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本編
王太子フェリクスと皇帝シュナイゼル②
しおりを挟む真っ黒な軍服の胸ポケットには、ヴァルリア王国軍が帝国から仕入れて使用していた、悪魔のような武器に彫られていた紋章と同じものが刺繍されていた。
――――帝国の紋章。
太陽と月を呑み込むかのように口に咥えている、双頭の獅子。
獅子の身体には六芒星の星が描かれている。
「まさか、帝国の……?」
フェリクスがそう口にすると、シュナイゼルは戦闘となってから初めて口角を上げた。
「マルティス王国王太子、フェリクス殿。まずは話し合わないか?俺は帝国の皇帝、シュナイゼルだ」
「?!」
自身を帝国の皇帝だと名乗るシュナイゼルに、フェリクスは驚きのまま一瞬だけ思考が停止する。
けれど、すぐに訝しんだ顔をして、再びシュナイゼルを睨み付けた。
「……確かにその紋章は帝国のものだが、貴様が本当に皇帝かどうかは疑わしいな。もしも本当に皇帝であるならば、納得がいく説明をしてもらおう。何故、他国の戦争が繰り広げられていた危険地帯のすぐ側であるこんな森の中に居たのか。何故、帝国の皇帝ともあろう者が、護衛を一人しか連れていないのか。何故………」
氷のような青い瞳に、ゆらりと揺れる憎悪。
「……マリアンヌを攫ったのか」
その瞬間、シュナイゼルは理解した。
自分がこの男の逆鱗に触れてしまった事に。
その事実を理解して尚、シュナイゼルは怯むことなく、その態度を崩しはしないが。
フェリクスの疑問は尤もだ。
シュナイゼルに突き飛ばされた後、邪魔にならないようにと少し離れた位置へ移動して、フェリクス達の戦いを見守っていたマリアンヌも、シュナイゼルに投げ掛けられた疑問にハッとする。
マリアンヌは自分が突然攫われてしまった事や、シュナイゼルとユーリの会話から、彼が帝国の皇帝だと疑わなかった。
今思えば、フェリクスのようにもっと疑って掛かるべきだったと思う。そうすれば、例え微々たるものであったとしても、もう少し時間を稼げたかもしれない。
――――しかし。
(……彼の殺気は、常に本物だった)
マリアンヌが何かひとつでも答えや行動を間違えていたなら、シュナイゼルは躊躇いなくマリアンヌを殺していただろう。
恐らく彼は、本当に気に入ったものであっても、状況次第で簡単にそれを切り捨ててしまえる男なのだ。
本能的にシュナイゼルの本質を察知していたのか、マリアンヌは極限の緊張状態で何とか最善の答えを選び取ってきたわけだが……
「俺を疑うのか?マリアンヌはすぐに俺が皇帝だと信じたのに」
「……どうしてそこでマリアンヌを引き合いに出すんだ?説明出来ないのか?それから先程も言ったと思うが、彼女の事を気安く呼び捨てるのは止めろ」
「ははっ嫉妬深い男は嫌われるぞ?」
「不愉快だ」
「……仕方ないな」
全く動じないフェリクスに、シュナイゼルはやれやれといった感じで嘆息した。
「フェリクス様!」
「遅いぞ、アレックス」
「申し訳ありません!」
少し遅れて今到着したアレックスが、顔色を青褪めさせながらフェリクスに謝罪する。
アレックスは馬を二頭連れていた。どうやらフェリクスが途中で馬から降りて来てしまったようで、アレックスは自分が乗っていた馬とフェリクスに置き去りにされてしまった馬を一緒に連れていく羽目になってしまい、そのせいで到着が遅れてしまったようだ。
シュナイゼルはそんなアレックスを見てから、離れた位置でルードと戦うユーリにチラリと目を向けると、何か逡巡し、自身の黒い剣を鞘へと収めた。そして、戦い続けている己の従者に声を掛ける。
「仕方ないな。ユーリ、剣を収めろ」
「?!」
「魔力を温存しながら戦うのはもう無理だ。かと言って、お前が魔力を解放して魔法をバンバン使えば、今度は帰りが面倒だからな。今回は引くしかない」
「……くっ……!申し訳ありません、シュナイゼル様……」
ユーリがルードから距離を取って剣を収めると、今の今まで戦っていたルードが怒りを露にして「おい!」と声を荒げた。
「まだ決着はついていないぞ!」
「……重傷のくせに吠えるな、マルティスの犬。シュナイゼル様の決定は絶対です」
「何だと?お前だって俺とそう変わらな……」
「ルード卿!」
ユーリが忌々しげにルードを睨み付けてからシュナイゼルの元へ向かうと、入れ違うようにマリアンヌがルードの元へ駆け付けた。
ルードは未だ納得していないようだが、マリアンヌがやって来ると、別の意味で慌て始めた。マリアンヌが、自身のスカートの裾をビリビリと破き始めてしまったからだ。
「マリアンヌ様?!」
「こんなものですみません。戻ったらちきんと洗浄して、綺麗な布で巻き直しますから。……包帯の前に縫った方が良さそうですが、今は我慢して下さい」
マリアンヌはそう言って、ルードの脇腹の傷を塞ぐように、まずは大きめに破ったスカートの布を傷口に当ててから、渾身の力を込めて強く強く包帯代わりに裂いた布で胴回りを巻いていく。自身の手に血がつくのも厭わず、必死に包帯を巻いて止血していく様は、その美しい容姿も相まって、兵士たちが話していたように、まるで本当の聖女のようであった。
フェリクスとシュナイゼルが、そんなマリアンヌを見て、思わず一瞬だけ見惚れてしまった。
すぐにハッとして我に返り、互いにコホンと咳払いしてから本題へと戻る。
「そもそも、何故マリアンヌを攫った?」
「ああ、それについてはこちらの手違いだ」
「手違い……?」
フェリクスが苛立ったように眉間のシワを深めると、シュナイゼルはくっと小さく笑ってから、その妖しく美しい紅い瞳を細めた。
そうして、シュナイゼルの口から、フェリクスが最も聞きたくない者の名前が告げられた。
「なぁ?前はシュゼットって女を可愛がっていたんだろう?いつ、寵妃を変えたんだ?」
* * *
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