叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

文字の大きさ
8 / 132
街の風、鳴らない音

ラスト1曲の余韻だけ

しおりを挟む
ライブ当日まで、あと一週間。
 フライヤーを手にしたのは久しぶりだった。印刷所から届いた封筒を開けて、コピー紙の束を取り出す。
 白地に黒のロゴ。中央に「SpreaD BLuE」の文字。その下に、日時と会場名。あとは何もない。

 派手さもなく、装飾もない。ただの情報だけ。
 でも、これが今の俺たちにはちょうどよかった。

 部屋の隅で美咲が黙ってそのフライヤーを一枚手に取り、しばらく眺めていた。

 「……なんか、懐かしいね」
 「うん」
 「最初にライブ出たとき、自分でこれ作ったの覚えてる?」

 「コピー機止められるまで刷ったよな。コンビニで」
 「店員さん、めっちゃ睨んでた」
 ふたりして、少しだけ笑った。

 けれど、笑い声の先に言葉は続かなかった。
 それが“今のふたり”だった。

 「今回、物販……出なくていいよ」
 「え?」
 「なんか、頼りすぎてたなって思って。今回は、自分でやる」
 「……うん。わかった」

 その返事には、ほんの少しだけ安堵が滲んでいた。
 美咲は、ここにいながら、どこか遠くへ向かっていた。
 それが、現実として重くのしかかる。

 その夜、ひとりでギターを弾いた。
 アンプに繋がない生音で、ゆっくりコードをなぞる。
 曲がひとつ、やっと完成に近づいてきた。
 まだタイトルはない。でも、ラストにふさわしい曲になりそうだった。

 “誰に向けて歌うか”を、初めて真剣に考えた。

 この歌が、誰にも届かなくても。
 せめて、自分の中でだけは本物でありたい――
 そう思えるだけの何かを、今、掴みかけていた。

GATEのスタジオに入ったのは、昼下がりだった。
 本番1週間前、ステージの仮組みと音響確認のための事前リハ。
 客席にはまだ誰もいない。照明も落ちていて、ほとんど倉庫のような空気。

 スタッフに軽く挨拶をして、マイクとアンプの位置を確認する。
 「今日ドラムいないんだって?」とスタッフに聞かれて、「ああ、今はギターとボーカルだけで」なんて答える自分が、少しだけ情けなかった。

 「じゃあ簡単にリハやって、サウンドだけ見させてもらっていい?」
 「あ、はい」

 マイクを握って立ったその瞬間、足がすこし震えているのがわかった。
 でも、止まらなかった。

 まず1曲。昔作ったミディアムテンポのナンバー。
 次に、今回のライブでやるつもりの新曲。
 コード進行はありふれてる。でも、今の自分が出せる全てを込めた。

 照明の奥から、スタッフの無言の視線を感じる。
 拍手も賛辞もない。ただ“音”だけが、今、そこにある。
 それでも、俺の心の中には、少しだけ余韻が残った。

 アンプのスイッチを切って、ギターを丁寧にケースにしまう。
 「お疲れさまです」と控えめに挨拶すると、スタッフがぼそっと言った。

 「……歌、前よりいいっすよ」

 たった一言。でも、それだけで喉が少し熱くなった。
 誰かに響いた音。それが、たった一人だとしても、今日の意味を変えてくれる。

 外に出ると、雨が降っていた。
 春の雨、まだ冷たい。
 傘をさす気になれず、そのままギターケースを抱えて歩いた。

 歩きながら、ふとスマホを見ると、美咲からメッセージが来ていた。

【今日、何時に帰る?】

 その一文の温度が、以前と違うことに、気づいてしまった。

その夜、部屋に戻ると、美咲はもう帰っていた。
 リビングには食事が並べられていたけれど、湯気はもう消えていた。
 コンビニのチルドパスタとサラダ、缶ビールが2本。
 ふたり分。だけど、何も言わずにひとりで食べられるような配置。

 「おかえり」
 美咲が言う。
 俺は「ただいま」と返した。

 そのあと、ほんの少しの沈黙があって、
 「ごはん、温めようか?」と、美咲が続けた。

 「……うん、ありがと」
 そう答えた自分の声が、やけに遠くに聞こえた。

 テーブルにつきながら、ふたりで少しだけ会話を交わした。
 リハの話、スタッフのひと言、ギターのチューニングが最近ずれるとか――
 内容はどうでもいい。ただ、沈黙を埋めるためだけの会話。

 食後、美咲が洗い物をしている間、
 俺はスマホでライブのセットリストを整理していた。

 その途中で、美咲が唐突に言った。

 「ねえ、当日さ……席、どのあたりにいればいい?」

 「え?」
 「前の方、迷惑かなって思って。関係者っぽくなっちゃうし」

 その一言に、少しだけ引っかかった。
 “関係者っぽくなっちゃう”――
 それはつまり、“もう自分は関係者じゃない”って意味にも聞こえた。

 「……好きなとこでいいよ。どこにいても、俺は歌うから」
 自分で言いながら、少しだけ虚しかった。

 「うん、わかった。……楽しみにしてるね」
 そう言った美咲の笑顔は、優しくて、でもあたたかくはなかった。

 まるで、恋人ではなく“応援してる人”みたいな顔。
 それが、たまらなく寂しかった。

 その夜、隣で寝ている美咲の背中を見つめながら、
 俺は一度も目を閉じられなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界の花嫁?お断りします。

momo6
恋愛
三十路を過ぎたOL 椿(つばき)は帰宅後、地震に見舞われる。気付いたら異世界にいた。 そこで出逢った王子に求婚を申し込まれましたけど、 知らない人と結婚なんてお断りです。 貞操の危機を感じ、逃げ出した先に居たのは妖精王ですって? 甘ったるい愛を囁いてもダメです。 異世界に来たなら、この世界を楽しむのが先です!! 恋愛よりも衣食住。これが大事です! お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑) ・・・えっ?全部ある? 働かなくてもいい? ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です! ***** 目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃) 未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。

君までの距離

高遠 加奈
恋愛
普通のOLが出会った、特別な恋。 マンホールにはまったパンプスのヒールを外して、はかせてくれた彼は特別な人でした。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

2月31日 ~少しずれている世界~

希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった 4年に一度やってくる2月29日の誕生日。 日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。 でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。 私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。 翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

処理中です...