魔狩人

10月猫っこ

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九の五

戦闘

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 ぴしり、という堅い音とともに、まるで意思を持ったかのように繭玉がはじけ飛び、真っ白な糸が北斗と亜里沙に降りかかった。
 今まで以上の粘着力を持ったその糸は、二人の動きを抑制するには十分なものだ。
 今で以上に動きを制限された中、二人は己の武器を駆使しながらそれらを払いのける。 だが、後から後から降り積もりそれを完全に振り払うことが出来ず、北斗や亜里沙の腕や足に絡みつき、その動きを制限させるために力を強めていった。
「ぐっ!」
 身体中を締め付ける感覚に、北斗が思わず息を詰める。
 一瞬、北斗の脳内にかけ抜けた記憶。
 忘れようとしていても、忘れることの出来ない、苦く痛みしかもたらさない、思い出の数々。
『北斗』
 柔らかく呼びかけるその声は、遠く彼方に置き去りにしてきた少女のもの。
 ふわりと着物裾をなびかせ、舞い散る花弁の一つ一つを優しく指先でなぞり、優雅な仕草で北斗の方を見ると、少女は柔らかな笑みを浮かべて見せた。
 何故だ、と言う疑問は、嗅覚に覚えのある匂いから答えが導き出される。
 個人によって異なる匂いを放つのその臭気は、記憶の一番底に隠していた、本人にとって最も動きを止めるための効果がある思い出を引き起こすものだ。たった一瞬ではあったとしても、動きを止めれば命取りになりかねない。
 動け、そう念じた北斗の耳に、亜里沙の異様な叫びが耳をつんざいた。
「い、いやぁー!」
 我武者羅に、見えない何かを追い払うような仕草で、腕をでたらめに動かす亜里沙の瞳は、この状況を見ていない。それこそ、何かを恐れ、少しでもそれから離れようとじりじりと床を後ろへと這っていく。
「いや……いや……来ないで……来ないでー!」
 小さく舌を打ち付けた北斗は陽炎を持つ手に力を入れ、絡みつく糸を勢いよく切り裂いていく。亜里沙のそれもすぐさま切り離すと、力任せにその頬を平手で殴りつけた。
 多少乱暴なやり方だが、正気に戻すためには一番手っ取り早い手段だ。
「亜里沙!」
 強く呼びかければ、亜里沙の瞳の焦点がなんとか北斗を捕らえる。
 怯えの色が強い亜里沙の瞳は、コンビを組んでから始めてみる弱さの一端と言ってもよいだろう。それをなんとか頭から追いやり、北斗は力強い声で亜里沙に現実を見つめるように怒鳴りつけた。
「何ボーとしてる!敵はまだいるんだぞ!」
「あ……」
 その言葉に、亜里沙の焦点が幾分か知性の光をともす。ほっと安堵の吐息をついた北斗の身体を、けれども拒絶するように亜里沙がその身体を押しのけた。
 何をする、と言いかけた北斗だが、瞬間にかいだ肉の焦げる異臭を辿れば、亜里沙の右腕の一部が焼けただれ、痛みに僅かだが顔を歪めた亜里沙の表情を認めた。
 亜里沙の瞳に意思が宿っていることを確認し、先程の行動は敵の攻撃を庇ってのことだと理解し、盛大に眉根を寄せた。
「下がってろ」
「でも、深田さんが」
 少しでも水鳥に近づこうと、亜里沙はなんとか這いずりながらも、水鳥の側に近づこうとする。
 繭玉の横でぐったりと動かない水鳥の瞼が、微かに動く。それに亜里沙が安堵の吐息をこぼした瞬間だ。
 繭玉から伸びた白く鋭い針のようなそれが、背後から水鳥の心臓を貫いた。
 声のない悲鳴が、亜里沙の唇から漏れ出る。
 水鳥の左胸からどくどくと真っ赤な血が流れ降り、それに呼応したかのように繭玉の白い糸がほどけていく。
 痛み等忘れたかのように走り出した亜里沙の手をつかみ、北斗は黙って水鳥の致命傷を見つめていた。
 赤い血が、やがて深い緑色の液体に変わり、床の上の血溜まりを作っていく。
 明らかに人外のものだと分かる血の色に、亜里沙の顔から血の気が引いた。その様子を見たのだろう。ゆっくりと顔を上げ、深田水鳥であった人間の口から、哄笑とも言うべき甲高い声で笑い出した。
「儀式はこれで完了した。しかし、よくぞ分かったな、魔狩。
 して、いつから分かった」
「途中からだな」
 驚き半分と居直り半分の混じった声音を、北斗はにべもなく切り捨てる。
 その答えにクツクツとおかしそうに喉を震わせ、水鳥であったものは茫然自失となった亜里沙に視線を投げつけた。
「それは、気付いておらなんだようだが」
「こっちにも色々事情ってのがあってな」
「ふむ……こちらの気配は完全に絶っておったというのに。
 やはり、侮れんものだ」
「何で……」
 呆然としたような亜里沙の言葉に、北斗が水鳥から視線をそらさずに答えを返す。
「寄生されてたのさ。昇魔たちがよくやる手だ。
 人間に寄生し、機が熟すまでは寄生体本人の意思に任せて動く。その間は寄生体の気配に完全に溶け込んでいる。見分けるのは、大概こうなってからだがな」
 タイプBランク。そう呼称される昇魔達の妖力は、時に食われた本人すらもが気付かずに生活をする。それどころか、少しずつ思考も昇魔よりになり、いつしか完全に人間であった思考部分がなくなり、昇魔達に入れ替わってしまう。
 水鳥もまた、知らず知らずのうちに心を食われながら、何事もなかったかのように日常を送っていたのだ。そして同時に、無意識のうちにこの学園全体いや、この周囲の人家などにも巣を張り巡らせていたのだろう。
 胸元を貫かれるまでは、水鳥はあくまでも人間、『深田水鳥』という存在だった。その証拠が、先程流れた赤い血でも分かっている。けれど、その意識はすでに消滅してたはずだ。
「そうそう、一つ質問だが、何故分かった?」
「そいつと一緒に襲われたガキを眼にして気を失った後、オレがテメェに触れてを運んだだろうが。その時だ。そいつに触れた時、僅かだがテメェの気配を感じた」
「こちらの気配は完全に消していたはずなのだがな」
「上手く隠したつもりだろうが、俺と触れた時の反応が顕著だったからな。俺達が入る隙を狙っていたんだろう。あの時も」
「よく分かったな」
「普通なら二人諸共に殺していたはずだ。なのに、お前は食われず、ただ深田水鳥の感情と、目の前の光景を楽しんでいた。
 その余韻ぐらい消すもんだったな」
「ならば、今度からは気をつけんとな」
 そう言葉を放ちながら、水鳥は穿たれた穴に手を当てると、見る間にそこを糸で塞ぎ始めた。
 僅かに眉を潜めながらも、北斗は黙って相手の動きを見つめる。
 深田水鳥が、この学園に広がる異変の中心だというのに気が付いたのは、先程言ったとおりだ。学生ならば、自由気ままに校内に巣や糸を張り巡らせることは簡単だったろう。それどころか、北斗や亜里沙の動きを見張る形をとることも可能だ。
 優位性はまだ水鳥の、いや、昇魔の方にあるのだと言いたげな態度に、北斗は陽炎の切っ先を昇魔に向ける。
「ほ、北斗」
「何ぼさっとしてる。あいつはもう助からない。なら、やることは一つだ」
 分かりきった言葉だ。どうすべきか等も、亜里沙とて頭では理解できている。けれど、深田水鳥という少女を知っている部分が、一縷の望みを託すべきだと騒ぎ立てている。
「助から、ないの」
「あぁ」
 北斗の短い返事に、亜里沙はぎゅっと唇をかみしめた後、なんとか重い身体を立ち上がらせて翠刃光鞭を構え直した。
 そんな二人の様子を眺めながら、水鳥は愛おしげに繭玉の表面をなでつける。
「本当に、人間とは面白いものだな。
 他者を押しのけるために苦心する者。利害のために一致する者。相手を殺したいほど憎む者。いやはや、人間とは誠に醜悪きわまりない種族だな」
「それは人間の本質じゃねぇ」
「果たしてそうかな。この繭は、それらの感情を吸い、ここまで巨大に育ったのだぞ。
 もっとも、この中で一番強い感情は、恐怖なのだがな」
 にたりと、酷薄な笑みが水鳥の唇に刻み込まれる。
 今まで見てきた少女からは考え使えぬほど、邪悪で、醜悪な微笑み。
 それを見つめ、亜里沙の瞳に後悔が宿る。
 もう、救えない。
 浸食は終わっていたのだ。もっと早くに気が付いていれば、助けることが出来たのかもしれない。
 もしも、や、可能な限りの救出手段を数えあげればきりがないことぐらいは、分かっている。けれども、考えずにはいられないのだ。だが、そんな事を考えても、結末は変わらない。それぐらいは理解してはいるつもりだ。
 今は、気持ちを切り替えろ。
 フルリと頭を振りその考えを追い払い、亜里沙は翠刃光鞭を鋭い刃に変換すると、北斗と同様にその刃先を水鳥であった者に向けた。
 緊張に満ちた空気に、昇魔はふと思いついた言葉を口にした。
「こちらの手持ちの駒は、すべて貴様らが消したのだ。
 どうだ、我が魔界に戻るということで手をうたんか?」
「出来ると思うのか。
 直接手を下してはいないとはいえ、配下の者が人間を殺したんだ。黙ってそのままさようなら、なんてことになると思ってたのかよ」
「ほう。ならば我を殺すというのか」
「黙って封じられるのを良しとするなら考えを変えてやってもいいが」
「無理な相談だな、それは」
 バチリ、と、北斗と昇魔の間で青白い火花が炸裂する。
 陽炎を構えた北斗と、瞬時に糸を束にして刃上のものを作り上げた昇魔とが、互いの隙を探り合いながらじりじりと距離を縮める。
 さして短くもないが、北斗と昇魔にとっては長い時間。突如それは起きた。
 けして良いとはいえない足場を蹴りつけ、北斗が一気に昇魔との距離を詰める。ぎゅいん、という奇妙な音を立てながら、昇魔の剣と北斗の陽炎とがぶつかり合う。
 それを狙ったかのように、周囲から白い糸が北斗めがけて襲いかかる。
 だが、背後にいる亜里沙がすかさず翠刃光鞭を鞭上に変え、しなやかな鞭捌きでそれらをすべて切り落としていく。
 さすがにこのままではまずいと思ったのか、昇魔は力任せに北斗を押しやると、床を蹴りつけて背後に下がる。まるで重力を感じさせないように、ふわりと音もなく浮かび上がった昇魔はそのままトン、と言う音と同時に床に足をつける。
 そんな僅かな細中でも、繭玉から流れる白い糸は水鳥の身体を緩やかに纏わり付き、触れる部分から膨大な量の妖力を流し込んでいく。
「まずいな」
 うめくような北斗の声音に、亜里沙もまた苦い表情で頷いた。
 これ以上長引いては、こちらが不利だ。
 今まで大量に負の感情を吸い込んだのだろう。あの繭玉に秘められた妖力は学園中の者だけではない。この周辺に住む住人のそれをも取り込んでるのだろう。
 そうでなければ、これほど強大な代物になどなってはいないはずだ。
 昇魔のエサであると同時に、妖力の源と言っても過言ではないそれ。
 繭玉を恍惚として見つめながらも、昇魔は目の前の二人をどう料理してやろうかと思案を巡らせる。
 ほぼ互角と言って良い力量を持つ二人。だからこそ、時間稼ぎにもならない問いかけを放ったのだが。
 どうする。
 ここはいったん引き下がった方が良いと考えていても、目の前の二人がそう簡単に自分を逃がすこともなのは重々承知している。それに、ここほど心地よいえさ場はないのだ。ここを手放せば、他の昇魔達が自分の代わりに巣を張るかもしれない。
 そんな馬鹿げたことをさせてどうするというのだ。せっかくここまで苦労して人間達の負の感情を手に入れたというのに、それをみすみす渡してなるものか。
 だとすれば、どう動けば最善の策となるのだろう。
 昇魔は目まぐるしく脳内でいくつもの案を出しては、即座にそれらを否定する。
 それは、北斗も同じ考えだ。
 ここで仕留めなければ、被害は違うところで拡大を見せるだろう。それに、ここまで強い瘴気を溜め込んでいるのだ。昇魔がここを簡単に離れるわけがない。だが、もしもそれを捨て姿を隠すような行動をとったらどうなる。
 瘴気をすべて払いのけ、ここが昇魔達の巣にならないためにも動かなければならない。
 それが、自分達『魔狩人』の仕事だ。
「無駄なことはやめたらどうだ」
 あえてぶっきらぼうにそう言い放ち、北斗は昇魔のプライドを煽る。
 ここまで自信に満ちた相手だ。自分が不利だと感じれば、すぐさま逃げの一手に攻撃を変えるだろう。
 そうならないためにも、北斗はできる限り相手の感情を逆なでするための言葉を放ち続けた。
「お前さんみたいな腰抜けは、どこへ行っても同じ事だ。配下を作っても、駒としか見ていない。そんな奴は、いつか下のものに取って代わられるのが落ちだ」
「なに……」
「あえてもう一度言わせてもらうぜ、腰抜け野郎。テメェは、一人暗い場所で王様気分を味わうしかねぇんだよ」
 ざわり、と昇魔の髪が逆立つ。
 憤怒の表情を隠しもせず、昇魔は甲高い声で言い放った。
「貴様!殺してやる!そこを動くな!」
「動きゃしねぇっての」
 ぽそりと漏れた言葉は、どうやら昇魔には届かなかったらしい。
 全身の毛を逆立て、部屋中の糸を収束させる昇魔を冷静に眺めながらも、北斗は小さく亜里沙を呼んだ。
「おい」
「……鳩尾。核はそこだけ」
 僅かではあったが、北斗の瞳が感心で見開かれる。
 どうやら、亜里沙の霊力は攻撃よりも守備的な範囲で使われる方が良いらしい。自分でも見つけられなかった昇魔の核を、この短時間で的確に当てることは場慣れた者達でも難しいことだ。
 複数核がある個体もいるが、今回の昇魔はどうやら核は一つだけらしいが、その分だけ妖力の強大さも半端なものではない。核を覆う場所は、どの攻撃部分よりも強固に守りを固めているだろうし、それを簡単に潰させてくれる相手でもないだろう。
「お前はあれを壊せ」
 小声でそう告げれば、水鳥が繭玉に視線を向ける。
 強固な結界が張られているのは、亜里沙の眼から見ても十分に分かる。壊せと簡単に言われたが、翠刃光鞭でもそうそう簡単にはいかないだろう。
 だが、やるしかない。
 きゅっと拳を握り、亜里沙は目測で繭玉との距離を測り始めた。
 それに一瞥をくれただけで、北斗はすぐさま目の前の昇魔に視線を固定させる。
 タイプBの特徴は、人間に寄生し、その行動を読ませないこともそうだが、あえて人間の型にはまり、自分達が攻撃しやすいようにカスタマイズしていくことだ。それは、目の前の水鳥の姿をしたものも同じだろう。
 とにかく、妖力を与えている繭玉を破壊しなければ、いつまでたってもこちらが後手後手に回るのは目に見えている。
 正直なところ、亜里沙に破壊できるかは賭けではあるが、それでも分の悪い賭けに乗らざる得ない状況なのだ。とりあえず覚悟を決めたような顔つきをしていたので、北斗としては亜里沙の奮戦に期待するしかないだろう。
 じりじりと、昇魔と北斗の間が狭まる。お互いの間合いを計りながらも、それでも空中では小さな火花がパチパチと上がっている。力同士のぶつかり合いは、ほぼ互角。後は、どう動いて相手の動きを止めるかだ。
「そういやぁ、何故俺達に自分からちょっかいかけなかった」
「ふん。それはこちらの台詞だ。こちらを監視し、隙をうかがっていたのだろう」
「お互い様か」
 皮肉げにそう言い捨て、北斗が床を蹴りつける。
 昇魔に攻撃させないためにも、攻める手を休ませることなく北斗は昇魔に陽炎を振るい続けた。
 そんな中で、亜里沙もそっと行動を起こす。
 繭玉に近づけば近づくほど瘴気が強くなるが、なんとか萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、翠刃光鞭の緑石を撫でつけた。
 翠刃光鞭でこれを破壊することは無理だろう。後考えられる手は……。
 亜里沙が小さく深呼吸をし、自分の中の霊力をすべて引き出すべく眼を細める。
 術の詠唱は誰にも聴かれないように、その動作も最小限に行い、相手に悟らせてはならない。
 自分の師が言っていたとおりのことを実行するが、顔からは止まることのない汗が流れ続ける。手持ちの術の中でも最大級の攻撃技は、神経と集中力を要する。北斗が時間を稼いで間に、なんとしても術を完成させてこの繭玉を破壊する。
 亜里沙の全ての指先から、血が滴り落ちる。それを期に、亜里沙の肘から指先にかけての毛細血管が全て破裂したかのように、血が流れ落ちていく。だが、流れ落ちた血は血溜まりを作ることなく、徐々に周囲に広がりを見せながら複雑な文様を描いていく。
 その様を見たのだろう。昇魔が吠えるような声を上げた。
「何をしている!小娘!」
「邪魔はさせねぇよ!」
 亜里沙に襲いかかる昇魔を払いのける北斗に、昇魔は怒りで顔を赤くしながらも亜里沙への執拗な攻撃を重ねる。
 それをことごとく払いのけ、北斗もまた即席の術を発動させながら昇魔の身体に傷をつけていった。
 パン、と乾いた音が室内に響き渡る。
 瞬間、青白い光が床に浮かび上がると、繭玉を囲むように光が収束していく。
「待て!」
 昇魔の怒鳴り声と同時に、光が弾けるようにして周囲を染め上げた。
 光があたりに四散する中、耳障りな音を立てて繭玉が崩れ始める。
「あぁぁぁぁ!なんということを!」
 昇魔の絶叫に、北斗はうるさそうに眼を細めた。
 顔色を赤から白へと変え、昇魔は忌々しげに亜里沙を見つめる。途端に、亜里沙の身体が横合いから何かに張り飛ばされたように宙へととんだ。
「亜里沙!」
 ゲホゲホと咳き込みながらもなんとか身体を起こした亜里沙を横目で見ながら、北斗は陽炎を構え直して昇魔を真正面から睨み据える。
 苛立たしげに昇魔が頭をかき回せば、頭髪の毛がごっそりと抜け落ち、肉すらもが引きちぎられていく。あまりの異様さに、亜里沙が僅かに息を飲み込んだことに北斗は気付いたが、それを無視して北斗は昇魔の動きをじっと観察していた。
「許さん……許さんぞ!貴様ら!その腸引きずり出し、この場で寸刻みに殺してくれるわ!」
「出来るものならやってみろ!」
 吠える昇魔にそう言い切るや、北斗は突っ込んできた昇魔の刃を受け止める。
 先程よりも幾分か力が弱まっているのは、繭玉が破壊されたからだろう。ならば、今が攻め時であり、この昇魔を倒すチャンスが増えるた事を意味するのだ。
 先程よりも余裕をなくし、ただ闇雲に刃を振るう相手の隙を見つけることなど、戦闘を何万回と踏んだ北斗にとっては容易いことだ。
「死ね!」
 昇魔が大段に刃を振りかざす。その隙を逃さず、北斗は霊力を込めて鳩尾めがけて陽炎を突き出した。
「がっ」
 ゴポリ、と昇魔、いや水鳥の唇から濃い緑色の体液が流れ出す。
 結界も解け、きらきらと光りながら床に散らばる糸と、毒々しい緑色が見る間に床へと広がっていく。
 ずるりと陽炎を引き抜くのと同時に、水鳥の身体が砂のように形をなくして流れ落ちて消えていった。
「……終わった、の?」
「あぁ」
 タイプBを後にすると起きる必ず感じる胸糞の悪さに、同時にまだ自分は人界側に属しているのだと安堵する。
 昇魔とて生き物だ。それを殺すという選択肢がなされた時は、多少なりとも誰もが胸に重いものを背負い込んでしまう。
 まして新人である亜里沙が、初めて相手にしたのは人間から転化した昇魔だ。この仕事を投げ出してもおかしくはないだろうが、それは本人の意思次第だと考え、北斗は何も言わずに床に座り込んだ亜里沙に手を差し出す。
 だが、それに反応を示さず、亜里沙は呆然としたように風に乗って流れていく塵を見つめていた。
 小さく溜息をつき、北斗は己自身にも言い聞かせるかのように、冷淡な口調で亜里沙に語りかける。
「俺達の仕事は、感情やら理性やらを全て割り切って出来るもんじゃない。だがな、それでもそれらを押し殺して、仕事を完遂しなけりゃならないんだ。
 こんな風に後味の悪い仕事の方が、圧倒的に多い。それを理解しろ。
 理解出来ようが出来なかろうが、お前はこの仕事に関わった。そして生き残った。それが全てだ」
「それは……分かって、いる」
「分かってねぇだろう。まぁ、全てを納得しろって言うきもないがな。
 だが、お前が魔狩を続ける以上は、これは避けられないことだ。俺達の役目は、人間界を守ること。ただそれだけだからな」
 何かを言いかけようとした亜里沙の唇が何度か開閉される。だが、結局言葉は出てこずに、黙ったまま小さく頷いて北斗の手を取った。
 救えるものと、救えないものとがある。
 日を追うごとに昇魔が水鳥に浸透していくのは、北斗だけが知っていた。
 それを亜里沙に教えなかったのは、無謀にも水鳥から昇魔を引きはがさないためだ。もしも亜里沙が昇魔を払っていたならば、この学園内にいた昇魔達の動きは活発になるのも時間の問題だっただろう。
 最小限の被害だったのだと言ったところで、亜里沙は納得などしないだろう。
 亜里沙から見れば、これは結果的に水鳥を殺したのは自分達だ、という結論にしか到達しないのだから。
 立ち上がった亜里沙の頭を、北斗は優しく撫でつけた。
 驚いたように顔を上げた亜里沙だが、北斗はすでに背を向けこの場から去るために歩き出している。
「あの……」
「早くしろ。おいていくぞ」
 動きを止めずに言い放たれた言葉に、亜里沙は慌ててその背中を追いかけた。
 大きく広い背中だ。
 この背中に、自分はお荷物として引っ付いていただけでしかない。
 あの背中に、いつか自分も並ぶことが出来るのだろうか。
 そんなことを考えながら、亜里沙は北斗の背中をじっと見つめた。
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