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花乱る鳥籠
53.
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三月の二週目からは、所々を止めながらも脚本に沿って稽古が進められた。これまでに習った歌や踊りはあらかた形になっていたと学徒らは自負していたが、いざ話の筋に組み込んでみると上手くいかない。タイミングが掴めずリズムが狂ったり、初めの音が取れなかったりして、焦りや苛立ちにかまけてさらに躓いてしまう。指導する団員達は優しく励まし笑顔で稽古を進めようとしたが、その根気強さが逆に中央教会の学徒らの神経を逆撫でた。
しかし学徒らを一番苛立たせたのは、レオナルドとテオドールだった。
今回の劇は、未開の川中島だったこの国を、リトゥムハウゼがどのように興していったのかを辿る物語になっている。従ってテオドールはほぼ出ずっぱりで、台詞も一人だけ段違いに多い。側近役としてリヴィが常にその傍らに立ち、テオドールが台詞を飛ばした時などに助けられるようにしていたが、早い段階から、テオドールはその助けさえほとんど必要ないほどだった。
また、ヴィルは物語の中で、気まぐれに登場しては明るく歌ったり踊ったりして、リトゥムハウゼの道を照らす役割として描かれている。そのため、狭量になってしまった学徒らには、その姿が能天気にすら見えてしまっていた。
一言、二言しか台詞がないのに失敗ばかりの自分達と、自分はほとんど失敗しないくせに他人の失敗のせいで何度同じ場面を繰り返しても嫌な顔一つしないテオドールを比べては学徒達は落ち込み、そして、ふらふらと出てきてはテオドールと見つめあってずっと笑っているレオナルドを見て嫌悪感を沸き立たせた。何よりも惨めだったのは、テオドールとレオナルドの場面にはいつも光が差しているようで、愚痴も悪口も言えないほど思わず見惚れてしまうことだった。
休憩中もテオドールはレオナルドやルイの傍にいるので、それも相まってテオドールへの視線はどんどんと冷えていった。テオドールは「気にしていないから大丈夫」と言うが、連日の稽古の疲れも合わせて日に日に無理を重ねているのが分かっていたから、レオナルドは歯痒くて仕方なかった。子ども役の十歳に満たない学徒達だけは無邪気にテオドールやレオナルド達と戯れる。それが唯一の癒しだった。
「ごめんね、テオドール」
夕食後、いつものように二人きりの廊下に並んで座りながら、レオナルドが謝った。
「何が? 僕のいない所でつまみ食いでもしたの?」
テオドールが半笑いで、ムニ、とレオナルドの頬を軽くつまむ。
「ううん。ただ、その、テオドールに無理をさせるばかりで、僕は何もできないから」
そうレオナルドが視線を落とすとテオドールは眉を顰めて、
「んんー!」
とレオナルドが声を上げるだけ強く指に力を入れた。嫌がるレオナルドから指を離さず、テオドールは咎めるような目を向ける。
「確かに無理はしてるよ。でも、それは君に笑顔で稽古をしていてもらいたいからだ。君にアダムスに帰ってほしくないから、僕の傍にいてほしいからだ。もし僕のことを思うつもりでそういうことを言ったなら、君だけはそんな顔をするな」
「……そうだね。ごめん」
レオナルドが萎れて謝ると、テオドールは何も言わずに指を離した。おもむろに肩を寄せると、自分の肩に強引にレオナルドの頭を乗せる。レオナルドは抵抗せず凭れたまま目を閉じて、それから沈黙が気まずくて口を開いた。
「前に、リトゥムハウゼが可哀想だって話したの覚えてる? 何もかも任されてしまって、周りは皆ついてくるだけで、意見する人もいなくて、そういうのって寂しいって」
「ああ。初めて君と話した時だろ。衝撃を受けたからよく覚えてる」
「今になって思うんだ。ヴィルがリトゥムハウゼと子ども達にしか心を開いていなかった当時は、何もかもリトゥムハウゼに頼り切るしか、出来なかったのかもしれないなって」
レオナルドはそこで一呼吸置く。
「リトゥムハウゼと出会うまで、ヴィルは何度も攻撃されて嫌な思いをしていたでしょう? 何もしていないのに兵隊を差し向けられたり、大男が何人も鬼気迫る表情で向かってきたり。きっととても怖かったから、雨や風の力で追い返したんだろうと思うんだ」
「うん」
「でも怖いと思ったのは、島の外の人だって同じだよね。自慢だった力が呆気なく流されていくんだから。その上、ヴィルは噴火させるのも天気を操るのも自由自在でしょう? 絶対に敵わない力っていうのも、恐ろしかろうと思うの。もしも機嫌を損ねたら自分もどうなるか分からない」
レオナルドは冬の初めに見た歌劇を思い出す。面白おかしく表現されていたあの場面を観て笑えたのも、ヴィルが自分達を見守ってくれている神だと知っているからだ。ヴィルがどのような神なのか、教典を通して触れているから怖くない。
「そしてね、そんなヴィルと対等に話して、仲良くしているリトゥムハウゼのことも、理解が出来なくて畏れていたのかもしれないなぁって思った。だから、まるで意思のない人形みたいになってしまっていたのかな」
レオナルドは胸元の辺りをキュッと握る。
「ヴィルもヴィルでさ、やっぱり島外から来た人のことは怖いよね。リトゥムハウゼのことは信頼していても、他のたくさんの人のことは、どうしても自分に矢を向けてきた人達と重なって見えてしまうだろうし。だから、そういう人達と似ても似つかない子ども達ばかりと一緒にいたのかなと思うんだよ」
レオナルドがウィリアムと医務官以外の中央教会の大人を見かけるだけで息苦しくなるように。鞭に似た細長い影を見るだけで傷が疼くように。本当は、ウィリアムにすら僅かな恐怖を抱いてしまうように。見えるもの全てに相応しい感情を動かせるほど、心は正確にできていない。
「人間とヴィルとの間に橋を架けられるのはリトゥムハウゼだけで、だけど人間ですらリトゥムハウゼを敬いつつも畏れて。そんなリトゥムハウゼの姿を見て、ヴィルはどんな気持ちだっただろう。……なんてことをね、最近考えてる。自分と重ねちゃうんだ。不敬だと分かってるんだけど、どうしても。僕は、テオドールにしか頼れないから」
自分のせいでテオドールの立場を悪くしているのに、その上テオドールに守られていないとこの場所で立っていられない。ここにいたいという自分の我儘を引っ込めたらという考えが過らないわけでもないくせに、テオドールの苦しみも間近で感じていてなお、情けない自分に嫌悪することしか出来ない。
「なあ。ヴィルを神たらしめたのがリトゥムハウゼだったように、リトゥムハウゼを賢王たらしめたのはヴィルだったのかもしれないって話したこと、覚えてるか」
ふと、テオドールが問いかける。確か数度目の指導の際に話し合った仮説だ。
「うん。覚えてる」
レオナルドが答えると、テオドールは
「彼らの立場や境遇に、寂しいとか、やりきれないとか、そういう感情を持つことは否定しない。でも、それ以上の何かがあったから、二人はいっしょにいたんじゃないか?」
と静かに言い聞かせた。
「二人の出会いは、運命だとか、巡り合わせだとか、そういう逆らえない力だったのかもしれない。でも、その先を望んだのは二人の意思だ。島を開くと決めたのも、王になると決めたのも。違う道も二人の前にはあって、それでも二人は二人の意思で、その道を選んだんだよ」
テオドールはわざと、ゴチンと頭同士をぶつける。
「僕と君もそうだ。君にはアダムスに帰る選択肢もあるし、僕だって、君を見捨てることも出来る。でも、そうしない。ここに残ることが、君と共に在ることが、僕らの心を救うと信じているからだ。――少なくとも僕は、この先に光があると信じてる。光があってほしいと願ってる。だから君といる」
触れた場所すべてから、篤実な声が温かく伝わってくる。沈みかけた心ごと包まれる。
「周りの視線も生まれた溝も、辛いと感じないわけじゃない。嫌だなとも思うし、疲れるなとも思う。だからって後悔はしない。僕は僕のために、君の傍で君を守りたいから」
レオナルドの目から止め処なく涙が溢れた。例えば「安心」は、こういう感情を言うのだと強く知る。
「憐れむな、レオナルド。僕のことも、自分のことも。憐れみも愛だけど、今の僕らに必要なのはそれじゃない」
テオドールの言葉は、レオナルドの中の負の感情を消すわけではない。光を示すわけでもない。ただ、何もかもをあるがまま、柔らかく包み込んでいく。受け入れていく。
「ありがとう、僕と出会ってくれて。僕の隣にいてくれて。僕を守ってくれて。ありがとう」
レオナルドは震える息を抑えるように口元を隠しながら何度も「ありがとう」と繰り返した。
「僕も信じる。テオドールのことも、テオドールと見る未来も、僕のことも」
レオナルドが言うと、テオドールはただ一言「うん」とだけ返す。宥めたり抱きしめたりしない距離感が、特別だった。
暫く泣けばすっきりと落ち着いて、レオナルドは体を起こした。
「いつも僕は、テオドールに励まされてばかりだね」
「そうだな」
「嫌にならない? 僕、こんなに不甲斐なくて、テオドールにしてあげられることなんて何もないのに」
首を傾けてテオドールを窺う。
「嫌になんてならない。君は何もしなくてもいい。僕の一番傍にいてくれたらそれだけで」
テオドールは真っ直ぐ前を向いたまま、レオナルドの腿に手を置いた。
「君が隣で鞭打たれていた時に君を庇わなかったこと、守らなかったこと、抗議しなかったこと、何もかも後悔してるんだ。何度も自分を責めて、呪って、苦しくて。今君を守りたいと言っているのは、半分は罪滅ぼしのつもりなんだよ。どうにか君を守ることで、僕は僕の罪を贖いたい。僕も救われたいんだ」
固く目を閉じるテオドールをレオナルドは見つめて、それから腿に置かれた手に自分の手を重ねた。
「僕、テオドールがいるから毎日ご飯が食べられるよ。一緒にたくさん練習してくれるから不安じゃないし、休憩中もテオドールが傍にいてくれるからルイ達と楽しく話ができる。寝る前に色んな話をしてくれるから、怖い夢も見ない。寝るのも起きるのも怖くない」
そう言って、レオナルドはテオドールの正面に移る。その気配にテオドールは瞼を開けた。
「テオドールのおかげで、毎日、僕は僕でいられる。大好きだよ、テオドール。いつもありがとう」
レオナルドの瞳は涙に透き通って、小さな光を広く湛えている。テオドールが今までに見た泣き顔、そのどれよりも美しい。
「僕も。僕を赦してくれて、信じてくれて、今日も傍にいてくれてありがとう」
テオドールが言うとレオナルドは微笑んだ。それだけで、テオドールは自分の業が祓われていく気がしていた。
星の見えない廊下に、それでも二人は空を見ていた。挫けても迷っても、もう怖くない。寄り添って静かに互いの瞳を見つめれば、地図は確かにそこに在った。
しかし学徒らを一番苛立たせたのは、レオナルドとテオドールだった。
今回の劇は、未開の川中島だったこの国を、リトゥムハウゼがどのように興していったのかを辿る物語になっている。従ってテオドールはほぼ出ずっぱりで、台詞も一人だけ段違いに多い。側近役としてリヴィが常にその傍らに立ち、テオドールが台詞を飛ばした時などに助けられるようにしていたが、早い段階から、テオドールはその助けさえほとんど必要ないほどだった。
また、ヴィルは物語の中で、気まぐれに登場しては明るく歌ったり踊ったりして、リトゥムハウゼの道を照らす役割として描かれている。そのため、狭量になってしまった学徒らには、その姿が能天気にすら見えてしまっていた。
一言、二言しか台詞がないのに失敗ばかりの自分達と、自分はほとんど失敗しないくせに他人の失敗のせいで何度同じ場面を繰り返しても嫌な顔一つしないテオドールを比べては学徒達は落ち込み、そして、ふらふらと出てきてはテオドールと見つめあってずっと笑っているレオナルドを見て嫌悪感を沸き立たせた。何よりも惨めだったのは、テオドールとレオナルドの場面にはいつも光が差しているようで、愚痴も悪口も言えないほど思わず見惚れてしまうことだった。
休憩中もテオドールはレオナルドやルイの傍にいるので、それも相まってテオドールへの視線はどんどんと冷えていった。テオドールは「気にしていないから大丈夫」と言うが、連日の稽古の疲れも合わせて日に日に無理を重ねているのが分かっていたから、レオナルドは歯痒くて仕方なかった。子ども役の十歳に満たない学徒達だけは無邪気にテオドールやレオナルド達と戯れる。それが唯一の癒しだった。
「ごめんね、テオドール」
夕食後、いつものように二人きりの廊下に並んで座りながら、レオナルドが謝った。
「何が? 僕のいない所でつまみ食いでもしたの?」
テオドールが半笑いで、ムニ、とレオナルドの頬を軽くつまむ。
「ううん。ただ、その、テオドールに無理をさせるばかりで、僕は何もできないから」
そうレオナルドが視線を落とすとテオドールは眉を顰めて、
「んんー!」
とレオナルドが声を上げるだけ強く指に力を入れた。嫌がるレオナルドから指を離さず、テオドールは咎めるような目を向ける。
「確かに無理はしてるよ。でも、それは君に笑顔で稽古をしていてもらいたいからだ。君にアダムスに帰ってほしくないから、僕の傍にいてほしいからだ。もし僕のことを思うつもりでそういうことを言ったなら、君だけはそんな顔をするな」
「……そうだね。ごめん」
レオナルドが萎れて謝ると、テオドールは何も言わずに指を離した。おもむろに肩を寄せると、自分の肩に強引にレオナルドの頭を乗せる。レオナルドは抵抗せず凭れたまま目を閉じて、それから沈黙が気まずくて口を開いた。
「前に、リトゥムハウゼが可哀想だって話したの覚えてる? 何もかも任されてしまって、周りは皆ついてくるだけで、意見する人もいなくて、そういうのって寂しいって」
「ああ。初めて君と話した時だろ。衝撃を受けたからよく覚えてる」
「今になって思うんだ。ヴィルがリトゥムハウゼと子ども達にしか心を開いていなかった当時は、何もかもリトゥムハウゼに頼り切るしか、出来なかったのかもしれないなって」
レオナルドはそこで一呼吸置く。
「リトゥムハウゼと出会うまで、ヴィルは何度も攻撃されて嫌な思いをしていたでしょう? 何もしていないのに兵隊を差し向けられたり、大男が何人も鬼気迫る表情で向かってきたり。きっととても怖かったから、雨や風の力で追い返したんだろうと思うんだ」
「うん」
「でも怖いと思ったのは、島の外の人だって同じだよね。自慢だった力が呆気なく流されていくんだから。その上、ヴィルは噴火させるのも天気を操るのも自由自在でしょう? 絶対に敵わない力っていうのも、恐ろしかろうと思うの。もしも機嫌を損ねたら自分もどうなるか分からない」
レオナルドは冬の初めに見た歌劇を思い出す。面白おかしく表現されていたあの場面を観て笑えたのも、ヴィルが自分達を見守ってくれている神だと知っているからだ。ヴィルがどのような神なのか、教典を通して触れているから怖くない。
「そしてね、そんなヴィルと対等に話して、仲良くしているリトゥムハウゼのことも、理解が出来なくて畏れていたのかもしれないなぁって思った。だから、まるで意思のない人形みたいになってしまっていたのかな」
レオナルドは胸元の辺りをキュッと握る。
「ヴィルもヴィルでさ、やっぱり島外から来た人のことは怖いよね。リトゥムハウゼのことは信頼していても、他のたくさんの人のことは、どうしても自分に矢を向けてきた人達と重なって見えてしまうだろうし。だから、そういう人達と似ても似つかない子ども達ばかりと一緒にいたのかなと思うんだよ」
レオナルドがウィリアムと医務官以外の中央教会の大人を見かけるだけで息苦しくなるように。鞭に似た細長い影を見るだけで傷が疼くように。本当は、ウィリアムにすら僅かな恐怖を抱いてしまうように。見えるもの全てに相応しい感情を動かせるほど、心は正確にできていない。
「人間とヴィルとの間に橋を架けられるのはリトゥムハウゼだけで、だけど人間ですらリトゥムハウゼを敬いつつも畏れて。そんなリトゥムハウゼの姿を見て、ヴィルはどんな気持ちだっただろう。……なんてことをね、最近考えてる。自分と重ねちゃうんだ。不敬だと分かってるんだけど、どうしても。僕は、テオドールにしか頼れないから」
自分のせいでテオドールの立場を悪くしているのに、その上テオドールに守られていないとこの場所で立っていられない。ここにいたいという自分の我儘を引っ込めたらという考えが過らないわけでもないくせに、テオドールの苦しみも間近で感じていてなお、情けない自分に嫌悪することしか出来ない。
「なあ。ヴィルを神たらしめたのがリトゥムハウゼだったように、リトゥムハウゼを賢王たらしめたのはヴィルだったのかもしれないって話したこと、覚えてるか」
ふと、テオドールが問いかける。確か数度目の指導の際に話し合った仮説だ。
「うん。覚えてる」
レオナルドが答えると、テオドールは
「彼らの立場や境遇に、寂しいとか、やりきれないとか、そういう感情を持つことは否定しない。でも、それ以上の何かがあったから、二人はいっしょにいたんじゃないか?」
と静かに言い聞かせた。
「二人の出会いは、運命だとか、巡り合わせだとか、そういう逆らえない力だったのかもしれない。でも、その先を望んだのは二人の意思だ。島を開くと決めたのも、王になると決めたのも。違う道も二人の前にはあって、それでも二人は二人の意思で、その道を選んだんだよ」
テオドールはわざと、ゴチンと頭同士をぶつける。
「僕と君もそうだ。君にはアダムスに帰る選択肢もあるし、僕だって、君を見捨てることも出来る。でも、そうしない。ここに残ることが、君と共に在ることが、僕らの心を救うと信じているからだ。――少なくとも僕は、この先に光があると信じてる。光があってほしいと願ってる。だから君といる」
触れた場所すべてから、篤実な声が温かく伝わってくる。沈みかけた心ごと包まれる。
「周りの視線も生まれた溝も、辛いと感じないわけじゃない。嫌だなとも思うし、疲れるなとも思う。だからって後悔はしない。僕は僕のために、君の傍で君を守りたいから」
レオナルドの目から止め処なく涙が溢れた。例えば「安心」は、こういう感情を言うのだと強く知る。
「憐れむな、レオナルド。僕のことも、自分のことも。憐れみも愛だけど、今の僕らに必要なのはそれじゃない」
テオドールの言葉は、レオナルドの中の負の感情を消すわけではない。光を示すわけでもない。ただ、何もかもをあるがまま、柔らかく包み込んでいく。受け入れていく。
「ありがとう、僕と出会ってくれて。僕の隣にいてくれて。僕を守ってくれて。ありがとう」
レオナルドは震える息を抑えるように口元を隠しながら何度も「ありがとう」と繰り返した。
「僕も信じる。テオドールのことも、テオドールと見る未来も、僕のことも」
レオナルドが言うと、テオドールはただ一言「うん」とだけ返す。宥めたり抱きしめたりしない距離感が、特別だった。
暫く泣けばすっきりと落ち着いて、レオナルドは体を起こした。
「いつも僕は、テオドールに励まされてばかりだね」
「そうだな」
「嫌にならない? 僕、こんなに不甲斐なくて、テオドールにしてあげられることなんて何もないのに」
首を傾けてテオドールを窺う。
「嫌になんてならない。君は何もしなくてもいい。僕の一番傍にいてくれたらそれだけで」
テオドールは真っ直ぐ前を向いたまま、レオナルドの腿に手を置いた。
「君が隣で鞭打たれていた時に君を庇わなかったこと、守らなかったこと、抗議しなかったこと、何もかも後悔してるんだ。何度も自分を責めて、呪って、苦しくて。今君を守りたいと言っているのは、半分は罪滅ぼしのつもりなんだよ。どうにか君を守ることで、僕は僕の罪を贖いたい。僕も救われたいんだ」
固く目を閉じるテオドールをレオナルドは見つめて、それから腿に置かれた手に自分の手を重ねた。
「僕、テオドールがいるから毎日ご飯が食べられるよ。一緒にたくさん練習してくれるから不安じゃないし、休憩中もテオドールが傍にいてくれるからルイ達と楽しく話ができる。寝る前に色んな話をしてくれるから、怖い夢も見ない。寝るのも起きるのも怖くない」
そう言って、レオナルドはテオドールの正面に移る。その気配にテオドールは瞼を開けた。
「テオドールのおかげで、毎日、僕は僕でいられる。大好きだよ、テオドール。いつもありがとう」
レオナルドの瞳は涙に透き通って、小さな光を広く湛えている。テオドールが今までに見た泣き顔、そのどれよりも美しい。
「僕も。僕を赦してくれて、信じてくれて、今日も傍にいてくれてありがとう」
テオドールが言うとレオナルドは微笑んだ。それだけで、テオドールは自分の業が祓われていく気がしていた。
星の見えない廊下に、それでも二人は空を見ていた。挫けても迷っても、もう怖くない。寄り添って静かに互いの瞳を見つめれば、地図は確かにそこに在った。
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