叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

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叫んだのは、あなただけだった

再生できない録音データ

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外の空気は少し冷たくて、それが逆にちょうどよかった。
 部屋の中の温もりが、今は息苦しかったから。

 スタジオには行かなかった。
 目的もなく近所のカフェに入り、アイスコーヒーを頼む。
 平日の午後、店内は静かだった。年配の女性と、テレワークらしき男性がひとり。
 自分もその中に紛れたつもりで、ノートを開いた。

 でも、何も書けなかった。

 ふと思い立って、スマホを取り出す。
 3日前のライブ。あの日、ステージ上で録音していたボイスメモ。
 再生ボタンを押す指が、一瞬だけ止まった。

 聴きたくなかった。

 でも、聴かなきゃ前に進めない気がして、意を決してタップする。

 スピーカーから流れてきたのは、あまりにも空っぽな音だった。

 イントロのギター。
 走り気味のコード。
 入り損ねたボーカル。
 観客の反応はまばらで、拍手もまるで義務のようだった。

 自分で歌っていたはずの声が、まるで別人のように聞こえる。
 息が浅く、音程がぶれて、何より“熱”がない。

 3曲目の途中で、再生を止めた。
 手が震えていた。

 耳が拒絶した。
 自分の出した音を、自分の身体が受け入れられなくなっていた。

 そのままスマホを伏せ、テーブルに置いた。

 アイスコーヒーは、ぬるくなっていた。

スマホの通知が震えた。
 LINEではない。TwitterのDMだった。

 送信者は、見覚えのないユーザー名。
 @akanes_verse

 名前の記憶はない。フォロワーでもない。
 プロフィールには簡単な自己紹介だけ。

「ライブ、見てた。
あんたの音、あんなもんじゃなかったでしょ?」

 その一文だけだった。
 突然すぎて、意味が頭に入ってこなかった。

 “ライブ、見てた”?
 俺のライブに、今さら感想なんて送ってくる人がいるのか?

 「間違いでは……」と思いながらDMを開く。
 メッセージの続きが届いていた。

「客も冷めてたし、バンドも終わってる感じだったし、
なのにあんた、なんで歌ってんの?って思ってた。
でも、
途中でちょっとだけ、良かった。」

 良かった――?
 どのタイミングのことだ?
 まったく手応えがなかったあの日の、どの部分を“良かった”と言うんだ。

 俺の指は、返事を打とうとして止まった。

 「誰ですか?」
 「知り合いですか?」
 「なんなんですか?」
 どの言葉もしっくりこなかった。

 けれど、なぜかDMを閉じる気にはなれなかった。

 もう一度だけ、彼女の言葉を読み返す。

 > 「でも、途中でちょっとだけ、良かった。」

 “ちょっとだけ”――
 その言い回しが妙に引っかかった。

 褒めてるわけでもない。
 でも、完全に切り捨ててるわけでもない。
 ただ、真っ直ぐだった。

 この数日間、自分の音を「真っ直ぐに」見てくれる人間なんて誰もいなかった。

 だからこそ、
 このたった数行の文章が、
 ほんの少しだけ、胸の奥を叩いた。

DMの画面を見つめながら、指が止まったままだった。
 あかね――たぶん、これが名前なんだろう。
 けれど、共通のフォロワーも、過去のリプも何もない。
 まるで、突然現れた幻のような存在。

 ライブのあの日。
 客席は薄暗く、顔まではほとんど見えなかった。
 誰かと目が合った気もするし、全員がうつむいていた気もする。

 なのに、このDMだけは妙に“輪郭がある”。

 > 「あんたの音、あんなもんじゃなかったでしょ?」

 褒めてるわけじゃない。
 期待もしていない。
 でも、見ていた。聞いていた。

 それだけで、たったそれだけで、
 胸の奥の、湿った場所が少しだけ熱を持った。

 美咲はもう、何も言わなかった。
 藤原は、俺の音なんて気にしてもいなかっただろう。
 バンドはもう、名前だけが残っているようなものだった。

 でも――名前も知らない誰かが、
 “まだお前は終わってない”と、言った。

 返信はできなかった。
 言葉が見つからなかったからじゃない。
 ただ、もう少しだけ、そのメッセージの余韻に浸っていたかった。

 カフェを出ると、空が少し明るくなっていた。
 少しだけ、春の匂いがした。

 ギターは持ってきていなかったけれど、
 頭の中では、何かが静かに鳴り始めていた。

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