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43 事故
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橋の上で転びかけた絹枝を、さっと慶明は支える。
「あ、あなた」
「危ないな」
「すみません。ちょっとめまいがして……」
「めまい? 今だけか?」
「それが、ここの所毎日……」
「どうして早く言わないんだ」
「軽いものですし、もう年なのかと」
近眼な絹枝は目をしばしば瞬きさせながら慶明に答える。慶明は彼女の手を引き、近くの東屋で休ませ脈を測る。
「今日はお早いんですね」
「ああ、今日は医局の整頓の日でな。私はいてもあまり役に立たないので帰ってきたのだ」
「役に立たないなんて」
ふっと笑む絹枝の目じりに細かい皴ができている。情熱的でもなく、喧嘩をするわけでもなく穏やかな夫婦関係だが、慶明は長く時間を共有してきたのだと、彼女の皴を見て実感する。そう思って絹枝の髪を見るとちらほら白いものも混じっていた。
「ともに白髪頭になるまで、か」
「何か?」
「いや。なんだか睡眠不足になっているようだな。身体の中を気がちゃんと巡っていない」
「そう?」
「病気はないが、どうもおかしい。何か心配事でもあるのか?」
「いえ、特に……」
「ご婦人特有の症状でもない。まあしかしこの太鼓橋は普通の平坦な橋に変えさせよう」
「あら、いいのに」
「いや、もっと早くにしておけばよかった。君は目が悪いからね。落ちるといけない」
「すみません」
「夕げまで休むといい」
絹枝を寝室に送り、危ない箇所は他にないかと庭を散策しているとバタバタと息子の明樹がやってきた。なんとその腕には気を失った星羅が抱えられている。慶明はぎょっとして明樹のもとに駆け寄った。
「どうした!」。
「あ、父上。おいでになって、ちょうどよかった! 星羅が馬から落ちてしまって」
「何!? 早く寝台へ!」
急ぎ一番近い部屋の寝台にそっと星羅を寝かせた。脈を測ると脳震とうを起こしているのがわかった。
「どうして落馬した?」
今までで一番怖い表情をする慶明に、明樹の表情も硬くなる。
「それが、いきなりうたた寝をしてしまったようで……」
「乗馬中に寝たのか?」
「はい……」
この屋敷から出る星羅を家に送りがてら、明樹は馬の乗ろうと誘った。歩くよりもずいぶん早く家に着くので少し遠回りをして並んで走っていると星羅の馬の速度が落ちた。 あれっと思い明樹が振り返ると星羅は馬の上で伏している。慌てて星羅のほうへ引き返したが、ずるっと彼女は馬上から落ちてしまった。手綱が緩んでいたので馬はほとんど歩いていた。おかげで目に見えるケガはない。
押し黙る慶明の表情は険しい。その一方で冷水に浸した手ぬぐいを絞り、星羅の額に当てる手は限りなく優しい。
「ん……」
瞼が動きはじめ、星羅は目を覚まし、明樹と陸明を認めすぐ起き上がった。
「ここ、あ、頭いたい……」
明樹よりも素早く慶明が星羅の身体を支え、また横たわらせる。
「いい子だからじっとしていなさい」
「あの、ここは、明兄さまと、わたし……?」
慶明が目配せすると、明樹が説明をし始める。
「馬から落ちたんだ。覚えてる?」
「馬から? 乗った後の記憶が……」
どうやら眠ったことに気づいていないようだった。
「すみません。ご迷惑をかけてしまって」
「こちらこそすまない。体調が悪かった時に誘ってしまって」
「いえ、とくに体調が悪かったわけでは」
星羅も自分がどうして落馬したのかわからない。馬車で眠ることがあったとしても、自ら手綱をもって御する馬の上で寝ることなど考えられなかった。
慶明は夫人の絹枝もめまいのため橋から落ちそうになっていた。改めて星羅の脈をはかると、絹枝と同じ症状が出る。
「どういうことだ……」
「あの、おじさま?」
「ああ、心配しなくていい。特にどこも悪くない。もう少し休んだら明樹に馬車で送らせよう」
「平気なら歩いて――」
「だめだ。身体は平気でも眠気があったら、何かあったら晶鈴に申し訳が立たぬ」
「は、はあ」
「良いな。もうしばらく休ませて送っていくんだぞ」
「わかりました。父上」
「じゃあ星羅。あまり無茶をしないように」
「自粛します」
叱られたとばつの悪そうな表情をする星羅が愛しく思えた。慶明は星羅と明樹を部屋に残し、自室へ戻ることにした。
「絹枝と星羅。同じころに眠気とは……」
2人とも学問のための夜更かしをしがちなのは理解できるので、寝不足なることがあるのは知っている。しかし揃いもそろって同じ時刻に事故を起こしそうなほどの睡眠不足はおかしい。脈診では何も異常はないようだった。
「眠気か」
眠りに関して考えていると、誰かが眠れないと言っていたことも思い出したが、誰だったか忘れてしまった。今の慶明は王族を含む何人もの診察を行っているで、診療記録をみないと誰が何を訴えてきているかわからなかった。幸い今重病人はいない。
「まあ何事もなかったのだが」
すっきりしないが追求しようがなく、この件は忘れられていく。
陰で一部始終を見ていた春衣は「もうこの薬は使えない」と悔しそうに唇をかんだ。今日に限って、慶明が早帰りし絹枝を助けてしまった。また陸家から帰宅するときに、ちょうど明樹が星羅を遠乗りに誘ったので、春衣が手を下すことができなかった。
「運のいい……」
連続して睡眠薬を使えば、怪しんだ慶明が自分の犯行にたどり着いてしまうだろう。しばらく大人しくすることにして次のチャンスをうかがうのだった。
「あ、あなた」
「危ないな」
「すみません。ちょっとめまいがして……」
「めまい? 今だけか?」
「それが、ここの所毎日……」
「どうして早く言わないんだ」
「軽いものですし、もう年なのかと」
近眼な絹枝は目をしばしば瞬きさせながら慶明に答える。慶明は彼女の手を引き、近くの東屋で休ませ脈を測る。
「今日はお早いんですね」
「ああ、今日は医局の整頓の日でな。私はいてもあまり役に立たないので帰ってきたのだ」
「役に立たないなんて」
ふっと笑む絹枝の目じりに細かい皴ができている。情熱的でもなく、喧嘩をするわけでもなく穏やかな夫婦関係だが、慶明は長く時間を共有してきたのだと、彼女の皴を見て実感する。そう思って絹枝の髪を見るとちらほら白いものも混じっていた。
「ともに白髪頭になるまで、か」
「何か?」
「いや。なんだか睡眠不足になっているようだな。身体の中を気がちゃんと巡っていない」
「そう?」
「病気はないが、どうもおかしい。何か心配事でもあるのか?」
「いえ、特に……」
「ご婦人特有の症状でもない。まあしかしこの太鼓橋は普通の平坦な橋に変えさせよう」
「あら、いいのに」
「いや、もっと早くにしておけばよかった。君は目が悪いからね。落ちるといけない」
「すみません」
「夕げまで休むといい」
絹枝を寝室に送り、危ない箇所は他にないかと庭を散策しているとバタバタと息子の明樹がやってきた。なんとその腕には気を失った星羅が抱えられている。慶明はぎょっとして明樹のもとに駆け寄った。
「どうした!」。
「あ、父上。おいでになって、ちょうどよかった! 星羅が馬から落ちてしまって」
「何!? 早く寝台へ!」
急ぎ一番近い部屋の寝台にそっと星羅を寝かせた。脈を測ると脳震とうを起こしているのがわかった。
「どうして落馬した?」
今までで一番怖い表情をする慶明に、明樹の表情も硬くなる。
「それが、いきなりうたた寝をしてしまったようで……」
「乗馬中に寝たのか?」
「はい……」
この屋敷から出る星羅を家に送りがてら、明樹は馬の乗ろうと誘った。歩くよりもずいぶん早く家に着くので少し遠回りをして並んで走っていると星羅の馬の速度が落ちた。 あれっと思い明樹が振り返ると星羅は馬の上で伏している。慌てて星羅のほうへ引き返したが、ずるっと彼女は馬上から落ちてしまった。手綱が緩んでいたので馬はほとんど歩いていた。おかげで目に見えるケガはない。
押し黙る慶明の表情は険しい。その一方で冷水に浸した手ぬぐいを絞り、星羅の額に当てる手は限りなく優しい。
「ん……」
瞼が動きはじめ、星羅は目を覚まし、明樹と陸明を認めすぐ起き上がった。
「ここ、あ、頭いたい……」
明樹よりも素早く慶明が星羅の身体を支え、また横たわらせる。
「いい子だからじっとしていなさい」
「あの、ここは、明兄さまと、わたし……?」
慶明が目配せすると、明樹が説明をし始める。
「馬から落ちたんだ。覚えてる?」
「馬から? 乗った後の記憶が……」
どうやら眠ったことに気づいていないようだった。
「すみません。ご迷惑をかけてしまって」
「こちらこそすまない。体調が悪かった時に誘ってしまって」
「いえ、とくに体調が悪かったわけでは」
星羅も自分がどうして落馬したのかわからない。馬車で眠ることがあったとしても、自ら手綱をもって御する馬の上で寝ることなど考えられなかった。
慶明は夫人の絹枝もめまいのため橋から落ちそうになっていた。改めて星羅の脈をはかると、絹枝と同じ症状が出る。
「どういうことだ……」
「あの、おじさま?」
「ああ、心配しなくていい。特にどこも悪くない。もう少し休んだら明樹に馬車で送らせよう」
「平気なら歩いて――」
「だめだ。身体は平気でも眠気があったら、何かあったら晶鈴に申し訳が立たぬ」
「は、はあ」
「良いな。もうしばらく休ませて送っていくんだぞ」
「わかりました。父上」
「じゃあ星羅。あまり無茶をしないように」
「自粛します」
叱られたとばつの悪そうな表情をする星羅が愛しく思えた。慶明は星羅と明樹を部屋に残し、自室へ戻ることにした。
「絹枝と星羅。同じころに眠気とは……」
2人とも学問のための夜更かしをしがちなのは理解できるので、寝不足なることがあるのは知っている。しかし揃いもそろって同じ時刻に事故を起こしそうなほどの睡眠不足はおかしい。脈診では何も異常はないようだった。
「眠気か」
眠りに関して考えていると、誰かが眠れないと言っていたことも思い出したが、誰だったか忘れてしまった。今の慶明は王族を含む何人もの診察を行っているで、診療記録をみないと誰が何を訴えてきているかわからなかった。幸い今重病人はいない。
「まあ何事もなかったのだが」
すっきりしないが追求しようがなく、この件は忘れられていく。
陰で一部始終を見ていた春衣は「もうこの薬は使えない」と悔しそうに唇をかんだ。今日に限って、慶明が早帰りし絹枝を助けてしまった。また陸家から帰宅するときに、ちょうど明樹が星羅を遠乗りに誘ったので、春衣が手を下すことができなかった。
「運のいい……」
連続して睡眠薬を使えば、怪しんだ慶明が自分の犯行にたどり着いてしまうだろう。しばらく大人しくすることにして次のチャンスをうかがうのだった。
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