黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

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6、雑役女中へと昇格?

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「当家の奥様に、このような格好をさせるとは・・・・・・」
 モーリスさんは窓の外を仰ぎ、嘆いておられます。
「ああ主よ、どうか裁きは私に・・・・・・」
 何故か祈りを捧げ始めたモーリスさんの手を取り、私は目線を合わせました。
「モーリスさん、大丈夫ですよ。これが主のお導きなのです」
「えぇ・・・・・・」


 濃紺のワンピースに、白いエプロン——
 私は、使用人さん達の控室から予備のお仕着せを拝借いたしました。
 家事家政に取り組むなら、このような格好が最適ですからね。

 普通の貴族令嬢や婦人なら耐えられないでしょうが、私は修道院で過ごしていたこともありましたので、何一つ苦ではありません。


 私は、残されていた食事をいただいた後、屋敷を見回っておりました。
『奥様に冷めた食事など』とモーリスさんは言っておられましたが、食べ物を粗末にしてはいけませんからね。

 ハーキュリー伯爵家は、私が住んでいたロドニー伯爵家と変わらない大きさで、客間や使用人さん達の為の部屋もそれなりにありました。
 ですが、どこも家具や調度品などは置いておらず、がらんとしています。
 少しでも資金を得ようと、売れる物は全て処分したようです。
 それなのに、私の部屋には絵画や小物を飾っていただき申し訳ない限りで・・・・・・。

 まあ、私の部屋のことは後々考えることに致しまして。
 取りあえずは屋敷を整えることが先決です。

 昨夜に此方へ参った際には注視する余裕がありませんでしたが——
 ハーキュリー伯爵邸の外壁には蔦が這い、荒れ果てた印象を与えています。
 庭も雑草が生えていて、花壇らしき場所も土が剥きだしです。

 モーリスさんに聞けば、今は家事の殆どを妻のエイダさんと二人でされているとか。
 お年を召した二人だけでは、この屋敷の掃除もままなりませんものね。
 そして、伯爵夫人の世話と部屋の手入れの為に、三人の侍女を残して下さったそうなのです。
 私の為なんかに、申し訳ない限りです。
 これからは自分で致しますので・・・・・・。


「お、奥様自ら箒を・・・・・・」
 私は、まずは玄関広間の掃除から始めることに致しました。
 埃を払い、ごみを掃く・・・・・・掃除は、誰かと会話をせず無心で取り組めるため、私の得意な作業です。

「モーリスさんもお忙しいでしょう? ここは私にお任せください」
 旦那様は伯爵家を継いだ後も、騎士団の職務を兼任する必要があるそうです。
 ですから、家令が代行で行っている業務も多いはずです。
 生家に引き籠っている時も、我が家の家令や執事の仕事を垣間見たことはあるので、少しばかりなら大変さが想像できます。

「そ、そうは言っても・・・・・・その通りなのですが・・・・・・」
 モーリスさんは私の傍で頭を抱えていたのですが、暫くすると二階へと上がって行かれました。
 あの方が自らの職務に専念できるよう、私が頑張らないといけません。


 塵や埃を吐き出したら、次は水拭きです。
 モップを濡らし、床を磨く——
「あらあら、モップに乗っては駄目よ」
 鶏肉を食べた後、猫達は私の周りを歩き回っています。
 中にはモップやバケツに興味を示す子も。
「あなた達は、お外で遊んでいてね」
 扉を開ければ、猫達は次々と庭へ出て行きます。
 三、四、五・・・・・・いつの間にか増えています。
 猫達の食費も考えないといけませんね。


「おや、掃除までしてくれるのかい?」
 無心に床を磨いていると、後ろから声が掛かりました。
 モーリスさんとは違う、少し高めの柔らかい声——
 振り向くと、お年を召した女性が立っていました。
 この方は・・・・・・モーリスさんの妻のエイダさんですね。
 昨日に紹介していただいたので覚えております。

 エイダさんは片手に籠を下げていて、中にはお野菜や瓶が入っています。
「私と主人だけじゃ手が回らなくてねぇ・・・・・・あんたみたいな子が来てくれて助かるよ」
 料理に買い出し等、エイダさんの負担も大きいのでしょうね。
「はい、私にできることなら、何でもおっしゃって下さいね」
 家事なら一通りできますし、読み書き計算も最低限学んでおります。
 買い物は・・・・・・まず人と話せるかが心配だけど・・・・・・。

「そうかい、そうかい・・・・・・あんただって貴族家のお嬢さんだろうに・・・・・・」
 そう言いながら、エイダさんは私の顔をまじまじと見つめておられます。
「あんたみたいな化粧っ気のない娘、いたかねぇ?」
 うう・・・・・・それを言われてしまうと・・・・・・地味な女でごめんなさい。
 先程いた三人は、身形にも気を使われているご様子でしたから・・・・・・こんな女主人では不満を持つのも無理はありません。

「はい、昨日から参りました、トリーシャと申します」
 少し申し訳なくなり、恐る恐る答えました。
 エイダさんは、『トリーシャ・・・・・・トリーシャ・・・・・・』と何度か呟いておられます。
 そして、私の顔を再び。
「トリーシャ・・・・・・奥様・・・・・・?」
 そういえば、昨夜お会いした際には、まだベールで顔を隠していましたものね。
 私の顔を知らないのも無理はありません。

「はい、昨日参りました、トリーシャと——」
「ひぃやぁぁぁぁっ!」

 改めて挨拶をしようとした私の前で、エイダさんは何故かひっくり返ってしまいました。


「まさか、奥様に雑役女中の真似をさせるなんて・・・・・・」
「だって、手紙とか、帳簿とか、色々残っていたんだし・・・・・・」
「だからって、ハーキュリー伯爵家の歴史の中で、こんな不始末は無かったよ・・・・・・」

 私達は、再び、厨房に戻っています。
 腰を抜かしてしまったエイダさんを介抱しているとモーリスさんが駆け付けてくれて、二人で何とか立たせることができたのです。

 厨房の椅子に腰掛けるエイダさんと、文句を浴びながらエイダさんの腰を擦るモーリスさん——
 仲睦まじそうな様子を見せるお二人の前に、私はそっとカップを置きました。

「あ、あのよろしければお茶でも・・・・・・」
「んまあぁぁぁっ、奥様自らお茶なんて・・・・・・あ、美味しい」
 エイダさんは目を剥きながらも、喉が渇いていた様子で、美味しそうに紅茶を飲み干してくれます。
「美味しい」
 モーリスさんは熱いのが苦手みたいで少しずつ飲んでいます・・・・・・少し、親近感を覚えます。
 私も、猫舌なんです。


 温かいお茶で一息ついていただいた後、私はモーリスさん達に再びお願いしました。
「この通り、私、掃除からお茶の準備まで、修道院で一通り習っておりますから。どうか、お屋敷の為、旦那様の為、助力させてください」

 私が頭を下げると、ご夫婦は顔を見合わせています。
「これが旦那様にばれでもしたら・・・・・・」
「でも、屋敷にはお金が無いし・・・・・・」
「あの使用人達も逃げちゃったし・・・・・・」
 お二人で会話した後、揃って頷いて——

「奥様、どうか、この件は、旦那様にも内密に」
 モーリスさんの神妙なお顔付き・・・・・・きっと、お飾りの為に心を砕いて下さった旦那様を心配しているのでしょう。
「勿論です」
 旦那様に余計な心労を掛けず、他所様にばれないように、私はこっそりと働こうと思います。

「モーリスさん、エイダさん、よろしくお願いします!」
 私は思わず、二人の手を握りました。
 働き者の、大きな手のひら・・・・・・私も、お二人に負けぬよう頑張ります。

「その前に」
「はっきりさせておきたいことが」
 私とモーリスさんの声が重なります。

 私の視界には、厨房の外から此方を覗く猫達・・・・・・この子達の事をはっきりさせておかないといけません。
 きっと、真摯な面持ちで此方を見上げる二人も、同じことを考えているのでしょう。

「お二人は、猫は大丈夫ですか?」
「その、『さん』というのはお止めください」
 私達の声は、再び重なり・・・・・・あら?

 どうやら、違うことを考えていたようです・・・・・・。
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