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本編
真夜中の訪問者
しおりを挟むフェリクスとマリアンヌの二人が執務を同じ部屋で行うようになり、忙しいながらも心穏やかに過ごせるようになってきた頃。
『すまないが、今夜はだいぶ遅くなりそうだ。先に休んでいてくれ。』
申し訳なさそうな顔をするフェリクスに、マリアンヌは『頑張って下さい』と言って、微笑みながら頷いた。いつもの執務であるならば、“無理をしないで”と口にしただろうけれど、今夜はあえて“頑張って”と口にした。フェリクスが非常に大事な案件を抱えていると分かっていたからだ。フェリクスを応援し、送り出した後、マリアンヌは湯浴みを済ませて一人床に就き、眠りについた。
しかし。
……………………
…………
――――“お姫様”。
知っている誰かに呼ばれた気がして、マリアンヌは目を覚ました。
まさかと思った。
夢でも見ているのかと。
けれど。
「お姫様」
やっぱり、声が聞こえた。
外からだ。
「……バルコニー?」
嫌な汗が伝う中、マリアンヌは覚悟を決めて、厚手のショールを羽織る。
もし、本当に彼が来ていたとして、こんな風に他者に知られぬようお忍びで来たのなら、騒ぎになるような何かを仕出かすつもりは無い筈だ。
暗殺や誘拐という可能性もゼロとは言い切れないが、帝国がマルティス王国の王太子妃を消したところで、得られるものなど何も無いだろう。
(今のところ、マルティス王国に帝国の脅威となるようなものなんて無いのだから。それに……)
自分には、彼に言わなければならない事がある。
バルコニーに出る為の扉を開けて、一歩外へ踏み出すと、冷たい風にふるりと身体を震わせた。
夜空には無数の星が瞬いているが、今宵は新月だったらしく、光輝く月は何処にも見当たらない。
「寒いのなら、暖めてやろうか?」
耳に届く声は、やはり彼のものだった。
「有り難いお申し出ですが、丁重にお断り致しますわ」
マリアンヌが背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼を見据えると、彼はやはりいつものような色香を漂わせつつ、余裕のある笑みを浮かべている。
黒い軍服のような衣装で、黒いローブを纏っている為、闇に溶け込んでしまいそうだ。
「相変わらずつれないな。」
「一国の主たる御方が、こんな所へお一人で?」
「いや、少し離れた場所にユーリも居る。呼ぶか?」
「結構です。……ちょうど貴方にお話したい事がありましたので。」
――――“シュナイゼル皇帝陛下”。
マリアンヌがそう口にすると、シュナイゼルは一歩近付いて、血のような紅い瞳を細めた。
艶やかな漆黒の髪が、風に靡いて揺れ動く。
「……俺にとって、あまり良い話ではなさそうだな」
「…………」
これからマリアンヌが口にする事は、帝国の皇帝であるシュナイゼルの不興を買うかもしれない。
シュナイゼルの殺気をマリアンヌはよく覚えていた。
あまりに恐ろしく、あまりに鮮烈で。
今でも、連れ去られたあの日の事を思い出すと、身体が震えてしまいそうになる。
けれど、今伝えなければ。
マリアンヌは強く強く自分自身の拳を握り締めながら、意を決して伝えるべき事を口にした。
明らかな好意を寄せてくる彼に、自分の中にある固い決意を。
* * *
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