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サジタリアスの女 飛翔の章
1 射手座 出射 若菜(いでい わかな) 写真家
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静かな森の中を散歩する。慌ただしい日常をリセットしようと思うと自然に触れるのが一番だ。真夏でも山の中はひんやりとして過ごしやすい。――そろそろ夏も終わりか。
少しずつ木々の色合いが変わってきて風も乾き始めている。柔らかい湿った地面を踏みしめながら歩いていると、カシャ、カシャと音が聞こえた。斜め上を見ると立派な一眼レフのカメラで写真を撮っているショートカットのスポーティな雰囲気の女性がいた。レンズの先にはモズが小さな虫をくわえてちょんちょんと歩いている。静かにしているつもりだったがパシッと小枝を踏んでしまい、モズは飛び立ち、ため息混じりに女性がこちらを振り向いた。
「ごめんなさい。音を立ててしまった」
「あ、いえ。こちらこそ。あの……。ここってあなたの土地でした?」
「そうですね。一応、そこの川向うまで。」
「すみませんでした。私有地かなあとは思ったんですが、雰囲気が良くて……、ついつい深く踏み込んでしまって」
「いいですよ。荒らしに来たんじゃないようだし。写真を撮りに来たんですか?」
「はい。あ、私、こういう者です」
――イデイ写真館 出射若菜
「写真家さんですか」
「うーん。まあ。普段は結婚式とか人ばっかり撮ってるんですけど、本当は自然の風景を撮っていたいんですよね。でもそれじゃあ食べていけないんですよねえ」
化粧っ気がなくしかし透明感のある肌と短い髪が少年のように感じさせられたが経歴を聞くと恐らく三十代前半だろう。すんなり長く伸びた手で杉の木の幹を優しく撫でている。
「うちの土地ならいつでも来ていいですよ」
「ほんとですか!ありがとうございます。来月コンクールがあるので助かります」
「いい写真とってください」
丸い黒い目をキラキラさせ若菜は周囲の木々や空や地面をぐるりと見まわしている。すぐに彼女は自分の世界に入ったので僕もそっと引き返し山歩きに戻った。
それから何度か若菜が写真を撮っているシーンに出くわした。息をひそめベストショットを狙う姿はまるで居合抜きの達人の様で麗しい。邪魔にならないように気を付けているのだがちょうど行きたい方に彼女はいる。目が合うと微笑みを返すだけの間柄になった。自然に一体化したかのように彼女はずうっと昔からこの森に存在していたかのようだ。
昼過ぎに出先から帰ってくると若菜が景色を見ながら歩いていた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。精が出ますね」
「ええ。今日もなかなかでした。今週いっぱいお邪魔させてもらったら終わりにしますので」
「そうですか。気にしないでいいですよ。いつでもどうぞ。あ、良かったら一緒にお茶でもどうですか?」
「え」
「失礼しました。こんな山奥で男と二人きりなんて嫌ですよねえ」
「いえ。全然!このログハウスがお宅なんですか?いいなあーって思いながら見てたんですよ」
「じゃ、どうぞ」
家に上げると彼女は好奇心いっぱいの様子で部屋の中を見まわしている。
「そこへどうぞ」
「あ、はい」
コーヒーを淹れ彼女に差し出すと、香りを吸い込みリラックスした様子でカップに口をつけた。
「いいところですねえ。おうちもロケーションも。あなたはなにをなさってる方なんですか?」
「ああ。名刺をいただいていたのに僕の方は自己紹介も何もしてなかったですね」
名刺を渡すと面白そうに眺めている。
「へー。面白ーい。なんだか普通のお仕事じゃないだろなあとは思ってました。スーツ姿すてきですね」
「いつもお会いするときはジャージですからね」
「星かー。ここは星空も綺麗でしょうね」
「ええ。町中より大きく多く星座が見えますよ。流星群もよく見えるしね」
「いいなあ」
「星の写真って撮ったりするんですか?」
「いいえ。星とか夜空はなぜか撮らないですね。見上げて眺めるだけ」
「そうなんだ」
「きっと宇宙はいつも変わらなくて自然は今の瞬間を逃したらもう出会えないって感じるからなんだと思います」
「なるほど」
若菜と話しているととても楽しく気が付くと夕暮れになっていた。
「いっけなーい。こんなに遅くまでお邪魔しちゃった!」
「送りますよ」
「いえ。ほんの近くに車を停めてますから。ごちそうさまでした」
「じゃ、気を付けて。また良かったらお茶しましょう」
久しぶりに肩の力が抜ける会話でリラックスした僕はその夜、彼女の生まれ星座である射手座を眺めた。まだよく見える時期だ。若菜はとても率直で物おじせず哲学的でもある。射手座らしくマイペースそうなところが気を使わなくて済む。いい友人になれるかもしれないと思いながら穏やかな眠りについた。
「緋月さあーん」
山歩きをしていると若菜が手を振りながら大きな声で僕を呼ぶ。今日の彼女も爽やかだ。スポーティなスエット姿でいつでも全速力で走れそうな装いだ。
「こんにちは。今日はいいもの撮れた?」
「ええ。可愛いモズが……はやにえを」
神妙な顔つきで言う若菜がとても愛らしく感じた。
「それはそれは。いいもの見れたね」
「ねー。あんなに可愛いのにやることが凄くてびっくりしちゃう」
機材を下に置いた彼女は僕の視線よりも上に目線を上げ手を伸ばしてきた。
「頭に葉っぱがのっかってる。ほら」
どうやら頭にクヌギの葉を乗せていたようだ。僕の掌に葉をのせて若菜はふうっと大きく息を吐き出した。
「どうかした?」
「私、最近、あなたの事ばかり考えてる」
「僕も山を歩いているときに君に会えるといいなと思ってるよ」
「ほんとに!?」
若菜は唐突に首に手を回し唇を重ねてくる。一瞬だけの小鳥のようなキスをしすぐに離れた。そして機材を軽々と持ち上げ「また!」と言い軽い足取りで山を下っていった。
「さよなら」
唇をかすった柔らかい感覚を指で確かめていると、胸の奥から甘い疼きが沸いてくるのを感じていた。
少しずつ木々の色合いが変わってきて風も乾き始めている。柔らかい湿った地面を踏みしめながら歩いていると、カシャ、カシャと音が聞こえた。斜め上を見ると立派な一眼レフのカメラで写真を撮っているショートカットのスポーティな雰囲気の女性がいた。レンズの先にはモズが小さな虫をくわえてちょんちょんと歩いている。静かにしているつもりだったがパシッと小枝を踏んでしまい、モズは飛び立ち、ため息混じりに女性がこちらを振り向いた。
「ごめんなさい。音を立ててしまった」
「あ、いえ。こちらこそ。あの……。ここってあなたの土地でした?」
「そうですね。一応、そこの川向うまで。」
「すみませんでした。私有地かなあとは思ったんですが、雰囲気が良くて……、ついつい深く踏み込んでしまって」
「いいですよ。荒らしに来たんじゃないようだし。写真を撮りに来たんですか?」
「はい。あ、私、こういう者です」
――イデイ写真館 出射若菜
「写真家さんですか」
「うーん。まあ。普段は結婚式とか人ばっかり撮ってるんですけど、本当は自然の風景を撮っていたいんですよね。でもそれじゃあ食べていけないんですよねえ」
化粧っ気がなくしかし透明感のある肌と短い髪が少年のように感じさせられたが経歴を聞くと恐らく三十代前半だろう。すんなり長く伸びた手で杉の木の幹を優しく撫でている。
「うちの土地ならいつでも来ていいですよ」
「ほんとですか!ありがとうございます。来月コンクールがあるので助かります」
「いい写真とってください」
丸い黒い目をキラキラさせ若菜は周囲の木々や空や地面をぐるりと見まわしている。すぐに彼女は自分の世界に入ったので僕もそっと引き返し山歩きに戻った。
それから何度か若菜が写真を撮っているシーンに出くわした。息をひそめベストショットを狙う姿はまるで居合抜きの達人の様で麗しい。邪魔にならないように気を付けているのだがちょうど行きたい方に彼女はいる。目が合うと微笑みを返すだけの間柄になった。自然に一体化したかのように彼女はずうっと昔からこの森に存在していたかのようだ。
昼過ぎに出先から帰ってくると若菜が景色を見ながら歩いていた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。精が出ますね」
「ええ。今日もなかなかでした。今週いっぱいお邪魔させてもらったら終わりにしますので」
「そうですか。気にしないでいいですよ。いつでもどうぞ。あ、良かったら一緒にお茶でもどうですか?」
「え」
「失礼しました。こんな山奥で男と二人きりなんて嫌ですよねえ」
「いえ。全然!このログハウスがお宅なんですか?いいなあーって思いながら見てたんですよ」
「じゃ、どうぞ」
家に上げると彼女は好奇心いっぱいの様子で部屋の中を見まわしている。
「そこへどうぞ」
「あ、はい」
コーヒーを淹れ彼女に差し出すと、香りを吸い込みリラックスした様子でカップに口をつけた。
「いいところですねえ。おうちもロケーションも。あなたはなにをなさってる方なんですか?」
「ああ。名刺をいただいていたのに僕の方は自己紹介も何もしてなかったですね」
名刺を渡すと面白そうに眺めている。
「へー。面白ーい。なんだか普通のお仕事じゃないだろなあとは思ってました。スーツ姿すてきですね」
「いつもお会いするときはジャージですからね」
「星かー。ここは星空も綺麗でしょうね」
「ええ。町中より大きく多く星座が見えますよ。流星群もよく見えるしね」
「いいなあ」
「星の写真って撮ったりするんですか?」
「いいえ。星とか夜空はなぜか撮らないですね。見上げて眺めるだけ」
「そうなんだ」
「きっと宇宙はいつも変わらなくて自然は今の瞬間を逃したらもう出会えないって感じるからなんだと思います」
「なるほど」
若菜と話しているととても楽しく気が付くと夕暮れになっていた。
「いっけなーい。こんなに遅くまでお邪魔しちゃった!」
「送りますよ」
「いえ。ほんの近くに車を停めてますから。ごちそうさまでした」
「じゃ、気を付けて。また良かったらお茶しましょう」
久しぶりに肩の力が抜ける会話でリラックスした僕はその夜、彼女の生まれ星座である射手座を眺めた。まだよく見える時期だ。若菜はとても率直で物おじせず哲学的でもある。射手座らしくマイペースそうなところが気を使わなくて済む。いい友人になれるかもしれないと思いながら穏やかな眠りについた。
「緋月さあーん」
山歩きをしていると若菜が手を振りながら大きな声で僕を呼ぶ。今日の彼女も爽やかだ。スポーティなスエット姿でいつでも全速力で走れそうな装いだ。
「こんにちは。今日はいいもの撮れた?」
「ええ。可愛いモズが……はやにえを」
神妙な顔つきで言う若菜がとても愛らしく感じた。
「それはそれは。いいもの見れたね」
「ねー。あんなに可愛いのにやることが凄くてびっくりしちゃう」
機材を下に置いた彼女は僕の視線よりも上に目線を上げ手を伸ばしてきた。
「頭に葉っぱがのっかってる。ほら」
どうやら頭にクヌギの葉を乗せていたようだ。僕の掌に葉をのせて若菜はふうっと大きく息を吐き出した。
「どうかした?」
「私、最近、あなたの事ばかり考えてる」
「僕も山を歩いているときに君に会えるといいなと思ってるよ」
「ほんとに!?」
若菜は唐突に首に手を回し唇を重ねてくる。一瞬だけの小鳥のようなキスをしすぐに離れた。そして機材を軽々と持ち上げ「また!」と言い軽い足取りで山を下っていった。
「さよなら」
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