サンタが街に男と女とB29

壺の蓋政五郎

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サンタが街に男と女とB29 1

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おとこ 

「おい浩、散歩に付き合ってくれないか?」
 父はバルコニーからガラス越しに言った。
「ああ」
 ソファーで転寝をしていた私は生返事をした。生返事をしてまた意識が遠くなった。うちの十四階から広がる展望は中々のもので、市街地が百八十度見渡せる。野毛山からみなとみらい地区、伊勢佐木町から関内駅周辺、横浜球場からベイブリッジまでも一望できる。反対側には富士山が存在しているが我が家からは死角となっている。日本一の絶景は隣人が独占している。最近は高層マンションが乱立したせいで、山下公園の海は見えなくなってしまった。
「父さんもう少しゆっくりしようよ」
「いや今すぐに行きたい」
 父は難しい顔をしてじっと空を眺めていた。
「六十年前の今日、みんな一斉に逃げた。逃げる方向なんてない。人の後を追いかけるように走っただけだ」
 六十年前の今日、横浜大空襲があった。父がその中を生き延びた話は聞いていた。バルコニーから見下ろす一帯が火の海になり地獄絵図のごとき光景がよぎったのかもしれない。携帯電話で時刻を確認すると午後二時であった。平成十七年五月二十八日、その日は父の七十六回目の誕生日で、朝の九時頃から酒盛りを始め、昼前にはそれぞれがソファーに横になり寝入ってしまった。私は横浜の中区にある公団住宅で家内と二人で暮している。家内も私もひどい花粉アレルギーで、毎年二月初めから、その予防策に追われる嫌な季節である。以前は、『花粉症』などという誰が名付けたかわからぬ自然の悪戯に、まんまと嵌ってしまった人達を小ばかにしていた。だが五年前からはその罰が当たったのか、顔の半分を覆ってしまうほどの、大袈裟なマスクをして外出しなければならないほど重症になってしまった。家内は台湾人で、この時期になると毎年退散と決め込んでいた。退散とは台湾に帰国することである。一歩表に出るだけで鼻は詰まるは目は痒いはで買い物にさえ出られない状態である。
「横浜で我慢しているより、実家に帰って慣れた空気を吸い、友人と羽を伸ばした方がよっぽどいい」
私のアドバイスに、家内は二つ返事で決めたのだった。そんなわけで三月初めから、ゴールデンウイークの明ける二ヵ月半の間は毎年恒例の別居生活となっている。例年であればとうに戻って来ているのだが、実家の塗料卸問屋が忙しく、母親から二週間ばかり手伝っていくよう懇願され、やむなく帰国を遅らすと、連休明けに連絡があった。家内はしぶしぶ承諾したような口ぶりであったが内心は喜んでいるに違いない。私の方も二ヶ月半が三ヶ月に延びたところで特に不便を感じることはなかった。毎年恒例となった家内の帰郷は、次第にお互いの楽しみになってきたことも否定できない。ある意味夫婦円満の秘訣となっているのかもしれない。
「父さん、ドア閉めてくれないか、花粉が侵入してくるのが見える」
 今年の花粉は量も期間も尋常ではなく、もう六月になろうというのに市街地を徘徊している。もしかしたら私が過剰に反応しているだけで、既に収まっているかもしれなかった。そういえば通勤帯に見かけるマスクマンは極端に少なくなっていた。
 父が部屋に入って来た。私がくしゃみの連発で迎えると情けなさそうに笑った。
「浩、行かないか散歩?億劫なら私独りで行ってくるが」
「どっか行きたいとこでもあるの?それともなんか美味いもん想い出したとか?」
「うん、随分変わったからこの辺、あの日必死になって逃げた辺りを回ってみたいと思ってな」
「あの日って空襲?」
「ああ、それに父さんのわがままが叶うなら、謝りたい人が、もしかしたらこの近くにいるかもしれない。」
「誰それ?」
「母さんと知り合うずっと以前に付き合った女性だ。戦争のどさくさに紛れて嘘をついてしまった」
「ちょっと待ってすぐに着替えるから」
 父が横浜で空襲にあった話は何度も聞いていた。しかしその概要だけで、具体的なことは何一つ訊くことはできないでいた。それは親子の照れというか、話の最後に労わりの言葉を贈るのが恥ずかしかったからでもある。本当は一部始終を詳しく、父の脳味噌から引っ掻き出してでも、あの日のことを訊きだしたかった。そのチャンスのような気がした。私は特大マスクで顔を覆い父のあとに続いた。
「どっから行く?」
「そうだなあ、川っ淵を下ってみようか」
私達は山田町から中村川に出て、川沿いを元町方面に向かった。

おんな

「おばあちゃん、行ってくるね」
「ああ、気をつけて行きなさい、帰りは?」
「うん、意外と早いと思う、なんか買ってくるから何も作らないで待ってて」
「いいからゆっくりと楽しんできなさい」
 祖母は毎年五月の二十八と二十九の二日間、通常より遅くまで店を開けています。五十センチしかないガラスの小窓を細く開けて、その狭い視界の先をじっと見つめているのでした。私の父母は、私が十五の時に交通事故で亡くなりました。それから二十年、祖母と二人暮らしをしています。恋愛は何度かしましたがいずれもまとまりませんでした。祖母を一人にできないからと言ったら嘘になります。でも近所では祖母思いのいい孫娘で通っています。もう去年あたりからそれで通そうと決めました。現在付き合っている人も、このままの付き合いで構わないと言ってくれました。うちは代々続いている煙草屋で、彼は煙草屋に婿に入るわけにはいかないとはっきりと断ってきたのです。私も立場が逆ならそういう答えを出したでしょう。でも彼は私を待つとも言ってくれました。待つというのは、祖母が死に、私が煙草屋を畳むことだとわかっています。
「おばあちゃん長生きするよ、きっと」
「そうか、僕達が先に死んじゃったりして、ははは」
「冗談ではありません、最近私より食がいいのよ、朝だって必ず二膳いただくんですから。それに毎朝散歩しているのよ、元町から桜木町の方まで、八キロも歩くんですってよ」
「そりゃあ凄いな、スーパーおばあちゃんだな。僕等より長生きする価値がある」
 私は彼の気持ちが嬉しかった。しかし祖母はいたって元気で、冗談がそうでなくなってしまうかもしれないと、少し馬鹿げた不安を抱くようになっていました。祖母には長生きして欲しい、もし祖母の生存中に、彼に好きな人ができたら、それで諦めようと決めていました。
「おばあちゃん幾つだっけ?」
「七十八」
「それじゃあ、横浜の大空襲は経験しているんだね」
「ええ、それだけじゃないわ、空襲を経験しなければ、私は今日こうしてあなたと一緒にいられなかったのよ」
「ほう、それはどういうこと、まさか君のおじいさんはテキサス生まれじゃないだろうねえ」
 私達は、新高島町に二月にオープンした劇場を目指し、ゆっくり歩きながら話していました。
「六十年前ねえ」
「そう六十年前」

おとこ

「何時頃だったの?」
「何が?」
「空襲。父さん学生で、勤労動員で川崎の工場で働いていたって」
「ああ、造船所で働いていた。十人ぐらいだったかな、あの日防災訓練があり、バスで川崎から横浜まで行った。横浜に着いたのは八時半を過ぎたばかりだと思う」
 寿町には昼間から酔っ払って道路に転がっている輩が数人いた。中村川沿いにはブルーシートで覆われたハウスが並んでいる。小屋の周りには所狭しと金属類の容器が置かれている。自分で使用する物なのか、廃品回収に出して幾らかの糧にするつもりなのかはわからない。人ひとり入るのがやっとぐらいのハウスの住人が、隣の大きなハウスの住人に幾度も頭を下げている。通りすがりに聞き耳を立てると、どうも糞尿の処理について注意をされているようだ。真っ赤な顔をした大きなハウスの家主は、太くかすれた声で痩せた隣人を罵倒している。確かに両家の周りを見ると一目瞭然で、糧としている金属片の置き方を見ても整理整頓の程度に相当の開きがある。だらしない男がきれい好きな男に説教されている。訳があってこのどぶ川沿いで暮らすようになってしまったのだろうが、こんな人生の行き止まりの淵にも、上下関係は成立していて、求めていたに違いない自由が存在しないことを叩きつけられた住人たちを思うと私は鳥肌が立った。
「当時より酷くなったなあ」
 父が浮浪者の争いを見て溢した。乱立するのっぽビル、その下のどぶ川を保護色にして隠れ住む彼等が、父には六十年前に被災し、命懸けで生き抜いた人達と比べて惨めな気持ちになったのだろう。
「もう少し前かな、八時を回ったばかりだったかもしれない。訓練会場について間もなく空襲警報がなった。まあ造船所を出たときから警戒警報は出ていたがね」

「おい、なんだあれ」
「みんな逃げろ、走れ、固まるな、ばらばらに逃げろ」
引率の軍関係者は言うが早いか逃げて行った。
「三太郎、はぐれたら川崎駅で待ち合わせだ」
「おう浩、死ぬなよ」
 浩は隣村の出身だったが学校は同じでよく遊んだ。こっちに来て唯一同郷の友人だったが、それっきりになってしまった。戦後すぐ、私が暮らすアパートに浩の母親が尋ねてきた。そのとき私は訳あってある女性と暮らしていたのだが、訝しそうな目付きで私とその女性を交互に見つめていた。
「浩を捜してくれねえかのう」
「はい」
「浩と別れたとき、あの子はどっち向いて逃げたかのう」
「はい」
「はいって、何か覚えてないか?」
 息子が消えてしまったのだ、母親が必死になって当然だが私には彼女に伝える正確な情報は何一つなかった。
「あっちへ」
 私はあの日浩が走った方向を指差した。母親は頷いて「また来る」と言い残し、私が指差した方向へ足早に消えていった。浩と別れたのはここではなく、もっと海に近い所で、それも指で示した方向なんて少しずれているだけで先に行けばまるっきり変わってしまう。だけど彼女は見えなくなるまで真っ直ぐ歩いて消えた。それ以来彼女は尋ねてこなかった。私が数年後帰郷したときには、浩の父親と妹の二人暮しだった。私は彼女が尋ねてきた日のことを話したが「そういうこともあるだろう」と人事みたいに父親が溢したのを覚えている。
  
おんな

「執筆は進んでいますか女流作家先生?」
 私は趣味で推理小説を執筆しています。新聞広告や月刊誌などの案内にある出版賞に応募していますがことごとく落選しています。基礎知識もなく、ただ読書好きが高じて書き始めたわけで、並み居る作家志望の足元にも及ばないだろうとわかっていましたが、二次審査通過通知後、それっきりになってしまうのはやはり悔しくもありました。
「うんだめ。ねえあなたにも読んでもらったじゃない『白猫ヤマト殺人事件・クール宅配便から覗くダイヤの指』どうあれ?おもしろくなかった?」
「ごめん、まだ読んでないんだ、今度の日曜日から読み出すよ、約束する。ただ読んでもいないのに偉そうなことは言えないが、テレビドラマのサブタイトルみたいで長過ぎやしないか、タイトルだけで満腹になりそうな」
「そうかしら?アガサのタイトルだって意外と長いでしょ、それがサスペンスファンをそそるのよ。とにかく読んで感想聞かせて、あなたとジョーおじさんだけが私の読者なんですから。日曜日からじゃなくて日曜日に読み切って」
「へいへい」
 彼は当分私の推理小説もどきに目を通すことはないだろうとわかっていました。それでもよかった。都合のいい言い訳をする彼に、ふくれっ面のまねができることの方が嬉しかった。
 私達はJR桜木町駅の中を抜け、石畳の広場に出た。
「昔は海だったんだよねあの辺りは?」
「そう、海というより干潟。戦後よ、埋め立てが始まったのは。私おばあちゃんから詳しく聞いているからよく知ってるの。さっき渡った大通り、あそこは川だったのよ。桜川って言ってね、紅葉橋から瓦斯橋、緑橋って駅前に橋があったの、あの空襲でこの辺りは何もかも焼けて焼け野原になってしまったらしいわ。闇市ってバラック建ての露店が並んで、店も客も必死になって生きていたらしいわ」
「おばあさんの店は、煙草屋?」
「家のほうもひどい被害で何もなくなってしまったわ。うちのちっちゃな店も、おばあちゃんの両親も避難先の防空壕が被弾して死んでしまったわ」
「でもおばあさんは助かってよかったじゃないか。両親が早く逝ってしまった分、長く生きる権利があり、そうしなさいと神様に命令されているんだきっと」

おとこ

「父さんはどっちの方に逃げたの?」
「どっちもこっちもなかった。人が行く方、焼夷弾の間を潜り抜けるように走っただけだ」
「B29は、どっちから?」
「そのときは富士山の方からも海の方からも一斉に来たように感じた」
 私達は石川町を抜け元町に入った。橋を渡り川淵を歩いたがこちら側にはブルーシートのハウスは建っていない。伊勢佐木町の客足は減ったらしいが元町は賑わっていた。去年の二月にみなとみらい線が開通し、渋谷から直通で来られるようになったからだろう。
「川に飛び込む人も大勢いたでしょ?空襲の写真でよく見るよ」
「ああ、一面火の海だからな。人が歩く歩幅ぐらいの感覚で大きいのと小さいのが落ちてくるんだ。落ちた衝撃で粘る液体は二メーターも跳ね上がりそして燃え上がる。粘着性があるから電柱だろうがアスファルトだろうがみんな燃えてしまうんだ。もう道路に逃げ道はない。みんな川に飛び込む」

 川は人で溢れ、溺れる者もたくさんいました。そして川の中を一列に歩き出す人達を機銃掃射が襲う。身を隠す術はない。一度目は運良く外れても二度、三度と襲い掛かってくる。傷ついた人を助ける余裕なんて誰にもありやしない。戦争だから仕方ないが、川を歩く人達を狙い撃ちしたパイロットは殺人者ではないだろうか。まさに地獄だった。川の中で、頭のすっ飛んだ乳飲み子にねんねこを揺すってあやしている若い母親がいた。頭がないことに気付いているのかいないのか、ただ追い越す人誰もが知らん振りして通り過ぎて行った。母親の細い声であやす子守唄が、切なく川を下った。
「父さんの火傷もひどいじゃない」
 父は脇腹から臀部にかけて火傷跡が醜く残っている。子供の頃銭湯で同級生に会うと、翌日私は妖怪の子供だとからかわれたことがあった。その子はクラスメートに言いふらしているところを担任に見つかり、校長室に連れて行かれ説教された。その晩父親に連れられてうちに来た同級生は、頭を押さえ付けられ謝罪して帰った。それから私は父と銭湯に行くことを拒むようになった。銭湯に誘う父の差し出す手を握らずに、首を振った場面が現在でも落ち込んだときに必ず浮かぶ。そして鳥肌と共に消えていく。近いうちに父をサウナにでも誘って背中を流してやろうと思うのだが、四十年以上過ぎた今でも実行していない。
「ああ、死に損なった。当時この高速道路があればどれだけの人が助かったか」
 川の上を川と水平に海に向かう首都高速を父は眼を細めて睨んだ。

おんな

「これから先には行ったことがないんだ」
 私達はランドマークタワーの前にいた。うちから歩いても三十分足らずの道程ですが、こうして誰かを案内する以外に用もなく、なかなかここまで来る機会はありませんでした。しばらく足を踏み入れないでいると、いつのまにか新しいショッピングビルやオフィスビルが土筆みたいに伸びてしまうのでした。
「まだ時間あるからどこかに寄りますか。おなかは?」
「うん、そこらで座ろうよ」
 美術館へ通じる石橋を渡ったところで腰を下ろした。
「店は?」
「えっ、何が?」
「おばあさんの煙草屋だよ、空襲で燃えてしまったんだろう」
 彼は私の小説やこれから観るフランス映画より、祖母が体験した六十年前に興味があるようでした。
「山田町は米軍の接収地なってしまったから、昭和二十七年まで住むことはできなかったの。運良く接収地から外れてもそれはそれで大変だったらしいわ。勝手にバラックを建てて住み付く人もいれば、又貸し又貸しで誰の土地だかわからなくなってしまうこともあったそうよ。もしかしたら接収されたから煙草屋を再開できたかもしれないわおばあちゃん」
「そのときおばあさんはいくつだっけ?」
「空襲のとき十八だからプラス八歳、二十六ね」
「必死になって自分の土地を守ったわけだ」
「そう、それに娘がいたのよ、生まれたばかりの私の母」
「僕達の想像を絶するようなご苦労だったわけだ。ところでおじいさんとは?さぞかし劇的な出逢いだったんだろうねえ」
「おばあちゃんはねえ、女学校へ行く途中桜木町駅で空襲にあったの」

 人が走る方に逃げました。
「おい、女学生、走れ、本町小学校の裏に大きな防空壕があるから。あそこなら助かる」
 赤シャツに麻のジャケットを引っ掛けたチンピラ風の男に言われるままに走りました。彼は私だけではなく若い女性にはそう言って励ましていました。逃げ場を失い桜川に飛び込んだ人達に機銃掃射が襲いかかかりました。私は赤シャツのアドバイス通りに本朝小学校を目指し、運良く壕に飛び込むことができました。
「みなさん、もっと詰めて下さい。詰めればまだまだ入ることができます。入り口に大勢の人達が立ち往生しています。お願いします。できるだけ詰めて下さい」
 学生が入り口近くで叫んでいました。彼は人が溢れるたびに壕の中に向かい、詰めるよう叫んでいました。しかし限界がありました。二時間後解除の知らせと同時に外に出ると、入り口に向かって手を差し出すように倒れて死んでいる人達がたくさんいました。一瞬が運命を分けたのです。 
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