現代転生ダンジョン勇者

塩塚 和人

文字の大きさ
4 / 8

第4話 それでも、行くの?

しおりを挟む
 その日は、夕飯が冷めていた。

 テーブルの上には、味噌汁と焼き魚、白いご飯。
 どれもラップがかけられたまま、手をつけられていない。

「……遅い」

 ミオは壁の時計を見て、小さく息を吐いた。
 午後十時半。

 連絡は来ていない。
 それが、いつものことだとしても――胸の奥がざわつく。

 スマートフォンを手に取って、また置く。
 メッセージを送っても、すぐに返事が来るとは限らない。

 それでも、送らずにはいられなかった。

『まだ?』

 短い一文。
 それ以上は、打てなかった。



 玄関の鍵が回ったのは、それから十五分後だった。

「……おかえり」

 思ったよりも強い声が出てしまい、ミオは少し驚いた。

「ただいま」

 アラタはいつも通りの顔をしていた。
 疲れてはいるが、怪我は見えない。

 それだけで、ほっとする。
 なのに。

「……遅かったね」
「少し、長引いた」

 その答えに、ミオの胸のざわつきが消えなかった。

「ダンジョン?」
「そう」

 短い。
 いつも通りのやり取り。

 けれど、今日はそれで終われなかった。

「……ねえ」

 ミオは、アラタが靴を脱ぐのを待たずに言った。

「今日、ニュース見た」
「何の」

「第五十二階層で、変異種が出たって」

 アラタの動きが、一瞬だけ止まった。

 それを、ミオは見逃さなかった。

「関係、ある?」
「……偶然だ」

 嘘だ、と直感した。

 ミオは唇を噛みしめる。

「最近、危ないところばっかり行ってるでしょ」
「ランクを上げるには、必要だ」

 淡々とした声。
 理屈としては、正しい。

 だからこそ――。

「ねえ、なんでそんなに急ぐの?」

 ミオの声が、少し震えた。

「前は、ここまでじゃなかった」
「……そうか?」

「そうだよ!」

 思わず、声が大きくなる。

 ミオは自分の手が震えていることに気づき、ぎゅっと握りしめた。

「最近、帰りが遅い」
「怪我、隠してるでしょ」
「寝てるとき、うなされてる」

 一つ一つは、小さなことだ。
 でも、積み重なっていた。

「……私ね」

 ミオは、アラタをまっすぐ見た。

「お兄ちゃんが世界一にならなくてもいい」

 その言葉に、アラタの目がわずかに見開かれる。

「そんなの、どうでもいい」
「ただ……」

 声が、掠れた。

「生きて帰ってきてほしいだけ」



 沈黙が落ちた。

 アラタは、何も言わない。
 ミオは、それが一番つらかった。

「私が言える立場じゃないのは、わかってる」
「でも……」

 言葉が、続かない。

 怖いのだ。
 ある日突然、帰ってこなくなることが。

 テレビの向こうの話じゃない。
 探索者の死亡ニュースは、日常になっている。

「……ミオ」

 アラタが、静かに口を開いた。

「俺は、死なない」
「そんな保証、どこにもない!」

 ミオは、思わず叫んでいた。

「誰だって、そう思ってる」
「強い人だって、死んでる!」

 涙がにじむ。

「私……一人になるの、嫌だ」

 その言葉は、ほとんど祈りだった。



 アラタは、初めて言葉に詰まった。

 異世界で、仲間を失った。
 数えきれないほど。

 だが、目の前で泣く誰かを守るという状況は、あまりにも違った。

「……俺は」

 何を言えばいい。

 世界一を目指す理由。
 力を求める理由。

 それは、全部――ミオのためだった。

 だが、それを言えば、彼女はもっと苦しむ。

「……すまない」

 それしか、言えなかった。

 ミオは首を振る。

「謝ってほしいんじゃない」
「約束してほしいの」

 アラタは、視線を落とした。

「……約束は、できない」

 正直な答えだった。

 危険な場所へ行かない。
 無理をしない。

 そんな約束は、守れない。

「……そっか」

 ミオは、小さく笑った。
 それは、諦めの混じった笑顔だった。

「でもね」

 涙を拭って、続ける。

「無事でいようとする努力は、して」
「それだけでいい」

 アラタは、ゆっくりとうなずいた。

「……それなら」

 約束できる。

「必ず、帰る」



 その夜、ミオは先に部屋に戻った。
 アラタは一人、リビングに残る。

 テーブルの上の夕飯は、すっかり冷めている。

 ――守るとは、何だ。

 強くなることか。
 危険に身を投じることか。

 それとも――。

 アラタは、深く息を吐いた。

 勇者だった頃、守る対象は世界だった。
 今は、たった一人だ。

 それが、こんなにも重いとは思わなかった。

 窓の外で、夜風が街を撫でる。

 ――それでも、行く。

 だが、帰る。

 その二つを、同時に叶える道を探す。

 久瀬アラタは、初めてそう強く誓った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

ヒロインガン無視で幸せになる話

頭フェアリータイプ
ファンタジー
死ぬ運命の悪役ですらないヒーローの婚約者が無関心に幸せを掴む話

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

乙女ゲームの悪役令嬢、ですか

碧井 汐桜香
ファンタジー
王子様って、本当に平民のヒロインに惚れるのだろうか?

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...