輪廻

壺の蓋政五郎

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輪廻『無道』 最終回

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 仙人が住むと言う洞天福地に金原武は呼ばれていた。
「おう金原、活躍してるそうじゃのう」
 金原を出迎えたのは師匠の天海仙人である。
「師匠も元気そうで」
 金原仙人は焦げ茶色のハンチングを脱いで挨拶した。帽子を脱ぐと地肌に風が当たり痒くなる。ボリボリと掻くと大きなフケが風下の天海仙人の方に飛んで行く。天海が中指を上げると黒い鳩ほどの大きさの足の長い鳥が飛んできてそのフケを空中で食べ尽くした。
「あれは?」
「仙人の垢を喰らう癪と言う虫だ」
「あれで虫なんですか?」
「欲しければやるぞ」
「いや結構です」
「ここは暑いな、移動しよう」
 天海が両手を広げると場所が川の畔になった。
「それで師匠お話は何でしょう。転生を待っている者が順番待ちをしています。その中の二名は今日中に天寿を全うします。出来れば言って願いを叶えてやりたいのですか」
 金原は川の水を救った。
「気を付けろ、滝に昇れず化鯉のまま生きているのがおる。指を食われるぞ」
 天界が言うと同時に金原の指は化鯉に喰われた。金原は二秒前に転生した。指を擦って笑った。
「話しと言うのはお前も知っとるだろ、ジャモールと言うイランから来た男を」
「はい、私と同期でもう少しと言うところでここを出た男ですね。ジャモールがどうかしましたか?」
「仙人不足で修行期間を大幅に緩和したのが悪かった。お前達は六十年で称号を与えた。お前のように欲を出さずに務めてくれりゃいいがあいつは術を覚えて十年残して出て行きおった。わしの責任だ。神に申し訳が立たん」
「ジャモールが何をしたんですか?」
「邪神と結託して悪さをしておる。また大きな災害を起こすぞ、その前に止めねば多くの人間どもは神が想定した天寿を全う出来ずに死んでしまう。想定外の死は浮き霊としてそこに居ついてしまう。その浮き霊を操るのがジャモールの得意技だ」
「それでジャモールは何処に?」
「北海道の長万部だ。噴火湾に鎮座するアイヌの神、アッコロカムイをけしかけている。鬼と化した日本人が侵攻した蝦夷地を取り返そうとジャモールの口車に乗せられたようじゃ。浮き霊を動かして想定外の死人の転生を喰らいさらに力をつけるためだ。アッコロカムイを説得して欲しい、それでお前を呼んだ」
「私にそんな大役が務まりますか師匠。人間の転生を手助けする地味な術しか持ちあわせていません」
 金原は神を説得するなど恐れ多い大役を受けるつもりはない。例え受けたところで仙人の術を奪われ元の人間に戻されるのが落ちである。小学校の寄書きに書いた夢『仙人』を叶えた。それを奪われたくなかった。
「そんな心配をするな、お前はわしの一番弟子だ」
 天海とはずっと繋がっている。心のうちは全て読まれている。
「失礼しました。師匠にはお見通しですね。仙人失格ですかね」
 金原仙人は頭を掻いた。すぐに癪が飛んできてフケを突いた。
「ジャモールを倒すのがお前の生き残る唯一の道だ。あの無道をそのままにしていては世界中の人間が死ぬ。我ら仙人の食い扶持が無くなるだけではない。神が地球を見捨てる。今なら間に合う、長万部に行け。お前の死はわしが転生する」

 洞天福地から戻り世田谷の大きな屋敷に来ていた。師匠の天海からすぐに噴火湾に行くように言われたがあまりにも強い思いを感じたので寄ったのである。
「おばあさん生まれ変わったら鬼になりたいってどうして?」
 日当たりのいいテラスでくつろいでいる老婆の後ろに立って言った。
「どなたですかあなたは?」
 大きな屋敷に一人住まいの老婆は震えていた。黒っぽい服に焦げ茶色のハンチングを被った三十過ぎに見える男が笑っている。
「おばあさんは一人暮らしかな?」
「ええ、そうよ。二日に一度お手伝いさんが来るの。それはそうと誰?」
「おばあさんが生まれ変わり鬼になりたいって強く思ったでしょ、それに反応してやって来ました、金原と言います。仙人をやっています」
 老婆は不思議そうに金原仙人を見つめた。悪い男には見えない。そうであればすぐに金を奪って行くはずだ。
「何が目的なの、現金はないのよここには」
「おばあさん、私はお金など要らない。おばあさんの望みを叶えてあげたい一心で来ました。でも鬼はお勧めじゃない」
 鬼になりたいと願ったことは誰にも話していない。
「この屋敷には悪霊が出るのよ、私はもうじき死ぬから、もし生まれ変われるなら鬼になって退治してやろうと思っていたの」
 老婆は不安な目で金原を見つめた。
「悪霊ってどんなの?おばあさんの目で見えるの?それとも夢の中に出るとか?」
「見えるのよ薄っすらと」
「おばあさんに悪戯するのかな?」
「何もしない、ただ私に自殺するよう迫るの。『死ね、死ね」と繰り返すの」
 老婆は想い出して怯えていた。
「おばあさん、私を信じて、おばあさんの寿命を計らせてくれる?」
「そんなことが出来るの、コンピューターの世界?」
「いや、どっちかというと迷信に近いかも」
 金原が人差し指を伸ばすと老婆の方から額を近付けた。
「おばあさん、髪を少し上げるよ」
 豊かな白髪をやさしく持ち上げた。老婆は少女の目になっている。
 人差し指を天中に当てる。ゆっくりと滑らせる。
「少し酔うかもしれないよ、船酔いの感じ」
 皺が深い、その谷間までしっかりと読み取る。山根まで滑らせた。
「はいいいよ、気持ち悪くない?」
 老婆は首を振った。むしろ心地よかった。若い日に恋した男を想い出していた。
「それで私の寿命は分かったの?」
「ええ、分かりました。はっきり言うよおばあさん、4年と86日、18時間36分27秒、26,25,24,てそんな感じ」
「あと四年も悪霊の囁きを我慢しなければならないの、とても無理だわ」
 老婆は嘆いた。
「おばあさん、もう一度額に触らせて、その悪霊の正体を見てみたい」
「あなたに追い払えるの?」
「かもしれない」
 老婆は額に被る白髪を自分で上げた。そして目を瞑った。金原仙人は額に掌を当てた。指が裂けるほどに広げると脳に沈んでいった。老婆の人生を見ている。幸せな人生を送っていた。楽しい人生だが子がいない。夫に先立たれてから子のいない寂しさが弱気にさせている。弱みに忍び込んだのは浮き霊である。金原は老婆の人生に張り付いた浮き霊を小指で剥がした。
「二つもいる」
 もうひとつも剥がし取る。掌が脳内から浮かび上がる。
「おばあさんもういいよ」
 老婆は軽い眩暈を感じている。
「軽い貧血だから安心して、目を瞑っていて、すぐに収まるから」
 金原は小指に付着した二つの赤い滲みに息を吹きかけた。ペラペラと剥がれ床に落ちた。陽炎のように正体を現した。
「おばあさんを虐めるのはこいつらかな?」
 老婆が目を開けるといつも枕元で『死ね』と囁く醜い霊が揺れている。
「こいつらはね、浮き霊と言い神から授かった天寿を全う出来ずに死んだ人の魂が拗れて出来た霊なんだ。力は無いがしつこい」
「どうして私のところに出てくるの?」
「おばあさんの弱みに付け込んでいる。もしおばあさんが彼等の虐めに堪え切れずに寿命より早く死んだらその霊を食べるつもりでいる」
 老婆は震えあがった。
「お前は仙人だな」
 浮き霊の一人が言った。
「ああそうだ、もうお前等はこのおばあさんに憑りつくことは出来ない。私が細工した。憑りつくと解けて消える」
 浮き霊は薄ら笑いをしている。
「ジャモールにやられるぞ」
「ああジャモールにやられちまう」
 二つの浮き霊は繰り返した。
「お前達はジャモールと通じているのか?」
「ジャモールは強い」
「お前は弱い」
 浮き霊は金原仙人を小ばかにしている。
「そうかジャモールに通じているなら話が早い」
 徳田は人差し指を浮き霊の額に当てた。
「止めろ」
 浮き霊が薄くなる。そして消えた。
「何をした?」
 もうひとつの浮き霊が訊いた。
「お前達は行き場を無くした霊に過ぎない。溶かして地獄に転生させた。お前も地獄に行きたいか?それとも鋏虫になるかどっちかだ」
 浮き霊が揺れる。
「ジャモールに伝えろ、噴火湾で待ってると」
 浮き霊はかげろうのように揺れて消えた。
「あの悪霊はどうしたの?もう出て来ないの」
「ええ大丈夫でしょう。今夜からゆっくり寝れますよ」
 徳田がハンチングを脱いで頭を掻いた。フケがぱらぱらと落ちる。そこへ癪が来てフケを喰らっている。
「癪、どうしてお前がいる?」
 癪はパタパタと羽ばたいた。すると人よりも大きくなり消えた浮き霊を見つけて頭から飲み込んだ。
「何ですかあの大きな鳥は?」
 老婆が驚いて震えている。
「あれは鳥ではありません、どっちかというと化物です。ですが悪い奴じゃない。私のフケが気に入ったみたいで洞天福地からついて来たようです」
 金原仙人は師匠の天海が仕向けたことだと気付いた。頭を掻けばフケが飛ぶ、それが合図で癪が飛び出して来る。ジャモールと対決するには強力な見方を得た。
「それじゃおばあさん、もう鬼になりたいなんて思わないでね」
 金原仙人が人差し指を振る。転生を繰り返し噴火湾に着いた。仙人に成り立ての時には時間が掛かった転生移動も五年の実績で格段に上達している。 金原は長万部の蕎麦屋に入った。
「せいろを五枚、いや六枚」
「お客さんお一人ですか?」
「ああ、一人だけど何か」
 女店員が量の多さに驚いている。無銭飲食かもしれないと厨房の主人に知らせた。
「お客さん、うちの一枚は量が多いよ。大盛にして一枚食べたら追加したらどうです。それに一度に出したらのびてしまうよ」
 金原は主人の薦めに頷いた。一枚食べ二枚食べ最終的に六枚食べて蕎麦湯を頼んだ。
「辛めの汁が好きでしてね。実に美味しかった」
 金原は一万円札を出して釣りは要らないと店を出た。予想が外れた女店員と主人は疑ったことが恥ずかしくなりお互い目を合わさない。
 金原は海に向かって歩き長万部バイパスを渡った。足が遅いのでトラックにクラクションを鳴らされる。漁港に出て一番長い突堤を歩いた。
「あぶねえから入るな、波に攫われるぞ」
 腰の曲がった漁師に注意される。先端まで行きハンチングを脱いだ。頭を掻くとフケが飛んで宙に舞う。パタパタと羽ばたく音と共に空から癪が降りて来た。舞うフケを追い掛けて喰らい付く。
「癪」
 金原が呼ぶと人ほどの大きさになり突堤に下りた。
「アッコロカムイに会いに行く」
 金原が癪の背にある瘤の後ろに跨った。パタパタと仰ぐように飛び上がる。
「なんだあいつは」
 さっきの漁師が目を細めて見ている。上空から噴火湾を見下ろす。
「ほらあそこだ」
 金原が指差す方向が赤く染まっている。アッコロカムイの大きさに驚く。その上を漁船が通り過ぎる。赤い海が動き出した。船員達が慌てている。赤い海は濃くなり漁船が飲み込まれてしまった。
「あ~あ、駄目じゃんアッコロカムイの上を通過したら」
 金原にも助けようがない。地元漁船は噴火湾の恐ろしさを知っている、だから赤い海の上は通過しない。他国から来た遠洋漁船に違いない。
「よし、癪、行くぞ」
 アッコロカムイが漁船を飲み込んだ刹那に行動する。癪が尖った嘴を真下に向けた。金原は股を瘤に掛けて癪の背に寄り掛かる。身体が垂直になり海に突っ込んだ。癪の足には水掻きがあり競泳のバタフライのように進んだ。アッコロカムイは食事中だった。海に浮かぶ異物は何でも喰らい付く。
「癪、後で呼ぶ。今夜中に戻らなければ天海仙人に知らせてくれ」
 癪は身体をくねらせて浮上する。海面から出る時に水を切る音がした。
「なんだあいつは」
 漁師は首を傾げた。金原は真っ赤な絨毯のようなアッコロカムイの上にいる。息継ぎは転生を0.1秒間隔で繰り返している。アッコロカムイからすれば点滅しているように見える。
「神よ、偉大なるアッコロカムイ。お願いがあります」
 声も一文字ずつコンマを入れたように聞こえる。
「誰だお前は?」
 喋ると息が赤く揺れる。
「申し遅れしました。私は金原、修行の末に仙人の称号を与えられ、今や神の下部にございます」
「仙人が何のようだ?」
「実は仙人ジャモールが日本各地で悪事を働いております。どうかジャモールに協力なされれるのをお止めください。ジャモールは浮き霊を利用して日本を支配するつもりにございます」
 金原は頭を下げたままアッコロカムイにお願いしている。
「お前等和人はアイヌを殺した。アイヌの神であるわしはその地位を下ろされた。だからお前等和人は信用しない」
「時代の悪戯でしょうがあの時代の和人の振る舞いは到底許せるものではありません。ですがジャモールの企てはカムイの想定とは著しく異なっています。カムイの力を背景に浮き霊を利用して自分の力を蓄える魂胆です。その力をつけてしまえばカムイにさえ歯向かうようになります」
「仙人ごときが偉そうなこと言うな。わしはジャモールに担がれることを望む。とっとと帰れ」
 アッコロカムイが足を一振りした。海中で高波が発生し金原は一気に流された。転生しながら息継ぎをしていたがそんな余裕がない。苦しくて空を見上げ一気に上昇した。身体が半分水面に浮いた。ハンチングを脱いで頭を掻いたが頭皮が濡れていてフケが飛ばない。深呼吸して転生した。さっきの蕎麦屋を出たばかりの自分。
「この辺りに宿はありますか?」
 金原は蕎麦屋の店員に訊ねた。
「はい、うちの隣が民宿です」
「そりゃいい、泊めてもらうか」
「おばちゃーん」
 店員はこの客は羽振りがいいと宿の女将に伝えに走った。部屋は二階で海が見える。
「女将さんはアッコロカムイの伝説をご存知ですか?」
「はい、恐ろしい化物で悪さをしたから神々の怒りをかって蛸に姿を変えられたそうです。噴火湾が真っ赤になるのは大蛸が海中で暴れているからと祖父から聞きました。でも祖父はアイヌ人の戯言だと笑っていました」
 アッコロカムイは化物扱いされていた。神であることを無視され続けた結果、噴火湾から出てこないのだろう。和人によってアイヌ人は迫害された。全ての生活様式を無理やり変えさせた。同じことがウイグルでも行われている。金原は人間の愚かさと弱さを改めて痛感した。
「お客さんも気を付けてくださいね。最近この辺りでぽっくり死んでしまう人が多いんですよ。昨日まで元気だったのに八百屋のおばさんも急逝しました」
「どんなふうに亡くなられました?」
「何て言うか遺体を見たらやせ細って皮が皺だらけになっていました。伯父が三日前に亡くなったんですけど同じようにやせ細ってました」
 金原は浮き霊のせいだと感付いた。精気を吸い力を蓄えて行く。ジャモールの術に掛かった浮き霊が動き出している。早く止めなければ倍々に増えて行く。
「女将さん、おまじないをしよう。額を出してください」
「お客さんふざけないで」
 女将は金原がおかしなことを誘っていると思い部屋を出て行った。金原は隣の蕎麦屋に出前を頼んだ。宿には飯はいいから酒だけ用意するよう言い付けていた。
「熱燗ですか」
 仲居が二合徳利二本を運んで来た。
「もう二本つけてください」
 蕎麦を啜りながらの熱燗が金原の贅沢である。もりを六枚食べ終えて外に出た。ほろ酔いで気持ちい。金原の横を影が通り過ぎた。浮き霊である。道路の両側にぞろぞろと歩いている。常人は気付かないが金原には表情まで確認出来る。金原はハンチングを外して頭を掻いた。夜空に舞い上がるフケは銀色に輝く。パタパタと癪が降りて来た。
「ほら浮き霊だ、私のフケより好物だろう」
 右側を歩く浮き霊を癪が片っ端から飲み込んで行く。薄っぺらな浮き霊は癪に吸われると紙を丸めたようになる。左側を通る浮き霊は金原が担当した。額に人差し指を当てるだけで溶けてしまう。溶けた浮き霊は鋏虫になり家々の縁の下に逃げていく。もう浮き霊に戻ることは出来ない。
「何をする?」
 浮き霊の一人が金原に文句を言う。
「うるさい」
 構わず人差し指を当てる。通りにひしめく浮き霊が姿を消した。
「癪、助かった」
 これでこの界隈での死者は減るだろう。そしてこれを繰り返せばジャモールが顔を出すと考えた。翌日の晩は蕎麦屋から離れて長万部町字長万部当たりの飲み屋街に来た。常人から見える浮き霊の姿は縁取りぐらいである。勘の強い人間で顔の輪郭がぼやけて見える程度。酔った人間は抵抗力を欠いている。精気を吸われやすい。金原は頭を掻いた。癪が飛んで来る。路地の両側に並んで浮き霊退治を始めた。
「あんた何やってんの」
 バーのホステスが客を送り店の外に出て金原のおかしな仕草に不思議がった。
「気にしない、気にしない」
 金原はホステスを無視した。
「何やってんだって聞いてんだこら」
 客が金原の胸を突いた。しかし金原は転生で瞬間移動して躱す。酔っ払い客のパンチは金原の顔に当たりそうで当たらない。
「この野郎、この野郎」
 腕を振り回し過ぎて足がふらついて倒れた。
「癪、今宵これで終おう」
 癪は大好物の浮き霊を吸い取っている。
「癪、いい加減にしろ、天海仙人に言い付けるぞ」 
 天海の暗示に掛かっている癪はまだ自由の身になれないでいた。『グユッ』とひと鳴きして月の陰に消えて行った。

 ジャモールの下に浮き霊が集合していた。
「何をしている。倍、倍、その倍と日に日に増すわけではなかったか。二日前の半分になっているではないか。長万部で五万にして札幌で二十万にする。蝦夷を征服して東北を攻める。お前等は影ではなく陰になるのだ。常人を全て吸い尽し光に葬る。その次は星座神から輝きを奪い月神から光を奪う、そして太陽神を破滅する。そして初めてお前達の闇夜の世界になるのだ」
 浮き霊達はざわついている。身体の厚さが和紙ほどで風が吹くと前後に倒れる。
「変な奴がいる」
 浮き霊のひとりが薄っぺらい声で言った。
「変な奴、どんな奴だ?」
「変な虫もいる」
 別のひとりが言った。
「変な虫、どんな虫だ?」
「変だ、変だ、変だ」
 浮き霊が変だの連呼を始めた。
「うるさい」
 ジャモールが自分のこめかみをぐりぐりした。すると浮き霊が苦しんだ。ジャモールはぐりぐりを解いた。
「鋏虫にしてくれるぞ」
 ジャモールには変な奴と変な虫に心当たりがない。
「よし、明日の晩わしが行く」
 ジャモールの主食はコーランである。コーランのアラビア語一文字一文字を脳に浮かべるとそれが形となって目から飛び出して来る。それをしゃぶる。アッラーを超えたと自負している。

「お客さんは蕎麦が好きだねえ」
 毎晩隣の蕎麦を晩酌の時間に頼んでいる。熱燗のアテである。酔いは普通に回ってくる。しかし転生によって飲む前の自分に移動することが出来る。心地よく酒を飲んでいた。今晩は浮き霊狩りに行きたくない。このまま酔いを楽しみたかった。
「ねえ、お客さん、一昨日の晩におまじないを掛けてくれるって、あれ本当かい?」
「何かありましたか?」
「また親戚が死んだんだよ。同じようにやせ細って」
「それ何時?て言うか何時間前ですか?」
 死後四時間なら転生によって救える。ただし寿命は例外、いかなる寿命も神の定めによるものであり仙人がそれを変えることは違反である。それでも金原は自分なりの定規を持っていてその範疇なら神に背いてとぼけている。
「さっきだよ、二時間前に息を引き取ったって電話があったの。旭川だからもう電車もないし明日行くことにしたの」
「二時間前ならOKだよ。その人いい人だった」
「学校の先生でやさしい人だよ」
「よし、先ず女将のおまじないからだ、額を出して」
 女将は正座のママ金原ににじみよった。
「先ずは女将の寿命を見るからね」
 女将の額を手拭いで拭いた。人差し指を天中に当てる。ゆっくりと山根まで滑らせた。指を放して手拭いで女将の油っ気を拭き取った。
「女将は長生きするよ。神様の保証付きだ。それじゃ頭を出して、女将の脳に触れれば親戚とも通じる」
 金原は女将の頭に掌を当てた。指が裂けるほどに広げるとそれが網の目になり脳に沈んで行く。金原の掌は完全に沈んで見えない。女将の記憶を全て読み取る。
「少し酔うよ、船酔いって感じ」
 女将は自分の頭で何が怒っているのか分からない。
「よし」
 金原の掌が浮いて来た。手拭いで掌を拭う。
「あれっ」
 女将が目を開けると金原が消えていた。

「こんにちは」
 旭川まで転生を繰り返し、宿を出てから七秒で辿り着いた。
「今取込み中で」
 奥から主人が出て来た。
「ご主人、長万部の妹に電話をして私のことを確認してください、早い方がいい」
 金原は勝手に上がり込む。一同が金原を止めようとするが掴めない。
「その人は信用出来ると妹から聞いた。みんな邪魔をするな」
 金原は笑って頷いた。床に臥せて白布を被せられた夫人の横に座る。白布を捲り額に掌を当てる。
「あっ大丈夫、戻りますよ」
 掌が脳に沈む。全員が驚いて声も出ない。死んだ夫人が目を開いた。やせ細った顔に血の気が滲んで来た。皺が減りそこに肉が付いていく。そしてみるみる少女になった。
「あっ、いけね、巻き戻し過ぎた」
 掌の角度を変えると少女の顔は死んだ時間に戻った。
「はあっ」
 と夫人が半身起こした。
「あたしどうしてたの?」
 主人が抱き付いた。
「あなたは三時間死んでいました。ですがその死は神の定めた天寿ではない。だから私が戻しました。以上」
 金原は言い残し転生した。
「ただいま、蕎麦ありますかね?」
 出て行って十五分で戻って来た。
「たった今旭川の兄から電話があって義理の姉が生き返ったって」
「そうそう、だから私が言ったでしょ、四時間以内なら間に合うと」
 女将は不思議そうに蕎麦屋に行った。

「片っ端から吸い尽せ」
 浮き霊に檄を飛ばすジャモールは長万部駅の上空に浮いている。鳥のように空を飛ぶ術を会得したわけではない。磁石SとNの関係を利用している。違う極同士なら磁力線により引き合うが同じ極同士だと反発し合う。それを利用して浮き上がっている。自分自身が磁力になることで反発し合う術である。
「大変だよ、駅前の通りに人が死んでいるよ。それも大勢だよ」
 宿の女将が階段を駆け上がりほろ酔いの金原に伝えた。
「そうですか。女将さん、冷たい水を一杯いただけますか」
 金原は二時間前の自分に転生した。酔いは醒めている。水を飲むと爪の先まで潤う。
「今晩は店を閉じなさい。私が出たら錠をするのです」
 女将が頷いた時には金原は消えていた。通りに出ると飲み屋帰りの客が路上に倒れている。どれもこれも精気を吸い取られ、乾燥芋のように薄く小さくなっている。ハンチングを脱いで頭を掻いた。バフォバフォと羽音と共に癪が現れた。
「癪、今宵浮き霊を全て倒す。そしてジャモールと対決する」
 金原の声は宙に浮くジャモールにも届いた。癪が天に上って行く。そして下りて来た時には人の十倍もの大きさになって浮き霊を吸い始めた。一体ずつではなくまとめて十数体を一気に吸う。金原は高速で転生を始めた。転生した自分が分身して百体になる。それぞれが浮き霊の額に人差し指を当てる。触れるだけで浮き霊が鋏虫になって地の中に消えていく。
「きんばら~」
 空から声がする。金原が見上げると真っ赤なヒジャブをまとっている。頭にはこれも真っ赤なクフィーヤを被り金色のイガールで止めている。口髭がマスクのように覆っている。
「ジャモール、捜したぞ」
「久しぶりだな、落ちこぼれ仙人」
「貴様こそ修行に耐えられず夜逃げをした小心者ではないか」
「たわけが、わしは修行が馬鹿らしくなっただけのことよ。お前の用に神の小間使いをしている者にはわしの世界観は分かるまい。とっとと立ち去れ。そこに転ぶ常人のように浮き霊に吸わせてくれるぞ」
 そう言うとジャモールはイスラムのコーランを唸り始めた。そのアラビア語一文字一文字がジャモールの目から飛び出してくる。それが数珠繋ぎになり輪になった。癪の身体に巻き付き締めつける。癪は羽ばたけず通りに落下してもがいている。金原が般若心経を唱える。アラビア語の一文字にその発声を集中させる。コーランの鎖がバチーンと解けた。癪が宙に舞い上がる。ジャモールと対峙した。ハチドリのように羽を回転させる。回転で突風が起きる。突風がジャモールの磁力反発力の隙間に入り込む。ジャモールは地に吸い込まれるように通りに着地した。
「ジャモール、お前の策略は神々に反する。アッコロカムイを味方につけて日本を制覇するつもりだろうがそうはさせん」
「日本だと、ばかを言うなわしは既にアッラーを超えた。世界をいや宇宙を支配する。浮き霊はわしの指揮の下動く」
「アラーを超えたとは白々しい、現存するすべての神は天神の下活動している。お前ごとき仙人崩れに叶う夢ではない」
「ならば向かってこい」
「望むところだ。癪、私が死んだら喰らってくれ」
 ジャモールがコーランを目から吐き出した。金原が般若心経を唱えた。お互いの体内から繰り出される音が形になってぶつかった。ジャモールが再び宙に浮きだした。金原も鳥に転生しながら宙に浮く。文字と文字との先端にバチバチと電気が走る。息継ぎをするとその分押されてしまう。ジャモールが回転を上げた。ぶつかり合う先端は金原の口元まで一メートル。金原が高速転生で分身する。分身した十人が般若心経を唱え先端にぶつけた。押された分を一気に押し返しジャモールの目元まで迫る。火花がジャモールの口髭を焼く。ジャモールがイガールを外した。頭部に巻かれたクフィーヤが癪の羽ばたきで宙に舞い上がり大蛇に変身した。イガールをぶつかり合う先端に当てた。般若心経の漢字一文字一文字がイガールに当たり弾け飛んで行く。弾けた文字が跳ね返り金原の分身に当たる。分身は崩れて消えた。イガールが押し込んで金原の頭に被る。焦げ茶色のハンチングごと頭を締め付ける。ジャモールのコーランがイガールを通して金原の脳に伝授し始めた。金原の脳内を駆け巡る般若心経の間に喰い込もうとするコーラン。転生の力が薄れていく。分身が一人ずつ消えていく。イガールが更に締め付ける。ハンチングが潰れた。金原は頭を洗わない。その垢油が功を奏した、ハンチングごと滑るように外れた。脳が解放された。般若心経の間に喰い込んだアラビア文字が弾き飛ばされる。
「イエッ」
 金原が脳に蓄積された般若心経を一気に吐き出した。ジャモールのコーランを交代させた。ジャモールの目の中に般若心経が押し込んで行く。
「ヒヤッ」
 金原は死を覚悟している。しかし一人では死ねない、必ずやジャモールを道連れにする。その決死の力がジャモールを上回った。般若心経がジャモールの体内に蓄積される。磁力反発力を失ったジャモールが通りに墜落した。金原もゆっくりと通りに下りてなお吐き続ける。パンパンに膨れたジャモールを癪が嘴で突いた。打ち上げ花火のように音を立てて破裂した。漢字とアラビア文字が入り組んで空に舞い上がる。
「わあ、きれい、きれい」
 店から出て来たホステスが空を見てはしゃぐ。ジャモールのスフィーヤから変身した大蛇は月に向かって逃げて行く。それを癪が追う。月まで追い詰め大蛇を頭から飲み込んだ。ジャモールの陰謀に乗り損ねた浮き霊が散り散りに消えていく。それから三日三晩金原は宿で意識を失っていた。目が覚めるとハンチングと金のイガールが枕元に置いてある。
「女将さん蕎麦頼んでください」
 金原は蕎麦を食って起き上がった。
「よかった、死んだらどうしようかと思った」
 女将が胸をなでおろした。金原は立ち上がりハンチングを被った。そしてイガールを掴んで通りに出た。フケを飛ばすと癪が現れた。
「噴火湾に行く」
 癪に跨り噴火湾上空から真っ赤に染まったアッコロカムイの上に出る。そしてイガールを落とした。
「これでアッコロカムイも気付くだろう」
 そして鳥を利用して転生する。
「癪、天海仙人には呪縛を解くよう私から伝えておく。ありがとう」
 癪は天に昇って消えた。金原は風に任せ浮いている。
『死にたい、死んで大空で羽ばたく鷲になりたい』
 転生の思いが春日部から聞こえた。転生を利用して思いの主元に20秒で到着した。
「鷲になってどうするの?意外と大変だよ鳥の生活も」
「おじさん誰?なんで私の願いを知っているの」
「実はこう言うもんでして」
 金原は名刺を差し出した。
「仙人?」
「そう仙人」
 ハンチングを外して頭を掻いた。固まりのフケがボロボロと落ちた。
「汚い」


 
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