黒翼の檻

一番じゃなくていい、なんて嘘だ

クロが部屋に戻ったのは、朝の5時だった。柔らかそうに見える大きな黒い翼に付いた微かな香水の匂いが、遥の鼻を刺した。

「おかえり。シャワー、先に使っていいよ」

寝室のドアに寄りかかりながら、遥は微笑んだ。怒らない。責めない。ただ淡々と、いつもの朝を始める。

「……へえ、まだ起きてたの？　律儀だね、相変わらず」

クロは飄々と笑う。琥珀色の目が、悪びれた様子もなく遥を見下ろしている。

「朝ごはん作ったから、食べて。今日も仕事なんでしょ？」

「うん、でもちょっとだけ仮眠するかな。人間の相手って、なかなか疲れるんだ」

”また人間か。“

遥は何も言わず、うっすら笑っただけだった。黙って台所に戻る。炊きたてのご飯、出汁を丁寧にとった味噌汁。浮気されても、帰ってきたクロのために用意した朝食。

背後から、黒い羽音がした。

「さーて、今日も可愛い子見つかるかな～……遥、掃除しといて」

「うん。帰ったら、部屋あったかくしとくね」

クロの手が、ふと遥の髪を撫でた。優しげな手つき。でもそれは、他の誰かにもする愛撫だ。

「……ホント、お前って不思議。俺に執着もしないし、問い詰めもしない。なのに、いつもここにいる」

「……俺はさ、カラスじゃないから。飛べないし、追えないよ。ただ、巣を守ってるだけ」

静かな声が、逆に胸に刺さる。

クロはくすっと笑った。

「……つまんない男」

そして、また誰かの元へと飛び立っていく。

でも、遥はその背中に言葉を投げかけた。

「……でも、君がボロボロになって落ちてきた時、俺の腕の中にいたら……嬉しいよ」

クロは振り向かなかった。ただ、その黒い翼がほんの少しだけ震えた。