6 / 17
洪鐘祭でキス 6
しおりを挟む
「あなたには色々とご迷惑を掛けましたね」
「なんですかお義母さんいきなり、私は栄子が好きで好きでたまらない。だから栄子が良ければそれでいいんです。お義母さんもいい人だし愛も普通に育った。いい事尽くしじゃありませんか。こんな幸せありませんよ」
俊司は満開の桜を想像しながら茶を啜った。
「ところで俊司さんは愛のことどう考えていますか?」
「進学か就職かはたまたプー子かですね?」
雅恵が笑った。
「栄子は短大一本で進めるそうですけど本人が嫌なら無理に行かせてもと思うんですが」
雅恵は過去を思い浮かべていた。進路で母と喧嘩したことがある。当時の一般家庭では女が大学進学などあまり考えなかった。就職して会社でいい男でも見つかればそれで円満。雅恵は就職も拒んだ。家業の旅館を継ぐことを祖父と約束していた。一人娘だから婿を取り旅館経営で生活することを高校生の時から考えていた。しかし旅館経営の困難は将来も改善を見ないと父親が廃業を決断しアパート経営に舵を切った。雅恵は大反対だったが、当時の親の思いを今になってしみじみと感じていた。父の判断は正しかったと仏壇に手を合わせる度に反抗したことを詫びている。
「私も短大に行って欲しいと思っています。しつこいようですが先ず栄子が喜ぶのが嬉しい。栄子が喜んでいるのが私にとって最高の人生なんです。この家に入った時からずっと変わりません。でも嫌がる愛を無理やり進学させるのもかわいそうです。もっといい解決策はありませんかねお義母さん」
婿の典型的な答えだと思った。雅恵はどっちだかはっきりしろと言いたかった。でもこの男がこの家を円滑に進めてくれている。これ以上を望むのは贅沢だと感じた。
「愛には奔放に生きて欲しいんです。ご先祖様のお陰でこうして家賃収入があります。それだけでもこの家は恵まれています。贅沢しなければ一家が食べて行けるだけは確保されています。愛はそれを利用してボランティア活動をしたいと考えているようです。あたし達に出来なかったことをあの子にはさせてあげたい」
俊司が立ち上がった。
「愛の考えは素晴らしい、それを応援するお義母さんはもっと素晴らしい、私からも栄子に話してみましょう。自信はありませんけどね」
俊司が笑って言った。雅恵は礼を言って茶盆を片付けた。
「あらこんにちは」
弁天茶屋の女将が弁天堂の中を覗いている愛を見つけた。
「こんにちは、ぜんざいください」
「いいわよ、無理に注文しなくても」
愛は顔を合わせた都合上何かを頼まないと悪いような気がした。それを女将は察していた。
「すいません」
実は金を所持していない。行き帰り徒歩で自宅から弁当を持参する愛には現金は不要でほとんど持ち歩いていない。
「コーヒーあたしが奢るから来なさい」
女将に誘われてテラスに座った。
「いただきます」
アイスコーヒーをストローで一気飲みした。
「そんなに喉が渇いていたの?」
愛が頷くと女将が笑った。
「おばあちゃんは来ないの?」
「今日は誘わずに来ました」
「どうして?」
愛は返答に困った。それは次元の境に顔を出した時に、相馬を見たからである。吸い込まれそうな笑顔に恋をしてしまった。とても雅恵には言えることではない。しかし相馬の顔を思い浮かべると胸がときめいてしまう。自分一人で次元の境に行き、相馬と話がしたかった。それで今日は雅恵を誘わなかったのである。
「女将さんは本当に鐘突きのおじさんを見たことがありませんか?」
三年前の洪鐘祭の案内に使われた一枚の写真に写っている鐘突き男である。山ノ内八雲神社氏子会が監修したものである。愛は同じ場所にいるのに見たことがないと言う女将が不思議だった。
「ないわ、一度も。あなたが特別な人間なのよきっと。神様の近くに居てもいいよと許された人だと思う。だから普通の人には見えない神様の力が見えるんだわ。そう言う力を持った人は他にもいるわ」
「おばあちゃんも見たんです、60年前の洪鐘祭の日に」
「あなたのおばあちゃん一人で見たの?」
「いえ、元カレと一緒でした」
うっかり言ってしまった。
「もしかしたおばあちゃんか元カレが神様に許された人かもしれない」
「女将さん、お願いがあるんです」
「なあに?ぜんざいは今日はお終いよ」
「あたしと一緒に弁天様にお祈りしてくれませんか?」
女将は朝晩必ず手を合わせている。
「いいわよ。でも危険なことはしないでね」
「はい、ありがとうございます」
二人は弁天堂に手を合わせた。手を合わせじっと変化を待った。しかし鐘突きの男は出てこない。
「諦めなさい、おばさんは神様の目に留まらないのよ。毎日神様の下働きをしているからね、それでいいの」
愛は残念だった。だがお茶屋の女将に頼ったこと自体迷惑を掛けてしまった。
「すいません」
愛が謝った。
「明日ぜんざい奢ってあげるからおばあちゃんと友達と三人で来なさい」
そう言ってまた弁天に手を合わせた。その時風向きが変わった。北風が愛のスカートを翻した。
「女将さん」
女将と愛が肩を寄せた。弁天堂の左の格子戸が開いた。男が笑いながら出て来た。
「しょうがねえなあ、大サービスだ」
男が喋った。足袋を履いて浴衣の裾を端折った。手拭いをぐるぐると丸め鉢巻きにした。橦木を二度振った。三度目は大きく引いた。
「女将さん来るよ」
愛が女将と抱き合った。グア~ンと鐘の音が広がっていく。次元の境目が揺れてぼやける。愛の身体が浮いた。女将の手の中をスルスルと抜けた。鐘の音が止んだ。愛が消えていた。
「ああっ、愛ちゃん、愛ちゃん」
女将が慌てる。テラスに行くとコーヒーグラスがある。氷が解けカタッと崩れて、ストローが傾いた。
「おい、緊急だ」
消防団に人捜しの声が掛かったのは日が暮れた後だった。
「どこだ?」
消防団長の後藤は全ての団員に連絡をした。
「集合円覚寺山門」
ほとんどの団員が集合した。地元の商店や職人の二世三世が多い消防団は結束が固い。
「どうした?」
消防団の最ベテラン矢島は次男の亨を連れて来ていた。
「あれ、君は誰だったかな?」
後藤が亨を冷かした。
「ごっちゃん、こいつ団に入れてやってくれ」
「頼もしいぜ」
矢島が亨の肩を叩いた。
「亨」
長谷川誠二が遅れて合流した。消防団だけではなく近隣住民も協力している。
「みんな聞いてくれ、時間はないから簡単に説明する。高宮さんとこの愛ちゃんが行方不明になった。警察にも届けたがあまりにも不思議な話だから動いちゃくれない。弁天堂のお茶屋さんが愛ちゃんと一緒にいてあっと言う間に消えたそうだ。もしかした、テラスから落ちたかもしれない。藪の中で気を失っている可能性もある。全員で藪の中を捜索する。何か質問は?」
愛の父親、俊二が頭を下げた。
「みなさん、ありがとうございます。愛を捜してください。ですが暗中です。みなさんに怪我をされては困ります。危険と思われたら中止を決断されてください」
俊司に合わせて母の栄子が深く頭を下げた。
「よし、単独は駄目だぞ、二人一組で掛かれ。スマホを落とすなよ、連絡取り合うぞ。よし掛かれ」
それぞれが藪に入り込む。
「おい誠二、愛ちゃんてお前のマドンナじゃないか」
誠二が亨とコンビを組んで藪に入った。
「愛ちゃん、愛ちゃん」
誠二は動転して亨の声が聞こえない。
「誠二、誠二、しっかりしろ。きっと無事に見つかる。そしたら告白しろ」
誠二が頷いた。
「女将さん、もう一度愛が消えた時の状況を教えてください」
団長の後藤が茶屋の女将に訊ねた。女将は繰り返し何度も話している。警察には笑われてしまった。
「何度言っても変わりません。私の腕を抜けてするすると上に飛んで行ったんです」
「でっかい鷹に攫われたか」
竹田がおちょくった。
「竹田、女将さんは本気だよ。茶化すんじゃない」
後藤が叱る。
「女将さん」
雅恵が声を掛けた。
「おばあちゃん」
女将は雅恵を見て緊張が解れた。溜まっていた悲しさが爆発して泣き出した。
「女将さん、あたしはあなたの言うことを信じます。経験していますから。やっぱり鐘突きの男が出て来たんでしょ?」
「そうなんです。愛ちゃんと二人で弁天様に手を合わせたんですけど変化がなくて、私じゃ駄目なのよと愛ちゃんに言ったんです。そしてもう一度手を合わせたら『大サービスだ』って男が笑って出て来ました」
雅恵は60年前に二度、そして愛と一緒に二度経験している。女将の言うことが手に取るように分かる。
「それで男が鐘を突いたら空気が揺れて愛が引っ張り上げられたんでしょ?」
「そうです。あたしがもっとしっかり握っていれば愛ちゃんが連れ去られずに済んだのに」
「愛は女将さんに抱き付きませんでしたか?」
女将は想い出している。愛は身体をよじっていたような気がした。自分で飛び上がっていたのではないかと感じた。
「もしかしたら愛ちゃんは自分で行く気があったんではないでしょうか」
雅恵もそんな気がした。普通なら八雲神社まで迎えに来る、それが今日に限って一人で弁天堂に来た。
「おばあちゃん」
愛にラインが通じず心配した里美が駆け付けた。
「里美」
雅恵が抱き締めた。
「おばあちゃん、愛が消えたって本当?」
「ああ、消防の人達で山狩りをしている」
「そんなの無理に決まってんじゃん。愛はあっちの世界に居るんだよ。あたし達で連れ出してやろうよ」
里美は冷静だった。
「連れ出すってどうやって?」
「おばあちゃんが顔を出して愛を掴んで連れ帰るんだよ」
「そんなこと出来るかねえ」
「やってみよう、女将さんにも手伝ってもらって」
「今は消防の人達がいるから鐘突き男は出て来ないと思うよ」
雅恵はライトアップされた弁天堂では希望は叶わないと思った。
「それにあたし達だけで大丈夫かしら」
女将は心配になった。
「頼んでも誰も信用してくれないだろうねえ」
そこへ誠二と亨のコンビが藪から出て来た。誠二が雅恵に近付いた。
「僕達きっと捜し出しますから」
誠二が一礼した。
「ねえあんた達」
女将はこの二人を知っている。消防団は円覚寺塔頭もその管理下にある。細い路や坂道階段が多い古刹名刹は大型の消防車が入れない場所が多い。消防団の小回りの利いた消火活動が欠かせない。
「なんでしょうか?」
女将が辺りを見回した。
「あとで力を貸して欲しいんだけど」
「なんでも言い付けてください」
「しーっ」
誠二の大声を里美が制した。
「何か?」
誠二はどうして声を止められたか分からない。
「空気読んでよ」
里美が誠二に言った。
「空気?」
「そう空気。あのさ、女将さんが手招きした時点で内緒話だって気が付かない?」
「はい、すいませんでした」
「分かればいいわよ、あのね愛はあっちの世界に入ってしまったの」
「あっち?」
誠二と亨が同時に声を出した。
「そうあっちの世界。だからこっちに連れ出すの」
「こっち?」
また声が揃った。
「そうこっちに。そんなに驚かないで、あなた達はしっかり押さえてくれればいいの」
里美が言うと二人は曖昧に返事をした。藪から出て来た消防団員達が茶屋のテラス前に集まった。
「高宮さん、こんなこと訊くの失礼だけど愛ちゃんは家出したとは考えられませんか?」
後藤が高宮俊司に確認した。
「そんなことは考えられませんが?」
俊司は首を捻る。
「まさか」
北鎌の教師達も愛の捜索に協力している。その中に担任の加山がいる。
「まさかとは何ですか?」
「あの子は進学を嫌がっていました。私は勧めていたんですが愛は今一乗り気じゃない。来週早々に家庭訪問してご両親を交えて進路相談をすることにしていました」
「それが嫌で家出した?」
後藤がたまげた。
「理由としては薄いような気がしますが。そう言えば昔栄子さんが高校生の頃家出したのを覚えていますよ。やっぱり捜しに行きましたから」
後藤が言うと栄子は恥ずかしくて下を向いた。
「ああ、俺も行った。親の真似をしたわけじゃねえだろうなあ」
消防のベテランが冷かした。
「申し訳ありませんが雨が降って来たので今日の捜索はいったん中止にします。明日の朝、午前6時から再開します。みんな来れる人は来てくれ」
後藤が全員に協力を促した。
「あ疲れ様でした。またあしたお願いします」
高宮夫妻が深く頭を下げた。協力した一人一人が高宮家族に声を掛けて階段を下り始めた。
「あたし達も降りましょうおばあちゃん」
栄子が雅恵に声を掛けた。
「お義母さん薄暗いから気を付けてくださいよ」
俊司が雅恵の手を取ろうとした。
「あたしはもう少しここで待ってみるよ」
雅恵の態度に高宮夫妻は首を傾げた。
「おばあちゃん、何言ってるの、おばあちゃんが身体壊したら愛が見つかった時どうするの?一番におばあちゃんに抱き付くでしょ」
栄子が諭すように言った。
「お義母さん、栄子の言う通りだよ。愛はきっと助かりますよ。どこかで雨宿りしているのかもしれない。それに雨も降りだしたし、風邪ひきますよ」
愛が心配で胸が張り裂けそうな俊司だがここは主として気丈に振る舞った。
「雨は止んできましたよ。ほら半月がぼんやり見えてきました」
「そうねえ、南風が強いからこのまま雨は止むわね」
里美の言葉に女将が付け足した。
「お願い、もう少し待たせて」
雅恵が祈るように手を合わせた。娘夫婦の気遣いは痛いほど分かる。
「おばあちゃん、無理言わないで」
「あのう、僕等がおばあちゃんをしっかり送ります」
誠二が一歩前に出た。
「あなたは長谷川君、それに矢島さんとこの名前何てったっけ」
俊司は町内の活動に参加しているから二人をよく知っている。
「次男の亨です。今日から消防団に入りました」
「そう、そりゃ良かった。だけどどうしてうちのおばあちゃんを助けてくれるの?」
「それは・・・」
誠二は言葉に詰まった。娘の愛に惚れているとは言えない。
「おばあちゃんの愛ちゃんを想う気持ちがよく分かるんです。こんな風に愛されたら羨ましいと思いました。お願いです、僕等がしっかり送ります。おばあちゃんをもう少しここに居させてあげてください」
誠二と亨が頭を下げた。高宮夫妻は困った。
「あのう、もし雨が降り出したら店の中に入ります。暖房もあるし食べ物もあります。どうか私からもお願いします」
茶屋の女将も頭を下げた。高宮夫婦は見合わせて頷いた。
「何かあればすぐに電話をください。おばあちゃん、愛のことお願いします」
俊司が栄子の背を押して階段を下り始めた。
「なんですかお義母さんいきなり、私は栄子が好きで好きでたまらない。だから栄子が良ければそれでいいんです。お義母さんもいい人だし愛も普通に育った。いい事尽くしじゃありませんか。こんな幸せありませんよ」
俊司は満開の桜を想像しながら茶を啜った。
「ところで俊司さんは愛のことどう考えていますか?」
「進学か就職かはたまたプー子かですね?」
雅恵が笑った。
「栄子は短大一本で進めるそうですけど本人が嫌なら無理に行かせてもと思うんですが」
雅恵は過去を思い浮かべていた。進路で母と喧嘩したことがある。当時の一般家庭では女が大学進学などあまり考えなかった。就職して会社でいい男でも見つかればそれで円満。雅恵は就職も拒んだ。家業の旅館を継ぐことを祖父と約束していた。一人娘だから婿を取り旅館経営で生活することを高校生の時から考えていた。しかし旅館経営の困難は将来も改善を見ないと父親が廃業を決断しアパート経営に舵を切った。雅恵は大反対だったが、当時の親の思いを今になってしみじみと感じていた。父の判断は正しかったと仏壇に手を合わせる度に反抗したことを詫びている。
「私も短大に行って欲しいと思っています。しつこいようですが先ず栄子が喜ぶのが嬉しい。栄子が喜んでいるのが私にとって最高の人生なんです。この家に入った時からずっと変わりません。でも嫌がる愛を無理やり進学させるのもかわいそうです。もっといい解決策はありませんかねお義母さん」
婿の典型的な答えだと思った。雅恵はどっちだかはっきりしろと言いたかった。でもこの男がこの家を円滑に進めてくれている。これ以上を望むのは贅沢だと感じた。
「愛には奔放に生きて欲しいんです。ご先祖様のお陰でこうして家賃収入があります。それだけでもこの家は恵まれています。贅沢しなければ一家が食べて行けるだけは確保されています。愛はそれを利用してボランティア活動をしたいと考えているようです。あたし達に出来なかったことをあの子にはさせてあげたい」
俊司が立ち上がった。
「愛の考えは素晴らしい、それを応援するお義母さんはもっと素晴らしい、私からも栄子に話してみましょう。自信はありませんけどね」
俊司が笑って言った。雅恵は礼を言って茶盆を片付けた。
「あらこんにちは」
弁天茶屋の女将が弁天堂の中を覗いている愛を見つけた。
「こんにちは、ぜんざいください」
「いいわよ、無理に注文しなくても」
愛は顔を合わせた都合上何かを頼まないと悪いような気がした。それを女将は察していた。
「すいません」
実は金を所持していない。行き帰り徒歩で自宅から弁当を持参する愛には現金は不要でほとんど持ち歩いていない。
「コーヒーあたしが奢るから来なさい」
女将に誘われてテラスに座った。
「いただきます」
アイスコーヒーをストローで一気飲みした。
「そんなに喉が渇いていたの?」
愛が頷くと女将が笑った。
「おばあちゃんは来ないの?」
「今日は誘わずに来ました」
「どうして?」
愛は返答に困った。それは次元の境に顔を出した時に、相馬を見たからである。吸い込まれそうな笑顔に恋をしてしまった。とても雅恵には言えることではない。しかし相馬の顔を思い浮かべると胸がときめいてしまう。自分一人で次元の境に行き、相馬と話がしたかった。それで今日は雅恵を誘わなかったのである。
「女将さんは本当に鐘突きのおじさんを見たことがありませんか?」
三年前の洪鐘祭の案内に使われた一枚の写真に写っている鐘突き男である。山ノ内八雲神社氏子会が監修したものである。愛は同じ場所にいるのに見たことがないと言う女将が不思議だった。
「ないわ、一度も。あなたが特別な人間なのよきっと。神様の近くに居てもいいよと許された人だと思う。だから普通の人には見えない神様の力が見えるんだわ。そう言う力を持った人は他にもいるわ」
「おばあちゃんも見たんです、60年前の洪鐘祭の日に」
「あなたのおばあちゃん一人で見たの?」
「いえ、元カレと一緒でした」
うっかり言ってしまった。
「もしかしたおばあちゃんか元カレが神様に許された人かもしれない」
「女将さん、お願いがあるんです」
「なあに?ぜんざいは今日はお終いよ」
「あたしと一緒に弁天様にお祈りしてくれませんか?」
女将は朝晩必ず手を合わせている。
「いいわよ。でも危険なことはしないでね」
「はい、ありがとうございます」
二人は弁天堂に手を合わせた。手を合わせじっと変化を待った。しかし鐘突きの男は出てこない。
「諦めなさい、おばさんは神様の目に留まらないのよ。毎日神様の下働きをしているからね、それでいいの」
愛は残念だった。だがお茶屋の女将に頼ったこと自体迷惑を掛けてしまった。
「すいません」
愛が謝った。
「明日ぜんざい奢ってあげるからおばあちゃんと友達と三人で来なさい」
そう言ってまた弁天に手を合わせた。その時風向きが変わった。北風が愛のスカートを翻した。
「女将さん」
女将と愛が肩を寄せた。弁天堂の左の格子戸が開いた。男が笑いながら出て来た。
「しょうがねえなあ、大サービスだ」
男が喋った。足袋を履いて浴衣の裾を端折った。手拭いをぐるぐると丸め鉢巻きにした。橦木を二度振った。三度目は大きく引いた。
「女将さん来るよ」
愛が女将と抱き合った。グア~ンと鐘の音が広がっていく。次元の境目が揺れてぼやける。愛の身体が浮いた。女将の手の中をスルスルと抜けた。鐘の音が止んだ。愛が消えていた。
「ああっ、愛ちゃん、愛ちゃん」
女将が慌てる。テラスに行くとコーヒーグラスがある。氷が解けカタッと崩れて、ストローが傾いた。
「おい、緊急だ」
消防団に人捜しの声が掛かったのは日が暮れた後だった。
「どこだ?」
消防団長の後藤は全ての団員に連絡をした。
「集合円覚寺山門」
ほとんどの団員が集合した。地元の商店や職人の二世三世が多い消防団は結束が固い。
「どうした?」
消防団の最ベテラン矢島は次男の亨を連れて来ていた。
「あれ、君は誰だったかな?」
後藤が亨を冷かした。
「ごっちゃん、こいつ団に入れてやってくれ」
「頼もしいぜ」
矢島が亨の肩を叩いた。
「亨」
長谷川誠二が遅れて合流した。消防団だけではなく近隣住民も協力している。
「みんな聞いてくれ、時間はないから簡単に説明する。高宮さんとこの愛ちゃんが行方不明になった。警察にも届けたがあまりにも不思議な話だから動いちゃくれない。弁天堂のお茶屋さんが愛ちゃんと一緒にいてあっと言う間に消えたそうだ。もしかした、テラスから落ちたかもしれない。藪の中で気を失っている可能性もある。全員で藪の中を捜索する。何か質問は?」
愛の父親、俊二が頭を下げた。
「みなさん、ありがとうございます。愛を捜してください。ですが暗中です。みなさんに怪我をされては困ります。危険と思われたら中止を決断されてください」
俊司に合わせて母の栄子が深く頭を下げた。
「よし、単独は駄目だぞ、二人一組で掛かれ。スマホを落とすなよ、連絡取り合うぞ。よし掛かれ」
それぞれが藪に入り込む。
「おい誠二、愛ちゃんてお前のマドンナじゃないか」
誠二が亨とコンビを組んで藪に入った。
「愛ちゃん、愛ちゃん」
誠二は動転して亨の声が聞こえない。
「誠二、誠二、しっかりしろ。きっと無事に見つかる。そしたら告白しろ」
誠二が頷いた。
「女将さん、もう一度愛が消えた時の状況を教えてください」
団長の後藤が茶屋の女将に訊ねた。女将は繰り返し何度も話している。警察には笑われてしまった。
「何度言っても変わりません。私の腕を抜けてするすると上に飛んで行ったんです」
「でっかい鷹に攫われたか」
竹田がおちょくった。
「竹田、女将さんは本気だよ。茶化すんじゃない」
後藤が叱る。
「女将さん」
雅恵が声を掛けた。
「おばあちゃん」
女将は雅恵を見て緊張が解れた。溜まっていた悲しさが爆発して泣き出した。
「女将さん、あたしはあなたの言うことを信じます。経験していますから。やっぱり鐘突きの男が出て来たんでしょ?」
「そうなんです。愛ちゃんと二人で弁天様に手を合わせたんですけど変化がなくて、私じゃ駄目なのよと愛ちゃんに言ったんです。そしてもう一度手を合わせたら『大サービスだ』って男が笑って出て来ました」
雅恵は60年前に二度、そして愛と一緒に二度経験している。女将の言うことが手に取るように分かる。
「それで男が鐘を突いたら空気が揺れて愛が引っ張り上げられたんでしょ?」
「そうです。あたしがもっとしっかり握っていれば愛ちゃんが連れ去られずに済んだのに」
「愛は女将さんに抱き付きませんでしたか?」
女将は想い出している。愛は身体をよじっていたような気がした。自分で飛び上がっていたのではないかと感じた。
「もしかしたら愛ちゃんは自分で行く気があったんではないでしょうか」
雅恵もそんな気がした。普通なら八雲神社まで迎えに来る、それが今日に限って一人で弁天堂に来た。
「おばあちゃん」
愛にラインが通じず心配した里美が駆け付けた。
「里美」
雅恵が抱き締めた。
「おばあちゃん、愛が消えたって本当?」
「ああ、消防の人達で山狩りをしている」
「そんなの無理に決まってんじゃん。愛はあっちの世界に居るんだよ。あたし達で連れ出してやろうよ」
里美は冷静だった。
「連れ出すってどうやって?」
「おばあちゃんが顔を出して愛を掴んで連れ帰るんだよ」
「そんなこと出来るかねえ」
「やってみよう、女将さんにも手伝ってもらって」
「今は消防の人達がいるから鐘突き男は出て来ないと思うよ」
雅恵はライトアップされた弁天堂では希望は叶わないと思った。
「それにあたし達だけで大丈夫かしら」
女将は心配になった。
「頼んでも誰も信用してくれないだろうねえ」
そこへ誠二と亨のコンビが藪から出て来た。誠二が雅恵に近付いた。
「僕達きっと捜し出しますから」
誠二が一礼した。
「ねえあんた達」
女将はこの二人を知っている。消防団は円覚寺塔頭もその管理下にある。細い路や坂道階段が多い古刹名刹は大型の消防車が入れない場所が多い。消防団の小回りの利いた消火活動が欠かせない。
「なんでしょうか?」
女将が辺りを見回した。
「あとで力を貸して欲しいんだけど」
「なんでも言い付けてください」
「しーっ」
誠二の大声を里美が制した。
「何か?」
誠二はどうして声を止められたか分からない。
「空気読んでよ」
里美が誠二に言った。
「空気?」
「そう空気。あのさ、女将さんが手招きした時点で内緒話だって気が付かない?」
「はい、すいませんでした」
「分かればいいわよ、あのね愛はあっちの世界に入ってしまったの」
「あっち?」
誠二と亨が同時に声を出した。
「そうあっちの世界。だからこっちに連れ出すの」
「こっち?」
また声が揃った。
「そうこっちに。そんなに驚かないで、あなた達はしっかり押さえてくれればいいの」
里美が言うと二人は曖昧に返事をした。藪から出て来た消防団員達が茶屋のテラス前に集まった。
「高宮さん、こんなこと訊くの失礼だけど愛ちゃんは家出したとは考えられませんか?」
後藤が高宮俊司に確認した。
「そんなことは考えられませんが?」
俊司は首を捻る。
「まさか」
北鎌の教師達も愛の捜索に協力している。その中に担任の加山がいる。
「まさかとは何ですか?」
「あの子は進学を嫌がっていました。私は勧めていたんですが愛は今一乗り気じゃない。来週早々に家庭訪問してご両親を交えて進路相談をすることにしていました」
「それが嫌で家出した?」
後藤がたまげた。
「理由としては薄いような気がしますが。そう言えば昔栄子さんが高校生の頃家出したのを覚えていますよ。やっぱり捜しに行きましたから」
後藤が言うと栄子は恥ずかしくて下を向いた。
「ああ、俺も行った。親の真似をしたわけじゃねえだろうなあ」
消防のベテランが冷かした。
「申し訳ありませんが雨が降って来たので今日の捜索はいったん中止にします。明日の朝、午前6時から再開します。みんな来れる人は来てくれ」
後藤が全員に協力を促した。
「あ疲れ様でした。またあしたお願いします」
高宮夫妻が深く頭を下げた。協力した一人一人が高宮家族に声を掛けて階段を下り始めた。
「あたし達も降りましょうおばあちゃん」
栄子が雅恵に声を掛けた。
「お義母さん薄暗いから気を付けてくださいよ」
俊司が雅恵の手を取ろうとした。
「あたしはもう少しここで待ってみるよ」
雅恵の態度に高宮夫妻は首を傾げた。
「おばあちゃん、何言ってるの、おばあちゃんが身体壊したら愛が見つかった時どうするの?一番におばあちゃんに抱き付くでしょ」
栄子が諭すように言った。
「お義母さん、栄子の言う通りだよ。愛はきっと助かりますよ。どこかで雨宿りしているのかもしれない。それに雨も降りだしたし、風邪ひきますよ」
愛が心配で胸が張り裂けそうな俊司だがここは主として気丈に振る舞った。
「雨は止んできましたよ。ほら半月がぼんやり見えてきました」
「そうねえ、南風が強いからこのまま雨は止むわね」
里美の言葉に女将が付け足した。
「お願い、もう少し待たせて」
雅恵が祈るように手を合わせた。娘夫婦の気遣いは痛いほど分かる。
「おばあちゃん、無理言わないで」
「あのう、僕等がおばあちゃんをしっかり送ります」
誠二が一歩前に出た。
「あなたは長谷川君、それに矢島さんとこの名前何てったっけ」
俊司は町内の活動に参加しているから二人をよく知っている。
「次男の亨です。今日から消防団に入りました」
「そう、そりゃ良かった。だけどどうしてうちのおばあちゃんを助けてくれるの?」
「それは・・・」
誠二は言葉に詰まった。娘の愛に惚れているとは言えない。
「おばあちゃんの愛ちゃんを想う気持ちがよく分かるんです。こんな風に愛されたら羨ましいと思いました。お願いです、僕等がしっかり送ります。おばあちゃんをもう少しここに居させてあげてください」
誠二と亨が頭を下げた。高宮夫妻は困った。
「あのう、もし雨が降り出したら店の中に入ります。暖房もあるし食べ物もあります。どうか私からもお願いします」
茶屋の女将も頭を下げた。高宮夫婦は見合わせて頷いた。
「何かあればすぐに電話をください。おばあちゃん、愛のことお願いします」
俊司が栄子の背を押して階段を下り始めた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました
東野あさひ
ファンタジー
無能の烙印、婚約破棄、そして辺境追放――。でもそれ、全部“勘違い”でした。
王国随一の名門貴族令嬢ノクティア・エルヴァーンは、魔力がないと断定され、婚約を破棄されて辺境へと追放された。
だが、誰も知らなかった――彼女が「古代魔術」の適性を持つ唯一の魔導士であることを。
行き着いた先は魔物の脅威に晒されるグランツ砦。
冷徹な司令官カイラスとの出会いをきっかけに、彼女の眠っていた力が次第に目を覚まし始める。
無能令嬢と嘲笑された少女が、辺境で覚醒し、最強へと駆け上がる――!
王都の者たちよ、見ていなさい。今度は私が、あなたたちを見下ろす番です。
これは、“追放令嬢”が辺境から世界を変える、痛快ざまぁ×覚醒ファンタジー。
王女様は聖女様?おてんば姫の大冒険~ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しに行きます!~
しましまにゃんこ
ファンタジー
アリシア王国の第3王女ティアラ姫には誰にも言えない秘密があった。
それは自分が全属性の魔力を持ち、最強のチート能力を持っていた「建国の賢者アリシア」の生まれ変わりであること!
8才の誕生日を境に前世の記憶を取り戻したものの、500年後に転生したことを知って慌てる。なぜなら死の直前、パートナーのドラゴンに必ず生まれ変わって会いにいくと約束したから。
どこにいてもきっとわかる!と豪語したものの、肝心のドラゴンの気配を感じることができない。全属性の魔力は受け継いだものの、かつての力に比べて圧倒的に弱くなっていたのだ!
「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」
かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。
しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。
「今度こそ、私が世界を救って見せる!」
失われたドラゴンと世界の破滅を防ぐため、ティアラ姫の冒険の旅が今、始まる!
剣と魔法が織りなすファンタジーの世界で、アリシア王国第3王女として生まれ変わったかつての賢者が巻き起こす、愛と成長と冒険の物語です。
イケメン王子たちとの甘い恋の行方もお見逃しなく。
小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。
【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました
小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。
しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!?
助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、
「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。
幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。
ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく!
ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー
神様!スローライフには準備が多すぎる!
わか
ファンタジー
超超超ご都合主義
人に興味が無い社会人の唯一の趣味が
な〇う系やアルファポリスでファンタジー物語を、ピッ〇マやLIN〇漫画で異世界漫画を読み漁る事。
寝る前にはあるはずないのに
「もし異世界に転生するならこのスキルは絶対いるしこれもこれも大事だよね」
とシュミレーションして一日が終わる。
そんなどこでもいる厨二病社会人の
ご都合主義異世界ファンタジー!
異世界ファンタジー系物語読みまくってる私はスローライフがどれだけ危険で大変か知ってます。
お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
ファンタジー
17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。
記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。
そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。
「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」
恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる