お菓子の家

善文 杏南

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 夜になると約束通りママがケーキを買って帰ってきた。葡萄ぶどうのケーキである。
 ママはフライパンを使ってステーキを焼く。藍子はレタスを洗う。
 リビングのソファーに樹里ちゃんと文香ちゃんが座っている。テレビを見ている。
 リビングは壁紙が金色である。
 赤いチェックのシャツを着た薺ちゃんがトマトを切っている。肩までの髪を三つ編みにしてぎちぎちに編み込んでいる。
 美味しそうな肉の匂いがする。
 理穂ちゃんもダイニングに入ってきた。トマトを切りながら薺ちゃんが言う。
「ママ、お兄ちゃんに藍子のこと釘刺しといた方がいいよ。私、今日見ちゃったんだよね」
「薺ちゃん」
「前から危ないなあとは思ってたんだけど、お兄ちゃん、藍子に手出しちゃうかも。そんなのやばいでしょ?」
 ママは藍子を見た。
航也こうやに何かされたの?」
 首を振った。
「何もされてないよ」
 取り乱してしまった。レタスを無駄に千切ってばら撒いた。
 藍子の誕生日の食事会が始まる。お兄ちゃんは二階の部屋から下りてこない。
 誕生日には皆プレゼントをくれる。
 理穂ちゃんは黄色のカラーストーンが付いたバレッタ、薺ちゃんはゴジラのフィギュア、樹里ちゃんと文香ちゃんからは昆虫図鑑を貰った。
 お兄ちゃんからはぬいぐるみを貰っている。洗面所から部屋に戻った時ベッドの上に置いてあった。白いロバのぬいぐるみである。
 藍子はぬいぐるみが好きで集めているのでお兄ちゃんは毎年ぬいぐるみをくれる。テディベアはいっぱいある。
 九時を少し過ぎた頃、お風呂から部屋に戻る途中でお兄ちゃんとママを見た。ダイニングである。
 ママはフライパンを洗っている。お兄ちゃんはテーブルの横に立っている。ステーキを抓んで食べている。
 ママは青いスポンジに洗剤を付けて丁寧にフライパンを洗っている。
「藍子に何かしたの?」
 お兄ちゃんは答えない。
「馬鹿なことしないでね」
 お兄ちゃんはママを無視してお皿のケーキを手掴みで食べている。
 黄緑色の葡萄が沢山乗った生クリームのケーキである。お兄ちゃんの指に生クリームがべったり付いている。

 早朝に狂ったような猫の鳴き声がして目が覚めた。
 普段はドライフラワーが入っているリビングの鳥籠に薺ちゃんの猫が閉じ込められていてパジャマ姿の薺ちゃんが怒っていた。
「鍵はどこ?」
 緑の目をした灰色の猫は助け出されると廊下に飛び出していった。
 理穂ちゃんや文香ちゃんが煩いと言いながらダイニングに入ってきた。いつもより早く朝食の支度が始まる。
 理穂ちゃんがパントリーに入ってシリアルの箱を持ってくる。樹里ちゃんがリンゴジュースをグラスに注いでいる。暫くするとママが来た。パジャマ姿である。
 椅子に座って皆と一緒に食べているといつもより遅い時間にお兄ちゃんが来た。黒いシャツのパジャマを着ている。
 ママは藍子の横に座ってリンゴジュースを飲んでいる。
 お兄ちゃんは食器棚からグラスを取って蛇口を捻って水を汲む。藍子の向かい側に座った。ママが言う。
「藍子は優しすぎるから言いたいことが言えないんじゃないの? 航也ともっと色々話し合う必要があるんじゃない? どう?」
 困惑した。
「話し合うって何を?」
「ママが間に入ってもいいけど藍子が自分で話すのがいいと思うの」
 何を言えばいいのかわからない。どういうことなのかわからない。動揺して口籠って下を見てぐちゃぐちゃとシリアルを掻き混ぜているとママが言った。
「そういえば藍子、日記つけてるでしょ? 交換日記とかどう?」
 双子が吹き出した。ママは双子を見る。
「何?」
「二十一歳と十七歳の兄妹が交換日記ってありえないよ」
「そう? でもうちは複雑だからありえるのよ。ノート買ってきてあげるからね」
 食器を洗っているとママが横に来た。
「今日はママお仕事休みなの。一緒にピアノのコンサートに行こうね」
 藍子の部屋のクローゼットには高価なブランドのワンピースが十着以上入っている。
 ママに選んでもらってサーモンピンクのワンピースを着た。裾がラベンダー色のフリルになっている。
 ママが髪を綺麗に編み込んでくれた。スワロフスキーのネックレスを付けてママと二人で外出する。
 ロールスロイスの助手席に座る。
 ママはベージュのシャツドレスを着ている。金色の腕時計を嵌めている。日差しが強くて眩しいのでシンプルなデザインのサングラスを掛けている。
 コンサートホールに着くと髭を生やしたスーツ姿の男の人に出迎えられてエレベーターに乗って特別な席に案内された。フランス料理が運ばれてきた。鴨肉をナイフで切る。ママの横顔を見た。
 ママは目にほくろがある。十歳年上の政治家と不倫をしていると週刊誌に載っていたと薺ちゃんが言うのを聞いたのは一週間ぐらい前である。
 舞台の上ではタキシードを着た金髪の線の細い男の人がラフマニノフを弾いている。
 帰りに喫茶店に入った。
 駐車場は広いけど建物はそんなに大きくない。
 ログハウスみたいな外観である。ジェラートが有名な店であるらしい。ここでも特別に個室に案内された。
 ママはジンジャーレモネード、藍子はキウイのスムージーを飲んだ。
 ママが言う。
「文香に嫌なことされてない?」
「うん」
「航也は大丈夫?」
「うん」
 クッキーを割って食べる。高い天井にある照明のプロペラが回っている。
 窓の外は畑である。ハーブが沢山植えられている。
 畑の横に大きな木がある。カブトムシがいるかもしれない。天気がいい。風は吹いてない。
 藍子はママの子供じゃない。
 ママにはお姉さんがいてその人が藍子の母親である。
 藍子の父親は日本に留学中のイギリス人の大学生で結婚を許してもらえなかったらしい。だから母は父を追って家出して行方がわからなくなったらしい。
「藍子のお父さんってね、日本語は上手だったけど、子供っぽい顔してて背も低かったし、あがり症でいまいち冴えない人だったのよね。でも笑顔が可愛くて、とにかく優しい人だったの」
 ママが教えてくれた。藍子には両親の記憶がない。赤ん坊の頃から孤児院にいた。
 両親は藍子が赤ん坊の頃に事故死してしまっていたらしい。それを偶然知ることが出来たママが一生懸命探してくれて藍子はママの子供になった。
 ママの子供になって一年経たない内にママからこっそり聞かされた話である。
 姉達は知らないので藍子はママが浮気をしてこっそり生んだ子供だと信じている。実の妹だと思ってくれている。だから妹じゃないとばれてしまったらどうなるかわからない。だけどお兄ちゃんは知っている。
 藍子の両親は藍子が生まれたばかりの頃に藍子を連れて何度かママに会いに来たことがあったらしい。
 お兄ちゃんはそれを覚えていたらしい。
 藍子は赤ん坊の頃から赤毛で雀斑だらけなので特徴があったのかもしれない。
 帰りに小さな文房具店でノートを買ってもらった。方眼ノートで表紙の水色がとても綺麗である。

 ママがピザを焼いている。
 理穂ちゃんの誕生日である。
 夕食の前に部屋で日記を書いているとドアが開いた。薺ちゃんである。水色のシャツを着ている。
「ねえ、ベル見てない?」
 ベルは猫の名前である。首を振った。
「見てない。いつからいないの?」
「一時間ぐらい」
 薺ちゃんは耳を掻く。切れ長の目で藍子を見る。
「そういえばさ、朝ベル苛めたの文香だから」
 文香ちゃんの顔を見ると威嚇したり逃げ出したりするベルを見て問い詰めたら白状したらしい。
「あの子ブラコンが酷いから。昨日の私の話が気に入らなかったみたい」
 薺ちゃんは「お兄ちゃんじゃないから」と言ってドアを閉めた。
 日記を書く。
『今日はママとピアノのコンサートを見に行きました。帰りに喫茶店でキウイのスムージーを飲みました。お兄ちゃんともどこかに行きたいです』
 お兄ちゃんの部屋は二階にある。
 二階にはお兄ちゃんと理穂ちゃんと薺ちゃんの部屋がある。三階は屋根裏部屋で誰も使ってない。
 二階の廊下の突き当りにはアンティークな電話台がある。その上に緑色の花瓶があってアジサイの造花が挿さっている。
 お兄ちゃんの部屋のドアをノックをする。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
 少ししてドアが開いた。
 お兄ちゃんは白い大きなパーカーを着ている。破れたデニムを穿いている。ドアに凭れて藍子を見下ろす。
 絆創膏の数は減っているけど傷は治ってない。
 目の横の痣は昨日より色が濃くなっている。
 女優のママに似ているお兄ちゃんは傷だらけでもかっこいい。顔が綺麗で見惚れてしまう。
 だけど優しそうな目に騙されてはいけない。目を逸らす。
「これ、交換日記」
 言いながらノートを差し出すとお兄ちゃんは手を伸ばした。それだけなのに体が震えた。お兄ちゃんはノートを引っ張って取る。
 ベルの鳴き声がして下を見るとお兄ちゃんの足元にいた。お兄ちゃんの脚に頭を擦り付けている。
 お兄ちゃんはノートを開いて読みながら言う。
「これ、他の奴に見せるなよ」
「ママにも?」
「見せるな」
 頷く。
「薺ちゃんがベル探してたよ」
 お兄ちゃんはベルのお腹を掬い上げるようにして持つと藍子のお腹に押し付けた。
 ベルを抱いて頭を撫でる。
 ベルは化粧品の匂いが好きである。ハンドクリームを塗っていると舐めようとしてくるし、たまに化粧をするとその顔を舐めてくる。
 お兄ちゃんが言う。
「中入れよ」
 ベルを廊下で放して部屋に入る。
 ウォールナットの机にパソコンが二台ある。角度を調整できるカクカクしたデスクライトがある。壁一面が本棚で辞書や参考書で埋まっている。大学で使うんだろう。物理や化学、数学の本が沢山ある。医学書と柔道の本がある。
 お兄ちゃんは漫画の雑誌を読むけど読んだらすぐに捨てるので本棚に漫画はない。小説は読まない。地図もない。生物図鑑がある。
 鉄のシェルフがあって濃い色の木製のチェストがある。
 チェストの横の壁はパンチングボードになっていてニッパーやレンチやドライバーやハンマーが掛けられている。のこぎりかんなきりがある。
 カーテンは深緑色でその手前にテレビがある。窓際に古い木の椅子がある。壁紙は濃い青である。
 大きなベッドの白いふかふかの布団の上に座る。アメリカの音楽番組を見た。
 暫くすると薺ちゃんが呼びに来たので一緒に部屋を出る。
 食事が済んでダイニングを出るお兄ちゃんを追いかけてパーカーを掴んだ。
「宿題を教えてほしいの」
 お兄ちゃんは藍子の部屋に来て教えてくれた。
 嬉しくなってお兄ちゃんの手を掴んでぎゅうぎゅう握ってへらへらしていると思い出した。
 前にリビングでお兄ちゃんにべたべたしている所を理穂ちゃんに見られたことがあった。
「キャバ嬢みたい」と怒られたんだった。
 慌てて離れて「間違えた」と藍子が言うと「何を?」と訊かれた。
「何でもないよ」
 首を振って誤魔化した。
 翌朝、ダイニングでヨーグルトを食べていると起きてきたお兄ちゃんは不機嫌そうだったけどノートを持っていて藍子にくれた。
 開いてみるとちょっと荒っぽい字で書いてある。
『今度の試合、見に来いよ』
 嬉しい。




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