輪廻

壺の蓋政五郎

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輪廻『花卉』

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 換気のため細目に開けてある窓の隙間から山が見える。山と言うより丘である。山桜が花を付け始めた。故郷の山なら山菜狩りの季節。小さい時分から爺様に連れられて山歩きをした。危険な場所も教わった。爺様が死んで一人で山菜狩りに行くようになったのは小学三年生。握り飯を持ってそのまま山に直行、分校には行かない。分校では心配するが自宅に電話がない、教頭が雪道超えて自宅まで来る。
「いつも通りに出掛けた?」
 家族と教頭で捜し始めるとひょこっと山から下りて来る。みんなの顔見て笑うと教頭も怒る気が失せ、釣られて笑う。
「しょうがねえなあ、明日は来いよ」
 頭を撫でて分校に戻る。母親からは叱られるが父親からは誉められる。窓から見える丘を故郷の山と思い込んでいる。
「お父さん、寒いから閉めるよ。二時間後にまた開けるから」
 身体の大きなナースが車椅子を引いて窓を閉めた。車椅子の男は戸部三郎84歳、認知症である。認知症で入院をしているのではない。近所の山に入り迷子になり土手から転げ落ち足首を捻挫した。認知症でも現在進行形の目の前のことは反応する。
「お父さん、私の肩に手を載せて、そう、私がバックするからそれに合わせて歩いて、そうれ、イッチニ、イッチニ」
 理学療法士が一生懸命回復を願い戸部のリハビリを遂行する。
「バカか?」
 理学療法士は大概戸部のこの一言でやる気をなくす。それでも仕事だからめげずに続ける。
「お父さん、ちゃんとやらないと治らないよ」
 こういう説明になると頭がこんがらがる。何をしているのかより、何でこうなっているのか分からない。不思議そうな顔で療法士を見つめる。
「土田先生、父はもうやる気がありませんから無駄ですよ」
 戸部の長男正雄が言った。戸部は正雄に手を挙げた。まだ家族のことは忘れていない、顔を合わせれば想い出す。それだけでも見舞う方としてはありがたい。ここの患者で戸部と同じく認知症の夫人がいるが五十年以上連れ添った夫のことを忘れている。
「どうだい、調子は?」
「どちら様ですか?」
 こう聞き返されると愕然とすると嘆いていた。笑うに笑えない。
「やる気になったのよさっき」
 土田療法士は悔しがる。
「いつもありがとうございます。もういいですよ、先生の事馬鹿にしてんだから。性格悪いんですようちの親父は」
 正雄が笑うと戸部も『そうだな』と相槌を打った。これで土田も気が抜けた。
「お父さん、今日は息子さんが来たから終わりにしましょう。明日またやるよ」
 土田は指切をするつもりで小指を出した。土田は手をグーにして土田の小指を差し込んだ。
「スッポン」
 戸部が笑って拳を上下する。
「親父何すんだよまったく、すいません」
 正雄が戸部の手を持ち上げた。土田は顔を赤くして離れて行った。病室に戻るとまた換気の窓開けが始まっていた。戸部はまた窓際により丘を見つめた。
「お父さん、いつもあの丘見つめてるよ」
 大きなナースが正雄に言った。
「山菜狩りが大好きで、春になると居ても経ってもいられなくなるんです。この怪我も山で崖から滑り落ちたんです」
 ナースは納得したように頷いた。
「父さん、あの山に行きたいんでしょ、山桜が咲き出したあの山に?」
「あれは雪解けの後お爺さんと登った山だろ?」
 戸部が指差した。窓の隙間から人差し指だけが外に出ている。正雄は返答に困った。『そうだよ』と肯定して嘘でも喜ばせた方がいいか、否定して現実に戻した方がいいか。認知症はずっと症状が現れているわけではない。周期に個人差はあるが症状が治まるときが必ずある。どんな病でもずっと痛かったり苦しかったりするわけじゃない、一時的に楽な時がある、それと全く同じである。脳内の複雑な歯車が一瞬噛み合うとき、それが不規則に訪れる。そのタイミングに治療の根本があるような気がしている正雄は出来るだけ寄り添っていたいと考えていた。その一瞬を逃さずに思いを聞いてやりたい。
「俺はいつまでここにいるんだ?」
 歯車が嚙み合った。
「父さんはどうしたい?父さんの思い通りにするよ」
 正雄は間髪入れずに父の本望を聞いた。
「死ぬ前に山に行きたいな、死んだ爺さんと歩いた山、たくさん山菜取って、桜の下で握り飯食うんだ」
 桜を見て言った。
「分かった、行こうあの山、近いうちに絶対連れて行くからね」
 大きいナースが戻って来た。
「お父さん窓閉めるよ」
 ナースが笑って言った。
「あれ、久し振りだな」
 歯車が外れた。ナースの尻を擦った。
「親父、なんて」
「いいのいいの、怒らないで」
 大きいナースは笑った。
「これか、この手が悪いのか?」
 ナースがしゃがんで戸部の手を抓った。戸部は子供みたいに『うん』と頷いて笑った。
 
 正雄は担当医を尋ねた。父親の現状と外出願いをするためである。
「お父さんね、元気、凄い元気、でも心配なのはの脳梗塞。まあ人間だからいつかお迎えが来るよ。それがいつかって難しいけどどんなに少なく査定してもお父さんは一年はあると思う。食もいいし色気もあるようだからいい感じだよ今は。認知症は進行するけどそのスピードを落とすのは家族と一緒にいる時間だね、薬より効果覿面だ。来れる時は来てやって、お父さんが口にする昔話をすればいい。その昔話から紐が解けて記憶が戻ることがある。すぐに忘れてしまうけどね、だけどそれが多ければ多いほど戻ることも増える、点の記憶を増やして繋がれば線となる。点線でもいいじゃないか」
 担当医は当たり前のことをそれなりに表現しただけだった。相談しない方が悩まずに済んだ。ただひとつ、『いつ死ぬか分からない』その言葉が妙に響いた。
「先生、三日間外泊させてもいいですか?」
 戸部の故郷新潟に車で行くとなれば親戚周りも含めて二泊はしたい。たっぷりと山歩きをさせたい、車椅子が可能なとこまで進んで後は負ぶってもいい。負ぶったまま山で転んでも父は笑ってくれるだろう。好きな薬湯にも入れてあげたい。縮んだ背中をおもいきり擦ってあげたい、『痛えよ』と振り返る父が見たい。
「三日?長いな。許可出来ない。万が一のときあなたにはどうすることも出来ない。苦しんで、もがいてもアタフタするだけだ。ここにいれば私が対応する。夜中でも何でも呼び出されればすぐに来る。私が駆け付けても助かるか助からないか定かじゃない。ただあなたよりずっと確率が高い。痛がっていれば鎮痛剤で和らげることが出来る、息苦しければ呼吸を助けることが出来る、それだけの事だがね。まあそれは医者の説明マニュアルだ。もし自分の親なら希望を叶えさせてやりたい。ここで死ぬか、家族に抱かれて死ぬか、どっちがいいか、大概の人は後者だよ」
 高齢の担当医は胸の内を正直に明かしてくれた。
「どうだい、一泊して戻ってくれば。これで終わりじゃない、また次は続きをすればいい。そしてぼちぼちだと私が判断したら、好きにすればいいさ」
 担当医は笑って言った。正雄は担当医の薦め通り一泊二日の外泊許可を取った。それを二か月の間に三回行った。車で近くの山に行き車椅子を押して山道に入る。考えていたほど簡単ではなかった。車椅子の車輪は泥濘に嵌る。それに山道は階段が多い、一段、二段の階段を含めると相当数ある。諦めて引き返すことが多く事前に調査しなければならないと反省する。
「父さん、今日はここまで、ご飯食べよう」
 三回共戸部の歯車は噛み合わなかった。それに楽しいように感じていない。まだ病院の窓から丘を眺めている方が嬉しそうな表情をしている。正雄は認知症が進んだせいだと考えた。山に連れてくることに意味がない、戸部は不快に感じているかもしれない。段差を超える時舌打ちをして振り返り睨む。三回目を最後に外泊申請はしなかった。
 担当医に呼ばれて病院に行くと談話室に誘われた。
「この前の話を覚えているかい。お父さんの寿命のこと?」
「ええ、人間である以上いつ死ぬか分からないあの話ですか?」
「あれから半年、私はそろそろだろう思う」
「実はあれから三回の外泊をして考えたんですけどあまり父は喜んでいないんじゃないかと思いました。病院の窓から見える丘が父の故郷になっているような気がします」
「そうかもしれない、あなたはどうです?あなたがよければそれでいい、ただね、親が元気なうちに、じっくり寝食を共にしたかったと嘆く人が多い。私もそうだった」
 正雄は礼を言って病室に行った。すると車椅子の戸部の脇に男が立っていた。黒っぽい服に焦げ茶のハンチング姿、二人で窓の隙間から前の丘を眺めている。向かい合って笑い合っている。正雄は戸部の知人と思い一礼をした。
「ありがとうございます、父は記憶が薄いので恐らく覚えていないと思います。記憶が戻った時に伝えておきますのでお名前だけでも宜しいでしょうか?」
 男は名刺を出した。『金原武 仙人』と表書き。戸部は認知症になるまで労務士をしていた。まだ若いがその関係の男だろうか。世の中には色々な商売がある。今や占い師が辻に座っていることなどない。賑やかな部屋で屯して呼び込みまでいる。そんな世に仙人と名乗る男が居てもさほど不自然ではないと感じた。
「あの、父とはどういった関係でしょうか?」
「関係というより父上に呼ばれました」
「えっ、スマホですか?」
 枕元にある電源の切られた戸部のスマホを手にする。
「ええ、まあ、もう少しレトロですがね」
「それじゃ、談話室の公衆電話ですか?父は不規則に正気に戻る時があります。それも短時間ですが、そうですか、父の記憶が戻りあなたに電話をしたのですね」
「まあ、そんなとこです」
 勝手に信じ込んで喜んでいる息子に真実を明かすには時間が掛かると金原仙人は適当に返事をした。
「真っ先に金原さんに電話するのはよほどの思い入れがあったのでしょう、わざわざお見舞いいただきましてありがとうございます。
「それほどでもありません。それより父上をご自宅にお連れするつもりですか?」
 どうしてこの男はその悩みを知っているのだろうか?今さっき担当医と話したばかりである。
「驚かないでください、父上とは心で繋がっています。だから父上と通じているいるあなたの胸のうちも読めるんです」
 金原は正気に戻った戸部が『死んだらあの丘の桜になりたい』その思いが通じて来たのである。そして既に寿命を読んでいた。残り13日と11時間32分56秒、天寿を全うする。しかし正気ではない、病に侵されたまま記憶の無いままに逝く。正雄は悩んでいた。担当医はぼちぼちと言ったが当然の事断定ではない。よく聞く話で、余命半年と宣言された患者が二年も三年も、いや以前より元気になった人達がいる、それも結構多い。『奇跡ですね』医者からそう言われても素直に喜べないとこもある。軽率に人の寿命を予測しないで欲しい。半年と言われ連れて帰り何年も長生きされては困る家庭もある。正雄は嫁のことを考えた。半年なら同居も我慢してくれるだろう。だが長引けばどうだろう、自分は昼間仕事に出る、面倒を看るのは嫁である。
「父は金原さんに何か言ってましたか?」
「父上は転生するならあの丘の桜になりたいと願っています。恐らく故郷の山の桜と繋がっているんでしょう」
「父の故郷は新潟です、まさかそんなことはないでしょう」
 正雄は根拠のない金原の言葉を一蹴した。
「それはあなたが決める事じゃない。もしかしたら渡り鳥が花粉を運んだかもしれない。故郷の山の桜の子孫かもしれないし、地下深くで根が繋がっているかもしれない。例えば足裏にはツボがあります、それは脳にも目にも通じていますね、地も天と通じています。離れているから関係ないとは軽率な考えです」
 一蹴したつもりが返された。確かにゼロじゃない。ゼロじゃない以上論破することは出来ない。
「そりゃそうですけど、俄かには信じがたい」
「あなたは父上を連れ帰り自宅で最期の時を過ごしたい、だけど長生きしたらどうしよう。贅沢な悩みでいらっしゃる」
 金原仙人は家族と住宅環境で悩んでいるこの男が哀れだった。
「しかしそれが現実です。父もそれを理解してくれていると思います」
「人は都合のいい方に介錯しがちです。まさに今のあなたがそうです。自宅に連れ帰り親孝行と周囲から噂されることを望んでいるだけです。ここまでやればいいだろうと自己満足なんです。あなたの悩みをズバリ当てましょう。父上の残りの寿命でしょう」
「違いますよ、父にとってどうしたら一番いいかそれだけです」
 金原仙人に心のうちを読まれたが肯定するわけにはいかなかった。
「まあでも世の中あなたの価値観が手頃ですからね、それで良しとしましょうか。それでどうします父上の事。私はご本人からしっかりとお願いされた。ただご子息の意に背いてはいけない。最近妙に色々考えてしまうようになりました。人の気持ちに一喜一憂するとは私も仙人失格ですかな」
 金原はハンチングを取って頭を掻いた。大きなフケが戸部の肩に張り付いた。
「医者はぼちぼちと言いました。連れて帰る方向で進めています。でも準備があるので今すぐにとはいかないのでもう少し辛抱してもらいます」
 戸部は妻の死後家を売り払い、駅の近くに小さなマンションを借りている。正雄にはそこで二人暮らしを始めることも選択肢にある。だが日中は仕事で留守にするため、結局介護を頼むか妻に看てもらうことになる。
「準備ね。準備は物ではなく心です。教えてあげましょう、驚かないでくださいね、父上の寿命は二週間弱です」
 正雄は驚いた。父の寿命より目の前の男が断定したことに。担当医でもぼちぼちと濁らせた。
「そう決め付けた根拠は何です?」
「根拠も論理もへったくれもありません。私が読み切ったんです。それが仕事ですから」
 金原仙人は笑った。戸部も笑う。金原仙人が戸部の耳元で囁く。戸部が手を叩いて笑い出した。正雄には信じられない光景、父親が大笑いしている、金原仙人と名乗る男と会話をして頷いている。
「父さん、父さん」
 正雄が呼び掛けるとまた難しい顔になり窓の隙間から丘の桜を見ている。
「お父さん終わり、換気終了、また明日。一旦間仕切りカーテン閉めますよ、お迎えがおトイレしますんでね」
 大きなナースがアールの間仕切りカーテンを閉めた。正雄が中に入ると金原がいない。
 
 翌日は日曜日で正雄は妻を連れて見舞いに来た。
「もうお前のことも忘れているかもな」
「忘れているも何も何回も会ってないし、初めから覚えてないわよ。いいわよ二週間でしょ、うちで面倒看ましょうよ。掛かる物は掛かるんだから、貰えるものはいただきましょう。じゃないと世間体もあるし、独り者の弟さんだって割り込んで来るかもしれないし、何よりあたし自身に合格点上げたいの」
 普通の葬儀をしても父の遺産は残る。家のローン代には充分である。正雄の妻はそれを当てにしている。それには遺産を継いで当然であると親族から後押しの声が欲しい。戸部は昨日金原仙人と通じてから脳の歯車が噛み合っていた。ずっとではないが記憶が点線で繋がっている。嫁の魂胆も理解している。もう怒る気もない。この世に残る誰がどう思いどうしようとどうでもいい。昔は死を家で看取った、日々衰えながらもその反面穏やかな表情に変わっていく姿を目に焼き付けて送る。『お父さん』『お母さん』と皆の見つめる前で一瞬の足搔きを見せてあの世に旅立つ幸せ。もう今はない。居場所がない、家の広い狭いではない、開かれた心の居場所が消えてしまったのだ。
 戸部が窓の隙間から丘の桜を見て、掌を左に振っている。
「どうしたの父さん?」
 正雄が丘を見ると昨日の男が丘の桜の幹に手を当てていた。戸部が振る方向に少しずつ手を滑らせている。戸部がOKマークを出した。丘の金原仙人が腕の丸印で了解の合図。
「あの男だ、あんなとこで何してるんだ」
 正雄は病院を抜け出して丘に向かった。
「あんた、何をしているんだ?」
 息を切らして訊いた。
「やっぱりこの桜は故郷の桜と繋がっていました。実はあなたが万にひとつも無いような言い方をしたので不安になりましてね、でも私の予想が正しかった、良かった」
 金原仙人が笑うと正雄は腹が立った。
「父と関わるは止めてください、迷惑です」
 金原仙人の胸を突いた。二度と会わないように故意に乱暴をしたのだ
「あなたが悩んだ時点で親子の縁は切れています。私は本人の心と通じてますからね。ご本人もあなたや奥さんの考えは尊重していますよ、考えてくれるだけでもありがたいご時世ですからね。ただお父さんは寿命と同時に故郷に戻ります。戻るのは魂だけです。肉体は車椅子に置いて行きますからあなた方の大切にしている世間体は立ちますよ」
 今度は本当の立腹、正雄はまた胸を突いた。空を切る、突き続ける、磁石のように突いた手が横滑りする。
「無駄なことは止めなさい」
 正雄は荒い息を吐いて桜に寄り掛かった。
「一体どうなってんだあんたの身体?」
「転生の繰り返しで移動しています。一秒二秒の往復です。あなたの怒りも分かりますが父上の望みはあなたの家に帰ることではない。故郷の山と通じているこの丘の桜になり、病院の患者の励ましになりたい。毎年春にはあなた方がこの桜の下で花見をする、それを見るのが楽しみのようです」
「父はこれから死ぬんですか?」
「いえ、転生するんです、それも希望通りにね、それを手助けするのが私の仕事です」
 正雄はにわかに信じがたいがこの男が父親と通じているのだけは様子を見ていて確かである。
「すぐにですか?すぐに連れて行くんですか、私達に別れの挨拶もさせないで」
「別れじゃない、確実な出遭いのためです。ただ早い方がいい、日が暮れると魑魅魍魎が悪戯するでしょうからね。あなたは病室に戻って父上の現世の最後を看取ってやってください」
 正雄は言われるままに戻った。
「父さん、父さん、あんな奴信用しない方がいいよ、退院手続き進めるから家で、家族で過ごそう」
 戸部は車椅子の上で微笑んだ。
「仲良く暮らすんだぞ」
「父さん」
 戸部から何かが抜け出た。細い窓の隙間から一直線に丘の桜に飛んで行く。
「さあお父さん、時間旅行です。お爺さんとの山菜取りを、ほんの十五分ですが楽しんでください。そしてこの幹の隣に転生しましょう」
 金原仙人は浮遊する戸部の魂の額に右手を当てた。左手は桜の幹に当てる。指が裂けるほどに広げる。右手指は戸部の脳内に、左手指は桜の幹内にゆっくりと沈んでいく。・・・・・
『爺ちゃん、ゼンマイがあるよ』
『全部取るなよ、全部取ると来年取れねえぞ』
 二人はトンネルのような雪解けの沢を上る。
『爺ちゃん、腹減った』
『桜の木の下で握り飯を食おう』
 沢のトンネルを抜けると桜の下に出た。
「父さん、父さん」
 正雄はナースコールを押した。そして丘の桜を見た。年寄りと子供が桜の下で握り飯を頬張っている。
「父さん、まさか」
 正雄は絶句した。
『爺ちゃん、そのおじさんにもひとつ上げてもいいかい、腹減ってんだよきっと』
『ああいいさ、握り飯ってのはそういうもんだ、腹減った人にすぐ上げられるからな。だからばあちゃんは食い切れねえほど持たせんだ』
『おじさんこれ上げるよ』
 金原仙人は会釈して受け取った。
「あの男だ」
 正雄は丘の桜に向けて走った。誰もいない。幹の横に芽が二本出ている。その脇に竹の皮に包まれた握り飯が置いてある。狂い咲きの一輪が南風に舞い上がった。

 
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