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しおりを挟む家に戻ってからも一平のことが気になって仕方がなかった。
本当に夜の営業は休んでくれるだろうか、きちんと食事は取れるのだろうか、さらに具合が悪くなってしまわないだろうか……。
1人暮らしだと誰にも干渉されなくて気楽だが、体調が悪い時はやはり心細くなるものだ。
居ても立ってもいられなくなった繭子は、急いで米を研ぐと鍋に入れ、お粥を作り始めた。出来上がると近くのスーパーに行って鮭や豆腐などを買い、家にある食材と合わせて消化のよい料理を何品か作った。それらをタッパーに移し、バナナやリンゴやヨーグルトも一緒に保冷バックに入れると、家を出た。
店に着いたのは夜6時頃だった。扉のプレートが『CLOSE』になっていた。店の裏の自宅の方に目をやるとリビングに明かりが点いていて窓が開いていた。一平が自宅にいるのは確認できたが、考えなしにいきなり来てしまったから迷惑がられるかも…と思っていた時、不意に玄関のドアが開いた。
「っ…!」
「…リビングの窓を閉めようとしたら繭子さんの姿が見えたから…」
一平は明らかに昼間よりも具合が悪そうだった。
「大丈夫ですか! すみません、余計なお世話かと思ったのですが、心配でつい様子を見に来てしまいました。もしまだ食事をしていなければ、お粥とか作ってきたのですが…。もうお済みでしたら、冷蔵庫に入れて明日にでも食べてください」
「え…わざわざ俺のために…? 申し訳ないね、どうもありがとう…。繭子さんの言う通りにして夜は休業にした。少し寝てたんだけど、目が覚めたんで何か腹に入れておこうと思ってたところだったんだ」
「あの、もしご迷惑でなければ私が用意しますので、できあがるまでお休みになっててください」
「…ありがとう、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな…ごめんね…体が怠くて…」
繭子は咄嗟に一平の体を支えた。体が熱い。
「熱は測りましたか、薬は?」
「さっき測ったら38度だった。薬はダイニングテーブルの上に解熱剤が置いてある…食後に飲もうかと…」
「分かりました。とにかく食べたらすぐに薬を飲んで寝てください」
一平を寝室に連れて行くと、キッチンに向かいヨーグルトや他のおかず類を冷蔵庫に入れ、レンジでお粥と柔らかく煮た鮭とほうれん草を温め直した。その間にまな板と包丁を拝借させてもらって、食べたいときにすぐに食べられるようにリンゴを小さめに切って皿に盛ると変色しないように持ってきたレモンを絞ってかけた後、ラップをして冷蔵庫に入れた。
温めるだけなのですぐに用意ができた。一平を呼ぼうと寝室にそっと入ると、彼は寝息を立てて眠っていた。薬をまだ飲んでいなかったが、このまま寝かせておくことにした。頭の下に保冷枕を敷いていたが、額も冷やした方が気持ちいいだろうと念のために持ってきた冷却シートをそっと額に貼った。
用意した食事はもし夜間に目が覚めてお腹が空いていたら食べてもらえばいいし翌朝でもいい。粗熱が取れたのを確認してから冷蔵庫にしまった。
繭子は迷ったが、やはり一平を1人にしておけないと思い、今夜はこのままここにいようと思った。彼が目が覚めたら謝って許してもらおう。
繭子はリビングの棚の写真立に向かって手を合わせると目を閉じて頭を下げた。
「依子さん、申し訳ありません。どうか今夜だけ、マスターの様子を見るためにここにいさせてください」
すると、寝室からくぐもった声が聞こえた。静かにドアを開けて中を覗くと、一平がうなされていた。急いでベッドに駆け寄ると片腕を宙に上げながら何かうわごとを言っていた。耳を澄まして一平の言葉を聞き取った瞬間、胸がギュッと痛くなった。
「……依子…頼む…俺を置いて…行かないでくれ……俺を…1人に…しないでくれ……」
苦し気な表情で必死に亡き妻に呼びかけている一平に、繭子は思わずその手を両手で包み込んだ。
「大丈夫です、あなたは1人じゃありません、心配しないでください、依子さんはずっとあなたのそばにいて、いつでも見守っていますから。今はとにかくゆっくり休んで、早く元気になってください…」
そう話しかけ続けていると、うなされていた一平が再び静かな寝息を立て始めた。
よかった…落ち着いてくれて…。繭子はキッチンに行って、持参してきた洗いたてのタオルを水で濡らし固く絞るとまた寝室に戻り、汗ばんでいた一平の顔をそっと上から抑えるように拭いた。タオルケットを静かに捲るとTシャツも湿っていたがさすがに脱がせて着替えさせるわけにはいかなかったのでTシャツを捲って乾いたタオルで、露になった一平の引き締まった上半身に頬を染めながら、なるべく直視しないように顔を逸らせながら拭いた。
今はよく眠っている。だが、もし一平に何かあった時にすぐに対処できるようにと、繭子はベッドの枕元に腰を下ろした。
一平の寝顔を見つめながら、先ほどの様子を思い出す。依子さんの最期の時の夢でも見ていたのだろうか…彼女が亡くなって以来毎日うなされているのだろうか…。もしそうだとしたらマスターが安眠できる日が訪れるのはいつになるのだろうか…。ああ、どうすればマスターの苦しみや悲しみを癒すことができる?
とにかく今は一平の体調がよくなることを祈るしか繭子にできることはなかった。
繭子は再び一平の手を両手に取ると、どうか朝になったら元気になっていますように、とひたすら願った。
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