叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

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これが、俺たちの今だ

最後のひとこと

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悠人はマイクを口に近づけ、
 静かに、けれどはっきりと語り始めた。

 

 「……ここまで来るのに、結構時間かかったけどさ」

 

 少し笑いながら、それでも視線はまっすぐ。

 

 「自分たちの音に、ここまでちゃんと“名前”つけられたのは、今日が初めてだった気がする」

 

 蓮、結華、翼、それぞれが、じっと前を見据える。
 観客の拍手が、その言葉を包んだ。

 

 そして——悠人の視線が、客席の一角にゆっくりと移る。
 そこに座る志賀零士を、真っ直ぐに捉える。

 

 「志賀さん」

 

 言葉がひとつ、夜空に放たれる。

 

 「今日の音、刺さったとか刺さってないとか、そんなの俺にはわかりません。
  でも、ずっとずっと、あなたの影を見て走ってきました。
  ……だから、今だけは言わせてください」

 

 少しだけ間を置いて、言葉を飲み込み、吐き出す。

 

 「やっと、背中。見えてきましたよ。」

 客席から大きな歓声が沸き起こる。
 バンドマンたちが軽く笑いながら拍手を送っている。
 観客も口々に「言ったぞあいつ!」と沸き立つ。

 

 志賀は何も言わなかった。
 ただ、小さく頷いたあと、そっと腕を組み直していた。

 

 それが、**最大限の“肯定”**だった。

 悠人はマイクをそっとスタンドに戻し、
 メンバーと共に、最後の深い礼をした。

 

 野音の夜は、熱と静寂の両方を飲み込んだまま、
 ゆっくりと幕を閉じていった。

深い礼のあと、メンバーがステージ袖に戻ろうとしたその瞬間だった。

 

 ——「ワンモア!!」
 ——「まだ終わってねぇだろ!!」
 ——「もう一発くれよ、マジで!!」

 

 フロアのあちこちから、叫び声の波が飛んできた。
 怒号のようでもあり、祈りのようでもあった。

 

 ステージ袖にいた結華が振り返る。
 蓮が目を見開いたまま立ち止まり、
 翼はスティックを持ったまま動けずにいた。

 

 悠人は、何も言わなかった。
 ただ、ギターのストラップを外し、そっと床に置いた。

 

 それだけで、他のメンバーは察した。
 ——あれをやるつもりなんだ、と。

 悠人は無言のまま、マイクを片手にステージを降りた。
 フロアの端から端までを見渡しながら、
 まっすぐ“真ん中”へ向かって歩いていく。

 

 警備スタッフが驚いたように動こうとするが、
 悠人はふっと笑ってマイクに言った。

 

 「ダイブは禁止、だよな?」

 

 観客の誰かが、息を呑む音が聞こえた。

 

 「でも、“立ち止まったまま見ろ”とは——誰にも、言われてねぇだろ?」

 その一言で、観客の一部がざわつき、
 何人かがゆっくりと立ち上がって、
 席を越えずに中央に集まりはじめた。

 

 スタッフも止めることができない。
 秩序の中に熱狂をねじ込んでくる観客たち。

 

 悠人は、フロアの真ん中に立ち、
 客席に囲まれながらマイクを構えた。

 

 「このあと、歌はありません。
  名前もない、誰のパートでもない——
  “ただ鳴らすだけの音”を、俺たちは、最後に置いていきます」

 ステージ上では、3人のメンバーが演奏準備を整えながら、
 フロアの中心にいる悠人を、見つめていた。

 

 これが、今夜だけのアンコール。
 誰にも割り当てられていない、
 けれど確かに“全員で作る”最後の楽曲。





野音の指定席に縛られたまま、
 観客たちはずっと**“うずうずしていた”**。

 

 あの《まだ終わってない》のラスト。
 飛びたい。叫びたい。暴れたい。
 でも——ここはそれができない場所だった。

 

 「……ルールで決まってるから」
 「跳んだら出禁だって」
 「野音だから、仕方ない」

 

 誰もが理解していた。
 けれど、身体がそれに納得していなかった。

 

 その“抑えつけられた衝動”が、じわじわとフロアに染み込んでいく。
 そして——悠人が、口を開いた。

 「なあ、知ってるよ。ここ、ダイブしたら出禁になるんだろ?」

 

 観客のざわめきが止まる。

 

 「ちゃんとルール、分かってる。分かった上で、言うわ」

 

 マイク越しじゃない、地声だった。

 

 「——飛びたいやつは飛べ!! 暴れろ!! 何でもしろ!!!」

 

 客席が揺れた。爆発した。

 

 「これが俺の!!
  最初で!!
  最後の!!!
  ——日比谷野外音楽堂だぁぁぁぁ!!!!」

 

 叫びが夜空を裂いた。
 スタッフの動きも止まった。
 観客が、ルールを超えるかのように前へ、前へと圧をかける。

 

 誰かが拳を振り上げた。
 誰かが席を踏み越えそうになって立ち止まる。
 でも——誰も、止められなかった。

 ステージでは、結華がギターのスイッチを入れる。
 蓮が、目を見開きながらベースを構える。
 翼は、スティックを高く掲げ、顔をぐしゃぐしゃにして笑った。

 

 誰も正解なんて分かっていない。
 だけど——今夜だけは、この狂気がすべてだった。

 

 フロアが、音が、
 そしてこの“共鳴”が、誰のルールも超えていく。

 悠人が、フロアのど真ん中で立ち上がった。
 ステージ上の3人と目が合い、頷く。

 

 そのまま、音が——鳴った。

 

 それは歌じゃなかった。
 コード進行もなければ、決まったフレーズもない。
 結華のギターが叫び、
 蓮のベースが唸り、
 翼のドラムが空間を爆発させる。

 

 悠人はマイクを持たない。
 全身でビートに乗り、跳ね、吠え、震えた。

 観客は、その周囲を円状に囲む。
 まるで炎を囲む原始の儀式のような構図だった。

 

 誰も何も指示されていない。
 けれど、誰もが理解していた。

 

 「今、この中心で何かが起きている」
 「それを見逃したら、きっと一生後悔する」

 

 そんな気持ちに突き動かされるように、
 観客たちは叫び、跳ね、拳を突き上げた。

 あかねは、観客の中にいた。
 中央から数列目。
 動かず、でもただ涙を流していた。

 

 叫ばない。飛ばない。
 けれど、その心は誰よりも揺れていた。

 

 あの日のことも、過去の不安も、
 何もかもが、いま悠人の音で塗り替えられていく。

 

 ——「届いてるよ」

 

 心の中で、そう呟いた。

 ステージ袖では、各バンドのメンバーたちが立ち尽くしていた。

 

 BLUEBIRDの真田が腕を組みながら、「バケモンかよ」とつぶやく。
 Y.U.N.Oの柚葉は、口元を押さえながら「……やるね」と微笑む。
 TACの橘一誠は「もう……次元が違うな」とぽつり。

 

 誰も、軽口を挟めなかった。
 今そこにあるのは、“音の暴走”だった。

 悠人が両腕を広げ、叫ぶように、笑う。

 

 「こいこいこいこいこいこいこい!!!」

 

 限界を越えた声が、客席をさらに揺らす。

 

 誰かが泣きながら拳を振り、
 誰かが「ここやべえ!!」と叫び、
 誰もが、まだ終わりじゃないという名前の意味を知っていた。

 音が、極限に達する。
 そのまま、すべてを放ちきるように——

 

 ラストの一音。

 

 ——爆ぜた。

 

 そして、静寂。

 

 ほんの一瞬だけ、宇宙が無音になるような静けさが広がった。
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