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20. ヒツジの想い、そして

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 たぶん、羊が女の子をさらうのは、今もヘレを探しているからなんじゃないかな。記憶を失っても、ただただ、ヘレに関する「なにか」の後悔だけが残っていて。
『……ヘレ』
 ぽつり。
 横に振られた首。何度も、何度も。
『ヘレ、探ス!!!! ドコカニイル!!』
 ……っ!! なんて痛い声。こもった感情も痛いし、声の大きさも空気を割っていくみたい。
『探ス!! メェェェェッ、見ツケナイト、ヘレ、サミシイ!!』
「っ、羊さん、ヘレはいないの! みんなを返して、おねがい!」
『探ス、ヘレッ! ソウシナイト、プリクソスニ、カオムケ、デキナイ!! プリクソスニ、キラワレル』
 ……怖いんだね。自分のせいで妹がいなくなったって、プリクソスに嫌われることが。恨まれているかもしれないって、想像したら怖いんだ。
 分かるよ。私も、私のせいでひぃちゃんを悲しませたって思ってた。
「羊さん……本当のことを知って。本当のことを思い出して」
 人差し指を、空に向ける。
 ステラの作った、夜の中。涼やかな色に包まれて、その中で私は、心の奥底から、あたたかくて不思議な力が、湧き上がってくるのを感じた。
 指先に光がともる。自分の指先、そのものが星になったみたいに、光って。
 線を引く。

『メェエエエエエエエ!!』
 羊が、また突進してきた。

 私は星座を、紡ぎ続ける。
 つながる。星が。つながっていく星に、私はありったけの想いを一緒に混ぜこんだ。
 線を。星を。想いを。
 全部まとめて、指輪にこめる!!!!

「羊さんを止めて……『りゅう座』!!」
「りゅう座さんーっ!!」

 右肩で、一緒に想いをこめてくれたホクトが繰り返す。
 すると。
 体育館の天井をおおわんばかりの……大きな大きな竜が、夜空をうめつくした。お、大きい……本当に、りゅう座だ。
 りゅう座は、私のオリジナルの星座じゃない。実際にある星座。
 そして、牡羊座の神話にかかわる星座でもある。
『……私を呼んだのは、君かね』
 ブルゥゥッ!! と空気がゆれた。耐えられなくて、思わずしりもちをつく。すごいオーラ……羊も、空気と一緒にゆれた地面に転んでしまった。
 しばらく、ポカンとする。けど、ふわふわただよっている竜のヒゲを見てハッと我に返った。
「そ、そうです! 私、です!」
 緊張して、すぐに言葉が出てこない。羊さんのことを助けてあげてください。牡羊座の話を、プリクソスのその後の話をしてあげてください。そう、言おうとしているのに。
 竜は私をジッと見つめた後。もう一度立ち上がり、私をにらみつけている羊へと視線を移した。
『ヘレ……ヘレェェェェッ』
 離れないと、マズそう!
 マズそう、だけど……。
「どうしたの、ナナセ!?」
「ち、力が、入らなくて」
 りゅう座を描くのに、たくさん集中力を使っちゃったからかも。さっきの女の子みたいに、立てない。
 すると、ステラが私の横に跪いた。ステラ……。
「問題ない。あの星座を作った時点で、ナナセの役割は終わっている」
「で、でも離れなきゃ」
 ステラは、だまって羊の方を向く。私もそれを、視線で追う。
 ガリッ、ガリッ! 床を数回蹴った羊が、またこっちに猛ダッシュ!!
 その時、ふわっと。りゅう座が私たちと羊さんの間に割りこんで入ってきた。
『ヘレ。帰ロウ。プリクソスモ、心配シテル……』
 金色とはかけ離れた、すすけた灰色の羊。メチャクチャな独り言をつぶやいている。
 羊さんは……私に帰ろうって言ってる。もう、何人もの女の子を連れて行っちゃったはずなのに。ヘレじゃなかったから、まだずっと。
『しっかりせんか!!!!』
 ゴウッ!!
 竜が一喝するだけで、風が巻き起こった。吹き飛ばされるっ……!! ……と、思ったけど、ステラが私の肩を支えてくれていた。
 なんだか、すごくあったかい手に安心した。私は、ホクトを離さないようにしないと。ぎゅっと抱きしめる。こっちもあったかい。
 吹き荒れる風の中心。向かい合う、ふたつの星座。
『……ヘ、レ。ドコ、イル……』
『まだ言うか。牡羊座よ、思い出せ。ヘレはもういない』
『プリクソス、ガ、待ッテル』
『プリクソスももう待ってなどおらん!! やつは、とうの昔に前を向き、残りの人生を生きたのだ!!』
 ピクリ、と羊の動きが止まる。
 そう、それは、きっと牡羊座の知らない話。牡羊座の羊が、亡くなってお星さまになった後のこと。
 竜の切れ長の目が、私に目くばせした。私は、うなずく。……お願い、指輪。もう少し、私とあの竜に、力を貸して。
『……そもそもプリクソスは、お前を恨んでなどいないのだ』
 プリクソスを……ここに、!!



 ──「これを、守ってはくれないか」

 そう、竜に語りかける青年がいた。人の良さそうな笑みに、どんな人も安心させてしまうような、やさしい雰囲気をまとった青年。
 体育館が、神話の世界に染まる。あふれる緑。その中で踊るいろとりどりの色彩は、きれいに咲きほこる花たちだ。ふわり、すずしい風が頬をなでていく。
 私たちは元々そこに座っていたかのように、緑がいっぱいの草原に腰を下ろしていた。良かった、うまくいったんだね。キョロキョロするのはホクトと……羊。
 そして、幻でできた青年を目に留めると。
『プリク、ソス』
 おびえるように、そう言った。


 ──それは何なのだ、と竜は聞いた。
 プリクソスが守ってほしいと言った「もの」を見つめて。それはそんなに価値のあるものなのか? と。
 その問いに、青年はやさしく目を細めた。愛おしそうに、「それ」をなでる。
「これは、国の宝だ」
『そう見えないが……今やお前は国の王になった。「宝」というのなら、もっと貴重なものがあるだろう』
「いいや、僕にとって、これより大切なものなど無いよ。あなたは、眠らないことで有名な竜だ。あなたなら、いつの時間もこの宝を守ってくれる。そう信じて、あなたに頼むんだ」
 宝だ、と言ったその手には……金色の毛皮が、大事に抱えられていた。


『プリクソス』
 ぼうぜんと、羊がつぶやく。
 神話と私たちの世界が、ゆっくりと溶けて、まじりあう。
 りゅう座の記憶の中の存在であるはずの青年は、プリクソスは、ゆっくりと羊の方を振り返った。
 羊の方へ、歩みを進める。
 羊は一歩一歩、後ずさる。
 ひとつひとつ、近づいていく。確かにきざまれる一瞬に、ドクドク、私の心臓が鳴っていた。
「……かつて、僕と妹を助けてくれた者が亡くなったんだ。これはその彼の毛皮でね。きれいだろう?」
『……!!』
 プリクソスの腕の中の金色が、羊の漆黒の瞳に反射して、光る。もう羊が、失ってしまった色。
 ポツリ。ポウッ。キラキラ……。
 金色の毛皮のかがやきが、きっとあまりに大きかったから。
 羊の目の中に入りきらなくて、あふれて。
 あふれたキラキラは……羊の、涙になってこぼれ落ちた。
「僕は、ずっとずっと、これを守っていこうと思う。彼を忘れないために」
 ポロッ。ポロ、ポロ。
「ヘレが海の中に還ってしまって……悲しんでいた僕を、彼はずっとなぐさめてくれていた」
 ──『プリクソス、もう少しです! あなたまで海に落ちたら、ヘレが悲しんでしまう』
 ──『ヘレの体は必ず、必ず私が後で探しに行きます。だから今は、私にしっかりつかまって』
「そして無事に生きた私は、今こんなに幸せだ」
 幸せ、というプリクソスの言葉は。疑いようもなかった。
 だって、こんなにも温かい。彼が、羊のことを大切に思っていたってことが、私にも分かるもの。
 私にも届いているなら、きっと。
『……私がもっと気をつけていたら、ヘレは海に落ちなかったのです』
 ポロポロ。羊さんの言葉から、冷たさがはがれて落ちた。涙と一緒に、「本当の気持ち」が流れていく。
『それに、ヘレを見つけてあげられなかった……! ごめんなさい、ごめんなさい……!!』
「何を言う。あなたは僕の国の……いや、僕と妹の、宝物だ」
 青年が、ゆっくりと両腕を広げて。

 羊を、抱きしめた。

 大切そうに。まさしく、宝物を抱きしめるやさしさで。
 羊は目を閉じて、ためらって。それでもやがて、プリクソスに頬を寄せた。
 ふと、私の腕がぬれて、ホクトが泣いていることに気づいた。それを見下ろした瞬間、ポタリ。私の目からも、こぼれたもの。いつの間に、泣いてたんだ。羊とプリクソスと、同じように。
 本当の想いが、通じ合ったんだね。これで、羊がもう女の子を連れ去る必要はない。これで、もう羊が苦しむことはない。
「ありがとう、僕の宝物……さようなら」
 草原の景色が、うすれて消えていく。神話の終わりをつげるように。本の最後のページをめくる時の、何となくさみしい感じを、残して。
 泡のように、消える、消える。
 笑顔のプリクソスも。羊の……額の黒い宝石も。
「わぁ……!」
 ホクトが目をかがやかせた。それもそうだ。
 羊の毛皮の灰色が、はがれて……姿を現したのは、金色の毛皮!!
 彼が体をゆらすと、ふわふわの金色も、共にゆれた。まるで、風に麦がゆれるようで。
「とってもきれい……!!」
「元の姿を取り戻したようだな」
『全く、世話の焼けるやつだ。獣の羊以下に身を落としおって』
 いつも通り、冷静なステラとりゅう座さん。りゅう座さんはきびしいね……。
 羊からはがれ落ちた灰色は、ホコリのようにどこかへ吹いて飛んでった。ぱちり、まばたきをする。その目にも、プリクソスからもらった光が差しこんでいた。コツリ、コツリ。近づいてくるヒヅメの音。
 さっきまでのヒヅメの音より、上品に聞こえる。
 シュッと整った羊の顔が、私を見上げた。
『たくさん、迷惑をかけましたね。ごめんなさい。そしてありがとう、お嬢さん』
「ううん。元に戻って、よかった」
 もちろん、怖いことはあった。でも、今こうしてうれしそうで穏やかな羊さんを見ると、指輪の力を使ってよかったって、思える。
「あ、そうだ」
『?』
「『ヘレスポントス』っていう名前の海峡があるの……ヘレが落ちてしまった、って言われてる海」
 羊の目が大きくなった。
 私は、せいいっぱい、笑ってみせる。
「牡羊座に戻って、その海の上を通ることがあったら……ヘレに、挨拶していくといいよ。星空から!」
 星空と、海と、そして天国と。
 牡羊座とふたりの兄妹は、離れていてもずっとつながってる。それはとっても……「ステキ」なことだ。ホクトの言葉を借りるなら、ね!
 羊はうなずいた。その表情が、わずかにほほえんだように見えた……その時、だんだんと、輪郭がおぼろげになっていく。
 ふわ、ふわ。からす座の時と同じ。光の粒になって、空に帰っていく。羊さんも、りゅう座も。
『お嬢さん、名前は?』
「私? 私は……七星!」
『そうか、ナナセ。……本当に、ありがとう』
 言葉が、煙みたいに溶けて。
 私の心に、すっとしみていく。
 静かな体育館が戻ってきた後、すぐに、「あれ? ここどこ?」「何してたんだっけ……」というざわめきが突然巻き起こった。よかった、羊が連れ去った子どもたちが、みんな戻ってきたんだ。
 よかった、本当に……あれ、何だか、頭が、重い……。
「ナナセ!?」
 大きいはずのホクトの声も、何だか遠くて。だめ、何か、安心したら一気に……。
 スッと消えていく体の感覚。代わりに、温かい誰かの腕に、包まれているような気がした。
「力をたくさん使い、消耗したんだ。よく頑張った。とりあえず現時点、案じる事はない……おやすみ、ナナセ」
 いつもの無感情に、やわらかさが混じってる。
 そう、思ったけど。私は彼の言う通りに、眠ってしまった。
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