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後談 夢の跡の後始末

六、父と娘

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 天津家に行ったはずの撫子がどうして――

 突如現れた彼女に唖然としていると、障子の影に、他の者達の姿も見えた。
 薄墨色の詰襟を纏った、麗しい姿・・・・・・霜凪葵に、付き人の高遠。
 彼女達が撫子を連れて来たようだ。

「藤花を虐めようとしたの?」
 撫子の大きい瞳は、当主が握っている刀を見つめている。
「い、いや、その・・・・・・」
 先程までの気迫はどこへやら――
 当主はなぜか慌てふためいた様子で、束を後ろ手に隠す。
 いつの間にか光の刀身も消えたようだ。

「どうして? どうして藤花に意地悪するの?」
 その瞳は潤み、今にも涙が零れそう。
「い、いや、その、意地悪なんかじゃ・・・・・・なくて、だな・・・・・・」
 しどろもどろな様子で、言い訳する当主は、ちょっと口の端を曲げていて・・・・・・どうやら、笑顔を作ろうとしているようだ。
 元々の顔が厳めしいので、あまり効果は無さそうだが。

「先に悪さしたのは、この女というか・・・・・・」
「藤花はそんなことしない!」
 そう叫ぶと、弾かれた様に飛び出して藤花の元へ。
 いつの間にか泣いていた撫子を、しっかりと受け止めた。

「どうして・・・・・・」
 娘と馬の骨が抱き合う姿を、当主は呆然とした顔で見つめていた。
 当主の反応は、とても『優秀な子を残すために政略結婚を強いた当主』の姿には見えない。
 妻と子に愛情を抱いているように見えて、藤花は内心疑問に感じていた。

「その女の所為で、雛菊が・・・・・・」
 譫言のように呟く当主の顔面に、何かが投げ付けられる。
 畳に落ちたそれは、赤い扇子であった。
 撫子が産まれた時に当主から与えられたものである。

「あの女、私に言ったのよ・・・・・・『あんたなんか産みたくなかった』って・・・・・・『あの男の血を引いた赤子なんて』って」
「そんな・・・・・・」
 嗚咽混じりに語られる言葉を信じられないのか、当主の目は彼方此方を彷徨っている。
「藤花だけが、私を見捨てずに守ってくれたのよ・・・・・・それなのに、私から藤花を取り上げるなんて・・・・・・私のことが嫌いな、だけなんでしょ・・・・・・うっ・・・・・・」
 その後は、言葉にならず啜り泣く撫子を、藤花は抱きしめることしかできなかった。


「天津殿」
 撫子の嗚咽が続く座敷の中、声を上げたのは葵であった。
「貴殿は、少し、頭を冷やした方が良い・・・・・・件の青柳と芙蓉は当家で預かっている・・・・・・事情を聞け」

 その言葉が聞こえているのか分からないが、呆然とした表情を変えずに当主はふらふらと出て行った。


「人騒がせな御仁ですな」
 障子の外へ顔を出し、当主を見送っていた高遠が呟く。
「全くだ」
 肩を竦めた葵は、藤花の元へ。
「大丈夫だったか?」
 葵の表情を見るに、本気で藤花を心配してくれていたようだ。
「・・・・・・はい。私は大丈夫です」
「商店街で大男が女学生を連れ出した、などと騒ぎになっていてな。見回りの者から連絡を受けて若しやと思ったんだ」
 良かった、と肩を叩く葵。
「は、はい・・・・・・ご心配おかけしました」

 鰻に浮かれて申し訳ない限り――
 撫子を抱きしめながら、藤花は己を恥じていた。


「・・・・・・しかし、当主殿が、あのような男だったとは」
 白焼きをつつきながら、葵が呟く。

『せっかくここに来たのだから』と、葵達も鰻を所望したのだ。
 高遠は、当主が手を付けなかったお重を。
 葵には、新しいお膳を手配してもらって。

 座敷の机は、四人で囲んでもまだまだ余裕がある。
 葵と高遠は悠々と腰掛けながら、鰻を腹に納めていた。

「私も驚きました。なんか雛菊様にも――」
「あの女に『様』なんて付けないで」
 撫子は憮然とした表情で口を動かしている。

 あれから藤花にしがみ付いて離れなかった撫子も、子ども用の鰻丼を見て泣き止んだ。
 今ではすっかり鰻に夢中。
 口元にご飯粒が付いた顔も愛らしい。

「はい、そうでしたね」
 撫子の口元を拭い、新しいお茶を注いだ。
 残りを食べてしまった藤花は、些か手持無沙汰である。

「あの夫婦は政略結婚だと聞いていたのだが・・・・・・」
「ええ、二人の縁談は話題になりましたからなぁ」
 葵の疑問に答えたのは高遠であった。
 この中で一番年長で、当主に年が近く見えるので、事情に詳しいのだろう。

「雛菊ど・・・・・・は当時、縹家でも有数の術者だと評判でしたからなぁ・・・・・・引く手数多でしたが、当時の縹家当主は一族の中で縁談を纏めたかったとか・・・・・・それを知ってでも嫁入りを強く希望したのが隼人殿だったと聞いております」
「成程・・・・・・天津家当主は、伴侶の条件に、『優秀な術者』や『特異な術者』を求めるからな・・・・・・丁度合致しただけとも取れるが・・・・・・」
「でも、当主様、ひ・・・・・・夫人のこと『美しく優しい』ってべた惚れみたいなこと言ってましたよ」
 隣で撫子が『どこがよ』と悪態を吐いたのは聞かなかったことにする。

「うーん? その辺はよく分からんのです」
 茶を啜りながら、高遠は首を傾げる。
「近しい者が夫人のことを問うても、隼人殿は何も語らず・・・・・・会合や宴の場でも二人でいる姿を見なかったので、そういう関係かと」
「そうよそうよ。あいつらには人の心とかないの」
 口をもごもごさせながら撫子が呟いた。


 結局の所、『天津隼人はよく分からん』という結論しか出ないまま、食事は終わった。
 鰻は美味しかったが、何とも後味が悪い。
 良夜の土産に弁当を一つ買い、藤花達は店を後にした。


「じゃあ、藤花さん。暫くは一人にならない方がいい」
「はい、気を付けます・・・・・・」
 自動車で邸宅の近くまで送ってもらい、藤花は頭を下げる。

 車を見送った後、撫子と手を繋ぎながら道を歩く。
 いっぱい泣いて食べた彼女は、もう疲れている様子。
 帰ったら急いで風呂を準備する必要がありそうだ。

「あ、お嬢様」
 ふと思い出して、懐に手を入れる。
 撫子が父親に投げつけた扇子を拾っておいたのだ。
「これはどうしましょう?」
「いらない」
 それを見るなり、撫子は顔を背ける。
「あの男の物なんて捨てて」
 拗ねたように言うと、藤花の手を離して先を歩き始めた。

「すっかりと拗れてしもうたな」
「しもうたわね」
 扇子片手に、飼い猫と顔を見合わせる。
 何となく広げてみれば、夕日を背景に舞う鳥の絵が美しい。
 飾り紐には艶やかなとんぼ玉も結ばれており、飾っておくだけでも様になるだろう。
(すごく高いんでしょうね・・・・・・)

「おんし、捨てるのか?」
「えー・・・・・・」
 撫子の心情を考えれば、目に触れないように処分しておくのが妥当か。
「そうねぇ・・・・・・まだ早いかも」
 当主の姿が脳裏に過ぎり――思う所があって、また懐に仕舞った。
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