叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

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それでも俺たちは

最初の一音

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ステージに出た瞬間、フロアがぼんやりと見えた。

 スポットライトに照らされて、客席の表情はよくわからない。
 けれど、そこに“空席”があることだけはすぐに分かった。
 ざっと数えて、二十人。スタッフ込みならもう少し。

 「……意外と、少ないな」

 翼が苦笑いでつぶやいた。
 蓮はいつものように無言。結華は、チューニングを確認している。

 誰かが拍手した。
 その音がやけに響いた。

 あかねだった。
 客席の左端、最前列。
 腕を組んだまま、でも確かに拍手していた。

 “観客がゼロでも鳴らすって決めたんだろ?”

 かつて、自分がそう言ったのを思い出す。

 ステージ中央のマイクを握ると、手のひらに汗がにじんでいた。

 「……こんばんは。“まだ終わりじゃない”です。
  今日は、俺たちの音、聴いてもらえたら嬉しいです」

 マイク越しに響いた自分の声が、少し震えていた。

 翼がスティックを交差させ、カウントを打った。
 「ワン、ツー、スリー、フォー――」

 その瞬間、音が――走り出した。

 翼のドラムが、骨を叩くような鋭さでリズムを刻む。
 蓮のベースが、それを包むように重低音で支える。
 俺のギターが吠え、結華のコーラスが空気を切り裂く。

 スタジオとはまったく違う。
 音が“生きてる”と感じた。

 それぞれの音が、ぶつかって、重なって、やがて“ひとつ”になっていく感覚。

 最前列のあかねが、口元に手を当てていた。
 それが笑っているのか、泣きそうなのかは、わからなかった。

 でも――その目は、確かに前を見ていた。

 初めての音は、きっと不完全だ。
 それでも、それを“最初の一音”と呼べることが、なによりの証だと思った。

 2曲目が終わったとき、観客の拍手が少しだけ大きくなっていた。
 フロアの空気が、わずかに温度を帯びていた。
 けれど、ステージの上は、それとは別の熱で満ちていた。

 翼の叩くビートは、1曲目よりも明らかに荒々しかった。
 どこか苛立ちのような、それでも“確かに何かを刻もうとする”音。

 蓮のベースは、冷静な中に、抑えきれない衝動が混ざっていた。
 何かを思い出すように、過去と今を重ねながら弾いている気がした。

 そして、結華のギターとコーラスは、
 スタジオよりもずっと“生きた”響きをしていた。
 無表情の彼女が、ほんの一瞬だけ目を閉じて歌ったとき、
 そのハーモニーが、観客の奥まで届いた気がした。

 俺は、マイクの前で言葉を探していた。

 でも、うまく話せなかった。
 だから――歌った。

 “何度も崩れて、何度も失って、
  それでもまだ、ここで鳴らしてる――”

 この曲は、かつて美咲と別れた夜に書いたものだった。
 傷つけて、傷つけられて、それでも音を信じたくて綴った言葉たち。

 あのときは、誰のためでもなかった。
 でも今は違う。

 ステージ袖に立つ藤代さん、
 PA卓を見つめるライブハウスのスタッフ、
 そして――客席で、腕を組んだまま目を細めるあかね。

 “この音が、誰かの心に届くかもしれない”

 そう思った瞬間、俺の歌は少しだけ強くなった。

 照明が切り替わり、ラストのサビ前で少しの静寂が訪れる。

 その刹那、誰かの咳払いが聞こえたほどに、会場は静かだった。

 そして――最後のサビが、フロアを震わせた。

ラストの曲に入る前、マイクの前でふと息を吸った。

 客席は静かだった。
 客数は少ない。拍手も大きくはない。
 でも、ステージの上にある熱は、確かに今までと違っていた。

 「……最後の曲、いきます」

 声が震えていたかもしれない。
 でももう、それでよかった。

 翼が4カウントを刻む。
 結華のギターが静かにイントロを鳴らす。
 蓮のベースが低く唸りながら、その音を包み込む。

 俺は歌った。

 “まだ、終わりじゃない”

 ただその一言を、どうしても言いたかった。
 バンドが終わって、恋が終わって、夢が見えなくなって、
 それでもまた“ここにいる”と叫びたかった。

 振り絞るように歌いながら、
 ふと目の前を見ると――あかねが、泣いていた。

 口を閉ざして、声も出さずに、でも確かに泣いていた。
 その手には、握りしめられたハンカチ。

 “お前が叫んだあの夜が、全部の始まりだった”

 心の中でそう呟いた。
 きっと彼女には聞こえない。けれど、伝えたかった。

 演奏が終わると、静かな拍手が広がった。
 鳴り止まないほどでもない、けれど、確かに“届いた”拍手。

 照明が落ち、全身から力が抜ける。
 楽屋へ戻る廊下、結華がぽつりとつぶやいた。

 「……悪くなかったわね」

 翼が「それは褒めてんのか?」と返すと、
 彼女はそっけなく「感情的にはね」とだけ言った。

 そして俺は、心の中で決めていた。

 “今日を忘れない。これが“最初の音”だったって、ずっと言えるように”

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