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カフェ 卯月(うげつ)堂
第二十話
しおりを挟むノートをあらかた眺めていたら、時計の短針は十一の位置に立っている。
そこそこ遅い時間まで起きてしまった。
チヒロは口元を両手で隠しながらも、大きな欠伸。
目の端に涙もにじむ。
「ねむ……」
ベッドに潜ろうと作業机から離れた、そのとき、彼女の視界の隅に黒い影が揺らめいた。
「え?」
視界の隅に見えたのは部屋の窓枠で、黒い影はその外にあるようだ。
彼女は恐る恐る振り向いた。
「ひっ……!」
それを見た途端、彼女の悲鳴はのどの奥で押し潰された。
大きくて丸い一つの目玉が、ぎょろりと彼女を見ていたのだ。
黒い影がゆっくりと窓の外を横切っていく。
チヒロはそれが何なのか分からず、ただ恐怖に身を震わせる。
黒い影が窓の外を通り過ぎると、さぁっと月の光が差し込んだ。
「きゃあぁぁあ!」
彼女は悲鳴を上げて部屋から転がり出る。
「どうしたの!?」
悲鳴を聞きつけて、コウスケとノリヒトも廊下に出て来た。
「そ、外っ……!」
二人の姿を認めると、チヒロは腰が抜けてその場にへたり込んだ。
先程の大きくて丸い目を思い出し、鳥肌が立つ。
コウスケは素早く彼女に駆け寄ると、震える肩を優しく抱いた。
「大丈夫。僕達がいるよ。悪い夢でも見たのかな?」
宥めるようにゆっくりと彼女の頭を撫でるコウスケの背後で、
「悪い夢で腰は抜かさないと思うけど」
冷静なノリヒトのツッコミが入る。
「チヒロさん、何か見たのですか?」
震えながら彼女は小さく頷く。
「外、に、大きな、目っ……」
チヒロの答えに二人は顔を見合わせる。
「大きな目、ねぇ……。ノリ君、お願い」
震える彼女をノリヒトに託し、コウスケは自分の部屋を覗きに行く。
「何もいないよ、大丈夫」
すぐに笑顔を覗かせた。
「本当に?」
ノリヒトのシャツを握りながら、チヒロは恐る恐る立ち上がる。
「うん、本当に。さっきまでいたとしても、そいつはもう、どこかに行っちゃったんだよ! あ、もしかしたら、クジラじゃないかな!」
「クジラは優しい目をしてるもん……」
彼女はノリヒトのシャツを握ったまま、ゆっくりとコウスケの待つ部屋に向かう。
「ほら、何もいないでしょ?」
中に入り、三人は顔を並べて窓の外を確認する。
暗い裏庭が広がるだけだった。
町の明かりがぽつぽつと遠くに見える。
「不安なら、一緒に寝ましょうか?」
外の確認も済んだので、真っ先にノリヒトが顔を引いた。
「え! ノリ君大胆! 同じ布団で異性と寝るなんて、ハレンチじゃない!?」
ノリヒトの発言に驚いてコウスケも顔を引く。
チヒロの背後では二人のやり取りが続く。
「はぁー……どうしてそうなる。君の思考が破廉恥じゃないか。小学校二年生は幼女だ」
「や、幼女も何も、ノリ君だって……」
「チヒロさん、私はもう戻ります。必要なら部屋に声を掛けて下さい。そちらに行きますから」
「わー、待ってよー!」
二人が慌ただしく部屋を出て行き、夜の静けさが戻ってきた。
「あれは、何だったのかしら……」
用心に用心を重ねて外を眺めていたが、黒い影はどこにもなく。
首を傾げて窓から離れようとする。
「え……?」
今度は別の物を捉えた。
チヒロは勢い良く窓を開け、身を乗り出すように闇の黒が広がる世界を見下ろす。
ちかり。
小さな光が瞬く。
ちかり。
蛍か?
ちかり。
蛍は夏だ。
ちかり。
それならあれは。
ちかり。
もしかして――。
少女は再び部屋を転がるようにして飛び出した。
パタパタと階段を下り、ホールを横切る。
ふと、ナオヤとトシキはいるのだろうかとキッチンに目を向けたが、そこは明かりが落とされていた。
チヒロは店のドアを押した。
春は近いが、まだ冷たい風が頬を撫でる。
あの大きな黒い影は――。
用心するように空を見上げたが、月が浮かぶだけだ。
月明かりが周囲を薄らと照らしている。
彼女は外に広がる闇に一瞬怯んだが、小さな拳をぎゅっと握ると、一歩、また一歩と進み始めた。
サクサクと草を踏み、店の裏庭を目指す。
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