地上最弱、深層最強②――孤独の深層適応者

塩塚 和人

文字の大きさ
4 / 10

第四話 第七層、異常魔素域

しおりを挟む

 第七層に足を踏み入れた瞬間、ジャンは理解した。

 ――ここは、これまでのダンジョンとは違う。

 空気が、重い。
 湿っているわけでも、澱んでいるわけでもない。
 ただ、密度がある。

 呼吸をするたび、肺の奥まで何かが流れ込んでくる感覚。
 魔素だ。

「……濃すぎる」

 独り言が、やけに大きく響いた。

 壁面は暗い紫色に脈打ち、時折、淡く発光している。
 まるで生き物の内側にいるようだった。

 だが、恐怖はない。

 ジャンの体は、この環境を拒んでいなかった。
 むしろ、自然に馴染んでいる。

 筋肉が張り、関節が滑らかに動く。
 視界は冴え、音の反響すら正確に把握できる。

「……調子がいい、なんて言葉じゃ足りないな」

 それが、逆に不安だった。

     ◆

 探索を進めるにつれ、異変ははっきりしてきた。

 魔物が、少ない。

 気配はある。
 だが、姿を現さない。

 ジャンは足を止め、耳を澄ませる。

 ――来る。

 次の瞬間、壁から影が剥がれ落ちた。

 人型に近いが、輪郭が定まらない。
 魔素そのものが形を持ったような存在。

「異常個体……」

 剣を構えた瞬間、体が自然に前へ出る。

 速い。
 自分でも驚くほど。

 一合。
 剣先が触れただけで、魔物は崩れた。

 手応えが、ほとんどない。

「……弱い?」

 違う。

 魔物が弱いのではない。
 自分が、強すぎる。

 しかも、無理をしていない。
 力を振り絞った感覚が、まるでない。

     ◆

 進むほど、魔素は濃くなる。

 そして、それに比例して、体の感覚が変わっていく。

 心拍が、落ち着きすぎている。
 危険を前にしても、焦りが湧かない。

 判断が、異様に早い。
 迷いが、ない。

「……これ、まずいな」

 強さに酔っているわけではない。
 むしろ冷静すぎる。

 感情が、遠くなる。

 敵を倒しても、達成感がない。
 危険を回避しても、安堵がない。

 ただ、結果だけが積み上がっていく。

「体質改善……」

 ジャンは、自分のスキル名を口にした。

 環境に適応する。
 それは、裏を返せば――

「環境に、引っ張られるってことか」

     ◆

 さらに奥で、強い魔素反応が現れた。

 これまでとは、明らかに違う。

 巨大な個体。
 異常進化した魔獣。

 だが、ジャンは引かなかった。

 恐怖が、湧かない。

 距離を詰め、剣を振る。
 回避し、踏み込み、切り裂く。

 数分後。
 魔獣は、静かに崩れ落ちた。

 ジャンは、肩で息をすることすらなかった。

「……終わった、か」

 その声には、感情がなかった。

     ◆

 帰還を決め、階段を上る。

 一段、また一段。

 魔素が薄くなるにつれ、
 体が、急に重くなる。

 胸が苦しい。
 視界が、揺れる。

「……っ」

 手すりに掴まり、必死に呼吸を整える。

 さっきまでの自分が、嘘のようだ。

「……戻ってきた」

 弱い自分に。

     ◆

 地上に出たとき、夜風がやけに冷たく感じた。

 ジャンは、その場に座り込む。

 心臓が、うるさいほどに脈打っている。

「……差が、広がってる」

 深層の自分と、地上の自分。
 その落差は、確実に大きくなっていた。

 強くなればなるほど、
 戻るのが、つらくなる。

「……それでも」

 ジャンは、立ち上がった。

 選んだ道だ。
 逃げるつもりはない。

 第七層は、危険だ。
 だが、それ以上に――

 自分自身が、変わり始めている。

 その事実を胸に刻み、
 ジャンはギルドへと歩き出した。

 異常魔素域での探索は、
 まだ始まったばかりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

処理中です...