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花乱る鳥籠
50.
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「さあ、それじゃあいったん休憩にしよう。一息ついたら、曲の最初から踊ってみるよ」
「はーい」
フレディの掛け声に子ども達は元気よく返事をして、わやわやと座り込んだり床に寝転がったりする。まだ稽古をしている他の班に迷惑をかけないようにと、ルイが子ども達に注意した。
「お姉さん、一緒にトイレ行こー」
「トイレ? 分かった。一緒に行こうか」
誘いに来た子どもとレオナルドは手を繋ぐ。自分を指し示しているのだと分かれば、もはやお姉さんと呼ばれるくらいの小さなことは気にしなかった。
ルイもテオドールも子ども達に囲まれている。アルバートも、部屋の隅で誰か大人と話をしていた。
(まぁ、トイレに行くだけだし)
レオナルドは手を引かれるまま、何も告げずに二人で部屋を出ていった。
「お姉さん、待っててねー」
「待ってるよ。大丈夫」
制服の脱ぎ着に手間取る子どもを見守って、掛け違えたボタンを直してやる。濯いだ手を手巾で丁寧に拭いてから、もう一度手を繋いだ。
狭い出入り口を出たところで、トン、とレオナルドの肩に何かが触れる。
「あ、ヴィルじゃん」
「奇遇だね」
見上げればにやにやと、十五、六歳くらいの学徒三人がレオナルドを見下していた。
「あれ? 皆も、お姉さんと仲良しなの?」
子どもが無邪気に問い掛ける。
「ああ、そうだよ」
「ちょっと俺らお姉さんとお話ししたいから、一人で帰っててくれるか?」
子どもは「えー、僕、ひとり?」とレオナルドの手を掴んだままイヤイヤとしたが、
「いいじゃんか、お前はこの後も一緒に稽古できるんだろ? 今くらい俺らに貸してよ」
と言われると、その手を渋々離す。
「仕方ないなー。お姉さん、早く帰ってきてね!」
言うが早いか子どもは廊下をさっさと駆けていってしまい、引き留めようとしたレオナルドの手が虚しく空を切った。
「随分うちのチビ誑かしてくれてるんじゃん。なあ、お姉さん」
ドン、と肩を押され、壁に追い込まれる。
「なんか言えよ、お姉さん」
子どもに呼ばれた時には感じなかったおぞましいほどの嫌悪感が耳に障る。
「何か用ですか。私、早く帰らないと」
角を立てないようにレオナルドが毅然と言うも、学徒らはずっとにやにやしたまま三人でレオナルドの道を塞いだ。
「つれないなー。チビにはあんなに優しくしてたのに」
「ああ、もしかして、アレかな?」
「お姉さんと仲良くなるには……」
真ん中に立つ学徒の手が伸びてくる。
「こうしなくちゃいけなかったのかな?」
ゾワリと全身に鳥肌が立つ。
「何するの……!」
まさぐられる股間がどうこうというよりも、その指の動きや向けられる視線がたまらなく気持ち悪かった。
「何って、さっきのチビと同じことしただけだよ。こうしないと、仲良くしてくれないんだろ?」
「やめて……! 触らないで……!」
もがきながら、しかし大声は出せなかった。大きな騒ぎになればアルバートにバレてしまう。他の学徒らが稽古中で、自分達の他に誰も居ないのが僅かな救いだった。
「動くなよ。乱暴だな。ヴィルに選ばれたくせに淑やかさも無いのかよ」
両脇に立つ二人に腕を強く掴まれて壁に押し付けられる。不快に足に力が入らない。
「赤らめて見せろよ。さっきみたいに」
まさぐるのとは別の手で、頬をペチンと叩かれる。痛くないのに、蔑まれているのが嫌で嫌で涙が滲む。
「レオナルド!」
廊下の向こうから、テオドールの声が聞こえる。走り来る幾つかの足音が自分を助けに来たのだと分かっていて、レオナルドは来ないでほしいと思ってしまう。
「やべ。逃げるぞ」
学徒らがレオナルドから手を離して、テオドール達が来るのとは反対側へ一目散に逃げていく。
「何をされた? ごめん、トイレならと思って油断した。また君に怖い思いをさせたな」
「大丈夫。大丈夫だから」
だから騒ぎ立てないでくれとレオナルドは目で訴える。テオドールとルイの少し後ろからアルバートが険しい顔をしてこちらへ来るのが見えたから、レオナルドは無理矢理に笑顔を浮かべて見せた。
「レオナルド……」
泣き出しそうにルイは俯いている。
「ルイ、そんな顔しないで。本当に大丈夫だから」
ルイのことの方がずっと心配になって、しかし何と言って慰めたら良いのかレオナルドには分からなかった。
ガクガクと大きく震える膝を誤魔化すように、凭れた壁に体重を預ける。本当は、座り込んでしまいたかった。震える手で顔を隠して、泣いてしまいたかった。時間が経てば経つほど、辱められたのだという事実がレオナルドの心を酷く蝕んだ。
「レオナルド。触っても、良いですか?」
レオナルドが目を合わせずに頷くと、アルバートは乱れた制服をそっと直していった。細い指に丁寧に整えられたその場所から、穢れが落ちていく気がする。きっと、清められた湯を百度浴びても、湖に何時間浸かっても、これほどの平静はレオナルドには訪れなかった。愛してくれている人の優しい手が、ゆっくりと心を掬っていく。
アルバートは制服を整え終えるとレオナルドの顔をじっと見つめ、それから悲し気に息を吐いた。
「言いたいこと、話したいことは色々ありますが、今は稽古の途中ですからやめておきます。子ども達も待っていますから戻りなさい。今後は、ルイもレオナルドも、絶対に一人にも二人きりにもならないように。テオドール君に必ずついていて貰いなさい」
稽古を続けても良いのかとレオナルドは驚いて顔を上げる。
「稽古が終わったら、三人で私の部屋にいらっしゃい。その時に話をしましょう。それまでは、子ども達が楽しく稽古できるように笑顔でいなさい。出来ますね?」
そう言うアルバートの顔が苦しみと悲しみに満ちていて、彼なりにレオナルドの意思を汲もうとしてくれたことが分かる。レオナルドは一度深呼吸をして、口角を上げて応えてみせた。
「さあ、戻りますよ」
アルバートはレオナルドの肩を優しく叩く。頑張れと言われているような気がして切なくて、レオナルドはテオドールとルイの手を取ると、胸の痛みを振り切るように部屋へ戻っていった。
「はーい」
フレディの掛け声に子ども達は元気よく返事をして、わやわやと座り込んだり床に寝転がったりする。まだ稽古をしている他の班に迷惑をかけないようにと、ルイが子ども達に注意した。
「お姉さん、一緒にトイレ行こー」
「トイレ? 分かった。一緒に行こうか」
誘いに来た子どもとレオナルドは手を繋ぐ。自分を指し示しているのだと分かれば、もはやお姉さんと呼ばれるくらいの小さなことは気にしなかった。
ルイもテオドールも子ども達に囲まれている。アルバートも、部屋の隅で誰か大人と話をしていた。
(まぁ、トイレに行くだけだし)
レオナルドは手を引かれるまま、何も告げずに二人で部屋を出ていった。
「お姉さん、待っててねー」
「待ってるよ。大丈夫」
制服の脱ぎ着に手間取る子どもを見守って、掛け違えたボタンを直してやる。濯いだ手を手巾で丁寧に拭いてから、もう一度手を繋いだ。
狭い出入り口を出たところで、トン、とレオナルドの肩に何かが触れる。
「あ、ヴィルじゃん」
「奇遇だね」
見上げればにやにやと、十五、六歳くらいの学徒三人がレオナルドを見下していた。
「あれ? 皆も、お姉さんと仲良しなの?」
子どもが無邪気に問い掛ける。
「ああ、そうだよ」
「ちょっと俺らお姉さんとお話ししたいから、一人で帰っててくれるか?」
子どもは「えー、僕、ひとり?」とレオナルドの手を掴んだままイヤイヤとしたが、
「いいじゃんか、お前はこの後も一緒に稽古できるんだろ? 今くらい俺らに貸してよ」
と言われると、その手を渋々離す。
「仕方ないなー。お姉さん、早く帰ってきてね!」
言うが早いか子どもは廊下をさっさと駆けていってしまい、引き留めようとしたレオナルドの手が虚しく空を切った。
「随分うちのチビ誑かしてくれてるんじゃん。なあ、お姉さん」
ドン、と肩を押され、壁に追い込まれる。
「なんか言えよ、お姉さん」
子どもに呼ばれた時には感じなかったおぞましいほどの嫌悪感が耳に障る。
「何か用ですか。私、早く帰らないと」
角を立てないようにレオナルドが毅然と言うも、学徒らはずっとにやにやしたまま三人でレオナルドの道を塞いだ。
「つれないなー。チビにはあんなに優しくしてたのに」
「ああ、もしかして、アレかな?」
「お姉さんと仲良くなるには……」
真ん中に立つ学徒の手が伸びてくる。
「こうしなくちゃいけなかったのかな?」
ゾワリと全身に鳥肌が立つ。
「何するの……!」
まさぐられる股間がどうこうというよりも、その指の動きや向けられる視線がたまらなく気持ち悪かった。
「何って、さっきのチビと同じことしただけだよ。こうしないと、仲良くしてくれないんだろ?」
「やめて……! 触らないで……!」
もがきながら、しかし大声は出せなかった。大きな騒ぎになればアルバートにバレてしまう。他の学徒らが稽古中で、自分達の他に誰も居ないのが僅かな救いだった。
「動くなよ。乱暴だな。ヴィルに選ばれたくせに淑やかさも無いのかよ」
両脇に立つ二人に腕を強く掴まれて壁に押し付けられる。不快に足に力が入らない。
「赤らめて見せろよ。さっきみたいに」
まさぐるのとは別の手で、頬をペチンと叩かれる。痛くないのに、蔑まれているのが嫌で嫌で涙が滲む。
「レオナルド!」
廊下の向こうから、テオドールの声が聞こえる。走り来る幾つかの足音が自分を助けに来たのだと分かっていて、レオナルドは来ないでほしいと思ってしまう。
「やべ。逃げるぞ」
学徒らがレオナルドから手を離して、テオドール達が来るのとは反対側へ一目散に逃げていく。
「何をされた? ごめん、トイレならと思って油断した。また君に怖い思いをさせたな」
「大丈夫。大丈夫だから」
だから騒ぎ立てないでくれとレオナルドは目で訴える。テオドールとルイの少し後ろからアルバートが険しい顔をしてこちらへ来るのが見えたから、レオナルドは無理矢理に笑顔を浮かべて見せた。
「レオナルド……」
泣き出しそうにルイは俯いている。
「ルイ、そんな顔しないで。本当に大丈夫だから」
ルイのことの方がずっと心配になって、しかし何と言って慰めたら良いのかレオナルドには分からなかった。
ガクガクと大きく震える膝を誤魔化すように、凭れた壁に体重を預ける。本当は、座り込んでしまいたかった。震える手で顔を隠して、泣いてしまいたかった。時間が経てば経つほど、辱められたのだという事実がレオナルドの心を酷く蝕んだ。
「レオナルド。触っても、良いですか?」
レオナルドが目を合わせずに頷くと、アルバートは乱れた制服をそっと直していった。細い指に丁寧に整えられたその場所から、穢れが落ちていく気がする。きっと、清められた湯を百度浴びても、湖に何時間浸かっても、これほどの平静はレオナルドには訪れなかった。愛してくれている人の優しい手が、ゆっくりと心を掬っていく。
アルバートは制服を整え終えるとレオナルドの顔をじっと見つめ、それから悲し気に息を吐いた。
「言いたいこと、話したいことは色々ありますが、今は稽古の途中ですからやめておきます。子ども達も待っていますから戻りなさい。今後は、ルイもレオナルドも、絶対に一人にも二人きりにもならないように。テオドール君に必ずついていて貰いなさい」
稽古を続けても良いのかとレオナルドは驚いて顔を上げる。
「稽古が終わったら、三人で私の部屋にいらっしゃい。その時に話をしましょう。それまでは、子ども達が楽しく稽古できるように笑顔でいなさい。出来ますね?」
そう言うアルバートの顔が苦しみと悲しみに満ちていて、彼なりにレオナルドの意思を汲もうとしてくれたことが分かる。レオナルドは一度深呼吸をして、口角を上げて応えてみせた。
「さあ、戻りますよ」
アルバートはレオナルドの肩を優しく叩く。頑張れと言われているような気がして切なくて、レオナルドはテオドールとルイの手を取ると、胸の痛みを振り切るように部屋へ戻っていった。
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