地上最弱、深層最強②――孤独の深層適応者

塩塚 和人

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第四話 第七層、異常魔素域

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 第七層に足を踏み入れた瞬間、ジャンは理解した。

 ――ここは、これまでのダンジョンとは違う。

 空気が、重い。
 湿っているわけでも、澱んでいるわけでもない。
 ただ、密度がある。

 呼吸をするたび、肺の奥まで何かが流れ込んでくる感覚。
 魔素だ。

「……濃すぎる」

 独り言が、やけに大きく響いた。

 壁面は暗い紫色に脈打ち、時折、淡く発光している。
 まるで生き物の内側にいるようだった。

 だが、恐怖はない。

 ジャンの体は、この環境を拒んでいなかった。
 むしろ、自然に馴染んでいる。

 筋肉が張り、関節が滑らかに動く。
 視界は冴え、音の反響すら正確に把握できる。

「……調子がいい、なんて言葉じゃ足りないな」

 それが、逆に不安だった。

     ◆

 探索を進めるにつれ、異変ははっきりしてきた。

 魔物が、少ない。

 気配はある。
 だが、姿を現さない。

 ジャンは足を止め、耳を澄ませる。

 ――来る。

 次の瞬間、壁から影が剥がれ落ちた。

 人型に近いが、輪郭が定まらない。
 魔素そのものが形を持ったような存在。

「異常個体……」

 剣を構えた瞬間、体が自然に前へ出る。

 速い。
 自分でも驚くほど。

 一合。
 剣先が触れただけで、魔物は崩れた。

 手応えが、ほとんどない。

「……弱い?」

 違う。

 魔物が弱いのではない。
 自分が、強すぎる。

 しかも、無理をしていない。
 力を振り絞った感覚が、まるでない。

     ◆

 進むほど、魔素は濃くなる。

 そして、それに比例して、体の感覚が変わっていく。

 心拍が、落ち着きすぎている。
 危険を前にしても、焦りが湧かない。

 判断が、異様に早い。
 迷いが、ない。

「……これ、まずいな」

 強さに酔っているわけではない。
 むしろ冷静すぎる。

 感情が、遠くなる。

 敵を倒しても、達成感がない。
 危険を回避しても、安堵がない。

 ただ、結果だけが積み上がっていく。

「体質改善……」

 ジャンは、自分のスキル名を口にした。

 環境に適応する。
 それは、裏を返せば――

「環境に、引っ張られるってことか」

     ◆

 さらに奥で、強い魔素反応が現れた。

 これまでとは、明らかに違う。

 巨大な個体。
 異常進化した魔獣。

 だが、ジャンは引かなかった。

 恐怖が、湧かない。

 距離を詰め、剣を振る。
 回避し、踏み込み、切り裂く。

 数分後。
 魔獣は、静かに崩れ落ちた。

 ジャンは、肩で息をすることすらなかった。

「……終わった、か」

 その声には、感情がなかった。

     ◆

 帰還を決め、階段を上る。

 一段、また一段。

 魔素が薄くなるにつれ、
 体が、急に重くなる。

 胸が苦しい。
 視界が、揺れる。

「……っ」

 手すりに掴まり、必死に呼吸を整える。

 さっきまでの自分が、嘘のようだ。

「……戻ってきた」

 弱い自分に。

     ◆

 地上に出たとき、夜風がやけに冷たく感じた。

 ジャンは、その場に座り込む。

 心臓が、うるさいほどに脈打っている。

「……差が、広がってる」

 深層の自分と、地上の自分。
 その落差は、確実に大きくなっていた。

 強くなればなるほど、
 戻るのが、つらくなる。

「……それでも」

 ジャンは、立ち上がった。

 選んだ道だ。
 逃げるつもりはない。

 第七層は、危険だ。
 だが、それ以上に――

 自分自身が、変わり始めている。

 その事実を胸に刻み、
 ジャンはギルドへと歩き出した。

 異常魔素域での探索は、
 まだ始まったばかりだった。
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