叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

文字の大きさ
128 / 132
この場所に、帰ってくるために

静かに、音が止まる

しおりを挟む
 ライブがない日々が、想像よりも静かだった。

 朝起きても、機材の確認はない。
 午後になっても、リハーサルも、打ち合わせも、演奏もない。

 “活動休止”とは、つまり“空白”だった。

 蓮は、久々に実家へ帰っていた。

 「たまには顔見せなさいって、ずっと言ってたのよ」

 母親の小言に苦笑いしながら、リビングのソファに沈み込む。
 地元のライブハウスに顔を出せば、ベースを教えてくれと声をかけられた。

 「音は鳴らしてる。でも……あれとは違うな」

 ベースの音は、どこか寂しく響いた。

 結華は、楽器屋の地下スタジオでギターを教えていた。

 「結華さんの音、好きです!」
 「またライブやってください!」

 笑顔で言われるたびに、胸の奥がちくりと痛む。

 「やるよ、いつか。でも今は、ちょっとだけ立ち止まってるだけ」

 生徒に向けて笑ったその顔は、自分に向けたものだった。

 翼は都内のセッション現場に出ていた。

 ドラムを叩く。その日限りの音。

 「“まだ終わりじゃない”って、ほんとすげぇバンドだったな」

 現場の誰かが呟いた。

 “だった”。

 その言葉に、翼は何も言い返さなかった。

 ただ、帰り道、誰もいない部屋でスティックを握りしめる。

 「“だった”じゃねえよ。……まだ、終わってねぇ」


 「今日、買い物付き合ってよ」
 「へいへい」

 そんな、他愛ない会話から始まる一日。
 時間に追われない朝。誰にも急かされない昼。

 それが、活動休止中の悠人とあかねの毎日だった。

 「ねぇ、なんか料理してみたら?」
 「おうち時間っぽく?」
 「そう。歌以外もやれるんだぞ、ってところ見せてよ」

 冷蔵庫の中身とにらめっこしながら、
 パスタを茹で、ソースを焦がし、
 笑い声が絶えない夜が過ぎていく。

 「ほら、味はまあまあでも、愛情はこもってるってことで」
 「うん、うまいよ。……ちょっとしょっぱいけど」

 ふたりだけの空間は、ライブの代わりに“生活”を鳴らしていた。

 けれど、音楽はそこからも消えなかった。

 夜になると、悠人はギターを膝にのせていた。

 コードを鳴らし、言葉を探し、そして――止まる。

 「……やっぱ、出ねぇな」

 「歌詞?」

 「うん。“今の俺”が、何を歌うべきなのか……全然見えない」

 あかねは、黙って横に座った。

 「じゃあ、いまは書かなくていいじゃん。
  歌いたくなったときに、歌えばいい。……それだけのことだよ」

 悠人は、ゆっくり頷いた。

 「……そうだな。焦ることねぇか」

 あかねがクッションに寄りかかりながら、目を閉じる。

 「うん。止まってても、ちゃんと動いてるって思ってるから」

 その言葉に、悠人の手元が自然と弦を鳴らした。

 焦らなくていい。止まっていても、終わってはいない。

 そう信じさせてくれる時間が、ここにはあった。

“まだ終わりじゃない”、活動休止から2ヶ月。

 SNSのタイムラインは、別の話題で埋まりはじめていた。
 新たなバンドの台頭、フェスの発表、注目のデビュー。

 かつて熱狂を生んだその名前は、少しずつ埋もれていく。

 《活動休止のままフェードアウトか?》
 《一発屋だったかもな》
 《あのボーカル、倒れたってマジ?限界だったんじゃね?》

 心ない声も目立つようになっていた。

 「“だった”って、言われるんだな、俺たち……」

 ソファに沈み込みながら、悠人が呟いた。

 あかねはキッチンから顔を出して、
 それでも変わらぬ調子で言う。

 「そう言われて悔しいなら、戻ればいいじゃん。
  “まだ終わってない”って、見せつければいい」

 悠人は静かに頷いた。

 「うん。……でも、俺、怖いんだよ」

 「なにが?」

 「戻って、何も響かなかったらってこと。
  今の俺の音が、誰にも届かなかったらって思うと、さ……」

 あかねは包丁を置き、そっと彼の横に座る。

 「響かせたいと思う気持ちがあるなら、
  その時点で、もう“終わってない”よ」

 悠人は、しばらく黙っていた。

 けれど、テレビの音が流れる中で――
 また少し、指がギターを弾き始める。

 コードはまだ不安定。
 けれど、確かに“何か”が動き出していた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界の花嫁?お断りします。

momo6
恋愛
三十路を過ぎたOL 椿(つばき)は帰宅後、地震に見舞われる。気付いたら異世界にいた。 そこで出逢った王子に求婚を申し込まれましたけど、 知らない人と結婚なんてお断りです。 貞操の危機を感じ、逃げ出した先に居たのは妖精王ですって? 甘ったるい愛を囁いてもダメです。 異世界に来たなら、この世界を楽しむのが先です!! 恋愛よりも衣食住。これが大事です! お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑) ・・・えっ?全部ある? 働かなくてもいい? ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です! ***** 目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃) 未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。

君までの距離

高遠 加奈
恋愛
普通のOLが出会った、特別な恋。 マンホールにはまったパンプスのヒールを外して、はかせてくれた彼は特別な人でした。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

2月31日 ~少しずれている世界~

希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった 4年に一度やってくる2月29日の誕生日。 日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。 でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。 私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。 翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

処理中です...