憧れの彼は一途で優しくて時々イジワル

RIKA

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一章

2.帰り道

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香澄が目指すターミナル駅は、ここから三駅先にある。
永瀬はそこからもう二駅行った更に大きなターミナル駅が自宅の最寄駅らしかった。

電車に乗り込むと、永瀬は迷いない足取りで香澄を車内の奥まで誘導し、手すり近くの場所を確保した。
帰宅時間に加えて振替輸送の影響もあるのだろう、あっという間に車内は人で溢れ返った。
ドアが閉まる頃には入口付近はかなり窮屈なことになっていたので、それに巻き込まれないように配慮してくれたのだと今になって気付く。
そういうさりげない気遣いが、今朝から続く一連の不運を吹き飛ばしてくれる気がして、彼女を温かな気持ちにさせた。

「あの…今日は契約書の件、申し訳ありませんでした」

雑談が続いた後、香澄が勇気を出して永瀬を見上げると、彼もちらりと視線を向けた。
というのも、実を言うと、紛失した契約書の依頼元は彼だったのだ。

「謝罪ならもう聞いた」
「そうなんですが…押印依頼いただいた直後に紛失してしまったので、申し訳なくて」
「久遠さんが紛失なんて珍しいとは思ったけど、気にしてないよ。ドラフトで、ただ印刷しなおしただけだし。もしかして、町谷に報告しちゃった?」
「はい、もちろん。資料の管理方法について見直すようご指導いただきました」

町谷まちや多佳子たかこたかこ――総務部主任で、総務の全実業務を掌握する香澄の先輩だ。香澄にとって憧れであると同時に、目標でもある。
永瀬とは同期ということもあって、何か相談がある時、彼は町谷に声をかけることが多い。
故に永瀬が香澄と話すことはあまりなく、あってもせいぜい町谷が不在時に代理対応を求めるぐらいだ。

それなのにこうして気さくに話してくれるのは、一年半前、業務のため一時的に顧客会社に常駐していた町谷と本社の香澄を繋ぐ連絡役を、その案件の営業担当だった永瀬が担っていたからだろう。
あの頃は町谷の代理として業務を回していたため、永瀬と会話する機会も多かったが、町谷が戻ってきてからはそれも激減していた。

「そんな大事おおごとにしなくてよかったのに」
「いえ、そういうわけには。同じフロアとはいえ部を跨いでいますし、紛失は紛失ですので。しっかり振り返りをして、防止策を打つつもりです」
「真面目」

揶揄うような彼の笑顔に思わずドキっとしてしまって、香澄は咄嗟に視線を逸らした。
こんな近い距離でその笑顔は本当に反則だ。無駄に緊張してしまう。

「町谷は今でこそ滅多にミスしないらしいけど、昔は本当に悲惨だったからね。それに比べれば可愛いもんだよ、元気だして」

聞き覚えのあるその事実に、香澄は思わずくすりと笑った。

香澄が総務に来た時から面倒を見てくれている町谷は、出会った時から仕事ができる女性だった。
だからあまり想像ができないのだけれど、そんな彼女も新人時代は今では考えられないようなミスばかりしていたらしい。
そんな町谷を引き合いに出し、「根気強く仕事を続けていれば彼女のように必ず成長するから大丈夫。失敗を恐れず挑戦するように」と総務部長がよく口にするので、部内でその話を知らない人はいない。
その度に町谷は困り果てた顔をするのだが、他でもない総務部長に当時色々フォローしてもらっていたので頭が上がらないのだと言っていた。

「はい、伝説は聞いたことあります。でもだからこそ、憧れるんです。だってそんな人が、今では業務を知り尽くして、立派にコントロールして。本当、すごいです。いつか町谷先輩に追いつけるといいんですけど」
「久遠さんなら、むしろ追い越すんじゃない」
「まさか」

香澄は首を横に振って否定した。
それは謙遜でもなんでもなく、そんな自分が本当に想像できなかったからだ。

「私なんてまだまだです。先輩、私より全然業務量あるのに、繁忙期以外は大体定時であがりますからね。面倒な仕事もテキパキ捌くし、尊敬しかないです」
「それ本人に言ったら感激して多分何でも買ってくれると思うよ」
「そんなつもりでは…!」

ぶるぶる首を横に振って否定したら、永瀬が笑った。

「いいな、久遠さんに慕われて。町谷が羨ましい」

その言葉の意味が、一瞬香澄は分からなかった。
後輩に慕われる町谷が羨ましいという意味だろうが、それは永瀬も例外ではない。
むしろ人気という意味では永瀬の方が圧倒的に上ではないだろうか。
町谷は香澄にとって誰より敬愛する上司だが、仕事となると非常に厳しい面もあるので、その評価は部署や立場によって様々なのだ。

「永瀬さんも後輩をはじめ他部署の方に慕われているのではないですか?噂聞きますよ」
「いや、そういう意味じゃなくて」

――なら、どういう意味?
目を瞬かせて問いかけたが、永瀬はただ曖昧に笑うだけでそれ以上何も言わない。

「着いた。降りよう」

いつの間にか目的のターミナル駅に着いて、永瀬が降車を促した。
さすがにここでお別れだと思っていたが、なぜか彼も香澄と一緒に降りようとしていたので、香澄は首を傾げた。

「え、永瀬さんも降りるんですか?最寄駅はこの先なんじゃ…?」
「ん?ああ、俺のことなら大丈夫。馴染みのない駅で一人にさせるのも心配だし。ほらドアが閉まる、急ごう」

背中を押されて、香澄は促されるまま歩き出した。
彼の親切心は過剰な気がして、彼女はただただ躊躇っていた。


***


ターミナル駅に着いたものの、香澄が使っている路線は未だ復旧していないらしい。
再開見込みは立っているようだが、まだ1時間以上先だ。
一縷の望みをかけてバスやタクシー乗り場を覗いてみたが、思わず顔をしかめてしまうほど長蛇の列ができている。
これなら電車の復旧を待った方が早そうだと判断して、香澄は隣の永瀬に顔を向けた。
というのも、ターミナル駅に着いた後も彼は香澄の帰宅方法を一緒に探してくれていた。しかしこれ以上その貴重な時間を費やすわけにはいかない。
明日も仕事だし、そもそも方面が一緒だったからここまで来ただけの彼が、部下でもない香澄の面倒を見る義理などないのだ。

「あの、後は自分で何とかしますので大丈夫です。ここまでお付き合いいただいてありがとうございました」

彼が帰れるきっかけを作ったつもりだったのに、永瀬はなぜか不満気な顔を見せた。

「何とかするって、どうするつもり?」
「電車が動くまで待ちます。適当に一人で時間を潰して…」
「どこで?」
「ええと…どこか飲食店で、ご飯を食べたりして」
「それなら、俺も一緒に行っていい?」
「え」
「一人で食べるより良くない?それとも俺と飯とか嫌かな?」
「いえ、そんなことはないですが――あの、いいんですか?家で誰か待ってたりするんじゃ…その、家族とか、彼女とか…」
「ああ、そういう心配ならいらない。彼女もいない寂しい男の一人暮らしだから」

その言葉は、香澄にとって驚き以外のなにものでもなかった。
彼ほどの人なら、てっきり恋人がいて当然だと思っていたから。

「えっ!そう、なんですね。それは良かったです」
「はは、まさか肯定されるとは。ごめんね、寂しい男で」

苦笑した彼に、香澄ははっとした。
会話の流れを考えれば、確かにそう解釈されても仕方のない言い方だった気がする。
けれど「良かった」と言ったのは決してそういう意図ではないし、誤解されたくない。
香澄は慌てて説明した。

「わあ、違います!その、待たせてご迷惑をおかけする方がいなくてよかったという意味で、永瀬さんが寂しいとかって意味じゃありません!むしろ彼女がいないなんて意外すぎてびっくりしたんです!」
「…うん、フォローありがとう。でもそんな大声で彼女いないとか言わないでほしいな、さすがにちょっと恥ずかしい」

気付けば、混雑の中で大声を出してしまったせいか、大勢の人がこちらを見ている。
驚く人、にやにやしてる人、呆れたような顔をする人…さまざまな視線に射されて、香澄は穴があったら入りたい気分になった。
いや、多分彼女より永瀬の方がそんな気持ちだったはずだ。憧れの人を前に、なんという大失態。
申し訳なさすぎて、香澄は永瀬の顔をまともに見られず赤面している。

「すみません…!私、人前でなんてことを…!」
「謝る気持ちがあるなら、一緒に飯行こうか。少し歩いたところに美味しい店知ってる」

大衆の前で恥をかかされたというのに、彼はまるで気にしてないように笑った。

(怒っても不思議じゃないのに、本当に優しい人…。でもどうして、わざわざ食事まで?)

結局親切の理由も分からないまま、罪悪感に後押しされて香澄は小さく頷いた。
それを永瀬は確認すると、人混みにはぐれないようそのすぐ傍を歩きながら、駅の出口へと彼女を促した。

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