雨は藤色の歌

園下三雲

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雪原の紅い風

28.

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 中央教会はぐるりと低い塀に囲われており、その内側にずらりと藤棚が並んでいるようだった。春になればさぞ美しかろうが、今の季節はただただ殺風景なばかりである。

 石造りの立派な門をくぐり、花の無い藤の枝の下も抜けると、建物までは寂しささえ感じるほど何もない庭が広がっていた。所々に地面の焼けた跡があるのを見ると、この空間で炊き出しを行っているらしいことが分かる。敷地には四つほど棟が建っていたが、二人はステンドグラスの美しい正面の一番大きな建物の入り口を叩いた。

 中に入ると先生らしき人物がいて、二人が中央からの手紙を見せながら挨拶すると、彼は「よく来ましたね」と感情の見えない笑みを浮かべて学徒寮へ案内した。道中、中央教会の学徒らしき数名とすれ違ったが、彼らの目に二人の姿は映っていないように感じられた。

「ここが貴方達の部屋です。基本的な規則はここに書いてありますからよく読むように。廊下の一番奥の部屋に先生がいらっしゃいますが、些細なことで煩わせないよう注意して過ごしなさい」

 それだけを言うと彼は数枚の紙をレオナルドに渡すと立ち去っていった。

 二人はまず二段ベッドのどちらを使うかじゃんけんで決めて、それから荷を解こうとしてやめた。床も机もうっすらと埃が触れ、古びた窓に近づけば隙間風が冷たい。部屋内の用具入れには一対の箒と塵取りしかなく、バケツも布切れ一枚さえ無かったので、ルイががたつく窓を開ける間にレオナルドは鞄の中から布巾を出すとトイレでそれを濡らしてきた。

 二人が掃除を終えたのが早かったか、廊下に夕食が置かれたのが早かったか分からない。赤く悴んだ手でそれを部屋の内に入れてから、二人はようやく規則が書かれた紙に目を通した。


  一、学徒同士の不要な会話を禁じる
  一、施設の不要な立ち歩きを禁じる
  一、朝食は六時半から、昼食は十二時から、夕食は六時から、それぞれ一時間とし、時間外の食事を禁じる
  一、食事は部屋の内で取り、食べ終えた食器は部屋の前の廊下に置いておくこと
  一、入浴は九時から十時までとし、いかなる理由があっても時間外の入浴を禁じる
  一、朝礼は六時、終礼は十時である。部屋の前の廊下に整列し、これを受けること

「ほとんど犯罪者扱いだね」

 ルイはため息をつきながら呟くと、「いただきます」と手を合わせた。鐘が鳴ったのは随分前だ。早く食べてしまわなければ食事時間を過ぎてしまいかねなかった。

「まあ、人と会わなければ揉めることも無いから、これで良いのかもしれないね」

 レオナルドも、どうにか言い聞かせるように小さく息を吐くと、「いただきます」と食べ始める。アダムスよりも少し味の濃い食事が旅に疲れた体に嫌みなほど沁みる。冷めてしまったスープも、固いパンも、不味いと言えないのが悔しかった。

 どうにか鐘の鳴る前に2人は食事を終え、紙でサッと汚れを拭いてから食器を廊下に戻した。荷解きをして、規則が書かれた紙と一緒に渡された教会内の地図や今後の大まかな予定などを確認していると、やがて廊下からカチャカチャと食器を片付ける音が聞こえてくる。鐘が鳴ってすぐに片付けるのでないなら、もう少しゆっくり食べても良かったかもしれない、とルイが言って、それは少し危険じゃないかな、とレオナルドが軽く窘めた。

 アダムスへ送る手紙を書いていればあっという間に九時の鐘が鳴り、二人は浴場へ向かった。途中、湯上がりらしい学徒を見かけて、二人は成る程と理解する。

 浴場に着くと、既に三人の学徒が脱衣所にいた。彼らは二人に「はじめまして」とにこやかに挨拶すると、「時間が無いから自己紹介は湯に浸かりながらにしよう」と先に洗い場に入っていった。

 二人もサッサと服を脱いで裸になると、洗い場で手早く全身の汚れを落として湯に入った。中央教会の学徒らの残り湯だということさえ忘れれば、広くて温かくていい湯だ。

「改めて、はじめまして。僕はジョン。南端のヘーヴェから来ました」
「僕は、コユーゲルから来たディラン。よろしくね」
「僕はリヴィ。出身はキジャール。よろしく」

 三人の出身はどこも建国当初からある歴史ある街だ。ヘーヴェは大河に面し漁業の盛んな活気ある街だと聞くが、やはりジョンもハキハキと闊達に見える。コユーゲルはヴィルがリトゥムハウゼと出会うまで暮らしていた深い森の傍らにある街だ。特に果実が美味しいと評判なのだが、そのせいかディランは少しふくよかだ。キジャールは王城の真裏にある。数十年前から既に中央教会といざこざが絶えない街で、やはりリヴィの表情にはひときわ緊張の色が濃い。

「はじめまして。アダムスから来ました、レオナルドです」
「同じく、アダムスのルイです。よろしく」

 二人が挨拶すると、ジョンが
「アダムスか、やっぱり」
と大きく頷いて納得した。

「やっぱりって?」
「この歌劇を勉強した時、十年前の話も聞いたんだ。十年前は、アダムスの先生がお二人も参加されていたんだろう?」
「ああ、うん。アルバート先生が脚本を書いて、ルカ先生がヴィルを演じたって聞いてるよ」
「うんうん。だから、中央の学徒以外も第三次試験に呼ばれるなら、きっとアダムスからも学徒が出るはずだって、予想してたんだ」

 ジョンが「大当たり!」と勢いよく手を上げて波が立つ。その手をグッと沈めながらディランが二人に微笑みかける。

「君達は今日着いたばかり?」
「うん」
「そうか。入浴はあまりゆっくり出来ないけど、試験が始まるまでは、朝礼、終礼とご飯と入浴の時間さえ守れば後は部屋の中で何をしていても良いみたいだから、たくさん寝て疲れをとると良いよ」
「分かった。ありがとう」

 ディランはスイスイと二人に近づいてくる。

「ところで、二人はいくつ? ルイは十二歳くらい?」
「そう、正解。僕は年相応だからね。レオナルドの年齢は当てられないんじゃない?」
「え? 十三、四ってところかと思ってたんだけど、その言い方は違いそうだね」
「ふふ、残念。レオナルドは十六歳だよ」

 ルイがにやりと笑って言うと、三人はあんぐりと口を開けて束の間固まった。

「嘘!」
「冗談だろ」
「本当に僕らと同い年?」

 ジョンとリヴィもグイと近づいてまじまじとレオナルドを見る。

「僕、そんなに幼く見える?」
「いや、幼いっていうか――」
「幼いだろ」
「可愛らしいよねぇ」

 レオナルドがどう反応すればいいか分からずルイを見ると、彼はディランと手を取り合って「ねー」と意気投合していた。

「……なんでルイはそんなに得意気なのさ」
「僕のレオナルドが可愛いって言われて嬉しいんだよ」
「もう。ルイってば、たまにおかしな冗談を言うよね」
「冗談じゃないよ。レオナルドはアダムスのヴィルみたいなところあるから」
「なあに、それ。僕みたいなのがそんな、烏滸がましいよ」

 困ったようにレオナルドが頭を振る。二人のやり取りを微笑ましそうに眺めた後、リヴィは、
「なあ、ところで君達はどう考えてる? 今回の第三次試験」
と、声を小さくして訊いた。

「どうして受かったのか分からないなあ、と思ってる。あとは、演者に選ばれるにしても、選ばれないにしても、二人とも一緒がいいねって。どちらかが演者でどちらかが制作だと、心細いから」

 レオナルドも、リヴィと同じように小さな声で答える。

「僕らも同じだよ。そもそも僕らがここに呼ばれたことが不可解だろ? しかも、この少人数だ。中央の学徒を全員演者にさせて、制作の地味な仕事を中央以外の学徒にさせるっていうなら、この人数は少ないんじゃないかって」

 リヴィがジョンに目配せをする。

「分からないんだよね、中央教会の企みが。もしかして試験だけは公正に行われてるのか。それとも中央教会以外の学徒はかなり厳しくふるいにかけられたのに僕らが優秀すぎて残ってしまったのか。それとも単純に体裁のために 、第一次試験で中央教会よりも優秀な成績をとった僕らを呼びつけたのか」

 優秀すぎて、という言葉を否定しないのは居心地が悪かったが、事実そうなのだから仕方がない。結果の分かっている第一次試験の点数は、レオナルドとリヴィが百点、ジョンが九十八点、ディランが九十七点、そしてルイが九十六点だった。公表された彼らの順位はいずれも十位以内だった。

「正直僕らは最初、演者になったら中央教会の人間から妬まれるから制作に回った方が良いんじゃないかって思ってた。だけど、これ以上中央以外の学徒が増えなかった場合、何を作るにしても中央の学徒と協力して活動することになるでしょう? その方が、もしかしたらよほど辛いかもしれないよね」

 ディランが悲しそうに眉を寄せる。

「制作にはほとんど先生がつかないらしいんだよ。その点、演者になると、衣装あわせの時くらいしか学徒だけの活動はないらしい。日々の稽古は先生が必ず入る。先生という肩書きを持つ大人は、たとえ僕らを苛めるにしたって度の過ぎたことはしないはずだろう?」

 ジョンの言葉に反射的にルイは口を開いて、それから閉じて、キュッと口を結んでから、やはりと口を開いた。

「僕は昔、中央から来た先生って奴に酷い目に遭わされたことがある。から、先生だろうがなんだろうがあんまり信用してない。だけど、君達の意見も分かる。幼稚な感情より明確な悪意の方が扱いやすいよね」
「ああ。だから、どうせなら演者を目指して試験を受けてみても良いのかなって思ってるんだ。まあ、結果はどうか分からないけど」

 リヴィの言葉を受けて、「レオナルドはどう?」とルイが尋ねる。

「えっと、あの……。自分の演技は、自分一人が頑張ればいい。だけど、劇で使う物を作るなら協力しあわないといけない。だけど、向こうには協力だなんて考えはそもそも無いかもしれない。何かがあった時にこちらのせいにされることもあるかもしれない。と思うと、演者を目指した方が良いんじゃないかと思う、かな。それに……」
「それに?」
「もしも、はなから演者にならないつもりで試験を受けるって決めても、手を抜いて歌うってどう歌ったら良いのか、ちょっと分からないなって、実はずっと思ってた」

 レオナルドが言い終えると、浴場はシンと音を無くした。

「え、え、だって、わざと音を外すとか、わざと声を小さくして歌うとか、難しくない?」

 レオナルドが焦ったように言葉を重ねると、やがて吹き出すように四人は笑った。

「ハハハ! 確かにそうかもね」
「出来ないふりってのも、なかなか技術がいるよね」
「でしょう? わざとだってバレたら、挑発してるって思われるかもしれないし」

 言い募るレオナルドの頭を、リヴィが宥めるようにポンポンと叩く。

「よし。それじゃあ、ここにいる皆、ひとまず演者を目指して第三次試験を頑張るってことでいいかな?」

 ジョンが取りまとめると、四人はコクンと頷く。

「お互い頑張ろう」
「うん。あ、一つ皆にお願いがあるんだけど」
「ん?」
「ああ、でも、まずは上がってからにしよう。時間が……」

 ルイの言葉に、五人は「そうだね」と一斉に湯から上がった。体を拭きながら、ルイが、後の為にもし何かされたら詳細に記録を残してほしいと伝えると、三人は「分かった」と頷く。部屋へ帰る廊下を歩く間に、ルイは、早まっただろうか、もう少し彼らを観察してからの方が良かっただろうかと一瞬後悔して、それから頭を振った。

 優しく、曇りなく笑う彼らを信じたい。そう願った自分の選択を間違いだと思いたくなかった。

 ふと、レオナルドがルイの手を握る。少し湯にふやけた皺くちゃな皮膚がでこぼこして可笑しかった。
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