卯月堂の空にクジラが歌う

ねじまる

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カフェ 卯月(うげつ)堂

第二十一話

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 日中、ナオヤ達と探したときは見付からなかったのに……。

 裏庭に出て、目を細めた。
 先程見た、小さな光は裏庭の奥の方だったはず。

 少女は店から離れ、今度は裏庭の奥を目指した。
 裏庭は草原のように、ただ草が広がるだけの空間だった。
 風に吹かれ、草達はサラサラと小さな声で会話を交わしている。

「あっ!」

 チヒロは小さく声を上げた。前方で小さな光が幾つか見える。

 風に吹かれて、ゆらゆら、ちかちか。

「あった! 蛍草っ!」

 まだしっかりと確認したわけでもないのに、はやる気持ちと共に駆け足になった。

 彼女に合図を送っているように、小さな光が瞬く。
 その光に向かって彼女は走った。

「あった!」

 風に揺られて、小さな花が光を放っている。

「これで、お母さんに……!」

 そのとき、チヒロは何かに足を取られた。

 一瞬、感じたのは大きな感触。
 倒木か、大きな石か。

「あっ!」

 ふわりと彼女の体が暗闇に浮いた。
 浮いたのも束の間、次の瞬間には地面が目の前に飛び込んでくる。

「きゃっ!」

 勢い良く彼女は転がった。

 どうやら坂になっていたらしい。
 花を少し通り過ぎたところで彼女は止まった。

「い、たたっ……」

 転がった勢いからか、頭が少しフラフラする。
 彼女はゆっくり立ち上がった。

 ところが、右足で踏ん張るはずの地面が、そこにはなかった。

「ひゃっ……!」

 悲鳴が、一瞬で暗闇に落ちた。

 転がった先は、切り立った高台だったらしい。
 背中から落ちて、高台の縁が遠退くのを見る。

「きゃあぁぁああっ!」

 高台の高さはどのくらいだろうか。
 彼女は悲鳴を上げ、ぎゅっと目を瞑った。

 お母様の喜ぶ顔、見たかったな――。

「チヒロちゃん!?」

 どこからかナオヤの声がする。

「チヒロちゃん!」

 もう一度、ナオヤが呼んでいる。
 そのとき、背中に衝撃が伝わった。

「うっ!」

 どん、とぶつかった音も耳に入ってくる。

 地面に衝突したにしては、どこも痛くない。
 それとも、痛みを感じる間もなく、自分は死んでしまったのだろうか?

 恐る恐る目を開けてみると、

「大丈夫!? 何があったの!?」

 すぐ目の前に、ナオヤの心配そうな顔があった。
 ただ、顔があるのではない。
 その距離はとても近い。
 彼の荒い吐息を肌で感じる。

「きゃっ」

 チヒロは驚きのあまりに小さく声を上げた。
 更に、ナオヤに抱きかかえられていることに気付いて顔を赤らめる。
 いわゆる、絵本に見るお姫さま抱っこだ。

「な、何で……」

 彼女を見下ろす彼の顔は、あの陽気な様子から想像もしていなかった鬼の形相で。

「それはこっちの台詞! 何でこんな暗い中、一人で外に出たの!? 危ないだろ!」

「ご、ごめ……っ」

 ナオヤの目元に涙がにじむ。

「でも、間に合って良かったぁ……」

 力が抜けたように、彼はチヒロを抱いたまましゃがんだ。

 その地面がぐらりと揺れる。

「おっと」

 バランスを取ろうと軽く体を左右に振る。
 それは、地面ではなかった。

 赤く大きなソリに二人は乗っている。
 そのソリの下には月見町が広がっていた。

「そ、空……」

 下を覗きながら、彼女は口をパクパクさせた。

「空、飛んでる……!」

「あれ? 珍しい?」

 こともなげにナオヤは答える。

「テレビとかで、カジキレース見たことない? あとは、宅配のカジキ便とか。まぁ、カジキ便は田舎だからなぁ。都会だと、お洒落にトナカイ便かなぁ」

 ほら、とナオヤに促されて、チヒロはソリの先を見た。

 ソリを引くのは、屏風のような背びれを持つ、一匹の大きなカジキ。
 長い上顎の先にはランタン型のランプが吊り下げられている。

「あっ!」

 チヒロは小さく声を上げる。

 コウスケの部屋で見た、あの目だ。
 カジキは優雅に尾ビレを振って空を泳いでいる。

「上から見れば、蛍草が見えるかなって思ったんだけど……」

 ナオヤが呟くのを耳にした途端、チヒロは本来の目的を思い出した。
 彼のシャツを引っ張るように掴み、見上げる。

「あったの……私が落ちたところに、蛍草があったの……!」

「あったの!? 良かったぁ……!」

 まるで自分のことのように彼も喜び、目元を緩ませた。

「チヒロちゃん、頑張ったね。これで、お母さんも元気になるよ! 間違いない!」

「うん!」

 カジキと赤いソリが、ゆっくりと夜空を横切る。
 月が静かにそれを見守っていた。

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