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85 西の駐屯地
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西国に隣接する駐屯地では、気候も温暖でからっと晴れる日が多く、飢饉の懸念が中央よりも薄い。都から、倹約と備蓄をいつも以上に心がけるべしと通達が来たが、表面的に命令を守るだけで危惧するものは少なかった。
陸明樹の妻、星羅からの手紙には今回の冷夏は曹王朝最大の国難となるだろうと書かれてあった。珍しく不安な様子の手紙に、明樹は他の兵士に比べ状況を重く見ている。
「もうすぐ帰るからな」
明樹の任期はもうひと月で終る。星羅と息子の徳樹にもう少しだと自分の中で言い聞かせながら日々、職務に励んでいた。ところが来週任期が明けるというところで、後輩の部下から誘いがかかる。
「兄貴。来週には都に帰るんでしょ? 今のうちに遊びに行っておきませんか?」
「遊び? 妓楼なら興味ない」
「相変わらずですねえ。せっかく西国の女と遊べるってのに」
「俺はいいよ」
「まあまあそういわずに、美味い咖哩も食べられるって評判なんですぜ?」
「咖哩?」
「病み付きになるらしいっすね。おれ食べたことないんすよ」
「ふーん。咖哩か。じゃあまあ日の高いうちになら行ってもいいか」
「そう来なくっちゃ」
後輩が熱心に誘うので、この駐屯地での最後の娯楽と思い出かけることにした。
その店は関所の門の外すぐそばにある。国境に位置するが西国の店だ。西国と華夏国を行き来する客が、ここに立ち寄り、しばし西国との別れを惜しむか、初めて西国の文化に触れるかになる。またこの関所を守る兵士たちの中に常連もいる。門番の兵士が顔見知りであれば、兵士たちにとってその店に行くことは容易い。
さすがに西国から入国するものと、華夏国から出国するする者に対してはきちんとした検問が行われるが、平和な今、兵士の行き来は気楽なものだった。
門番にちょっとそこの店に行ってくると告げると「どうぞ、楽しんできてください」と笑顔で見送られる。明樹は苦笑して、後輩と門をくぐった。
馬に乗るまでもなく近場にその店はあった。宿屋も兼ねているようでほどほどに大きい。門の上についている看板には、西国のくねった蛇のような文字と一緒に、漢字で『美麻那』と書かれてあった。
今は繁忙期ではないようで店の中は空いている。明樹たちに気づいた西国の女人が大きな声と身振りで「ようこそ!」と出迎えた。艶やかな褐色の肌を持つ女を見て、星羅の母、京湖を思い出す。思わず星羅がいるのではないかときょろきょろと見回してしまった。
「兄貴、どうかしました?」
「いや、ちょっと知り合いに似てたので」
「あら、兄さんは西国の女に知り合いがいるの?」
店の女は、肌が透けるような薄い衣をひらひらさせて尋ねる。
「あ、まあ、ちょっとね」
「兄貴もお安くないなあ!」
妻の義母が西国人だというのは面倒なので適当にごまかしておいた。
「ご注文は?」
「咖哩飯を頼む」
「飲み物は?」
「あの、紅茶に乳と香辛料をいれたやつを」
「チャイね」
「じゃとりあえずそれで」
女が厨房に入っていくと後輩の兵士が感心している。
「兄貴は慣れてますねえ! ほんとはよく遊びに来てたんじゃないんすか?」
「たまたま知ってただけさ」
明樹は星羅が作ってくれていた咖哩と茶乳を思い出していた。彼女が言うには咖哩は作る人によって味が違うらしい。きっと星羅の作る咖哩が一番だろうと思い、雑談をして待っていた。後輩の兵士は、まだ任期が残っているらしい。
また別の女が咖哩を運んでやってきた。同じ女人かと思ったが衣装の色が違う。西国人から見た華夏国民はみんな同じようなのっぺりした顔に見えるというが、逆もまた然りで、西国人の彫の深い顔立ちは同じように見える。
「どうぞ」
咖哩とチャイをテーブルに置き、女も席に着く。
「何か?」
明樹が尋ねると「兄貴、ここはそういうところなんで」と後輩の兵士が嬉しそうに言う。
「じゃ、そっちに座ってくれ」
女に後輩の隣に座るように促した。女は黙って言われたとおりにし、笑顔を振りまき後輩の肩に腕を乗せる。にやけている彼を横目に明樹は咖哩を頬張る。
「なかなかうまいな。ちょっと星羅のより辛いか」
辛くなってきたので茶乳を一口飲むと口の中に甘みが広がった。皿を半分ほど空にした時、明樹の感覚と記憶は飛んでいた。
「あれ? 俺は店にいたはずでは?」
いつものように狭苦しい寝台で目が覚めた。
「いつ帰ってきたんだ」
身体を探るが何も異変はない。上着はいつものところに掛けてある。金をとられた様子もない。
「おかしいな」
変だとは思うが、何も変化のないいつもの朝だ。もうしばらくすれば都に戻るということで明樹も深く追及しなかった。しかし彼は今日も後輩に誘われ、咖哩を食べに『美麻那』に行くだろう。
陸明樹の妻、星羅からの手紙には今回の冷夏は曹王朝最大の国難となるだろうと書かれてあった。珍しく不安な様子の手紙に、明樹は他の兵士に比べ状況を重く見ている。
「もうすぐ帰るからな」
明樹の任期はもうひと月で終る。星羅と息子の徳樹にもう少しだと自分の中で言い聞かせながら日々、職務に励んでいた。ところが来週任期が明けるというところで、後輩の部下から誘いがかかる。
「兄貴。来週には都に帰るんでしょ? 今のうちに遊びに行っておきませんか?」
「遊び? 妓楼なら興味ない」
「相変わらずですねえ。せっかく西国の女と遊べるってのに」
「俺はいいよ」
「まあまあそういわずに、美味い咖哩も食べられるって評判なんですぜ?」
「咖哩?」
「病み付きになるらしいっすね。おれ食べたことないんすよ」
「ふーん。咖哩か。じゃあまあ日の高いうちになら行ってもいいか」
「そう来なくっちゃ」
後輩が熱心に誘うので、この駐屯地での最後の娯楽と思い出かけることにした。
その店は関所の門の外すぐそばにある。国境に位置するが西国の店だ。西国と華夏国を行き来する客が、ここに立ち寄り、しばし西国との別れを惜しむか、初めて西国の文化に触れるかになる。またこの関所を守る兵士たちの中に常連もいる。門番の兵士が顔見知りであれば、兵士たちにとってその店に行くことは容易い。
さすがに西国から入国するものと、華夏国から出国するする者に対してはきちんとした検問が行われるが、平和な今、兵士の行き来は気楽なものだった。
門番にちょっとそこの店に行ってくると告げると「どうぞ、楽しんできてください」と笑顔で見送られる。明樹は苦笑して、後輩と門をくぐった。
馬に乗るまでもなく近場にその店はあった。宿屋も兼ねているようでほどほどに大きい。門の上についている看板には、西国のくねった蛇のような文字と一緒に、漢字で『美麻那』と書かれてあった。
今は繁忙期ではないようで店の中は空いている。明樹たちに気づいた西国の女人が大きな声と身振りで「ようこそ!」と出迎えた。艶やかな褐色の肌を持つ女を見て、星羅の母、京湖を思い出す。思わず星羅がいるのではないかときょろきょろと見回してしまった。
「兄貴、どうかしました?」
「いや、ちょっと知り合いに似てたので」
「あら、兄さんは西国の女に知り合いがいるの?」
店の女は、肌が透けるような薄い衣をひらひらさせて尋ねる。
「あ、まあ、ちょっとね」
「兄貴もお安くないなあ!」
妻の義母が西国人だというのは面倒なので適当にごまかしておいた。
「ご注文は?」
「咖哩飯を頼む」
「飲み物は?」
「あの、紅茶に乳と香辛料をいれたやつを」
「チャイね」
「じゃとりあえずそれで」
女が厨房に入っていくと後輩の兵士が感心している。
「兄貴は慣れてますねえ! ほんとはよく遊びに来てたんじゃないんすか?」
「たまたま知ってただけさ」
明樹は星羅が作ってくれていた咖哩と茶乳を思い出していた。彼女が言うには咖哩は作る人によって味が違うらしい。きっと星羅の作る咖哩が一番だろうと思い、雑談をして待っていた。後輩の兵士は、まだ任期が残っているらしい。
また別の女が咖哩を運んでやってきた。同じ女人かと思ったが衣装の色が違う。西国人から見た華夏国民はみんな同じようなのっぺりした顔に見えるというが、逆もまた然りで、西国人の彫の深い顔立ちは同じように見える。
「どうぞ」
咖哩とチャイをテーブルに置き、女も席に着く。
「何か?」
明樹が尋ねると「兄貴、ここはそういうところなんで」と後輩の兵士が嬉しそうに言う。
「じゃ、そっちに座ってくれ」
女に後輩の隣に座るように促した。女は黙って言われたとおりにし、笑顔を振りまき後輩の肩に腕を乗せる。にやけている彼を横目に明樹は咖哩を頬張る。
「なかなかうまいな。ちょっと星羅のより辛いか」
辛くなってきたので茶乳を一口飲むと口の中に甘みが広がった。皿を半分ほど空にした時、明樹の感覚と記憶は飛んでいた。
「あれ? 俺は店にいたはずでは?」
いつものように狭苦しい寝台で目が覚めた。
「いつ帰ってきたんだ」
身体を探るが何も異変はない。上着はいつものところに掛けてある。金をとられた様子もない。
「おかしいな」
変だとは思うが、何も変化のないいつもの朝だ。もうしばらくすれば都に戻るということで明樹も深く追及しなかった。しかし彼は今日も後輩に誘われ、咖哩を食べに『美麻那』に行くだろう。
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