53 / 59
第七章 桜降る春に
一
しおりを挟む
〈三年後〉
天音の子を出産してから、二回目の春がやってきた。
今、桜子は、京都郊外の山里にある小さな寺の離れに、娘と美津と三人で暮らしていた。
この辺りの桜は京都市内より開花が遅い。
けれど四月も二十日をすぎ、さすがに昨日あたりから散り始めていた。
三歳になった娘は、春子と名づけた。
天音に似て、目鼻立ちのはっきりした可愛らしい面立ちだ。
「かあさま、おんも、いきたい」
おかっぱ頭に御所車模様の赤い着物をきた春子は、赤い鼻緒の草履を履き、玄関先で待っていた。
早く行きたくて、待ちきれない様子だ。
「じゃあ、桜のお花のところに行きましょうか。もうすぐ、伯父様と伯母様が来られるお時間ですから、お迎えをかねて」
これから、梅子と忠明がやってくることになっていた。
忠明は念願の貿易会社を立ち上げ、主に日本の工芸品を欧米に輸出する仕事に携わっていた。
今回の京都訪問も仕事絡みらしい。
姉から家族で京都に行くので、そのついでに桜子のところも訪ねたいと連絡をもらっていた。
桜子は春子の小さくてふっくらした手を取って、歩きだした。
寺の門を出て、石段を降りたところに小川が流れており、川沿は桜並木になっていた。
春風が吹くたびに、花びらがいっせいに舞い散り、川面を埋めている。
「さくら、さくら」
桜の下で、春子が歌いながら花びらと遊んでいると、こちらに向かってくる家族連れがあった。
姉と義兄だ。
春子より一歳年上の従兄、忠嗣も一緒だ。
忠明は帽子を取って頭を軽く下げた。
「はるちゃーん」
名前を呼んで、手を振っているのは、桜子の姉の梅子だ。
「馬車から二人が見えたので、そこで降りたんだよ」と忠明がにこやかに話しかけてきた。
「お義兄様、お姉様、遠いところをはるばるお疲れ様でした」
「いいえ、こちらこそお邪魔様。のどかで良いところね」
梅子との話に気を取られ、目を離した隙に、春子が転んでしまった。
「ふぅ……うぇっ……?」
「まあ、はるちゃん」
泣き声を聞きつけ、桜子は慌てて駆け寄った。
けれど、姉夫妻の後ろを歩いていた男性が、桜子がそばに行くより先に、春子を抱き上げた。
急に高く持ちあげられて驚いた春子は、ぴたっと泣き止んだ。
「あ、すみま……せ……。えっ?」
桜子はその、栗色の髪をした男性を目にして、言葉を失った。
「桜子」
この声。
ひとときも忘れることはなかった。
「天音……どうして……」
天音は梅子に春子をそっと手渡し、桜子の前に立った。
そして、感に堪えない面持ちで桜子を抱きすくめた。
「迎えに来たんだ。あの時、約束しただろう?」
「天音……」
ずっと、もうずっと焦がれていた天音の腕に包まれているのに、なかなか実感がわいてこない。
このような夢を、何度も見ていたから。
再会した天音が抱きしめてくれる夢を。
目覚めると消えてしまう、甘くて切ない夢を。
まず頬をつねるべきだろうか。
これが現実であると、確かめるために。
天音の子を出産してから、二回目の春がやってきた。
今、桜子は、京都郊外の山里にある小さな寺の離れに、娘と美津と三人で暮らしていた。
この辺りの桜は京都市内より開花が遅い。
けれど四月も二十日をすぎ、さすがに昨日あたりから散り始めていた。
三歳になった娘は、春子と名づけた。
天音に似て、目鼻立ちのはっきりした可愛らしい面立ちだ。
「かあさま、おんも、いきたい」
おかっぱ頭に御所車模様の赤い着物をきた春子は、赤い鼻緒の草履を履き、玄関先で待っていた。
早く行きたくて、待ちきれない様子だ。
「じゃあ、桜のお花のところに行きましょうか。もうすぐ、伯父様と伯母様が来られるお時間ですから、お迎えをかねて」
これから、梅子と忠明がやってくることになっていた。
忠明は念願の貿易会社を立ち上げ、主に日本の工芸品を欧米に輸出する仕事に携わっていた。
今回の京都訪問も仕事絡みらしい。
姉から家族で京都に行くので、そのついでに桜子のところも訪ねたいと連絡をもらっていた。
桜子は春子の小さくてふっくらした手を取って、歩きだした。
寺の門を出て、石段を降りたところに小川が流れており、川沿は桜並木になっていた。
春風が吹くたびに、花びらがいっせいに舞い散り、川面を埋めている。
「さくら、さくら」
桜の下で、春子が歌いながら花びらと遊んでいると、こちらに向かってくる家族連れがあった。
姉と義兄だ。
春子より一歳年上の従兄、忠嗣も一緒だ。
忠明は帽子を取って頭を軽く下げた。
「はるちゃーん」
名前を呼んで、手を振っているのは、桜子の姉の梅子だ。
「馬車から二人が見えたので、そこで降りたんだよ」と忠明がにこやかに話しかけてきた。
「お義兄様、お姉様、遠いところをはるばるお疲れ様でした」
「いいえ、こちらこそお邪魔様。のどかで良いところね」
梅子との話に気を取られ、目を離した隙に、春子が転んでしまった。
「ふぅ……うぇっ……?」
「まあ、はるちゃん」
泣き声を聞きつけ、桜子は慌てて駆け寄った。
けれど、姉夫妻の後ろを歩いていた男性が、桜子がそばに行くより先に、春子を抱き上げた。
急に高く持ちあげられて驚いた春子は、ぴたっと泣き止んだ。
「あ、すみま……せ……。えっ?」
桜子はその、栗色の髪をした男性を目にして、言葉を失った。
「桜子」
この声。
ひとときも忘れることはなかった。
「天音……どうして……」
天音は梅子に春子をそっと手渡し、桜子の前に立った。
そして、感に堪えない面持ちで桜子を抱きすくめた。
「迎えに来たんだ。あの時、約束しただろう?」
「天音……」
ずっと、もうずっと焦がれていた天音の腕に包まれているのに、なかなか実感がわいてこない。
このような夢を、何度も見ていたから。
再会した天音が抱きしめてくれる夢を。
目覚めると消えてしまう、甘くて切ない夢を。
まず頬をつねるべきだろうか。
これが現実であると、確かめるために。
0
あなたにおすすめの小説
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
悪役令嬢の役割は終えました(別視点)
月椿
恋愛
この作品は「悪役令嬢の役割は終えました」のヴォルフ視点のお話になります。
本編を読んでない方にはネタバレになりますので、ご注意下さい。
母親が亡くなった日、ヴォルフは一人の騎士に保護された。
そこから、ヴォルフの日常は変わっていく。
これは保護してくれた人の背に憧れて騎士となったヴォルフと、悪役令嬢の役割を終えた彼女とのお話。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
課長のケーキは甘い包囲網
花里 美佐
恋愛
田崎すみれ 二十二歳 料亭の娘だが、自分は料理が全くできない負い目がある。
えくぼの見える笑顔が可愛い、ケーキが大好きな女子。
×
沢島 誠司 三十三歳 洋菓子メーカー人事総務課長。笑わない鬼課長だった。
実は四年前まで商品開発担当パティシエだった。
大好きな洋菓子メーカーに就職したすみれ。
面接官だった彼が上司となった。
しかも、彼は面接に来る前からすみれを知っていた。
彼女のいつも買うケーキは、彼にとって重要な意味を持っていたからだ。
心に傷を持つヒーローとコンプレックス持ちのヒロインの恋(。・ω・。)ノ♡
見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ
しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”――
今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。
そして隣国の国王まで参戦!?
史上最大の婿取り争奪戦が始まる。
リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。
理由はただひとつ。
> 「幼すぎて才能がない」
――だが、それは歴史に残る大失策となる。
成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。
灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶……
彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。
その名声を聞きつけ、王家はざわついた。
「セリカに婿を取らせる」
父であるディオール公爵がそう発表した瞬間――
なんと、三人の王子が同時に立候補。
・冷静沈着な第一王子アコード
・誠実温和な第二王子セドリック
・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック
王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、
王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。
しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。
セリカの名声は国境を越え、
ついには隣国の――
国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。
「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?
そんな逸材、逃す手はない!」
国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。
当の本人であるセリカはというと――
「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」
王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。
しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。
これは――
婚約破棄された天才令嬢が、
王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら
自由奔放に世界を変えてしまう物語。
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
【完結】断頭台で処刑された悪役王妃の生き直し
有栖多于佳
恋愛
近代ヨーロッパの、ようなある大陸のある帝国王女の物語。
30才で断頭台にかけられた王妃が、次の瞬間3才の自分に戻った。
1度目の世界では盲目的に母を立派な女帝だと思っていたが、よくよく思い起こせば、兄妹間で格差をつけて、お気に入りの子だけ依怙贔屓する毒親だと気づいた。
だいたい帝国は男子継承と決まっていたのをねじ曲げて強欲にも女帝になり、初恋の父との恋も成就させた結果、継承戦争起こし帝国は二つに割ってしまう。王配になった父は人の良いだけで頼りなく、全く人を見る目のないので軍の幹部に登用した者は役に立たない。
そんな両親と早い段階で決別し今度こそ幸せな人生を過ごすのだと、決意を胸に生き直すマリアンナ。
史実に良く似た出来事もあるかもしれませんが、この物語はフィクションです。
世界史の人物と同名が出てきますが、別人です。
全くのフィクションですので、歴史考察はありません。
*あくまでも異世界ヒューマンドラマであり、恋愛あり、残業ありの娯楽小説です。
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる