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第一部
1 カルメン
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紅蓮の炎が渦巻いた窯の蓋が閉じられる。
千度を超える炎を焚き続けて十日間。
備前焼の窯焚きを終えて緋紗が見上げた秋の空は紺碧だった。
最後の追い込みで炎の色は鮮やかな紅色から黄金色に変わり、最後はまぶしい白光を放つ。
炎と対照的なコントラストの岡山の空を見ると彼女は興奮が鎮火していくのを感じ、背伸びをしながらこれからの予定を考えた。
陶芸家の一大イベントである窯焚きが終了すると一サイクルが完結しやっと休日がやってくる。
三日間だが陶芸家の弟子をしていて、週にかろうじて一日休みの緋紗にとっては久しぶりの長い休みになる。
普段の休日は部屋の掃除をして図書館に行きインターネットを少し眺めてゲームをするようなインドアな過ごし方だ。
窯元に勤める彼女の友人もなんとなく似たような過ごし方をしているらしい。
しかし今回の休みは少し特別で、緋紗が師事している陶芸家の松尾からオペラのチケットをもらっている。
チケットは一枚のみで、松尾は一人で鑑賞するほど興味はなく、彼の妻、美紀子もその日は都合が悪かった。
そこで緋紗に回ってきたのだった。
開演には時間があるのでワンピースとパンプスとバッグを床に並べてコーディネイトを確認する。
ワンピースはAラインの黒のベロア素材でパフスリーブ。
パンプスはかろうじてヒールがあるような三センチ程度のシンプルなラウンドトウの黒の革。
バッグもパンプスと同じような素材のクラッチバッグ。
黒尽くめにため息を混じらせるが弟子の身の緋紗にとって、これ以上ファッションに費やせる労力はなく、深く考えないようにしてシャワーを浴びることにした。
熱めのお湯を頭からかぶりながら手をごしごしこする。
ここ十日間の窯焚きの証が指先に残ってる。
薄黄色い松の脂が指先に浸み込んだようにこびりついているのだ。
会場は暗く手を見られることはないだろうからと、少し摩擦で赤くなった指先を洗いおえた。
随分使っていないコンタクトレンズを横目にセルフレームの眼鏡をかけベリーショートの髪に少しジェルをつけて整える。
そしてもう一度リップを塗り直し火の元を確認してパンプスを履いた。
古びたドアの固い鍵を閉め、ドアノブを回し確認する。
夕方の伊部駅は高校生で賑わっているが、みんな岡山駅から上ってきているので下りは空いている。
下校してきた高校生が引けると下り列車がやってきた。
オレンジとグリーンのツートンカラーで蜜柑のような色合いの電車は、やはり空いているので楽々乗り込める。
岡山駅まで四十分くらいの間、緋紗は一本、二本とレンガでできた薪窯の煙突を数えた。
――緋紗は備前市の陶芸センターを修了した後、何年か他の窯業地をふらふらし再度魅せられた備前焼を改めて勉強すべく備前焼作家に師事した。
弟子になって五年。
陶芸への道に進んでから修行のみのストイックな生活を送ってきたわけでもない。
二人の男と恋愛も経験した。
しかしいずれも緋紗の意志とぶつかり別れに至る。
彼女は一流の陶芸家になりたいとか、売れっ子になりたいとかなどの野心はないが、費やしてきた時間や労力を結婚によって男の望むように趣味に変更できるほど軽いものでもなかった。
結局自分の道を通す方を選び、ついてきてほしいと望む男たちは去っていったのだった。
『岡山駅~』とのアナウンスにはっとして電車を降りた。
にぎやかな地下街を歩いて間もなく、さらに賑やかで鮮やかなドレスの色が飛び交う華やかな会場に到着した。
チケットを渡し受付嬢からプログラムを受け取る。
華やかな受付嬢に緋紗は緊張し行儀よく頭を下げ、自分の席を見つけて座った時には、やっとほっとした。
ドレスコードに自信がないので会場の雰囲気や周囲の人々に目を向けずプログラムを眺める。
オペラは好きだが詳しくはないので出演者を見てもどれだけ有名なのかわからないが会場の熱気からすると人気の歌劇団なのだろう。
――ファムファタルか。
緋紗は陶芸が人生の中心であるため恋愛内容には関心がもてない。
とくにホセのカルメンに対する濃厚な気持ちには理解ができなかった。
ただしカルメンの好きなことをやり続けるスタイルには多少、共感する。
「まあカルメンみたいに男うけすることはないけどね」
一言呟いたとき、
「すみません」
落ち着いた声と深い森林の香りがした。
隣の席に座りたいのだろう。
男が緋紗の組んだ足を下げてほしいようだ。
「あっ。スミマセン」
慌てて組んだ足をおろす。
座った安堵ですっかり周りが見えなくなっていたみたいだ。
「いえ」
しっとりした柔らかい声に緋紗の安堵感が少し戻った。
気を取り直してプログラムに目を通し始めると会場にアナウンスが響き照明が落されてくる。
幕が開け前奏が流れてきた。
千度を超える炎を焚き続けて十日間。
備前焼の窯焚きを終えて緋紗が見上げた秋の空は紺碧だった。
最後の追い込みで炎の色は鮮やかな紅色から黄金色に変わり、最後はまぶしい白光を放つ。
炎と対照的なコントラストの岡山の空を見ると彼女は興奮が鎮火していくのを感じ、背伸びをしながらこれからの予定を考えた。
陶芸家の一大イベントである窯焚きが終了すると一サイクルが完結しやっと休日がやってくる。
三日間だが陶芸家の弟子をしていて、週にかろうじて一日休みの緋紗にとっては久しぶりの長い休みになる。
普段の休日は部屋の掃除をして図書館に行きインターネットを少し眺めてゲームをするようなインドアな過ごし方だ。
窯元に勤める彼女の友人もなんとなく似たような過ごし方をしているらしい。
しかし今回の休みは少し特別で、緋紗が師事している陶芸家の松尾からオペラのチケットをもらっている。
チケットは一枚のみで、松尾は一人で鑑賞するほど興味はなく、彼の妻、美紀子もその日は都合が悪かった。
そこで緋紗に回ってきたのだった。
開演には時間があるのでワンピースとパンプスとバッグを床に並べてコーディネイトを確認する。
ワンピースはAラインの黒のベロア素材でパフスリーブ。
パンプスはかろうじてヒールがあるような三センチ程度のシンプルなラウンドトウの黒の革。
バッグもパンプスと同じような素材のクラッチバッグ。
黒尽くめにため息を混じらせるが弟子の身の緋紗にとって、これ以上ファッションに費やせる労力はなく、深く考えないようにしてシャワーを浴びることにした。
熱めのお湯を頭からかぶりながら手をごしごしこする。
ここ十日間の窯焚きの証が指先に残ってる。
薄黄色い松の脂が指先に浸み込んだようにこびりついているのだ。
会場は暗く手を見られることはないだろうからと、少し摩擦で赤くなった指先を洗いおえた。
随分使っていないコンタクトレンズを横目にセルフレームの眼鏡をかけベリーショートの髪に少しジェルをつけて整える。
そしてもう一度リップを塗り直し火の元を確認してパンプスを履いた。
古びたドアの固い鍵を閉め、ドアノブを回し確認する。
夕方の伊部駅は高校生で賑わっているが、みんな岡山駅から上ってきているので下りは空いている。
下校してきた高校生が引けると下り列車がやってきた。
オレンジとグリーンのツートンカラーで蜜柑のような色合いの電車は、やはり空いているので楽々乗り込める。
岡山駅まで四十分くらいの間、緋紗は一本、二本とレンガでできた薪窯の煙突を数えた。
――緋紗は備前市の陶芸センターを修了した後、何年か他の窯業地をふらふらし再度魅せられた備前焼を改めて勉強すべく備前焼作家に師事した。
弟子になって五年。
陶芸への道に進んでから修行のみのストイックな生活を送ってきたわけでもない。
二人の男と恋愛も経験した。
しかしいずれも緋紗の意志とぶつかり別れに至る。
彼女は一流の陶芸家になりたいとか、売れっ子になりたいとかなどの野心はないが、費やしてきた時間や労力を結婚によって男の望むように趣味に変更できるほど軽いものでもなかった。
結局自分の道を通す方を選び、ついてきてほしいと望む男たちは去っていったのだった。
『岡山駅~』とのアナウンスにはっとして電車を降りた。
にぎやかな地下街を歩いて間もなく、さらに賑やかで鮮やかなドレスの色が飛び交う華やかな会場に到着した。
チケットを渡し受付嬢からプログラムを受け取る。
華やかな受付嬢に緋紗は緊張し行儀よく頭を下げ、自分の席を見つけて座った時には、やっとほっとした。
ドレスコードに自信がないので会場の雰囲気や周囲の人々に目を向けずプログラムを眺める。
オペラは好きだが詳しくはないので出演者を見てもどれだけ有名なのかわからないが会場の熱気からすると人気の歌劇団なのだろう。
――ファムファタルか。
緋紗は陶芸が人生の中心であるため恋愛内容には関心がもてない。
とくにホセのカルメンに対する濃厚な気持ちには理解ができなかった。
ただしカルメンの好きなことをやり続けるスタイルには多少、共感する。
「まあカルメンみたいに男うけすることはないけどね」
一言呟いたとき、
「すみません」
落ち着いた声と深い森林の香りがした。
隣の席に座りたいのだろう。
男が緋紗の組んだ足を下げてほしいようだ。
「あっ。スミマセン」
慌てて組んだ足をおろす。
座った安堵ですっかり周りが見えなくなっていたみたいだ。
「いえ」
しっとりした柔らかい声に緋紗の安堵感が少し戻った。
気を取り直してプログラムに目を通し始めると会場にアナウンスが響き照明が落されてくる。
幕が開け前奏が流れてきた。
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