現代転生ダンジョン勇者

塩塚 和人

文字の大きさ
1 / 8

第1話 帰還者の日常

しおりを挟む
 目を覚ましたとき、天井に走る細いひびが最初に視界に入った。
 東群市の古い集合住宅。築四十年を越えているが、雨漏りはしない。妹と二人で暮らすには、十分すぎるほどだ。

「……朝か」

 久瀬アラタは静かに上半身を起こし、時計を見る。午前五時半。
 ダンジョンに潜る日としては、ちょうどいい時間だった。

 顔を洗い、台所に立つ。昨夜の残りのご飯を軽く温め、卵を焼く。特別なことはしない。火を通しすぎないようにだけ気をつける。それだけだ。

「おはよ」

 背後から、少し眠そうな声がした。
 振り返ると、パジャマ姿のミオが立っている。

「早いな」
「今日もダンジョン?」

 アラタはうなずいた。それ以上、言葉は続かない。
 ミオもそれ以上は聞かなかった。

 二人の間には、説明しない約束がある。
 危ないかどうか。怖くないか。――そういう話は、もう何度もした。そのたびに、何も変わらなかった。

「いってらっしゃい」
「行ってくる」

 それだけでいい。

 玄関を出る前、アラタは一瞬だけ立ち止まり、ミオの方を見る。
 彼女はエプロンを着け、フライパンを洗っていた。いつもの朝だ。

 ――帰る場所がある。
 それだけで、十分だった。



 東群第七ダンジョンは、市の北側にある。
 外見は、巨大な穴だ。直径三十メートルほど。縁には金属製の柵と監視設備が並んでいる。

「久瀬アラタ。ソロ、ですね」

 受付の女性が端末を操作しながら言った。
 探索者管理機構――通称EMB。ダンジョンを管理する半公的組織だ。

「はい」
「ランクA。入坑許可出します」

 女性は一瞬、画面に表示された数値を見て、眉をひそめた。

「……魔力測定、まだ更新されてませんね」
「壊れたままです」

 事実を言っただけだ。
 女性は困ったように笑い、端末を閉じた。

「では、気をつけて」

 アラタは軽く頭を下げ、ダンジョンへと足を踏み入れた。

 中に入った瞬間、空気が変わる。
 湿り気を帯びた冷気。遠くで何かが動く気配。

 ――懐かしい。

 そんな感想が浮かんだ自分に、アラタは小さく苦笑した。
 ここは異世界ではない。だが、似ている。似すぎている。

 かつて、彼は勇者だった。
 召喚され、剣を持たされ、戦い、魔王を倒した。

 英雄と呼ばれた。
 その結末が、死だった。

 目を開けたとき、彼は赤子で、泣いていた。
 意味もわからず、声を上げていた。

 ――二度目の人生。

 それが、久瀬アラタという青年だった。



 第一階層は静かだった。
 低級魔物――ゴブリンに似た小型種が二体。動きは鈍い。

 アラタは武器を抜かない。
 一歩踏み込み、手刀で首を打つ。それだけで魔物は崩れ落ちた。

「……やっぱり、弱いな」

 独り言が漏れる。
 この世界の魔物は、総じて力が抑えられている。人類が対応できるよう、どこかで調整されているようにも感じた。

 素材を回収し、奥へ進む。
 第三階層。第四階層。

 周囲の壁に刻まれた傷跡を見るたび、アラタの脳裏に、別の景色が重なる。
 血。炎。仲間の叫び。

 ――思い出すな。

 今は勇者ではない。
 探索者だ。

 そして、兄だ。

 魔物の群れを殲滅し、階層を抜ける。
 時間はまだ午前中だ。

 ダンジョン内で休憩を取り、水を飲む。
 心拍数は平常。息も乱れていない。

「……これで、Aランクか」

 自嘲ではない。
 ただの事実確認だった。

 魔力測定器は、彼を測れない。
 触れた瞬間にエラーを起こし、最悪の場合、内部が焼き切れる。

 だから彼のスキル欄は「不明」のままだ。
 それを、不満に思ったことは一度もない。

 強さは、証明するものじゃない。
 生き残るために、使うものだ。



 ダンジョンを出たとき、空はまだ明るかった。
 受付で報酬を受け取り、簡単な報告を済ませる。

 その途中、声をかけられた。

「久瀬アラタさんですね」

 振り返ると、スーツ姿の女性が立っていた。
 柊カナエ。EMBの職員だ。

「少し、お話を」
「手短にお願いします」

 彼女は一瞬だけ目を丸くし、それから微笑んだ。

「魔力測定の件です」
「直りません」

 即答だった。
 柊は苦笑する。

「ええ。ですので……別の方法を検討しています」
「必要ありません」

 アラタはそう言い、歩き出した。
 柊は追ってこない。

 ――関わると、面倒だ。

 それが正直な感想だった。



 夕方、アラタは帰宅した。
 玄関を開けると、香ばしい匂いがする。

「おかえり」
「ただいま」

 ミオは笑った。
 それを見て、アラタは少しだけ安心する。

 今日も、無事に帰れた。

 それだけで、十分だった。

 ――世界一は、まだ遠い。

 だが、彼は歩き続ける。
 帰る場所を、守るために。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

ヒロインガン無視で幸せになる話

頭フェアリータイプ
ファンタジー
死ぬ運命の悪役ですらないヒーローの婚約者が無関心に幸せを掴む話

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

乙女ゲームの悪役令嬢、ですか

碧井 汐桜香
ファンタジー
王子様って、本当に平民のヒロインに惚れるのだろうか?

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...