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湖月の夢
9.
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公同礼拝の翌日、学徒らは午前中に片付けを終えると、それ以後は各々自由に過ごしていた。夕食を終えたレオナルドが自室のベッドの上で丸まっていると、
トントントン
と、遠慮がちに部屋がノックされる。レオナルドが軽く身だしなみを整えてからドアを開けると、バツが悪そうにマルコが廊下で待っていた。
「入っても、いい?」
「ん? うん」
いつものような元気のないマルコにレオナルドは戸惑いながら、
「お茶でも飲む?」
と、自分はいつも通りにと心掛けた。マルコは「いや、大丈夫」とお茶を断って、ベッドに腰かけた。レオナルドはティーセットを机の上に出したまま手の行き場をなくして、それからマルコの隣にそっと座った。
「昨日、さ。合唱のとき、シェーベルが隣にいなくてさ」
小さな声でマルコは俯きながら言葉を紡ぎ出す。
「炊き出しのときも、シェーベルは町のみんなに囲まれててさ」
ポツリ、ポツリと口から心をこぼしていくマルコが、レオナルドにはまるで迷子のように見えた。
「俺、さ。シェーベルが、ずっと隣にいるんだって、そんなこと思ってたのかな」
マルコはそう言って体をベッドに倒す。顔を隠すように枕を乗せて、「はぁーあ」とため息をついた。
「寂しい……?」
「どうなんだろ。なんかさ、多分寂しいんだけどさ、それだけじゃないんだ」
右腕を枕の上に曲げて乗せ、マルコはウリウリと顔を擦るように横に振る。
「だってさ、助手になるつもりなんてないって、言ってたじゃんか。いずれ家の仕事手伝うからって言ってたのにさ。だからさ、あと数年はさ、ここで一緒にいられんのかなってさ。思っちゃったじゃん!」
語気を強めるマルコに、「うん。言ってた。言ってたよ」と伸ばされた左手を握ってやることしかレオナルドには出来なかった。
「俺が勝手なんだよ。勝手に信じて、勝手に裏切られた気分になってるだけなんだよ。分かってるんだけどさ。だって言ってたじゃん! 助手になるつもりないって!」
心を痛めながら悲しく叫ぶマルコに、レオナルドは目を固く閉じながら手を強く握りかえす。
「シェーベルが好きなんだよ。もうほんと、兄ちゃんなんだ。格好いい兄ちゃんなんだよ。一緒にいたい……。でも今、シェーベルと話してると、ずっと悲しい。体中がズキズキするんだ」
マルコは枕をギュッと握る。ふぅ、ふぅ、と何度か息をして、顔から枕を離した。
「……でもさ、話しかけちゃうんだよね。ズキズキして苦しくてさ、もう自分でも馬鹿だなって思うのにさ、それでもシェーベルと話したくてさ。話してると楽しくて、でも苦しくて、ほんとはちょっと、気づいてくれないかな、なんて思ったりして」
マルコは自嘲気に、はにかむように笑った。
「ごめん! 言うだけ言ったらなんかすっきりしたわ。やっぱお茶ちょうだい!」
そう声を高くしたマルコは、やはりどこか無理をしているように見えたが、レオナルドは気がつかないふりをして微笑む。
「ううん、僕こそ、何か気の利いたことでも言ってあげられたら良かったんだけど」
棚から取り出したカップを紙で拭って、ポットを傾けてお茶を淹れた。コポコポコポ……という間の抜けた音が部屋に響く。
「いやあ。多分、レオがじっと聴いてくれたから、それが嬉しかったよ。レオの所にきて良かった」
カップを渡すとマルコはクシャっと笑って、ゴクンゴクンと一気に飲み干した。
「え、てかめちゃくちゃ美味いじゃん、このお茶。やば」
「口に合ったなら良かったよ」
マルコが布団から跳ねるようにおりる。レオナルドがカップを預かると、
「ごめん、夜に。ありがと」
と、一度俯いてから抱擁した。
「ううん。いつでもおいで。おやすみ」
「おやすみー」
マルコを送り出してドアを閉める。一人きりの部屋に、月明かりが鋭く差し込んでいる。布団に座るとじんわりと温かく、レオナルドは滑るように床に落ちた。
学徒らを纏められるような、立派な人間ではいられなかった。心を寄せることが出来ない。自分のことしか考えられない。自分の悲しみしか、憐れむことが出来ない。
「嘘ばっかり……」
口をついたのは、そんな言葉だった。
苦しい。苦しくて仕方ない。
『言ってたじゃん!』
『助手になんてなるつもりないって、言ってたじゃん!』
マルコの声が頭にこびりついて離れない。
「ぅぅぅ……! んぅぅぅぅ」
レオナルドは枕を口の奥まで詰め込んだ。叫びたくて、わんわんと泣きじゃくりたくて、何も出来なくて唸っていた。
言ってたのに。言ってたのに。人の望んだもの、何も望まずに手に入れたくせに。
レオナルドは自分が恐ろしかった。シェーベルを責め立てるような言葉ばかりが身体中を満たしていった。どす黒い、重たい感情が沸く度にえずいて止まらなかった。こんなにも醜い自分がいたなんて知らなかった。知りたくなかった。知らないままで生きていきたかった。
昨日見た母妹の顔が浮かぶ。柔らかい日だまり。その温かさが何よりも辛い。
(ごめん。ごめん、こんな僕で……)
逃げたい。逃げ出したい。こんな自分も、いつもの自分もいない何処かへ。
レオナルドは立ち上がり、よろよろと窓を開けた。ビュオゥと吠える夜の風が、強く吹き込んで冷たかった。
トントントン
と、遠慮がちに部屋がノックされる。レオナルドが軽く身だしなみを整えてからドアを開けると、バツが悪そうにマルコが廊下で待っていた。
「入っても、いい?」
「ん? うん」
いつものような元気のないマルコにレオナルドは戸惑いながら、
「お茶でも飲む?」
と、自分はいつも通りにと心掛けた。マルコは「いや、大丈夫」とお茶を断って、ベッドに腰かけた。レオナルドはティーセットを机の上に出したまま手の行き場をなくして、それからマルコの隣にそっと座った。
「昨日、さ。合唱のとき、シェーベルが隣にいなくてさ」
小さな声でマルコは俯きながら言葉を紡ぎ出す。
「炊き出しのときも、シェーベルは町のみんなに囲まれててさ」
ポツリ、ポツリと口から心をこぼしていくマルコが、レオナルドにはまるで迷子のように見えた。
「俺、さ。シェーベルが、ずっと隣にいるんだって、そんなこと思ってたのかな」
マルコはそう言って体をベッドに倒す。顔を隠すように枕を乗せて、「はぁーあ」とため息をついた。
「寂しい……?」
「どうなんだろ。なんかさ、多分寂しいんだけどさ、それだけじゃないんだ」
右腕を枕の上に曲げて乗せ、マルコはウリウリと顔を擦るように横に振る。
「だってさ、助手になるつもりなんてないって、言ってたじゃんか。いずれ家の仕事手伝うからって言ってたのにさ。だからさ、あと数年はさ、ここで一緒にいられんのかなってさ。思っちゃったじゃん!」
語気を強めるマルコに、「うん。言ってた。言ってたよ」と伸ばされた左手を握ってやることしかレオナルドには出来なかった。
「俺が勝手なんだよ。勝手に信じて、勝手に裏切られた気分になってるだけなんだよ。分かってるんだけどさ。だって言ってたじゃん! 助手になるつもりないって!」
心を痛めながら悲しく叫ぶマルコに、レオナルドは目を固く閉じながら手を強く握りかえす。
「シェーベルが好きなんだよ。もうほんと、兄ちゃんなんだ。格好いい兄ちゃんなんだよ。一緒にいたい……。でも今、シェーベルと話してると、ずっと悲しい。体中がズキズキするんだ」
マルコは枕をギュッと握る。ふぅ、ふぅ、と何度か息をして、顔から枕を離した。
「……でもさ、話しかけちゃうんだよね。ズキズキして苦しくてさ、もう自分でも馬鹿だなって思うのにさ、それでもシェーベルと話したくてさ。話してると楽しくて、でも苦しくて、ほんとはちょっと、気づいてくれないかな、なんて思ったりして」
マルコは自嘲気に、はにかむように笑った。
「ごめん! 言うだけ言ったらなんかすっきりしたわ。やっぱお茶ちょうだい!」
そう声を高くしたマルコは、やはりどこか無理をしているように見えたが、レオナルドは気がつかないふりをして微笑む。
「ううん、僕こそ、何か気の利いたことでも言ってあげられたら良かったんだけど」
棚から取り出したカップを紙で拭って、ポットを傾けてお茶を淹れた。コポコポコポ……という間の抜けた音が部屋に響く。
「いやあ。多分、レオがじっと聴いてくれたから、それが嬉しかったよ。レオの所にきて良かった」
カップを渡すとマルコはクシャっと笑って、ゴクンゴクンと一気に飲み干した。
「え、てかめちゃくちゃ美味いじゃん、このお茶。やば」
「口に合ったなら良かったよ」
マルコが布団から跳ねるようにおりる。レオナルドがカップを預かると、
「ごめん、夜に。ありがと」
と、一度俯いてから抱擁した。
「ううん。いつでもおいで。おやすみ」
「おやすみー」
マルコを送り出してドアを閉める。一人きりの部屋に、月明かりが鋭く差し込んでいる。布団に座るとじんわりと温かく、レオナルドは滑るように床に落ちた。
学徒らを纏められるような、立派な人間ではいられなかった。心を寄せることが出来ない。自分のことしか考えられない。自分の悲しみしか、憐れむことが出来ない。
「嘘ばっかり……」
口をついたのは、そんな言葉だった。
苦しい。苦しくて仕方ない。
『言ってたじゃん!』
『助手になんてなるつもりないって、言ってたじゃん!』
マルコの声が頭にこびりついて離れない。
「ぅぅぅ……! んぅぅぅぅ」
レオナルドは枕を口の奥まで詰め込んだ。叫びたくて、わんわんと泣きじゃくりたくて、何も出来なくて唸っていた。
言ってたのに。言ってたのに。人の望んだもの、何も望まずに手に入れたくせに。
レオナルドは自分が恐ろしかった。シェーベルを責め立てるような言葉ばかりが身体中を満たしていった。どす黒い、重たい感情が沸く度にえずいて止まらなかった。こんなにも醜い自分がいたなんて知らなかった。知りたくなかった。知らないままで生きていきたかった。
昨日見た母妹の顔が浮かぶ。柔らかい日だまり。その温かさが何よりも辛い。
(ごめん。ごめん、こんな僕で……)
逃げたい。逃げ出したい。こんな自分も、いつもの自分もいない何処かへ。
レオナルドは立ち上がり、よろよろと窓を開けた。ビュオゥと吠える夜の風が、強く吹き込んで冷たかった。
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