雨は藤色の歌

園下三雲

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雪原の紅い風

35.

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1月10日
 アル。今日から稽古が始まったよ。ヴィル役とリトゥムハウゼ役は、2月14日まで他の学徒とは分かれて個別に指導を頂くみたい。ルイと離れてしまったけれど、ジョンやディラン、リヴィがそばに居てくれるから大丈夫かな。僕は、早速鞭で打たれてしまったけれど、ウィリアム先生のおかげでなんとかやっていけると思う。言われたこと、されたこと、全部細かく記録したよ。指導なのか虐めなのか区別がつかないから、とりあえず全部書いてみた。後で精査してくれると嬉しい。明日も頑張るね。


1月11日
 ごめん。椅子に座るとお尻が痛くて、ベッドに横になりながら書いているから字が歪んでしまって読みづらいかな。食事もお風呂(というよりは湯浴み?)も、部屋で一人きりだから人の目を気にせず楽な姿勢で過ごしているよ。お行儀が悪いけれど、許して。


1月12日
 僕は暖炉が使えないから、毎夕、温石をウィリアム先生に頂きに伺っているのだけど、今日はルイ達四人が居て、夕食までの間少し話をしたよ。やはり陰口はあるらしいけれど、気にするほどでもないって四人は笑ってた。四人の掛け合いが楽しくて久しぶりに声を出して笑ったら何だか心がスッキリした気がする。明日も頑張れそう。


1月13日
 今日はお休みだったよ。部屋にたくさんの本があるから、気になるものを何冊か読んでいたらあっという間に夜になっちゃった。明日もお休み。読みたい本はたくさんあるけど、まだまだ日はあるからゆっくり読んでいこうと思う。


1月14日
 今日もお休み。だけどなんだかソワソワしちゃって、台本を何度も読み返したり、これまでの所作指導の復習をしたりしていたよ。部屋に姿見は無いのだけど、夜には大きな窓が僕の姿を映してくれる。空には小さな星々が、まるで泣いているみたいに綺麗だよ。美しいヴィルになれますように。


1月15日
 リトゥムハウゼ役の子が歌唱指導を受けている間、僕は物置のような小さな部屋を掃除しているんだけど、随分綺麗になってきたよ。掃除が終わったら、僕も歌唱指導して貰えるのかな。今はジークが教えてくれたことを思い返して、部屋で自主練習してる。ジークにありがとうって伝えてくれたら嬉しい。


1月16日
 朝から酷く冷えると思ったら親指分くらいの雪が積もっていたよ。所作指導で鞭を貰った後、掃除を一人でしている時にコッソリその雪で手のひらとお尻を冷やしてみたら、なんだかいつもより腫れも痛みも引いていくのが早いみたい。ウィリアム先生も冷やすと良いと言っていたのだけど今までなかなか出来なかったの。温石と毛布では夜を越すには少し心許ないけれど、雪は白くて綺麗だし、また降ってくれないかな。


1月17日
 小さな部屋の掃除が終わったのだけど、今度はもう少し大きい部屋の掃除をするように言われちゃった。綺麗にしすぎたのかな。「歌唱指導は?」ってきいたけど、「君は試験の時によく歌っていたから後からでも大丈夫でしょ。主役はリトゥムハウゼだし」だって。大丈夫なのかな。不安だけど、なんだか誰にも言い出せなくて、掃除ばかりが上手くなる自分に何を思ったらいいんだろう。


1月18日
 ルイから、僕がウィリアム先生に色目を使ってヴィル役を手にしたという噂が出回っていることを知らされたよ。毎夕、温石を頂くためにウィリアム先生のお部屋を訪ねていたのだけど、それが中央教会の人達に不審がられたみたい。だからといって急に部屋を訪ねなくなるのもおかしいから、四日に一度訪ねることにして、他の日はウィリアム先生が僕の部屋に温石を届けてくれることになった。ウィリアム先生の部屋でしかルイ達に会えないから、機会が減って寂しい。僕、中央教会の人に「何か用か」って聞かれた時は、ちゃんとウィリアム先生に教えてもらった通りに「お呼び出しを受けてウィリアム先生にご指導戴きに伺うところです」って言ってたのにな。


1月19日
 所作指導や歌唱指導の話はしていたけれど、教典解釈の話はまだだったよね。九時から十二時まで、ひたすら自分で勉強してるの。先生はいつも何かの本を読んでいるだけで何も仰らないけれど、たくさんの本や歴代のヴィルが使った台本なんかを自由に使わせてもらってる。アルが渡してくれたものもとても役立っているよ。ありがとう。静かに自分のペースで勉強できて、この時間は結構好き。ルカ先生の台本にはどんなことが書かれているんだろう?
 ところで、このところ歩いているだけでも心臓がドキドキするんだよね。なんだか息切れもするんだ。僕、おじいちゃんにでもなっちゃったのかな。


1月20日
 アル。中央は、最近は雪続きだよ。アダムスの雪とは少し違って、水っぽさが少なく感じる。寒いけれど、風邪はひかずに頑張っているよ。
 指導が始まってから十日。毎日同じ時間に、同じようで違うことを学びながら、僕は僕らしいヴィルに近づけていたらいいなと思う。今日までの手紙を纏めて封筒に入れて、明日ウィリアム先生にお渡しするね。アダムスを発ってから毎日書いていたから、大体一か月分? 一日分は短いから八枚で収まったけど、アルが読むのに負担にならないかなと少し心配。アダムスの皆はどうしてる? まだ冬が続くから、気をつけて過ごすようにしてね。


1月21日
 ヴィル役とリトゥムハウゼ役は、朝晩の二回体を清めるって話は前にしたんだっけ? 昨日までの手紙は送っちゃったから何を書いたのか分からないや。とにかく、朝と晩、湯浴みをするんだけどね、朝は正直面倒くさいなって思ってた。だけど2、3日前から寝汗が酷くて、朝の湯浴みが大活躍してる。部屋の中で寝具を干してもいるんだけど、それはなかなか、十数時間じゃしっかり乾かすのは難しいね。毛布を着込んでも、温石を当てても夜は寒いんだけど、ぐっしょり寝汗をかくなんて不思議。


1月22日
 今日は、四日に一度のウィリアム先生のお部屋へ伺える日だったよ。四日ぶりにルイに会えて嬉しかった。ルイは相変わらずウィリアム先生に対してぶっきらぼうで、まるで猫が威嚇しているように見える。きっとルイなりの甘え方なんだろうなと思うよ。可愛い。ルイはウィリアム先生に何でも言えているから大丈夫かなと思いたいけれど、無理をしているのも気を張っているのも分かるから辛いね。傍にいてあげられたら良かった。僕は頼りないけれど、それでも傍にいて、いつでも彼を守る雨になれたら良かったのに。ヴィル役がこんなに早いうちから他の学徒と隔離されるなんて知らなかった。なんて、今言っても仕方がないのにね。


1月23日
 ウィリアム先生は、いつも別れ際に額に口づけを下さるの。教典のどこかにあった場面だと思っていたんだけど、ずっと思い出せなくてね。今日やっとどこか分かったよ。教典の巻末に付いているオースリエルのヴィルへの手紙の一節だった。川を流されてきたオースリエルの額にヴィルが口づけた、赤ん坊だったのにその記憶だけずっと鮮明にある、って。きっとヴィルがオースリエルにそうしたように、ウィリアム先生は僕達に守護の祈りを下さっていたんだと分かって、たまらなく顔も体も熱くなった。夕方ウィリアム先生にお会いした時に思わず抱きついてしまったら、一度だけ頭を撫でて下さったよ。
 本当はね、窓から真っ白な庭を見下ろして、自分の霜焼けと鞭の痕で赤く痛々しい手を見る度に悲しくなった。お尻は打たれ過ぎて青くボコボコとなってしまったし、いつもいつも歩くだけで辛い。寝返りも打てなくて、仕方なくうつ伏せで寝てるのだけど、すごく息苦しい。だけど、生きていける。ウィリアム先生の口づけの意味を知ったら、強くそう思えた。


1月24日
 今日は、リトゥムハウゼ役の子と初めて会話したよ。教典解釈の時間にね、先生がずっと読んでいた本をパタンと閉じて、それから窓を開けて遠くを見つめた後、
「君達は、リトゥムハウゼをどんな人間だと思う」
って僕たちに訊いたんだ。まずリトゥムハウゼ役の子が
「建国の祖であり、我が国の今日の平和な暮らしの礎を築かれた立派なお方です。治世の才に溢れ、しかしその才に驕ることなく~~」
ってとてもしっかりしたことを話してね、その後で先生は僕にも「君は」と尋ねたんだ。僕は最初なんて答えたらいいものか迷って、だけどきっと自分の考えを話しても、迎合して話しても僕に返ってくるのは悪意だろうと感じたから、
「リトゥムハウゼはヴィルの一番の友達で、そうあることをすごく大切にしていて、だけど本当は一番、ヴィルが神であることに畏怖し敬愛していた人だと思います」
って正直に答えたの。そうしたら、二人の目が僕をじっと見て、それから先生が「続けて」と仰ったんだ。暴言も鞭も飛んでこなかったことに僕はまず安心して、それから、以前アルの部屋で話したようなことを二人にも伝えたんだ。そうしたら、リトゥムハウゼ役の彼がね、「なんて感情的な意見なんだ」って。彼の声には侮蔑も嘲りもなくて、ただただ純粋な驚きばかりだった。ウィリアム先生が彼は僕に意地悪するような子じゃないって言っていたけれど、本当にそうみたいな気がした。
「教典や様々な本に書かれていることを言葉通り受け入れたままではつまらない。文字に感情という色をつけて眺めているのでは覚束ない。リトゥムハウゼとヴィルは二人で一つだ」
と先生は仰ってた。それから少しだけ、リトゥムハウゼという人について会話をしたの。すごく楽しかった。僕と対極から、だけど同じものを見ているのがちゃんと分かってとても面白かったよ。


1月25日
 今日はお休み。朝から歌の練習をしていたんだけど、いつものように歌えなくて、歌うのは楽しかったはずなのに今日はずっと喉の奥が苦しくてやめちゃった。ぼうっとしていると何故だか涙が止まらないから、台本と向き合ってずっと勉強してる。
 そうそう。関係ない話だけれど、僕、今髪を伸ばしているんだよ。毛先が絡まって大変。母さんもリルも凄いなって思った。アルに手櫛を通してほしい。


1月26日
 今日はウィリアム先生のお部屋へ伺える日。今日はルイだけじゃなくて、ジョンとディランとリヴィもいたよ。四人とも気疲れはしているみたいだったけど、初めて会った時よりも随分と逞しく見えた。久しぶりに五人で話せて、すごく安心したよ。気が抜けたのか眩暈がしてしまって、心配かけちゃった。椅子に座るように促されて、だけどお尻が痛いから座りたくなくて渋っていたら、察してくれたのかジョンが椅子にどっかりと座って、その片腿に僕の腿を乗せるようにして座らせてくれた。お尻は宙に浮いて、でも背中をしっかりと腕で支えてくれたから安定していてすごく休まったの。本当にありがたかった。よい仲間がいて、僕は幸せ者だね。


1月27日
 休み明けは少しキツイ。今日も眩暈がして耳鳴りもする。所作指導の最中に一瞬気を失ってしまったら、先生が満足そうに僕を蔑んで笑ってた。その後は打たれることが無かったから良かったのかな。帰り道に、リトゥムハウゼ役の子が立ち止まったと思ったら静かに泣いていたの。彼だって、ただでさえ誰とも話せずに寂しい思いをしているのに、目の前で僕が倒れるなんて彼の心にとても負担をかけてしまったよね。僕はもっと気丈でいなければならないのに。


1月28日
 リトゥムハウゼ役の子が、昨日貸した僕の手巾を早速返してくれたよ。濯いで、暖炉の前で乾かしてくれたみたい。ほんのりと温かかった。教典解釈の時間、今日は二人でヴィルについて話をしたよ。ゆっくりと意見を交わす時間は心も穏やかで、午後が来なければいいと思った。
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