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第八章 帝都壊乱
8-18 作戦の修正
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帝都の誇る贅を尽くした宮殿。その書庫にて。
我が友人グラウクスの粋な計らいにより頭がクリアなったところで、神々との会議を再開する。内容は先ほどと変わらず、魔神釣り出し作戦についてだ。
「お話を聞いてて思ったんですけど。アノフェレスの狙いって殿下の命だったんですかね?」
〈? それ以外に何がある?〉
「ほら、前回の襲撃で親玉のアノフェレスが出てきたわけじゃないですか。その時は一瞬でオファニムの結界を破り、ユーディット殿下の首を斬り落としたわけですけど……。確実に生き残っていたサロメ殿下に目もくれず、お二方の血を集めていましたよね?」
〈〈〈……〉〉〉
頭の片隅にあった事実を提示すれば、神も女神も聖獣も一斉に沈黙してしまった。
──魔神の狙いは別にある。
この可能性は、かの魔神の眷属や本人の力を見た時から感じていたものだ。
魔神にすら寄生して思考誘導を可能とする眷属に、聖獣の護りを容易く切り裂く魔神。最上位魔神バロールと渡り合ってきた存在だけに、彼らの力は計り知れない。
その気になれば、皇女たちを宮殿や聖獣の護りごと滅ぼせたのではないか?
何故その手段をとらなかったのか?
あるいは、とれない理由があったのではないか?
神から耳目を集めたくない、敵対する魔神から察知されたくない。そんな可能性も当然あるが……思考を積み重ねていった時に脳裏をよぎるのは、 アノフェレスがとった“血を集める”という行動だ。
脆弱な人間を殺す際、わざわざ“形が残る程度”の損傷に収めたあの奇行。
更には、致命傷を免れた標的を捨て置く愚行。
大きな理由がなければ、とりはしまい。
〈皇女を狙っていたのは何らかの目的ゆえであり、命そのものが対象ではない。そう言いたいわけか。ケルブ、アノフェレスが血を集めていたというのは確かか?〉
俺の言葉を寸秒で咀嚼したのは知恵の女神ミネルヴァ。その瑠璃色の瞳が問う先は、人の面が張り付いた有翼の獅子である。
〈……確かに奴は、押し固めた血で結晶のようなものを創り出していた。すると奴は既に目的を達したということか?〉
「そこは判断しかねます。何らかの準備のために血を集めたのか、大英雄の力が濃いらしい殿下の血を飲み、己の力としようとしたのか。前者であれば目的を達した可能性もありますが、後者の場合再び狙われることも考えられます」
「……お姉さま」
「心配は不要ですよ、サロメ。聖獣様の護りは万全ですし……ロウもいます」
青ざめ震える妹を抱き寄せ、ちらりとこちらを見やる皇女殿下。
あらやだ、頼りにされちゃったわ!
(はんっ)
(姉の方はもう手遅れだな。ロウの毒は回るのが頗る早い)
相棒から念話で毒呼ばわりされるも、華麗に受け流して話をまとめにかかる。
「もっともらしく語ってみましたけど、先ほど話した内容は可能性の一つです。あんまりあてにしない方がいいかもしれません。案外眷属が消耗して出てこれないだけかもしれませんし、何日か様子を見るのが一番でしょう」
〈ふむ。時間が経ってなお皇女の下に監視の目が顕れなければ、目的を達したとみてよいか。我としては、ロウが提示した論は筋が通っているように思う。死んでいるはずのユーディットが生きているこの現状、皇女の命を狙っているとなれば真偽を確かめないなどあり得まい〉
〈あるいは、竜の『眼』さえも掻い潜る監視方法を有しているか。聖獣たる我らをあしらう奴の力をもってすれば、不可能とも言い切れん〉
「そうなると前提が全部ひっくり返されちゃいますし、お手上げですねー」
結局のところ、こちらから打てる手は変わらないということで落ち着いてしまった。相手の目的が判然としないため、やはりどうしようもないところがあるか。
〈誘い出しを継続するより他はありませんか。皇女ユーディットには負担を強いてしまいますが……〉
「問題ありません、ナーサティヤ様。しっかりと務めを──」
「──はい、はいっ! わたくし、お役目を変わりたいですわ!」
皇女と医術神の会話に割り込むのは、彼女の妹サロメ。椅子から立ち上がり飛び跳ねて主張する度に、その豊かな胸が躍動している。
お隣に座る美の化身、知恵の女神と比べても遜色ない、大変素晴らしい双丘です。見事なダイナミズムといえよう!
((……))
曲刀たちはもはや呆れるだけで何も言わない。彼らも慣れたものだ。
「サロメ、何を言っているの? 遊びではないのですよ? そもそも、わたくしでなければ成立しない話です」
「う。で、でもお姉さまばかり危険な役回りとなるのは……。ロウさまと見て回るのも、楽しそうですし……もごもご」
姉に言い負かされ、見る見るうちに小さくなっていくサロメ。動きがいちいち可愛い皇女様である。ユーディットに比べると、彼女は性格が幼く純粋なようだ。
「案外、内と外を交代してみるのもいいかもしれませんね。宮殿内であれば感知範囲外から監視というのも難しいでしょうし、今まで通り眷属がやってくる可能性もあります」
「! ですってよ、お姉さま! やはりわたくしもロウさまと外出すべきなのです!」
軽く助け船を出した途端、水を得た魚とばかりに生き生きとしだす皇女殿下。皇居暮らしが退屈なのか、彼女は外に出たいという気持ちを隠そうともしていない。
「……ロウ、サロメに餌をあげないで下さい。この子は外に出ることの危険性が理解できていないのですから」
「むっ。わたくしはただ、お姉さまだけが魔神の脅威に晒されるというのが我慢ならないだけです」
片や眉尻を吊り上げて不満を表し、片や頬を膨らませて幼子のようにむくれてしまい。同じ顔を持つ姉妹の表情は、驚くほどに違いが滲む。
美人姉妹の顔芸を楽しみたいところだが、生憎と時間は有限。サクッと話を進めよう。
「お二方とも互いのことを想い合っているのはよーく分かりましたから。それはそれとして、神の皆さんはどうですか? 反対とか賛成とか」
中島太郎流処世術之四・他力本願である。問題が己の手に余るようなら、解決できそうな者へと放り投げてしまえってやつだ。
(責任感のかけらもなし、か。流石は曖昧なる“虚無”を司っているだけはあるな、お前さん)
辛辣なる言葉の刃が放たれるが、俺は不撓不屈の闘士なり。罵詈雑言なんてなんのその。
(真面目に向き合っていないだけですよね、それ)
などという念話もさらりと躱す。
〈あえてユーディットを宮殿内に置く、か。しかしロウ、お前がいない間も皇女姉妹が宮殿内にいたが、奴らは顕れる気配などなかったぞ〉
「ああ、そういえばそうですね……。となると、護り手の配置換えもしますか? ひょっとしたら、散々看破されてきた聖獣の感知力を警戒したのかもしれませんし。宮殿内は『竜眼』と『魔眼』で監視して、外では聖獣の感知力をもって護りとする、みたいな感じに」
〈ふむ……〉
思いついた条件を投げてみれば聖獣ケルブが思考に沈む。
一方で、女神は賛成の意を示してくれた。
〈存外悪くない案やもしれん。ロウに協力する『青玉竜』や魔眼の魔神を見ておきたいところだ、我も宮殿の護りにつくとしよう〉
「ありがとうございます、ミネルヴァ。あなたの『魔眼』の力をふるってもらえるとなると、とても心強いです」
〈ミネルヴァが協力するとなれば宮殿の『眼』はこの上ないものとなるでしょう。外出するサロメは聖獣二柱にロウがいますし、護りは万全。良案かもしれません〉
「おほほほ。ミネルヴァ様やナーサティヤ様も後押ししてくださいました。お姉さま、もはや何の問題もないということですわっ!」
「むぐ……」
女神たちの意見を聞くと、びっくりするくらい調子づくサロメ。頬を上気させて姉を詰る姿は子供そのものだ。
「そういえば殿下、急な変更ですけど外出の許可ってとれるんですか?」
「問題ありませんわ。聖獣様の御姿の下であれば、お父さまであっても反対することはできませんもの。大手を振ってお外を歩けますわ~」
「……皇帝陛下、苦労してそうっすね」
「普段は聖獣様が姿を顕すことなどありませんし、このような強行手段など通りませんよ」
お嬢様節で高笑いする妹に、目を覆い嘆息する姉。この短いやり取りで姉妹の日常が想像できてしまうのだから不思議なものである。
〈では末裔と共に話をつけてくるか。ロウ、お前は竜と魔眼の魔神を呼び寄せよ〉
「へいへい。あ、ここで空間魔法って使っても大丈夫? 魔道具とか反応しない?」
〈それはお前の力量次第であろう〉
聞いてみるも曖昧なる言葉で一蹴された。でこっぱちのくせに生意気なやつ。
のしのし歩く聖獣とそれに続く皇女たちを見送り、こちらも空間魔法を発動。図書館を離れ、遥か上空へと転移した。
◇◆◇◆
上空から場所をしっかりと記憶し、移動を開始する。
といっても、空間魔法で稼げる移動距離は凄まじいもの。数回転移するだけで宿の自室に到着だ。
「どんだけ距離があっても、空間魔法があると近場にしか感じられないなー」
(上位者ならではの感覚ですね)
「戻ったか。今日も皇女と行動を共にするのか?」
報告が終わったと寛ぐ間もなく声がかかる。
振り向けば、今朝と同じように寝室から出てくる蒼髪美女が目に入った。
……ここ、俺の部屋なんですけどー? というか施錠して外に出たんだが?
「なんでお前がここに……ってそんなに睨むなよ。えーっと、今日は上空からの監視じゃなくて宮殿で見張りについてもらいます」
「ほう。あの建造物の内部か。内装も気になっていたところだ、悪くはない時間となるやもしれん」
「楽しみにしてるところ悪いけど、あんまり出歩くのは駄目だぞ。あくまで皇女様周辺に限った話だし」
説明しつつ破壊されていた扉を修復し、外へ出る。
何故こいつは扉をぶっ壊してまで俺の部屋に入りたがるのか……竜の気まぐれだろうし、考えるだけ無駄か。
ほんのり上機嫌なウィルムを伴い向かう先は、エスリウの部屋である。
竜の『竜眼』に、魔神の『魔眼』。どちらも魔力を看破する特別な力を持つ故の人選だが……。
協力関係にあるとはいえ、宮殿内部は神の巣窟。半ば敵対中の死神サマエルもどこぞにいるはずであるし、送り込むのが二柱だけとなると不安が残る。
「やはり戻ってきていたか」
考え事をしながら歩いていれば、竜胆色の長髪が艶やかな美女から声がかかった。紫髪の中に金のメッシュが輝く、セルケトである。
「ただいま。なるべく目立たないように帰ってきたつもりだったけど、バレてたか」
「ふふん。我が感知力にかかれば当然よな」
「はっ。『眼』を持たぬ分際で何を抜かすか」
「ふっ。『眼』を持たぬ身でも不自由はない。むしろウィルムよ、具える身となればその力に頼り切ってしまうのではないか? 今のおぬしのようにな」
「はいそこー張り合わないでー」
気を抜くとすぐ喧嘩腰になってしまう両者である。
今くらいのじゃれ合いなら許容範囲だが、状況によっては過熱しないとも限らない。
セルケトを連れて行こうかと思ったけど、最近ピリピリしているウィルムと組み合わせるのは危険そうだ。神の前で見栄を張られちゃあ堪らない。
「戻られましたか──っと、ウィルムさんにセルケトさんもご一緒ですか」
美女たちのいがみ合いを眺めていれば、声かけ事案が再び発生。今度は目的の人物にして象牙色の美少女、エスリウだ。
「どうもどうも。エスリウ様には今回も目を光らせてもらうことになるのですが、少し変更点ができまして。前回と違って宮殿内部で魔神なり眷属なりの気配を注視して欲しいんですけど……」
「宮殿内部ですか。『魔眼』は壁ごしにも魔力を見通せますし、問題とはなりませんけれど。許可は取れているのでしょうか? ワタクシも魔神ですから、聖獣が良い顔をしないように思えてしまいます」
「ちゃんと取ってきたのでその点はご安心を。ただ、今回は聖獣の代わりに知恵の女神や医術神が、皇女様の護りを固めてるんですよね」
「まあ……」「ほう」「なにぃ?」
三者三様に驚く美女たちへ、事の成り行きを説明していく。
外での監視の場合、こちらの感知範囲外から監視される可能性があること。聖獣の感知力を警戒している可能性があること。皇女サロメが外へ出たいとごねたこと、等々。
「──なるほど。それでロウさんとサロメ殿下が聖獣を連れ外出すると……。その論理ですと、聖獣は姿を顕して街を歩くということでしょうか?」
「そうなりますかねー。宮殿内にいるユーディット殿下のお傍に、聖獣がいないことを示さないとなりませんし。とはいえこれも、相手がこちらの感知外から監視していて、且つユーディット殿下の命を狙っているとするならば、ですけど」
説明していてる自分でも感じるが、仮説の上に仮説を積むような不確かな作戦である。
アノフェレスの目的さえ分かっていれば、こんな奥歯にものが挟まったような思いをせずに済むんだが。
「神の前で女のお守か。我は協力できんぞ、ロウ。堅苦しいのは好かん」
「ですよねー」
誰憚らない魔神は忖度なく意見を表明した。最近はヤームルや俺の眷属とよく買い物へ行っているようだし、そちらへ興味が向いているのだろう。
「口煩い神どもと行動し、更には女のお守りときたか。妾が出るほどのことなのか? ミネルヴァがいれば事足りよう」
「前にミネルヴァ本人が言ってたけど、あの女神様の『魔眼』であっても『竜眼』には劣るんだってさ。神さえも凌ぐウィルムの力があれば万全になるし、ご協力お願いします」
「……ふっ。そこまで言うならば、致し方あるまいな」
セルケトからは袖にされて立ち去られてしまったが、ウィルムの協力は取り付けられた。持つべきものはチョロい仲間である。
「……はあ」
一方のエスリウはジト目となっているものの、文句は出ていない。優しい彼女ならばきっと協力してくれるだろう。
「そういう運びで宮殿の護りについてもらうわけですけど、万が一戦闘が起きた場合に備えて追加戦力を入れときたいんですよね」
「上位魔神が三柱以上に加え、眷属もいると聞きますからね。ロウさんの言う通り、襲撃には備えておきたいところです」
「それに加えて、神が複数いる場に竜と魔神とが出ていくわけですからねー。もうお伝えしましたけど、俺は死神サマエルから協力を得られていません。あいつは魔神を滅ぼせるなら皇女なんて二の次って感じでしたし、宮殿に行くにもあいつが手が出せないくらいの戦力が欲しいんですよね」
今現在、所在をつかめていない死神。曲がりなりにも神である以上、神と協調している俺たちに手を出すとは考え難いが……。
正直なところ、奴は信用ならない。
ユーディットが首を刎ねられた際、俺への攻撃を優先したこと然り。ナーサティヤ神を若い神と軽んじ蔑んだ言動然り。
「古より存在する、力ある神の一柱。あの死神がワタクシたちの排除に乗り出せば、太刀打ちするのは難しい……。戦力を増強して頂けるというのは有難い申し出です」
「俺から頼んでいるわけですから、当然ですって。まあセルケトには振られちゃったわけですけども。一気に力をつけたネイトに頼もうかとも思ったんですけど、あいつは既に死神と殺りあっちゃってますからねー……残るはあいつか」
消去法的に思い浮かぶのは上位精霊ニグラスの艶姿。
彼女は精霊でありながら神に比する力を有している。
何より、あいつは魔神ではない。死神への刺激を増やすことには繋がらないだろう。
「あの死神は魔神に対してえらく敵対感情を持ってます。魔眼を持ってるエスリウ様ならともかく、戦闘員の役割を担うネイトだといちゃもんが付くかもしれない。その点、精霊のニグラスなら同行するにはもってこいでしょう」
「ニグラスか。奴の力はそれなりだが……上位魔神と出くわす可能性がある中、奴は護衛たり得るか?」
「闇魔法はエスリウ様の大魔法を思い出すくらいの規模だったよ。魔神相手にだって引けはとらないだろうさ。それに女神の協力もあるし──っと、おはよう」
[[[──]]]
疑問を挟んできた蒼髪美女へ返答していると、色とりどりな男女たちが廊下を塞ぐ。我が眷属たちである。
[──?][──、──][っ!]
「ほぐッ。いきなり纏わりつくなって……なになに、最近構ってもらってない? お父さん最近忙しくてなー……ちょッ、冗談だって。サルビア、電撃出すの禁止! 深夜の訓練、一緒にやるから!」
「うふふ、仲の良いことです」
「妾やセルケトにはつれないというのに、眷属には甘い奴だ」
べたべたと張り付いてくる我が子ら(実体は不定形の半精霊)に根負けし、鍛錬を一緒にすると確約してようやく解放されるに至った。やれやれだぜ。
状況が落ち着いたらゆっくり眷属たちと遊ぶ時間を作ってみるかと考えつつ、俺はニグラスの部屋へ向かった。
我が友人グラウクスの粋な計らいにより頭がクリアなったところで、神々との会議を再開する。内容は先ほどと変わらず、魔神釣り出し作戦についてだ。
「お話を聞いてて思ったんですけど。アノフェレスの狙いって殿下の命だったんですかね?」
〈? それ以外に何がある?〉
「ほら、前回の襲撃で親玉のアノフェレスが出てきたわけじゃないですか。その時は一瞬でオファニムの結界を破り、ユーディット殿下の首を斬り落としたわけですけど……。確実に生き残っていたサロメ殿下に目もくれず、お二方の血を集めていましたよね?」
〈〈〈……〉〉〉
頭の片隅にあった事実を提示すれば、神も女神も聖獣も一斉に沈黙してしまった。
──魔神の狙いは別にある。
この可能性は、かの魔神の眷属や本人の力を見た時から感じていたものだ。
魔神にすら寄生して思考誘導を可能とする眷属に、聖獣の護りを容易く切り裂く魔神。最上位魔神バロールと渡り合ってきた存在だけに、彼らの力は計り知れない。
その気になれば、皇女たちを宮殿や聖獣の護りごと滅ぼせたのではないか?
何故その手段をとらなかったのか?
あるいは、とれない理由があったのではないか?
神から耳目を集めたくない、敵対する魔神から察知されたくない。そんな可能性も当然あるが……思考を積み重ねていった時に脳裏をよぎるのは、 アノフェレスがとった“血を集める”という行動だ。
脆弱な人間を殺す際、わざわざ“形が残る程度”の損傷に収めたあの奇行。
更には、致命傷を免れた標的を捨て置く愚行。
大きな理由がなければ、とりはしまい。
〈皇女を狙っていたのは何らかの目的ゆえであり、命そのものが対象ではない。そう言いたいわけか。ケルブ、アノフェレスが血を集めていたというのは確かか?〉
俺の言葉を寸秒で咀嚼したのは知恵の女神ミネルヴァ。その瑠璃色の瞳が問う先は、人の面が張り付いた有翼の獅子である。
〈……確かに奴は、押し固めた血で結晶のようなものを創り出していた。すると奴は既に目的を達したということか?〉
「そこは判断しかねます。何らかの準備のために血を集めたのか、大英雄の力が濃いらしい殿下の血を飲み、己の力としようとしたのか。前者であれば目的を達した可能性もありますが、後者の場合再び狙われることも考えられます」
「……お姉さま」
「心配は不要ですよ、サロメ。聖獣様の護りは万全ですし……ロウもいます」
青ざめ震える妹を抱き寄せ、ちらりとこちらを見やる皇女殿下。
あらやだ、頼りにされちゃったわ!
(はんっ)
(姉の方はもう手遅れだな。ロウの毒は回るのが頗る早い)
相棒から念話で毒呼ばわりされるも、華麗に受け流して話をまとめにかかる。
「もっともらしく語ってみましたけど、先ほど話した内容は可能性の一つです。あんまりあてにしない方がいいかもしれません。案外眷属が消耗して出てこれないだけかもしれませんし、何日か様子を見るのが一番でしょう」
〈ふむ。時間が経ってなお皇女の下に監視の目が顕れなければ、目的を達したとみてよいか。我としては、ロウが提示した論は筋が通っているように思う。死んでいるはずのユーディットが生きているこの現状、皇女の命を狙っているとなれば真偽を確かめないなどあり得まい〉
〈あるいは、竜の『眼』さえも掻い潜る監視方法を有しているか。聖獣たる我らをあしらう奴の力をもってすれば、不可能とも言い切れん〉
「そうなると前提が全部ひっくり返されちゃいますし、お手上げですねー」
結局のところ、こちらから打てる手は変わらないということで落ち着いてしまった。相手の目的が判然としないため、やはりどうしようもないところがあるか。
〈誘い出しを継続するより他はありませんか。皇女ユーディットには負担を強いてしまいますが……〉
「問題ありません、ナーサティヤ様。しっかりと務めを──」
「──はい、はいっ! わたくし、お役目を変わりたいですわ!」
皇女と医術神の会話に割り込むのは、彼女の妹サロメ。椅子から立ち上がり飛び跳ねて主張する度に、その豊かな胸が躍動している。
お隣に座る美の化身、知恵の女神と比べても遜色ない、大変素晴らしい双丘です。見事なダイナミズムといえよう!
((……))
曲刀たちはもはや呆れるだけで何も言わない。彼らも慣れたものだ。
「サロメ、何を言っているの? 遊びではないのですよ? そもそも、わたくしでなければ成立しない話です」
「う。で、でもお姉さまばかり危険な役回りとなるのは……。ロウさまと見て回るのも、楽しそうですし……もごもご」
姉に言い負かされ、見る見るうちに小さくなっていくサロメ。動きがいちいち可愛い皇女様である。ユーディットに比べると、彼女は性格が幼く純粋なようだ。
「案外、内と外を交代してみるのもいいかもしれませんね。宮殿内であれば感知範囲外から監視というのも難しいでしょうし、今まで通り眷属がやってくる可能性もあります」
「! ですってよ、お姉さま! やはりわたくしもロウさまと外出すべきなのです!」
軽く助け船を出した途端、水を得た魚とばかりに生き生きとしだす皇女殿下。皇居暮らしが退屈なのか、彼女は外に出たいという気持ちを隠そうともしていない。
「……ロウ、サロメに餌をあげないで下さい。この子は外に出ることの危険性が理解できていないのですから」
「むっ。わたくしはただ、お姉さまだけが魔神の脅威に晒されるというのが我慢ならないだけです」
片や眉尻を吊り上げて不満を表し、片や頬を膨らませて幼子のようにむくれてしまい。同じ顔を持つ姉妹の表情は、驚くほどに違いが滲む。
美人姉妹の顔芸を楽しみたいところだが、生憎と時間は有限。サクッと話を進めよう。
「お二方とも互いのことを想い合っているのはよーく分かりましたから。それはそれとして、神の皆さんはどうですか? 反対とか賛成とか」
中島太郎流処世術之四・他力本願である。問題が己の手に余るようなら、解決できそうな者へと放り投げてしまえってやつだ。
(責任感のかけらもなし、か。流石は曖昧なる“虚無”を司っているだけはあるな、お前さん)
辛辣なる言葉の刃が放たれるが、俺は不撓不屈の闘士なり。罵詈雑言なんてなんのその。
(真面目に向き合っていないだけですよね、それ)
などという念話もさらりと躱す。
〈あえてユーディットを宮殿内に置く、か。しかしロウ、お前がいない間も皇女姉妹が宮殿内にいたが、奴らは顕れる気配などなかったぞ〉
「ああ、そういえばそうですね……。となると、護り手の配置換えもしますか? ひょっとしたら、散々看破されてきた聖獣の感知力を警戒したのかもしれませんし。宮殿内は『竜眼』と『魔眼』で監視して、外では聖獣の感知力をもって護りとする、みたいな感じに」
〈ふむ……〉
思いついた条件を投げてみれば聖獣ケルブが思考に沈む。
一方で、女神は賛成の意を示してくれた。
〈存外悪くない案やもしれん。ロウに協力する『青玉竜』や魔眼の魔神を見ておきたいところだ、我も宮殿の護りにつくとしよう〉
「ありがとうございます、ミネルヴァ。あなたの『魔眼』の力をふるってもらえるとなると、とても心強いです」
〈ミネルヴァが協力するとなれば宮殿の『眼』はこの上ないものとなるでしょう。外出するサロメは聖獣二柱にロウがいますし、護りは万全。良案かもしれません〉
「おほほほ。ミネルヴァ様やナーサティヤ様も後押ししてくださいました。お姉さま、もはや何の問題もないということですわっ!」
「むぐ……」
女神たちの意見を聞くと、びっくりするくらい調子づくサロメ。頬を上気させて姉を詰る姿は子供そのものだ。
「そういえば殿下、急な変更ですけど外出の許可ってとれるんですか?」
「問題ありませんわ。聖獣様の御姿の下であれば、お父さまであっても反対することはできませんもの。大手を振ってお外を歩けますわ~」
「……皇帝陛下、苦労してそうっすね」
「普段は聖獣様が姿を顕すことなどありませんし、このような強行手段など通りませんよ」
お嬢様節で高笑いする妹に、目を覆い嘆息する姉。この短いやり取りで姉妹の日常が想像できてしまうのだから不思議なものである。
〈では末裔と共に話をつけてくるか。ロウ、お前は竜と魔眼の魔神を呼び寄せよ〉
「へいへい。あ、ここで空間魔法って使っても大丈夫? 魔道具とか反応しない?」
〈それはお前の力量次第であろう〉
聞いてみるも曖昧なる言葉で一蹴された。でこっぱちのくせに生意気なやつ。
のしのし歩く聖獣とそれに続く皇女たちを見送り、こちらも空間魔法を発動。図書館を離れ、遥か上空へと転移した。
◇◆◇◆
上空から場所をしっかりと記憶し、移動を開始する。
といっても、空間魔法で稼げる移動距離は凄まじいもの。数回転移するだけで宿の自室に到着だ。
「どんだけ距離があっても、空間魔法があると近場にしか感じられないなー」
(上位者ならではの感覚ですね)
「戻ったか。今日も皇女と行動を共にするのか?」
報告が終わったと寛ぐ間もなく声がかかる。
振り向けば、今朝と同じように寝室から出てくる蒼髪美女が目に入った。
……ここ、俺の部屋なんですけどー? というか施錠して外に出たんだが?
「なんでお前がここに……ってそんなに睨むなよ。えーっと、今日は上空からの監視じゃなくて宮殿で見張りについてもらいます」
「ほう。あの建造物の内部か。内装も気になっていたところだ、悪くはない時間となるやもしれん」
「楽しみにしてるところ悪いけど、あんまり出歩くのは駄目だぞ。あくまで皇女様周辺に限った話だし」
説明しつつ破壊されていた扉を修復し、外へ出る。
何故こいつは扉をぶっ壊してまで俺の部屋に入りたがるのか……竜の気まぐれだろうし、考えるだけ無駄か。
ほんのり上機嫌なウィルムを伴い向かう先は、エスリウの部屋である。
竜の『竜眼』に、魔神の『魔眼』。どちらも魔力を看破する特別な力を持つ故の人選だが……。
協力関係にあるとはいえ、宮殿内部は神の巣窟。半ば敵対中の死神サマエルもどこぞにいるはずであるし、送り込むのが二柱だけとなると不安が残る。
「やはり戻ってきていたか」
考え事をしながら歩いていれば、竜胆色の長髪が艶やかな美女から声がかかった。紫髪の中に金のメッシュが輝く、セルケトである。
「ただいま。なるべく目立たないように帰ってきたつもりだったけど、バレてたか」
「ふふん。我が感知力にかかれば当然よな」
「はっ。『眼』を持たぬ分際で何を抜かすか」
「ふっ。『眼』を持たぬ身でも不自由はない。むしろウィルムよ、具える身となればその力に頼り切ってしまうのではないか? 今のおぬしのようにな」
「はいそこー張り合わないでー」
気を抜くとすぐ喧嘩腰になってしまう両者である。
今くらいのじゃれ合いなら許容範囲だが、状況によっては過熱しないとも限らない。
セルケトを連れて行こうかと思ったけど、最近ピリピリしているウィルムと組み合わせるのは危険そうだ。神の前で見栄を張られちゃあ堪らない。
「戻られましたか──っと、ウィルムさんにセルケトさんもご一緒ですか」
美女たちのいがみ合いを眺めていれば、声かけ事案が再び発生。今度は目的の人物にして象牙色の美少女、エスリウだ。
「どうもどうも。エスリウ様には今回も目を光らせてもらうことになるのですが、少し変更点ができまして。前回と違って宮殿内部で魔神なり眷属なりの気配を注視して欲しいんですけど……」
「宮殿内部ですか。『魔眼』は壁ごしにも魔力を見通せますし、問題とはなりませんけれど。許可は取れているのでしょうか? ワタクシも魔神ですから、聖獣が良い顔をしないように思えてしまいます」
「ちゃんと取ってきたのでその点はご安心を。ただ、今回は聖獣の代わりに知恵の女神や医術神が、皇女様の護りを固めてるんですよね」
「まあ……」「ほう」「なにぃ?」
三者三様に驚く美女たちへ、事の成り行きを説明していく。
外での監視の場合、こちらの感知範囲外から監視される可能性があること。聖獣の感知力を警戒している可能性があること。皇女サロメが外へ出たいとごねたこと、等々。
「──なるほど。それでロウさんとサロメ殿下が聖獣を連れ外出すると……。その論理ですと、聖獣は姿を顕して街を歩くということでしょうか?」
「そうなりますかねー。宮殿内にいるユーディット殿下のお傍に、聖獣がいないことを示さないとなりませんし。とはいえこれも、相手がこちらの感知外から監視していて、且つユーディット殿下の命を狙っているとするならば、ですけど」
説明していてる自分でも感じるが、仮説の上に仮説を積むような不確かな作戦である。
アノフェレスの目的さえ分かっていれば、こんな奥歯にものが挟まったような思いをせずに済むんだが。
「神の前で女のお守か。我は協力できんぞ、ロウ。堅苦しいのは好かん」
「ですよねー」
誰憚らない魔神は忖度なく意見を表明した。最近はヤームルや俺の眷属とよく買い物へ行っているようだし、そちらへ興味が向いているのだろう。
「口煩い神どもと行動し、更には女のお守りときたか。妾が出るほどのことなのか? ミネルヴァがいれば事足りよう」
「前にミネルヴァ本人が言ってたけど、あの女神様の『魔眼』であっても『竜眼』には劣るんだってさ。神さえも凌ぐウィルムの力があれば万全になるし、ご協力お願いします」
「……ふっ。そこまで言うならば、致し方あるまいな」
セルケトからは袖にされて立ち去られてしまったが、ウィルムの協力は取り付けられた。持つべきものはチョロい仲間である。
「……はあ」
一方のエスリウはジト目となっているものの、文句は出ていない。優しい彼女ならばきっと協力してくれるだろう。
「そういう運びで宮殿の護りについてもらうわけですけど、万が一戦闘が起きた場合に備えて追加戦力を入れときたいんですよね」
「上位魔神が三柱以上に加え、眷属もいると聞きますからね。ロウさんの言う通り、襲撃には備えておきたいところです」
「それに加えて、神が複数いる場に竜と魔神とが出ていくわけですからねー。もうお伝えしましたけど、俺は死神サマエルから協力を得られていません。あいつは魔神を滅ぼせるなら皇女なんて二の次って感じでしたし、宮殿に行くにもあいつが手が出せないくらいの戦力が欲しいんですよね」
今現在、所在をつかめていない死神。曲がりなりにも神である以上、神と協調している俺たちに手を出すとは考え難いが……。
正直なところ、奴は信用ならない。
ユーディットが首を刎ねられた際、俺への攻撃を優先したこと然り。ナーサティヤ神を若い神と軽んじ蔑んだ言動然り。
「古より存在する、力ある神の一柱。あの死神がワタクシたちの排除に乗り出せば、太刀打ちするのは難しい……。戦力を増強して頂けるというのは有難い申し出です」
「俺から頼んでいるわけですから、当然ですって。まあセルケトには振られちゃったわけですけども。一気に力をつけたネイトに頼もうかとも思ったんですけど、あいつは既に死神と殺りあっちゃってますからねー……残るはあいつか」
消去法的に思い浮かぶのは上位精霊ニグラスの艶姿。
彼女は精霊でありながら神に比する力を有している。
何より、あいつは魔神ではない。死神への刺激を増やすことには繋がらないだろう。
「あの死神は魔神に対してえらく敵対感情を持ってます。魔眼を持ってるエスリウ様ならともかく、戦闘員の役割を担うネイトだといちゃもんが付くかもしれない。その点、精霊のニグラスなら同行するにはもってこいでしょう」
「ニグラスか。奴の力はそれなりだが……上位魔神と出くわす可能性がある中、奴は護衛たり得るか?」
「闇魔法はエスリウ様の大魔法を思い出すくらいの規模だったよ。魔神相手にだって引けはとらないだろうさ。それに女神の協力もあるし──っと、おはよう」
[[[──]]]
疑問を挟んできた蒼髪美女へ返答していると、色とりどりな男女たちが廊下を塞ぐ。我が眷属たちである。
[──?][──、──][っ!]
「ほぐッ。いきなり纏わりつくなって……なになに、最近構ってもらってない? お父さん最近忙しくてなー……ちょッ、冗談だって。サルビア、電撃出すの禁止! 深夜の訓練、一緒にやるから!」
「うふふ、仲の良いことです」
「妾やセルケトにはつれないというのに、眷属には甘い奴だ」
べたべたと張り付いてくる我が子ら(実体は不定形の半精霊)に根負けし、鍛錬を一緒にすると確約してようやく解放されるに至った。やれやれだぜ。
状況が落ち着いたらゆっくり眷属たちと遊ぶ時間を作ってみるかと考えつつ、俺はニグラスの部屋へ向かった。
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