つきせぬ想い~たとえこの恋が報われなくても~

宮里澄玲

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 それから月日は流れ……。
 
 「ねえ、ママ! この服、おかしくない? カワイイ?」
 「はいはい、可愛いわよ。それより、ほら! 早く出ないと集団登校の集合時間に間に合わなくなるわよ!」
 「れい、カワイイって思ってくれるかな…」
 「大丈夫、まゆは何を着ても可愛いから」
 「ホントに!? よかった! じゃあ、行ってきま~す!」
 「行ってらっしゃい! ちゃんと上級生のお兄さん、お姉さんの言うことをよく聞くのよ!」 
 「は~い!」
 
 今朝も慌ただしく朝が過ぎていく。
 
 
 結婚して約半年後に繭子は妊娠していることが分かった。
 産婦人科から帰ってきて一平に報告すると、一瞬ポカンとした後、顔を紅潮させ、繭子を抱きしめると、顔じゅうにキスの嵐を降らせて、嬉しいよ、ありがとう、ありがとう! と、その喜びようときたらそれはそれは大変なものだった。
 それから、すぐにアルバイトの求人を出すからもう店に出なくていいから、とにかく身体を大事にして安静にして栄養のあるものをたくさん食べるように、と言われた。そんな急にアルバイトが見つかるわけないし、とりあえず当面の間は今まで通りやるから、と繭子が言うと、いや、だめだ、と譲らない。やる、だめ、やる、としばらく押し問答が続いたが、最終的には一平が折れて、新しい人が見るかるまでで、絶対に無理をしない、体調がいい時のみ、ということでやっと許してもらった。
 ということで、繭子はこれまでと変わらず夜だけ店に出た。つわりもあったが、働いて体を動かしたり、常連さんたちとおしゃべりしていると気が紛れるのでかえってよかった。
 ある日、友人の美沙絵から、うちの学生でバイト探してる子がいるんだけど、と連絡が来た。2年生の男子学生でこれまでも居酒屋やレストランでホールのアルバイトをしていたそうだ。面接に来てもらうと礼儀や受け答えもしっかりしていたし、美沙絵も、この子はしっかりしているしいい子だから大丈夫、と言うので、採用することになった。実際、店に入るとよく働くし気配りもできる本当にいい子で、紹介してくれた美沙絵に感謝した。
 美沙絵といえば、その数日後に彼女からおめでたい報告を受けた。なんと、美沙絵も第1子を妊娠したのだそうだ。繭子とはたった3ヶ月ほどの違いだ。わぁ~嬉しいね! 子供が同い年になるね~! と喜び合った。繭子は、あの2人の子供なら男の子でも女の子でもとびきりの美男美女になるだろうな、と思った。そして聞くと、妊娠が分かってから向こうの旦那さんもとにかくあきれるくらい過保護なんだそうだ。図書館の仕事は重労働だからすぐに辞めてほしいだの、家でもとにかく安静にしてろ、とか家事は全て俺がやるから、とか、もううるさくてうるさくて、と苦笑していた。一平さんとそっくりだね~、ホント! お互い似た者同士の夫を持ったね~! と2人で笑った。
 
 翌年、繭子は元気な女の子を出産した。
 初産ということもあり時間がかかり苦しかったが、一平が分娩室に入るまでずっと付き添って腰をさすってくれたり汗を拭いてくれたり水を飲ませてくれたりとかいがいしく世話をしてくれた。
 大きな産声を聞いた瞬間、繭子の目から涙が零れ落ちた。そして生まれたての我が子を胸に抱くと溢れんばかりの愛しさが込み上げた。一平も涙を流しながら喜び、よく頑張った、お疲れ様、ありがとう、と労ってくれた。名前は前々から女の子だったら付けたいと一平が希望していた「繭香」にした。
 初めての子育ては驚きや戸惑い、苦労の連続で毎日が嵐のような忙しさだったが、繭子の母親がしばらくの間泊まり込みで手伝いに来てくれたり一平も家にいる時や定休日の時は率先して色々やってくれたので頑張れた。それに一平は繭香にメロメロで母親の繭子よりもむしろ熱心なくらい娘の世話をしていた。幸い繭香は特に大きな病気をすることもなくすくすくと成長していった。
 
 4年後、第2子となる男の子が誕生した。
 こちらは「航平」と名付けた。
 航平は生まれた時は小さかったが、見る見るうちに大きくなり4歳となった今は他の同じ年の子よりも大きい。だが性格はおとなしくて甘えん坊で、いつも母親にベッタリとくっついていた。
 
 早いものでそんな2人の子供は今や小学1年生と幼稚園児だ。
 航平は初めの1ヶ月ほどは母親と離れるのを寂しがって泣いて幼稚園に連れて行くのも一苦労だったが、今は幼稚園が楽しいらしく、家に帰ってくると友達や先生やお遊戯のことなどを色々話してくれる。
 そして娘の繭香の方は、生まれた時から家族ぐるみで付き合っている幼馴染のれいに恋をしている。れいはもうそれはそれはハンサムな男の子で学年中のアイドル的な存在だ。当然ライバルが多い。だから繭香はその子たちに負けないように毎日ファッションチェックに余念がない。ちなみにれいのフルネームは「海堂怜」、そう、駿と美沙絵の子供だ。繭子の予想通り、怜は両親にとてもよく似た綺麗な男の子で、小学生で既にモテモテなのだからもっと大きくなったら一体どうなるのだろうかとある意味恐ろしく思っている。繭香を溺愛している一平は、娘がもう恋をしていることを知りショックを受けていたが、好きな子が友人夫妻の息子なだけに、うーん…怜くんなら仕方ないか…いや、でも……、と父親としては複雑な心境なようだ。
 
 航平を幼稚園に送って一通り家事を済ませるともう10時を過ぎていた。
 急いで店の方に移動すると一平がちょうど仕込みを終えたところだった。繭子の姿を認めると笑みを浮かべた。
 「お疲れ。家の方は済んだのか?」
 「うん、大丈夫。遅くなってごめんなさい」
 「大丈夫だよ。俺の方も一通り終わったから。でも悪いな、何だかんだで結局家事や子供の世話を繭子に任せっきりにしてしまって」
 「気にしないで。一平さんは店の仕事があるんだし、その代わり休みの日は全部やってくれてるじゃない。おかげで私はゆっくり休めるし。それに、私のために店の定休日まで変えてくれたんだから」
 「繭子がそう言ってくれて有難いよ。よし、じゃあ、ちょっと一息つくか」  
 繭子の頭を優しく撫でた後、一平はお茶を淹れる準備をした。
 
 一平は繭子との結婚を機に、店の定休日を日曜と祝日に変更した。それを聞いた繭子が、本当に変えていいのか、と問うと、もう毎月15日を休みにする理由はないし、もし子供が生まれたら土曜日も休むよ、と言ったのだ。繭子は一平がそう決めたならそれに従おうと思った。ただし、9月15日だけは臨時休業にしてほしいとお願いすると、少し考えた後、繭子がそうしたいなら、と了承してくれた。それから、あと俺たちの結婚記念日もな、と言って繭子を喜ばせた。そして、子供達が乳幼児の頃まで土曜日も定休日とし、一平も家事と育児を担ってくれて本当に助かった。
 今は状況に応じて土曜日も休み、毎年9月15日は家族であの海に出かけている。繭香と航平はまだよく意味が分かっていないが、もう少し大きくなったらきちんと話そうと決めている。そして結婚記念日の日は繭子の両親に子供を預けて夫婦だけで過ごすことにしている。
 そしてもう1つ、大きく変わったことがある。今月から繭子が昼間だけ店に復帰したのだ。これまで長年働いてくれていたパートスタッフさんが旦那さんの介護のために、惜しまれつつも先月いっぱいで店を辞めることになったからだ。昼の営業時間は子供達が家にいない時間なのでちょうどいいと繭子が自分が入ると申し出たのだった。
 久しぶりの繭子の復帰に常連さん達が喜んでくれ、おかえり~繭子ちゃん! と歓迎してくれた。
 店で働くのは楽しく、家事や育児との両立で忙しいけれども、充実した日々を送っている。
 
 しばらくすると、繭子の好きなラベンダーの香りが広がってきた。
 「お待たせ。さあ、どうぞ」
 「ありがとう、一平さん。ああ、いい香り…癒される…。いただきます」
 一平は今でも繭子のためにこうして丁寧にお茶を淹れてくれる。子供が増えて夫婦水入らずの時間が以前よりも減ってしまったが、繭子が店に出るようになってやっと2人だけで過ごせる時間が増えた。開店前の静かなこのひとときが2人にとって何より大切な時間だ。
 
 「それにしても航平はすっかり幼稚園が楽しくて仕方ないようだな。繭香は、相変わらず怜くん怜くんか…?」
 「うん、航平はもう大丈夫。繭香は今朝も何度も服を着替えてファッションショーしてた」
 「…あぁ…ちょっと前まで『将来はパパのお嫁さんになる!』って言ってたのにな……」
 その落ち込みぶりに繭子は笑った。
 「もう、またそれ言ってる! でも怜くんなら安心じゃない? 優しくて頼りがいがあるし頭もいいし。何より、あの2人の子供なんだから」
 「もちろん俺だってそう思ってる、でもな…」
 「まあ、いいじゃない。まだ子供なんだし、これからどうなるか分からないし、とりあえず温かく見守りましょうよ」
 繭子がにっこり微笑むと一平も仕方ないなという感じで苦笑いした。

 それから取り留めのない話をしていると、そろそろ開店時間となった。
 2人は立ち上がると、お客さんを迎えるためにそれぞれ最後の準備に取り掛かった。繭子が再度店内をチェックしてから扉のプレートを『OPEN』にしに出ようとした時、
 「繭子、ほらまた忘れてるぞ」
 一平が呼び止めた。
 「あっ…ごめんなさい」
 急いで戻ると一平が繭子を抱き寄せた。
 「今日もよろしくな、愛してる」
 「はい、私も愛しています…」
 そして2人の唇が重なる。開店前の毎日欠かしたことのない儀式だ。今みたいにたまにうっかり繭子が忘れてしまうこともあるが。
 
 
 開店時間の11時を少し過ぎた頃――。
 カランコロン、と控えめなドアベルの音と共にゆっくりと1人の女性が入ってきた。
 店内を興味深そうに見渡している様子から初めて来店するお客様のようだ。
 繭子と一平は温かい笑みを浮かべながら同時に挨拶をした。

 「いらっしゃいませ、こんにちは」
  
 それからいつもの常連さん達がやって来る。一平の作るおいしい料理やコーヒーやお茶、そして店に癒しや寛ぎを求めて。
 
 
 こうして今日も『古時計』の1日が始まる。 
 
 
                  ーFinー
 
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