
握る手の指を深く絡め、艶やかに微笑む黒髪の少女。その圧倒的攻勢を前に、褐色少年はもう一杯一杯である。
「さようでございますか。精進していきたいと思います、ハイ」
「ふふふ。余裕のないロウも可愛らしいですね。普段の凛々しい貴方も素敵ですが、動じる姿も好きですよ」
「ひ~。悶え死んじゃうから、これ以上は勘弁してくれ……」
女性経験の無さを突かれ醜態を晒すロウへ、機を逃さぬとばかりに畳みかけるギルタブ。その様、ただのいちゃいちゃラブラブである。
「──ん? あの大きい鳥、まつ毛長くてなんだか可愛いな。足が細くて長いけど、陸生なのかな?」
猛烈な攻めにあえいでいたロウだったが、視線をそらした先に自身と同じ背丈ほどの野鳥を見つけると、これ幸いと話題を逸らす。
「まあっ。いけませんね、ロウ。女性と二人きりだというのに、鳥に対して欲情するなんて」
「欲情してねえよ! お前マジで俺のことなんだと思ってるんだよ」
「ロウは見境というものがありませんからね。鳥を見てまつげに注目するだなんて、機能や生態よりも容姿に注目している証左でしょうに」
「うッ。言われてみれば……? いやいや、それでも欲情まではしないって。ただちょっと色っぽいなあとか、脚がしなやかだなあとか思っただけで」
(……それが危ないって話じゃないか?)
話題が変わったことで常の空気を取り戻した少年たちは、そのまま帝国周辺の生物相を見て回りながら、都市へ続く道を目指したのだった。
◇◆◇◆
草原から街道へ出たロウは、一変した景色に驚嘆する。
「おほぉ~」
馬車同士が容易に行違えるほど広々とした石畳の路面に、等間隔で置かれた魔道具灯。
収穫を迎え黄金色に染まるブドウ畑や、丘の上で佇む赤茶けた風車。それらの合間にぽつりと点在する家屋たち。
人の暮らしと自然とが混ざりあう、どこまでも長閑な情景。それを堪能し尽くした少年は、すっかり感じ入ったと声を上げた。
「丘、風車、ブドウ畑! こりゃあ堪りませんな! 畑の中突っ切りたくなるわー」
「行ってみますか? まだまだ人の少ない時間帯ですし、寄り道も悪くないと思いますよ」
「そう? じゃあちょっと行ってみようか。泥棒と勘違いされたら不味いし、抜き足差し足で」
(お前さん、本当好き放題だよな)
興味のままに動く少年は早速進路変更。ちらほらといた街道上を行き交う人々の目から逃れ、丈の低い木々が連なる畑への小道に入っていく。
「おほー。色々な香りも凄いけど、虫が多いなー」
「果実独特の爽やかな芳香と、虫に食われて腐れた酸い臭い。独特なのです」
「そういうにおいだったのか。ギルタブって意外なところで物知りだよな」
腰を屈めて進む少女へ、ずんずん歩く少年は感心して零す。
(俺にはその辺りの知識がないんだよな。羨ましいもんだぜ)
「持ってる知識がそれぞれ違うんだっけ。サルガスはどんな知識があるんだ?」
(どんなと言われても答えに窮するが。鍛冶回りや神話関連にはそれなりに理解があるぞ)
「私も神話に関しては幾つか知識がありますが、鍛冶となるとさっぱりなのです」
「うーん。生活回りと仕事回りの知識ってことか?」
雑談しつつも歩を進め、ロウたちは畑の中を移動する。
時に落ちた果実にたかる虫を観察し、時に畑を荒らす獣たちとすれ違い。少年は周囲を一望できる丘へと上り詰めた。
「ほぉぉ~。草原歩いてた時は分からなかったけど、ブドウ畑は本当に広いな。ずーっと続いてるじゃないか」
(上空から見た時は気が付かなかったのか?)
「そりゃあまあ、帝都の威容に飲み込まれちゃってたし。アレを前にしちゃあ周囲の畑なんか目に入らないって……ん」
銀刀からの突っ込みを躱し、今度は羽の止まっている風車へ目を向けるロウ。彼の興味はとても移ろいやすい。
「誰か居るようですね」
「うん。収穫について話してるみたいだ」
魔眼での観察から強化した聴覚での盗聴に移行した少年は、村人たちの井戸端会議を盗み聞く。
「……今日は晴れたが、やはり不作は間違いない。収穫前に陽射しを受けねばこうも甘さが劣るのかと、私は目が開かれた思いだよ」
「そりゃよかったなあフレデリック。収穫が壊滅してるこっちにゃあ悟る余裕なんざねえぜ」
「私にだってないさマルク。ワインをため込んでいなければ畑を売り払わねばならないほどにね」
「そっちもか。雨に混じってた変な灰の影響で、売りに出せそうな奴も少ないときたもんだ。たまらねえぜ……」
「「……」」
風車を支える台座に腰かけ、世知辛いと嘆く男たち。その声を聞いたロウたちは思わず顔を見合わせる。
「これは……ロウとレヴィアタンの戦いの余波が、この帝国にまで及んでいたということでしょうか。なんともまあ、世界中に問題をばら撒いたものです。神獣が言っていた『世に害をばら撒く』というのも、あながち的外れでもなかったのです」
「ぐうッ。でもあれだよ、余波って言っても俺は肉弾戦ばっかりだったし、レヴィアタンさんが水の竜巻で巻き上げたのが主だったし……」
(お前さんが上手く立ち回れば防げた事態だったろうし、やはり責任はあると思うぞ。甘んじて受け入れるんだな)
「ぐぎぎー。一理ある。詫び代わりに害獣や害虫追っ払っとくか」
かつての火山平原での出来事を曲刀たちから口々に諫められ、少年は風車から逃げるように離れて畑に戻る。
捕食動物もかくやという動きで畑の中心に移動した彼は、探知範囲を広げて周囲を探っていく。
発見した害虫たちは、腐った果実ごと堆いゴミ捨て場へ放り投げ。
果実に群がる害獣たちは、空間魔法でもって草原へと強制退去。
魔神の力を思うがままにふるい、彼は畑の敵たちを排除していった。
そうして好き勝手に動いていたロウだったが──異分子をあらかた取り除き終えたところで、新たな気配を感じ取る。
「ん。薄い黄色に薄い緑色の魔力……亜人か」
力ない魔力を感知した少年は、以前聞いた「帝国は人間族至上主義が蔓延っている」という話を思い出しつつ忍び足。無音の歩みで気配の下へと近づいていく。
「……クソッ。このままじゃ俺たちも餓死しちまう。もう我慢できねえよ」
「落ち着いてよカデル。自棄になるのは早いって。今日は嘘みたいに晴れたじゃない? これだけ晴れてくれたら収穫だって──」
「──長雨に加えて、雨に混じる奇妙な灰。品質と収穫量が落ちるのは間違いない。そうなれば真っ先に俺たちへしわ寄せがくるだろう」
「そんな、インジフまで。絶対駄目よ。私たちがこれまで積み上げてきたもの、台無しにするつもりなの? それに逃げた子たちがどうなったか、忘れたわけじゃないでしょう? ……」
「「……」」
ブドウの入った籠の傍で口論となっている集団を見て、またも顔を見合わせるロウとギルタブ。汚れた衣服から彼らの生活水準が窺えるため、その表情はどちらも苦い。
「この世の頂点と戦うってことがどういうことなのか、今更ながら身に染みてきた」
「こうまで影響が波及するとは、私も考えが及びませんでした。流石にワイン畑の下働きにまで面倒を見ろなどとは言いませんよ」
「とはいえ、見ちゃったしなあ。ましてや俺も原因の一端だし。影響を与えてる灰くらいはどうにかしておこう」
(人の生活に気を揉む魔神か。お前さんの妹が見たら笑い飛ばしそうだな)
「フォカロルは無頓着というか、割と竜っぽい感じの気質だもんなー」
会話しつつも魔力を練り上げたロウは、薄っすらと権能を解放。漆黒の魔力を音波のように飛ばし、果実に影響を及ぼす灰を浄化していく。
魔神としての力を遺憾なく発揮し、瞬きするほどの時間で広大なブドウ畑に魔力を浸透させたロウだったが──。
「っ!? な、なに!?」
「ん? リクサ、どうかしたか?」
「貴方、感じないの? 今この一帯に、物凄く不気味な魔力が発せられてるじゃない!」
「魔力だと? 俺は感じないが……カデルはどうだ?」
「俺も感じねえな。まあリクサはエルフだし、俺らより鋭いんだろうよ」
「……んん? バレたか?」
──畑で働く農奴に敏感な者がいたことで、警戒されてしまうこととなった。
魔神の魔力に感づいたのは森人族の女性。身を震わせながらも周囲を見回す彼女を見て、ロウはその場を離脱しつつも首を捻る。
「権能を使ったとはいえ、まさか一般人に俺の魔力を感じ取られるとはなあ。ちょっとびっくりしたというか、自信なくしちゃう」
「エルフの民は魔力感覚に優れるといいますからね。レヴィアタンの魔力を祓う作業、中断したのですか?」
「いや、終わったよ。大陸中央から距離があるからか、思いのほか残留してる魔力も大したことなかったな……」
少年が思い返すのは、今から遡ること数週間前のことだ。
大陸中央で放たれた海魔竜の激烈な水魔法は、火山噴出物を巻き上げ高度60,000メートル──星を覆う大気の中間圏にまで到達した。
噴出物と共に氷結した海魔竜の水魔法は気流に乗り、数日から数週間かけて世界各地へ運ばれた。この時海魔竜の魔力を浴び続けたことで、噴出物は周囲に影響を与えるような性質を帯びるようになる。
魔力を浴びた期間が短いためロウであれば容易に祓える程度の影響だが、古き竜の魔力だけに自然界へ与える影響は大きい。
「ん~。帝国での用事済ませたら、ちょっと世界旅行で魔力祓って回ろうかな。なんだかこれ、放置してたら世界中で飢饉が起こるかもしれんし」
「それは些か大げさ……とも言えませんか。事実こうして作物に影響が出ていますからね。しかし、一時的なものとも思えるのです」
(実は旅行の口実が欲しいだけなんじゃないか? ククク)
「ギクッ。よし、もう十分見て回ったし、帝都に乗り込むかな!」
「……図星だったのですか」(流石ロウだ。こちらの期待を裏切らない)
罪悪感の内にあった本音部分をあっさり看破された少年は、呆れる相棒を伴い城壁そびえる帝都へと向かったのだった。
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