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叫んだのは、あなただけだった
@akanes_verse
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翌朝、目が覚めた瞬間、無意識に右隣に目をやった。
――ベッドの隣には、やはり誰もいなかった。
冷えたシーツが、昨日から誰も戻っていないことを物語っていた。
カーテンの隙間からは曇天の光が差し込んでいた。
そのくせ、妙に明るくて、目を細める。
起き上がっても、特にすることはない。
ギターも触る気にならなかった。
それでも、昨日よりはほんの少しだけ、目覚めが早かった。
スマホを手に取る。通知が1件。
TwitterのDM――あのアカウントからだ。@akanes_verse
画面を開くと、返信が届いていた。
「返信くるとは思ってなかった。
まあ、今さらだろうけど、名前くらい言っとく。
あかね。
ふつうの会社員。ファンじゃない。たまたま観ただけ。
でも、言葉にして吐き出さないとムカついたままだったから言った。
それだけ。」
“ファンじゃない”。
“たまたま観ただけ”。
でも、それでも観てくれた。
美咲でさえ、あの夜は何も言わなかったのに。
俺は数秒だけ考えて、短く返信を打った。
「ありがとう。
聞いてくれてた人がいたって、それだけで助かる。」
少し後悔した。気の利いた言葉が思い浮かばなかった。
でも、それがいまの俺の限界だった。
数分後、すぐに既読がつき、返事が返ってきた。
「助けた覚えはないけど?笑
でも、まあ、あんたの歌、ダメだったけど、
それでも諦めてないなら、それはそれでアリ。」
皮肉交じり。でも、正直だった。
この数日、誰にも“ちゃんとした言葉”を投げられていなかった気がする。
まるで、誰も俺の存在を確認していないような数日間だった。
ふと、隣のテーブルに置かれた白いカーディガンに視線を向ける。
美咲が残していったままのもの。昨日と同じ、掛けたままのかたち。
声も、気配もない。
スマホを伏せ、息をひとつ吐いた。
名前も知らなかった誰かが、言葉をくれた朝。
それだけで、部屋の空気がほんの少しだけ、違って感じられた。
午前10時を過ぎた頃、コンビニで買ったパンをかじりながら、
なんとなくスマホを開いた。
何をするでもなく、ただタイムラインを流す。
情報が目に入っても、頭には残らない。
それでも、指は無意識に“あの名前”を検索していた。
――テンペスト 藤原
検索結果の上位には、ライブ映像の切り抜きや、ファンのコメント。
「やっぱ最高」「まじエモかった」「藤原くん神」
文字のひとつひとつが、刺すように眩しかった。
そして、1枚の画像で指が止まった。
【昨夜の打ち上げ🍻】という一言とともに投稿された、ストーリー風の写真。
藤原がカメラに向かってピースをしている。
その手前、少しぶれて映っているグラス。
そして――画面の端に、見覚えのあるスカートの柄。
視線が自然とそこに吸い寄せられる。
暗がりの店内、席の配置、角度――確信はない。
けれど、確信に近い嫌な感覚だけが、確かにあった。
美咲は、昨夜帰ってこなかった。
そして今朝も、姿を見せていない。
その写真の投稿時間は、午前2時を回った頃。
メモも連絡もないまま、悠人の目に入った“美咲の現在地”は、
彼女自身のものではなく、他人のカメラ越しだった。
「……別に、証拠でもない」
そう思った。
でも、誰よりも“あの柄”を知っていたのは、自分だった。
画面を閉じて、スマホを伏せる。
そして、そのまま力なく笑った。
音楽が遠くなっていた。
誰かと繋がることも、信じることも、今は怖くなっていた。
そんなとき、また一通のDMが届いた。
「あたしも昔、バンドやってた。
すっごい下手だったけど、ライブだけは、本気だった。
あんたの“あの感じ”、ちょっと似てた。
……だから腹立った。中途半端で。」
そこには、温度があった。
ぶっきらぼうで、偉そうで、刺さる言葉だったけど――
ちゃんと“こっちを見てる”言葉だった。
誰にも期待されなくなった世界で、
画面の向こうの誰かだけが、やけにまっすぐに見つめてくる。
あかねのDMを何度も読み返していた。
“似てた”というその一言に、どうしようもなく胸を引っかかれていた。
自分にまだ“届く音”があったのか、それともただの過去の記憶と重なっただけか。
けれどその言葉だけは、確かに俺の心を揺らした。
気づけば、ギターを手に取っていた。
もう何度目かも分からない行動なのに、今日はほんの少しだけ違っていた。
音を出してみたいと思った。
自分の音が、どこまで戻ってきてくれるか確かめたくなった。
ピックを使わず、指で静かに爪弾いた。
コード進行はいつも通りのA→G→Eマイナー。
単純な組み合わせのはずなのに、今日の響きには微かに芯があった。
部屋の空気がわずかに揺れる。
それだけで、昨日の自分より少しだけ前に進んだ気がした。
スマホが震える。あかねからだった。
「あんた、たぶん自分が思ってるより、
音に“期待される側”の顔してるよ。
……ちょっとムカつくくらい。」
吹き出しそうになった。
そんな風に言われたのは、生まれて初めてだったかもしれない。
「……それ、お世辞?」
試しに返してみる。
数秒後、即レスが来た。
「お世辞でDMなんか送らないでしょ。
次、ちゃんと歌えば? また見にいくから。」
軽い調子。
でも、その軽さに妙に救われた。
見返りも期待もないその一文が、
今の自分には、何より強かった。
“また見にいく”――その言葉に込められた温度を、
胸の奥にそっとしまって、俺はギターを抱えなおした。
久しぶりに、ほんの少しだけ、笑えた気がした。
――ベッドの隣には、やはり誰もいなかった。
冷えたシーツが、昨日から誰も戻っていないことを物語っていた。
カーテンの隙間からは曇天の光が差し込んでいた。
そのくせ、妙に明るくて、目を細める。
起き上がっても、特にすることはない。
ギターも触る気にならなかった。
それでも、昨日よりはほんの少しだけ、目覚めが早かった。
スマホを手に取る。通知が1件。
TwitterのDM――あのアカウントからだ。@akanes_verse
画面を開くと、返信が届いていた。
「返信くるとは思ってなかった。
まあ、今さらだろうけど、名前くらい言っとく。
あかね。
ふつうの会社員。ファンじゃない。たまたま観ただけ。
でも、言葉にして吐き出さないとムカついたままだったから言った。
それだけ。」
“ファンじゃない”。
“たまたま観ただけ”。
でも、それでも観てくれた。
美咲でさえ、あの夜は何も言わなかったのに。
俺は数秒だけ考えて、短く返信を打った。
「ありがとう。
聞いてくれてた人がいたって、それだけで助かる。」
少し後悔した。気の利いた言葉が思い浮かばなかった。
でも、それがいまの俺の限界だった。
数分後、すぐに既読がつき、返事が返ってきた。
「助けた覚えはないけど?笑
でも、まあ、あんたの歌、ダメだったけど、
それでも諦めてないなら、それはそれでアリ。」
皮肉交じり。でも、正直だった。
この数日、誰にも“ちゃんとした言葉”を投げられていなかった気がする。
まるで、誰も俺の存在を確認していないような数日間だった。
ふと、隣のテーブルに置かれた白いカーディガンに視線を向ける。
美咲が残していったままのもの。昨日と同じ、掛けたままのかたち。
声も、気配もない。
スマホを伏せ、息をひとつ吐いた。
名前も知らなかった誰かが、言葉をくれた朝。
それだけで、部屋の空気がほんの少しだけ、違って感じられた。
午前10時を過ぎた頃、コンビニで買ったパンをかじりながら、
なんとなくスマホを開いた。
何をするでもなく、ただタイムラインを流す。
情報が目に入っても、頭には残らない。
それでも、指は無意識に“あの名前”を検索していた。
――テンペスト 藤原
検索結果の上位には、ライブ映像の切り抜きや、ファンのコメント。
「やっぱ最高」「まじエモかった」「藤原くん神」
文字のひとつひとつが、刺すように眩しかった。
そして、1枚の画像で指が止まった。
【昨夜の打ち上げ🍻】という一言とともに投稿された、ストーリー風の写真。
藤原がカメラに向かってピースをしている。
その手前、少しぶれて映っているグラス。
そして――画面の端に、見覚えのあるスカートの柄。
視線が自然とそこに吸い寄せられる。
暗がりの店内、席の配置、角度――確信はない。
けれど、確信に近い嫌な感覚だけが、確かにあった。
美咲は、昨夜帰ってこなかった。
そして今朝も、姿を見せていない。
その写真の投稿時間は、午前2時を回った頃。
メモも連絡もないまま、悠人の目に入った“美咲の現在地”は、
彼女自身のものではなく、他人のカメラ越しだった。
「……別に、証拠でもない」
そう思った。
でも、誰よりも“あの柄”を知っていたのは、自分だった。
画面を閉じて、スマホを伏せる。
そして、そのまま力なく笑った。
音楽が遠くなっていた。
誰かと繋がることも、信じることも、今は怖くなっていた。
そんなとき、また一通のDMが届いた。
「あたしも昔、バンドやってた。
すっごい下手だったけど、ライブだけは、本気だった。
あんたの“あの感じ”、ちょっと似てた。
……だから腹立った。中途半端で。」
そこには、温度があった。
ぶっきらぼうで、偉そうで、刺さる言葉だったけど――
ちゃんと“こっちを見てる”言葉だった。
誰にも期待されなくなった世界で、
画面の向こうの誰かだけが、やけにまっすぐに見つめてくる。
あかねのDMを何度も読み返していた。
“似てた”というその一言に、どうしようもなく胸を引っかかれていた。
自分にまだ“届く音”があったのか、それともただの過去の記憶と重なっただけか。
けれどその言葉だけは、確かに俺の心を揺らした。
気づけば、ギターを手に取っていた。
もう何度目かも分からない行動なのに、今日はほんの少しだけ違っていた。
音を出してみたいと思った。
自分の音が、どこまで戻ってきてくれるか確かめたくなった。
ピックを使わず、指で静かに爪弾いた。
コード進行はいつも通りのA→G→Eマイナー。
単純な組み合わせのはずなのに、今日の響きには微かに芯があった。
部屋の空気がわずかに揺れる。
それだけで、昨日の自分より少しだけ前に進んだ気がした。
スマホが震える。あかねからだった。
「あんた、たぶん自分が思ってるより、
音に“期待される側”の顔してるよ。
……ちょっとムカつくくらい。」
吹き出しそうになった。
そんな風に言われたのは、生まれて初めてだったかもしれない。
「……それ、お世辞?」
試しに返してみる。
数秒後、即レスが来た。
「お世辞でDMなんか送らないでしょ。
次、ちゃんと歌えば? また見にいくから。」
軽い調子。
でも、その軽さに妙に救われた。
見返りも期待もないその一文が、
今の自分には、何より強かった。
“また見にいく”――その言葉に込められた温度を、
胸の奥にそっとしまって、俺はギターを抱えなおした。
久しぶりに、ほんの少しだけ、笑えた気がした。
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