叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

文字の大きさ
15 / 132
叫んだのは、あなただけだった

お前の音に腹が立ったんだよ

しおりを挟む
カフェの扉をくぐった瞬間、強めの焙煎の香りが鼻を刺した。
 ガラス張りの静かな店内。木目調のテーブルと少し高めのBGM。
 午後三時、学生とノートPCを開いた会社員がぽつぽつと座っている。

 店の奥。窓際の席でひとり座っている女性が、こちらに視線を向けた。

 「悠人くん?」

 名前を呼ばれた瞬間、わずかに肩が跳ねた。
 ――そうか、俺の名前、DMで言ってたっけ。

 「うん。あかね……さん?」

 「さん付けいらない。距離感じて落ち着かないし」

 軽く手を上げて、座るよう促される。
 黒のTシャツにくすんだカーキのシャツ、化粧は薄い。
 飾り気がないぶん、どこか強く見える女だった。

 「……初めまして、だよな」
 「うん。でも、なんか“初めて”って感じでもないでしょ。
 文字で先に腹立てられてるって、なかなかないと思うけど」

 そう言ってあかねは、コーヒーをひとくち。
 カップ越しに視線を合わせることなく、話し始めた。

 「ライブ、聴いてて腹立ったんだよ。
 ちゃんと歌えてないのに、真ん中に立ってるのがさ。
 “あたしなら降りるな”って思った。……でも、降りなかったから、見てた。」

 ストレートな言葉だった。
 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
 むしろ、何も飾らないその語り方が、沁みるように入ってきた。

 「DMも……正直、返事こないと思ってたし。
 でもさ。返ってきたじゃん。だから今、ここにいる。」

 まるで、ぜんぶ当たり前みたいに言う。

 「そっちは、なんで来たの?」

 コーヒーを持ったままの指先だけが、少しだけ緊張していた。
 あかねなりの“探り”なのかもしれない。

 「……わかんねえけど。たぶん……聴かれてたの、ちょっと嬉しかったから。」

 その瞬間、あかねの口角が、ほんの少しだけ上がった。

あかねは、カップを指でなぞるようにしながら話し始めた。

 「高校のとき、軽音部だったの。ボーカルね。
 で、文化祭とかちっちゃいライブとか出てさ、わりと真剣にやってたんだけど……」

 そこまで言って、一度コーヒーを口に含む。
 続きは、言いたくなさそうだった。でも、ゆっくり言葉を繋げていった。

 「最後のライブ、めちゃくちゃで。
 リハで機材トラブって、ギターは音ズレて、ドラム走って、
 で、私がテンパって歌詞飛ばして、泣いて途中で歌えなくなって……
 もう全部どうでもよくなって、そこからやめた。」

 あかねの視線は、テーブルの木目をなぞっていた。
 口調は軽い。でも、その言葉の奥に沈んだ何かが透けて見えた。

 「悔しかったくせに、“これが限界か”って自分で言い訳してさ。
 それでスパッとやめた。今も音楽は聴くけど、もう“やる側”の感覚じゃない。」

 「……でも、ライブハウスには来るんだ?」

 「うん。たまにね。
 もう自分の中で、音楽に未練はないって思ってたから、
 適当に流しに来たのよ。
 なのにさ、あんたの歌、
 ……下手くそだったくせに、なんか腹立ったのよ。」

 「下手くそって……」

 「事実でしょ。でも、続けてたじゃん。
 途中でやめずに立ってたの、ムカついた。
 ――でも、少しだけ、羨ましかったのかもね」

 そう言って、ようやくこちらを見たあかねの目は、思ったよりも静かだった。

 「で? 次のライブ、出るの?」

 その問いかけが、唐突で、鋭くて、
 でもどこか、期待にも似ていた。

 「で? 次のライブ、出るの?」

 あかねの問いに、すぐには答えられなかった。
 “出るべきかどうか”より、“歌っていいのかどうか”が分からなかったからだ。

 「……わかんねぇ。
 誰も期待してないし、バンドはもう無いし、
 歌いたいのか、証明したいのか、何も見えてない」

 そう答えると、あかねは少しだけ口角を上げて、

 「そっか。
 ……じゃあ、出なよ」

 「え?」

 「見えてないなら、出なよ。
 見えないときこそ、舞台に立つ意味あると思うし」

 それは慰めではなかった。
 どこか投げやりなようでいて、ちゃんと“前を向け”と言っていた。
 彼女の言葉には、過去の自分を越えられなかった悔しさと、
 それでも音楽を捨てきれなかった微かな温度が混じっていた。

 「……立てるかな」
 思わず漏れた言葉に、
 あかねはちょっとだけ眉をしかめて言い返す。

 「さあ? 立たないなら、そこまでってこと。
 でも、立つんなら――ちゃんと歌いなよ。
 “私は逃げた”から言うけど、
 やるなら、全部出してから負けな」

 その言葉に、喉の奥が詰まったような感覚があった。
 誰かに“立て”と言われたのは、どれくらいぶりだろう。

 気づけば、スマホを取り出して、Twitterを開いていた。
 GATEのアカウントに、新しいイベントの出演バンド募集の投稿がある。

【空き1枠出ました/5月○日出演バンド募集】
【条件:弾き語りOK・機材費折半】

 指が動いた。
 文章を打って、送信した。

「出演希望です。ソロ弾き語り。空いてますか?」

 送ったあと、ようやく深く息を吐けた。
 あかねは何も言わず、ただコーヒーを飲み干していた。

 「……返事、来たら教えて。
 行くとは言ってないけど、まあ、暇だったら見てやるよ」

 その言い方に、思わず苦笑が漏れた。

 「ツンデレかよ」
 「うるさい。お世辞言っただけで調子乗るなって」

 その言葉のあと、ふたりとも小さく笑った。
 重たい空気が、ようやく少しだけ和らいだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界の花嫁?お断りします。

momo6
恋愛
三十路を過ぎたOL 椿(つばき)は帰宅後、地震に見舞われる。気付いたら異世界にいた。 そこで出逢った王子に求婚を申し込まれましたけど、 知らない人と結婚なんてお断りです。 貞操の危機を感じ、逃げ出した先に居たのは妖精王ですって? 甘ったるい愛を囁いてもダメです。 異世界に来たなら、この世界を楽しむのが先です!! 恋愛よりも衣食住。これが大事です! お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑) ・・・えっ?全部ある? 働かなくてもいい? ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です! ***** 目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃) 未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。

君までの距離

高遠 加奈
恋愛
普通のOLが出会った、特別な恋。 マンホールにはまったパンプスのヒールを外して、はかせてくれた彼は特別な人でした。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

2月31日 ~少しずれている世界~

希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった 4年に一度やってくる2月29日の誕生日。 日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。 でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。 私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。 翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

処理中です...